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八雲宗輔は第一格納庫の最上部、主操縦士搭乗スペースで白衣のポケットに手を突っ込んで立っていた。目の前には建御雷の鋭角的な後頭部があり、そこにポッカリと空いた長方形の穴から文字通り棺桶のような操縦棺がゆっくりと足場に降りてくる。
百メートル近い格納庫の下部を見下ろせば、内蔵された副操縦士用の操縦棺がいくつも機体各部から飛び出している。まるで寄生虫のようだ。それは建御雷が生きた識人だった頃の副脳の配置と一致する。ヤクモシステムとは識人の脳を人間が肩代りする機構と言える。
円筒状の格納庫壁面の足場を、建御雷専属の整備士たちが慌ただしく移動する。彼らの多くが集まっているのが三本の刃尾の周辺だ。
薄い蛇腹装甲の表面には無数の棘が突き刺さっている。機体への影響を考えると今すぐにでも処理したいところだが、あの識人が持つと予想される毒の分析が済んでいない以上、迂闊には手を出せない。ここへ運び込むのでさえいつもの三倍近い時間が掛かっている。そして分析は同じ防患軍内でも技研ではなく
「しかし痛いところを突かれたな」
八雲は独白する。建御雷が刃尾を失ったときの戦闘続行の困難性。それ自体は自明の理だし開発当初から指摘されてきた。
だが、弱点が存在することとそれが現実に危機を招くことは別だ。実際、建御雷が刃尾の制御を失って行動不能になったのは初めての出来事だった。なにぶん、本体があの速度で動く上に、刃尾の動きはより縦横無尽だ。相手に攻撃される前に動き、迅速に殲滅する。だからこその超近接戦闘想定の高起動型だ。
今回の敵はあまりに相性が悪かった。建御雷を凌駕する機動性に、刃尾の軽装甲を貫通する即効性の毒棘。
「想定外は言い訳にはならないがね。さて……」
視線を格納庫下部から前方へ移す。パイロットスーツに身を包んだ康徳がちょうど操縦棺から身を起こし、足場に降り立ったところだ。
しかし、よく見れば意外なほど似た親子だな、と八雲は思う。
何というか、自分の職業、関心へのある種病的な執着。それが漏れ出すふとした瞬間の表情。八雲は史哉の方とは長い付き合いでは全くないが、ここ数ヶ月の間にそういったいくつかの共通点を見出していた。
それは例えば、格納庫を案内している最中に識人出現の報が入っても、一切動じず寧ろ戦闘を見せて欲しいと言ってのける度胸だ。
——流石に悩みはしたが……。
八雲は戦闘にリアルタイムで指示を出す人間ではないが、彼の作業場を含め格納庫内には支援科観測班からの映像を見られる場所がある。また後日にもう一度史哉をここへ連れてくる手間、八雲の持つ権限と報告義務、そして彼の史哉に対する個人的な後ろ暗さ。
それらが拮抗した結果、史哉は一般には公開されない未検閲の戦闘映像を見ることになった。
——一発で建御雷の弱点を的確に見抜いたのは、流石としか言いようがないが。
個人的な感情を抜きにしても是非欲しい人材だ。そう思っていると、康徳が怪訝な顔をして目の前に立っていた。いつになく疲弊した表情ながら、眼光の鋭さは失っていない。
「何をしに来た?」
「おや、友人が満身創痍の兵士を労いに来たというのに随分な言い草じゃないか。取り敢えずは任務ご苦労様。……いやなに、あまりにも珍しい事態だったものだから、元開発主任として操縦士の新鮮な意見を拝聴したくてね」
二人は肩を並べて歩き、視線も交わさずに会話を続ける。
「お前が既に気付いている以上のことを俺は間違い無く知らない。それは今までと何も変わらんだろう。どうしても聞きたいというなら、バイタルチェックが終わってからにしてくれ……少し、疲れているんだ」
八雲は軽い驚愕を覚える。戦闘直後であっても特に休養など希望したことのない鹿島康徳が、それ故軍神とまで称された彼が疲労を訴えている。こんなことは初めてだった。そして当然、無碍にすることなど出来なかった。
なるべく軽い調子で彼は切り出す。
「それは仕方ないね。じゃ、取り敢えず史哉くんのことでも伝えておこうか。実は戦闘の生中継を見せていたんだ。すぐ例の弱点に思い至ったようだよ」
すると突然、康徳は足を止めた。数歩分先行した八雲が振り返ると、その顔には見たこともない困惑の色が浮かんでいた。予想外のことに、八雲は少し慌てて付け足す。
「いや、僕の権限じゃギリギリ黒のラインかもしれないが、そもそも今回の彼の扱い自体が特例中の特例だ。もう一度連れてくる手間を考えればこの方がまだマシだろう?」
「いや、そうではなく……どうして史哉がここに?」
今度は八雲が困惑する番だった。
「いや、前にも話したじゃないか。今日、彼が建御雷を見学に来る、と。君も上に掛け合って是非にと希望しただろう」
「希望した……? 俺が、か?」
康徳の困惑の表情はいっそう深くなっていく。同時に八雲の表情は困惑から不安へと変化していた。
記憶が混濁している。何か、操縦中に脳へ重大な悪影響があったのかもしれない。
「ああ。たしかに君が言ったんだ。史哉くんにも見て貰わないと、って……」
八雲がそう口にした瞬間、
「————あ」
彼の目の前で、康徳の身体が崩れ落ちた。倒れ伏すのではなく、背後へ尻もちをつくような形で。
「特佐?」
八雲は慌てて康徳の傍らへ駆け寄り、その肩を掴み、呼び掛ける。
「大丈夫か? おい!」
異変に気付いた周囲の整備士や技術者たちがざわめき、一部が衛生科を呼び始める。それを背景に、八雲は康徳へ呼び掛け続ける。しかし、見開かれた康徳の目は八雲を映してはおらず、青ざめた顔色がことの重大さを際立たせるばかりだった。
何かに驚き、怯えている。
「どうしたんだ? 聞こえるか、おい」
問い掛けへの返事はない。だが、康徳は震える唇で呟いた。
「沙智……」
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