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大防患地区の中心部。旧文京区の地下、第四階層から第十七階層に散在する大小数百の部屋。その集合体が国立東京防患大学校である。
単純容積でならば千代田の官庁街にも匹敵する大施設であるここは、トーチカの中でも特に縦横無尽の複雑な立体構造を持つ。出入りが学生証認証式のゲートに限定されていることからも明らかなよう、部外者を徹底的に閉め出すこの施設は、一般人も通行可能な通路の隙間を縫うように地下空間を広がっているためである。
その反面、学生達は特に苦労することなく日々の学業生活に励んでいる。とはいえ、何も彼らの空間把握能力が優れているわけではない。大学内部は、学年、所属学部ごとに利用区画が峻別されており、彼らが移動する通路も限られているのだ。多くの場合、それは三階層以上を跨らない。
第八階層第三区画。非将官課程工学部の下級生が使用するその一隅に、学内屈指の収容力を誇る大教室がある。
今日、この教室では一、二年向けの特別講義が行われている。
リノリウムの床と円形蛍光灯、黒ずみの無い真白の壁は、ここが普段は使われない上等な教室である証拠だ。緩やかな半円を描く室内。そこに階段状に配置された座席は二百を超すが、空席は一つも無い。
教室最前方、大スクリーンの前に生徒らの注意を一身に集める男がいる。
いかにも軍人然とした、厳めしい無表情を湛えた男だった。浅黒い肌に刻まれた皺は苦悩と戦歴の証。その中で強靭な意志を感じさせる眼光だけが、極北の冷徹さで煌々としている。
防患隊東部方面隊・第一破龍部隊
「今日の講義は、先週、識人出現のために中止となったものの代講である。主題は事前に予告していた通り、操縦士の身体感覚と破龍兵装の駆動の連関についてだ。しかし、私自身の経験の鮮度を鑑み、一週間前の戦闘を教材として使用することにした」
教室内に一瞬、興奮と期待のざわめきが広がる。
声の波が収まった頃、鹿島は続けた。
「
白一色の大スクリーンが、一転、三つの画像を映し出す。白背景に浮かび上がるのは、正面、側面、背面の三方向から見た異形のヒトガタ。
「第一破龍部隊の破龍兵装、六式建御雷だ」
三つの画像が順にズームアップになり、種々のスペックが表示される。
「諸君らも知っているだろうが、これは文字通り世界最初の破龍兵装だ。だが旧式と侮ってはいけない。度重なる識人戦を経て、現在のバージョンは六。未だに第一線で活躍する、日本防患の要だ」
それは事実だが正確ではない。建御雷が未だ第一線で活躍出来るのも、鹿島康徳という突出した一個人あってのことだ。日本防患の要とは、建御雷だけでなく鹿島特佐も含む。
淡々と語る鹿島の口調には、その事実を匂わせるようなところが一切無かった。
「体高九十メートル。重量一一五○○トン。重量比からも明らかなように超近接戦闘想定の高機動型で、装甲は強靭だが薄手のファルメンダスト鋼。両腕と刃尾のブレードはそれに二重ラクタ処理を施したものだ。遠距離兵装は背部に格納された六連装の小型対識人ミサイルのみ。といっても撹乱用だが」
スクリーンが切り替わる。建御雷の三枚の静止画像から、荒廃した都市で二体の巨獣が相対する動画へ。安全圏の偵察機から超高性能カメラで記録されたそれは、至近距離で見るような高解像度だ。
「建御雷は最も人間に近い形態を持つ破龍兵装の一機だ。それ故、刃尾を除いた四肢、胴体部の基礎的な動作自体には巨大脳のリソースはあまり使わない。二つの関節を持つ腕でさえ、主操縦士——つまり私の脳リソースのみで賄えると考えてもらって構わない。が……」
スクリーン上、識人三六五号の触手による一閃を建御雷が横跳びに回避する瞬間が、スローモーションで繰り返し再生される。
「戦闘中に必要とされるこのような高速機動は、一人の操縦士の脳だけで演算実行するのは不可能だ。破龍兵装の最も基本的な問題である、操縦士と素体となる識人の知覚、身体感覚の断絶。それは機体の動作、感覚系が人間から乖離するほどに幾何級数的に重大化する。実のところ、建御雷の場合、感覚器は人間のそれと大差無いわけだが……」
画面上の建御雷が新渋緩衝地帯を疾走する。直後、大きく踏み込んでからの大跳躍は、機体のスケール感を考慮しても映画のように非現実的だった。
「この跳躍は高度三八◯メートルに達した。人間のスケール換算で七メートル半。無論、生身の人間の身体能力を遥かに凌駕する値だ。先程の映像で見せた反射神経、更にはこの三本の刃尾。……素体となる識人は、多かれ少なかれこのような人間の身体感覚を大きく逸脱する能力を有している。それらの能力を操縦士の意思で制御し、十分に発揮させるには、機体と主操縦士の間にある種の
一呼吸。自分の眼前に広がる劇場型の大教室を眺め回し、
「ヤクモシステムだ」
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