手ブレ、酷くて

最近にしては珍しい彼が美術室にいない放課後。

勇んで飛び込んでいって肩透かしを喰らった。

絵の中に風を吹かせて話し相手を起動する。

「やほ、久しぶり。」

「あら、薄情者じゃない。」

「あのね聞いて。この前、念写の魔法うまくいったんだ。」


昨日ずっと怖かった白紙に念写の魔法をかけた。

彼を思い浮かべながら。これなら校庭でも同じことができそう。


「へえ、熱烈ね。」

筆を持って白紙へ挑む彼の背中。

それが映し出された紙を見て彼女は面白くなさそうに呟く。

数秒後にはいつも通りの意地悪そうな笑顔があった。

「おめでと。」

「ありがと。夢中になるって、すごいね。」

世界がいつもより明るくて目が眩む。




今日は彼、いるのかな、いないのかな。最近、美術室での時間はただの暇つぶしではなくなってきている。

平面な友人とはなしたい事もあるし、彼がいるのでもどっちでも楽しい。

日向ぼっこの相手は誰かな。

もし彼がいたなら今日こそ名前を聞いてみよう。

夕陽で明るい中に踏み入る。筆が乗った彼の姿が見えた。

今日は角椅子は出ていない。立ち上がって筆のために動いている。絵と殴り合いの喧嘩をするような気迫。動きの大きさ以上に激しく見えた。

その時、少々着崩れたジャージから見覚えのある文字列で刺繍が覗く。白い糸が紡ぐ名前は「兵郷」。

「君、もしかしてあの絵の作者? 」

夢中な彼に声をかけたことを言ったあとに後悔する。しかし同時にほとんど反射で出て行ったし仕方がないだろうとも思って彼を真っ直ぐ見据える。

「え、そうだけど、なんで知って……」

私と友人を振り向いたあと筆を構えたまま硬直する。思いのほか困惑しているようでつられて一時停止してしまう。

「キャンバス裏の名前、みちゃった。」

「あ、あが……。」

耳が赤くなっていく。余計なことを言ってしまっただろうか。

「私いつもあの絵にお世話になってるから、作者の人にお礼言いたくて。」

上がった顔の熱を冷ますようにパタパタ片手をやりながら

「お世話になってるってどういうこと? 」

「あぁそっか。えっとね、こう言うコト。」

今日も美しいあなたの額縁に触れる。すると私のエネルギーが四隅までキラキラと広がって絵の中に風が吹く。

「どうも。」

横顔がぬるりと4分の1回転して私たちを両目で見る。黄色い花を背景に彼女のいつもより慎ましい笑顔がこちらに咲いた。

「……。」

絶句を体現したように固まってしまった彼に絵の中の彼女は愛おしそうに笑いかける。

脳の処理が終わったのか急に彼はメガネを捨てて額縁につかみかかるような勢いで駆け寄った。

「すごい。僕の絵が、生きてる。」

「お褒めいただき光栄です。ご主人。」

平面の彼女は境目に顔を近づけて乗り出せないことがまるで惜しいと言うように揺らぐ。

「すごいね短田さん。流石、成績優良者は伊達じゃないや。」

「……ありがと。」

すごいなんて私を褒めながら一つもこちらをみていない。

絵の中に釘付けらしい。彼のモチーフに対する話を思い返して制服のスカートを握りしめる。

「絵の中に入りたいと思う? 」

どうにか三次元の世界にも構ってほしくてそうちょっかいをかける。

「……それは思わない。だってその必要はないから。」

私の方を一度も見ずにそう答えてくれた。

「そっか。それ、誰の絵? 」

「こ、これは……。」

額縁から手を離してあからさまにしどろもどろし始めた。眼鏡をかけなおしながら口の中で喋っている。

「その、彼女の前でいうのはとても気恥ずかしいけれど。」

絵の中の君からも私からも目を逸らして床に溜めて

「僕の好きな人の絵。」

最終的に真っ直ぐに私を見てそう放った。予想してたけど心の中で言語化を避けていた事象に、決定打を食らう。

絵の中の彼女は私に向かって勝ち誇ったように笑った。

鮮烈に輝いて日向よりもずっと眩しい。

「綺麗な人だね。」

しゃがむ彼すら見えないくらい、ほとんど足元しか見えないくらい私は目を伏せていた。

見える上履きの色は少しづつ褪せて現実逃避を手伝った。



あの日からまた、念写がうまくいかなくなった。

白い紙を握って思い浮かべてみるけどそこに溶け出してくるのは黒っぽい塊。

紫、黒、灰色がどろっと白紙に広がって他のものが入る隙はない。

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