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再び瓦礫と化した新宿の街並みを、無数の自衛隊員が走り回る。
建御雷が追い詰められた激戦から五日。政府は壊滅した新宿でそのまま総合防患を実施することを決定した。
住民は衣食住に関し、従来の最低限以下の配給よりは上等な待遇を受け、片端から検患が実施された。その過程で少なからぬ第一、二病期患者が発見、保護され、抵抗する者も含めてトラックで各施設へ移送された。第三病期患者も一体発見され、意識を失っているうちに速やかに処分された。
バラックの解体と瓦礫の撤去作業は、戦闘の中心地となった南東部から進められた。同時に、犯罪組織、ならず者集団の拠点となっていた旧新宿駅跡地へは警察の手が入り、違法に売買されていた識人の生体組織が多数押収された。
新宿は急速に常態へ復帰しつつあった。
「こんなものか……」
練馬地上の閑散とした商店街。その一角の木製ベンチに腰掛け、フィクサフォンでネットニュースの動画を眺めていた史哉は、何度目になるか分からない台詞を呟いた。
戦闘以来、彼は一度も新宿に近付いてはいなかった。あれだけ自衛隊が闊歩している中で好き勝手に歩き回ることは出来ない。何より、もうあそこを訪ねる意味も無くなってしまった。
大学には防患隊や厚防省と個人的繋がりのある生徒も多い。たとえ公表されてはいなくとも、防患関連の話なら風の便りで聞く。
発見、処分されたという第三病期患者。
それが彼女のことなのかは分からない。だが、もしそうでなかったとしても、彼女が生きているとは彼には思えなかった。
識人の逃走経路から外れていることで、一度も戦闘に巻き込まれなかった彼女の住居は、あの戦闘で崩壊したからだ。
この一年、新宿に出現した識人が積極的な戦闘に打って出たのは五日前が初めてだ。だから被害も従来の比ではないのだが、よりにもよって最後に叩き飛ばされた識人の身体が、住居の真上に墜落するとは。識人としては軽量級とはいえその重量は二千トンを超える。あの勢いで墜落したならば、たとえ地下にいたとしても……。
「ついてない……いや、今までが幸運すぎたんだろうな」
それも何度も発した言葉だ。
彼が彼女と会えたことが、彼女が彼と彼の荒唐無稽な思いを受け入れてくれたことが、彼女が今まで防患隊に捕捉されなかったことが、そして度重なる識人災害を彼女が生き延びたことが。
どう考えても、何度も起こるようなことではない。
ならばこれが妥当な結末だろう。
だけれど本当に自分は、今初めてそれを認識したのだろうか。荒唐無稽というより単なる絵空事でしかない計画の都合の良さに、今まで気付かなかったとでもいうのか。
そしてもし彼女が生きていたとして、第四病期に達したとして、あの建御雷を打ち倒す力になる可能性なんて。
自分は、本当に沙智を解放する気でいたのか。
「…………」
腹の底に苦くて濁ったものが溜まっていく。柄にもなく叫び出したくなる。その衝動を抑えるため、彼は敢えて思考を続ける。
確かに自分は建御雷の設計上の穴とでもいうべき部分を見つけた。それは普通の患者には知り得ないことだろう。だが結果論でしかない。最初からそれが可能だと思っていたとは決して言えない。
いずれにせよ、その発見を彼女に伝える機会は永久に失われてしまったわけだが。
「全部、今更だな。何もかも……」
この一年弱に渡るヨーカとのやり取りは、早くもどこか現実味を失い始めていた。全てはまるで白昼夢のようで。
というより、自分がヨーカのもとを訪れる目的は白昼夢を見るためだったのかもしれない。
沙智と、もう一度会って話すという夢を見るための。
「あまり、似ていたとは思わないんだけれどな」
だが少なくともこの五日間に漂っていた喪失感は、単に計画が失敗したことによる自失だけでは決してなかった。それが彼女と彼女のどちらを失った痛みなのかは、史哉自身には判別しかねた。しかし、自分があの少女に個人的な執着を抱いていなかったといえば嘘になる。だからこそ、こうして一度彼女を思い出すと、鬱屈した気分と、何より罪悪感で気が触れそうになる。
「……大学に行くか」
転落しそうになった連想を辛うじて繋ぎ止め、史哉は腰を上げる。夢から醒めようと現実は続く。彼が夢を見ていたと誰も知らない現実が。
真冬の寒風を浴び、シャッター街と化した故郷の町を行く。昼前だというのに人通りは疎らだ。最後に沙智とここを歩いたのはいつだったか。そういえば、一度くらいはヨーカを連れて来ても良かったかもしれない。まだ症状が進行していない段階で、彼女を新宿から出してやる機会は幾らでもあった。
『————』
不意に、町内放送スピーカーから気の抜けたメロディが響いた。その残響が消えないうちに、事務的な女声が続く。
『ただ今、東京市全域に識人警報が発令されました。識人が出現したのは旧新宿区です』
「なっ……」
思わず驚愕の声が漏れる。道のど真ん中に立ち止まり、呆けたように放送に聞き入っていた。
『市民の皆様は職員の指示に従って速やかにシェルターへ避難するか、外出を控えてください。繰り返します』
周りで彼と同じく呆けた顔をしていた通行人達が慌てて避難を開始する。この辺りの公営シェルターは、史哉の実家がある地下小防患地区の上層部にある。練馬は過去二十年間でも被害らしい被害を受けたことはなかったが、住民の対応は手慣れたものだった。
だが、史哉は避難せず、代わりにフィクサフォンでリアルタイム情報を検索していた。有象無象のSNSアカウントを回り、すぐに画像を見つける。遠くから撮影した上に、相当画質が荒いが、
「これは……!」
史哉は走り出した。向かう先はシェルターではない。テナントが抜けて無人となった地味な廃ビル群。その中で最も高いものを彼は目指していた。
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