2
その病室はガランとしていた。廊下と同じく清潔な正方形の空間に、壁に寄せるようにしてベッドが一つ。その枕元の収納棚の上には花瓶が置かれ、百合の造花が差してある。
「建御雷の解体が決まったよ。まだログの解析が済んだとは言い難いが……正直、これ以上時間をかけても何かが見えて来るとも思えない。うちと生体研の合同で分解して、次世代機建造に役立てるつもりだ」
八雲はベッドの横に置かれた小さな丸椅子に腰掛けながら言う。椅子の表面は冷えていた。
「……これから破龍兵装がどうなっていくのかは分からない。流石に即刻全機処分ということにはならない。現実に識人の脅威は無くなりはしないし、今最も有効な対抗策が破龍兵装なのは間違い無いから」
ただ、と前置きする。返事は無い。
「破龍兵装への信頼が世界的に大きく揺らいだのは事実だよ。君も、僕も、一夜で無条件の英雄から議論の焦点へ真っ逆さまさ。君はネットは見てないだろうが……」
室内にはベッドと棚と椅子、ベッドを挟んで八雲の向かい側に並ぶ医療器具群以外、これと行って家具も無い。私物はもちろん存在しない。地下ということもあって窓さえ無いここは、一種の監獄に見えた。
「破龍兵装の暴走自体は前例の無いことじゃない。けれど、それは大抵開発初期や実戦初投入直後のことだった。十年間問題なく作動して来た建御雷が、何の前触れもなく暴走してはね……。信頼性の概念が何一つアテにならなくなった。いつ爆発するのかも、それが爆弾なのかさえも分からないようなものは、兵器とは呼べないからね」
防患隊は一枚岩ではない。内部での派閥抗争があり、外部機関との折衝があり、他国の防患軍についても同じことが言える。さらに破龍兵装の破棄が現実的な問題として議論され始めると、それが他国との破棄タイミングの探り合いへ繋がり、今まで暗黙裡に流されていた国防上の議論を呼んでしまった。今日の日本では日々、統一朝鮮や中国、極東ロシアとの対破龍兵装戦に備えるべきという論調が急速に高まっている。国連の防患軍統合本部がお飾りでしかない以上、世界的な情勢は一寸先も読めない混沌だった。
「識人戦争はますます苛烈になっていくというのに、人類はまた内輪で戦争を始めるつもりらしい。しかも、次のオッペンハイマーは僕だとさ。最悪の冗談だよ」
八雲が見つめるベッドの上。鹿島康徳元防患特佐は目蓋を閉じたまま身動きもしない。腕に繋がれたいくつもの点滴と顔の下半分を覆う澄んだ緑色の酸素マスクが無ければ、眠っているようにしか見えなかっただろう。
実際、眠っているようなものだと、八雲はこの病院に勤める知り合いから聞いた。賀本が失ったのは左半身だが、康徳は命以外の全てを失ったのだ。
あの最後の戦闘で彼が何を見たのかは、その身に何が起きたのかは未だ不明だ。このまま彼が目を覚さなければ、きっと永遠に。
「……前触れなく暴走したわけじゃないか」
死龍憑きの明らかな悪化を思い出す。末期には記憶の混濁が見られていた。
止めるべきだった。もっと無理を言ってでも。
後の祭りだと理解していようと、自分はきっと一生この後悔に付きまとわれるだろう。
「だが、いつかはこうなる筈だったのかもしれないな。……安い運命論ではないが、そもそも識人なんてものは元から酷く歪んだ存在だからね。その歪みを抑えるために僕は破龍兵装を……より歪んだ対抗策を作った」
積み重なった歪みは、いつか臨界点に達する。そのときに最前線に立っていたのが最古の主操縦士であったことは、何も驚きに値しないのかもしれない。
「大きすぎるんだよ、識人も、破龍兵装も、英雄だの軍神だのも。人間一人が抱え込むべきものじゃない。誰かに押し付けて蓋をして、それで済むようなものじゃあないんだ。それを続ける限り、きっと世界は……」
そこまで言って八雲は立ち上がった。自嘲するように鼻を鳴らして、
「僕が言えたことじゃないな、まったく」
一人で喋り続けるのも性に合わない。それにもし彼が起きていたとしても、きっとこんな叙情的な話はさっさと切り上げて本題に入れと言うだろう。だが、そういう意味でなら今日は元より本題など無かったことになる。
立ち去ろうとし、彼は収納棚の上、花瓶の横に何かが置いてあるのに気付いた。
それは落ち着いた色合いの二枚の封筒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます