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新宿に出現した識人は、多くの場合東京湾から太平洋海中へ没し、二つある無法大陸の片方である南米への脱走を企てる。もはや国家の存在しないそこにはまともな防患戦力が存在せず、先進諸国が罹患率上昇に伴いなけなしの国際協調を欠くにつれ、識人たちの楽園となった。それは逆に言えば、先進国で発現した識人が生き延びるには、そこを目指すしかないということでもあった。
その識人達を迎撃するため、新宿から渋谷に至るここには幅三キロに渡る
防患隊の最終兵器が思う存分機能し得る空間だ。
識人三六五号は頭頂部からその地面に激突した。高層ビルの崩落を思わせる轟音、それを遥かに上回る激震と粉塵。衝撃は墜落地点を中心として円形に伝播し、発生した地割れの末端は新宿南部にまで到達した。
識人墜落の数秒後、莫大質量を持ったもう一つの存在が、力無く横たわる巨体の近辺に着地する。先程の轟音に比べれば、その動作は無音と言ってよかった。三六五号より二回り以上小さな体高、人間を彷彿とさせるスマートな外形を考慮しても、その静けさは不自然を超えて不気味でさえあった。
それは九十メートルの体高を誇る銀白色の巨人だった。
極端な猫背ながら総体としては人間に酷似した直立二足歩行。体表は皮膚でなくメタリックな装甲に包まれ、人間と異なり二つの関節を持つ腕の側面には鋭利なブレードが装備してある。肉食の爬虫類を思わせる獰猛な顔面では、均一赤色に発光する単眼が三六五号を無感動に見据えていた。
そして何より目を引いたのは、腰部から後方へ伸びる百メートル近い強靭な三本の
この巨人こそが、上空二五○メートルを時速一八○キロで飛翔する識人を、鋼の豪腕で叩き落とした張本人であった。その左の豪腕を覆う装甲に、銀白色に映える暗赤色の文字が踊る。
『破龍兵装第一号・六式建御雷』
巨人・建御雷は着地した姿勢のまま、沈黙し続ける識人へ油断無く単眼を向ける。識人は頭頂部を建御雷の方へ向け、四本の触手を地面に放り出して地割れの中心に横たわる。その姿は小高い山のようであった。
粉塵が収まり、視界が開けてきた頃、
——————!
その変化は突然起きた。建御雷が弾かれたように横へ跳躍。ほぼ同時に、触手の一本が銀白の残影を真正面から貫いた。
堰を切ったように、残り三本の触手が跳躍する巨人を追撃する。明らかに元の長さを超えて伸長する、ゴムの如き弾性を持った魔槍。一本が大木に比肩する太さ、長さを持つ筈のそれは、埒外の速度故に肉眼では残像を捉えることすら叶わない。
建御雷が跳躍し、同時に魔槍が虚空を一閃する。三度の反復のうちに、建御雷は反時計回りに識人の側方から接近していた。そして勢いのままに、両手を地面につけ力を溜めた肉食獣を思わせる姿勢で静止。一瞬、巨人の単眼と、蛸の頭側部についた無感情な眼球が視線をぶつけ合い、
————!
爆発的な瞬発力により、建御雷は一気に飛び込んだ。短距離走者のクラウチングスタートに似て、しかしその破壊力は比べ物にならない。足下に散らばる大小の瓦礫は瞬時に灰塵と化し、衝撃波が一瞬遅れてそれらを吹き飛ばした。
超前傾姿勢で疾駆する建御雷を、一本目の魔槍が正面から貫こうとして、
————‼︎
戦場に、金属が擦れ合う耳障りな高音が鳴り響いた。建御雷を貫く筈だった魔槍は、その眼前で二匹の鋼の大蛇に受け止められている。建御雷の腰部から伸びる、長大な刃尾のうちの二本であった。
一本と二本は、その力を拮抗させて刹那の鍔迫り合いを演じる。そして四半秒の後、残り三本の触手が左右上方から建御雷を蜂の巣にしようと迫った。
が、建御雷は再びの突貫で魔槍の収束点から前方へ脱出した。
「gbhooooo!」
同時に、汽笛を思わせる識人の咆哮が蒼天を貫く。一貫して無感情だった識人の、それは明確な苦悶の発露だった。
一本の触手が中天に円弧を描き、蛍光緑色の体液を撒き散らしながら荒野の果てへ飛んでいく。建御雷が残り一本の刃尾を一閃し、二本と拮抗していた触手を斬り飛ばしたのだ。
すかさず前進する異形の巨人。
その道を塞ぐものはもはやない。
伸び切った三本の魔槍はもう弾性を発揮し得ない。それが識人の近くへ戻るより先に、建御雷の腕側部に光る獰猛なブレードが、深緑の体表を切り裂き、眼球の奥に張り巡らされた中枢神経を不可逆的に破壊する。
手刀を形作る巨大な右掌。それは鋭利なフォルムにもかかわらず、冒涜的な精巧さで人間の掌に似ていた。
目蓋の無い識人の眼球へ迫り、迫り————。
手刀の先端が湿った醜怪な表皮を切り裂く。その刹那に、識人の身体が頭部方向——建御雷から見て右方——へ急速前進した。
それは、先刻に空中で二度見せたのと同じ、激甚たる加速。あらゆる力学を嘲笑する、識人特有の超常的な運動だ。
結果、手刀は表皮の表面も表面、薄皮を僅かに切り裂いたのみだった。衝撃で大きく姿勢を崩した建御雷が三本の尾と四肢でバランスを取る隙に、三六五号は戦場からの離脱を図る。
向かうは南方。渋谷を通過して太平洋へ。日本防患隊の追跡を撒ける場所へ。識人と化した自分が、討伐されずに唯一生き延びられる楽園へ。無論、自分は望んでこのおぞましい姿を得たのでも、この力で社会に仇なすつもりでもない。しかし、国民の安全保障と国際社会への責任信用の前では、自分の生命は誤差ほどの重さも持たない。それはかつて抹殺派だった自分がよく知っていた。
水平に発進した有命のロケットは、指数グラフに似た軌跡を描いて上昇する。秋空を背景に、急速に小さくなっていく巨影。
それを建御雷は逃さない。
人に似た姿で猛獣の前傾姿勢を取ってから、貯めた力を瞬時に解放する。住む者のいない、幅三キロに渡る無人地帯。建御雷は長大な両腕を大きく振りつつ、識人の影を追って疾走する。一歩が百メートルを超す巨人の疾駆は、僅か二十歩足らずでその端へ至り、多くの住民が住む市街地が迫り————。
勢い良く跳躍した。高さ九十メートルの銀白の怪物が、冗談のような速度と角度で空を登る。その光景はミサイル兵器の射出を幻視させた。
高度三百メートルの上空。建御雷は瞬く間に識人へ肉薄。その触手が反撃に打って出る直前、追い越しざまに三本の刃尾が、今度こそ深緑の頭部を串刺しにした。
生々しい異音。痙攣。弱々しい断絶魔。
「kgbooonn…………」
二つの巨影は空に貼り付いたような数秒を経、一方は体液と生命の残火を撒き散らしながら、一方は確固たる意思を持ってその後を追うように、共に緩衝地帯の荒野へ墜落していった。
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