第5話 おじいちゃん
「我々──ローエンとアメリアは、今この時をもって夫婦となることをご報告申し上げます」
夜の帳が降りる頃。
魔王城の中でも一際豪奢な大広間にて、私を隣に置いたローエンが高らかに宣言する。
これにより、私達は正式に夫婦となった。
大広間の上段には、立派な玉座が据えられていた。
現在の魔王様の治世はすでに五百年を越えており、フェレンツ王国の歴史よりも長い。
さぞ恐ろしげな姿をした魔物で、私など歯牙にも掛けられないだろう、と二月前に対面するまでは思っていたのだ。
ところが、実際の魔王様は……
「うんうん、めでたい。実にめでたいのぅ」
至極穏和で善良そうな、小柄なおじいさんだった。
御年は千歳あまり。
若い頃は黒々としていたらしい髪も眉も髭も今や真っ白になり、腰など直角に曲がってしまっているし、何やらぷるぷるもしている。
大きな玉座にちょこんと腰掛けた魔王様は、結婚の報告をした私とローエンを手招きすると、まるで孫を可愛がるみたいにそれぞれの頭を撫でた。
「よかったなぁ、ローエンくんや。この日が待ち遠しかったのぅ」
「っ、はい……」
「おお、そのドレスは……うんうん、よく似合っとるなぁ。アメリアちゃんに着てもらえて、家内もきっと喜んどるだろうよぅ」
「光栄に存じます、魔王様。奥方様のご厚意に心より感謝いたします」
大広間には、魔王様をはじめとしたカシュカの有力者が大勢集まっていた。
魔物の国であるカシュカに神はいない。強いて言うなら、魔王様がそれに当たるだろう。
なお、私の祖国であるフェレンツ王国にも神が存在しないのだが、その理由は今は割愛する。
カシュカにおいては事実婚が主流の上、そもそも結婚式を行う習慣がない。
そのため、私とローエンも挙式はせず、結婚の報告とお披露目の宴が催されることになった。
「おっ、ローエン! 憎いねえ、お前さん! ちゃっかり奥方とスカーフの色を合わせているではないか!」
「可愛らしい奥様ねぇ、閣下。髪の色なんて私の娘の毛色にそっくり。他人とは思えないわぁ」
そう言って、左右からローエンの肩を気安く抱いたのは、銀色の狼の頭をした魔族と真っ白い羊の頭をした魔族だ。
ルイーズの父ヴォルフ公と、レイチェルの母シャアフ公である。
狼族と羊族の長である彼らは七公に数えられ、それぞれの娘達と同じく幼馴染の間柄だという。
元来、捕食者と被捕食者の間柄である狼と羊が和気藹々としている光景は、何度見ても感慨深いものがある。
ローエンが彼らに揉みくちゃにされているのを微笑ましそうに眺めながら、魔王様はそっと私の手を取った。
「アメリアちゃんも、今日からカシュカの子じゃよ。このおじいちゃんとも、どうか末長く仲良くしておくれ」
「もったいないお言葉にございます、魔王様」
「お、じ、い、ちゃ、ん、じゃよ。アメリアちゃん」
「魔王様……アメリアに無理強いをしないでください」
どうしても私に〝おじいちゃん〟と呼ばれたいらしい魔王様に、ようやくヴォルフ公とシャアフ公の間から抜け出したローエンが呆れた顔をする。
「おじい、ちゃん……」
私が生まれた時には、すでに祖父と呼べる人は存在しなかった。
父方の祖父は政権争いの末、母方の祖父は母の結婚を反対して、ともに父に謀殺されたためだ。
もしも祖父がいたならば、魔王様みたいに慈しんでくれただろうか。
揉みくちゃにされた拍子に縒れてしまったローエンのスカーフを整えつつ、私はそんな詮無いことを考えてしまった。
ヴォルフ公とシャアフ公に続き、長くて尖った耳が特徴的なエルフ族の長レンブラント公と、漆黒に身を包んだ妖艶な魔女族の長マルグリット公を紹介される。
彼らも七公に数えられる、カシュカの重鎮だ。
七公のうち二名は欠席らしく、顔を合わせることは叶わなかった。
そのため、私が今宵対面を果たす最後の七公となったのは……
「ひとまずは、ご成婚をお祝い申し上げる」
魔王様の三倍はあろうかという大きな体躯をした、厳めしい顔つきの魔族だった。
燃えるような赤い髪から二本の角が突き出た彼は鬼族の長ランヴァルト公──先ほど衣装部屋で一悶着あった侍女メリッサの父親である。
ひとまずは、などと含みのある言い方をした彼は、金色の目でじろりと私を見たかと思ったら、思いも寄らないことを口にした。
「なるほど、こちらがフェレンツの姫君か──閣下が、わしの愚息から横取りしてまで欲したという」
はっ、と隣でローエンが息を呑んだのがわかった。
他の公達や招待客が顔を見合わせてざわざわとし始める。
「これこれ、ランヴァルトくんや。何も今、そんな話を持ち出さんでもよかろうよ」
「不躾なのは自覚しておりますよ、魔王様。しかし、本当なら姫君はわしの義理の娘になっていたかもしれぬと思うと、黙ってはおられぬのです」
魔王様が孫を窘めるように口を挟むが、ランヴァルト公はなおも続ける。
曰く、フェレンツ王国から同盟の打診が来た当初、私の政略結婚の相手として彼の長男の名が上がっていたらしい。
ところが二月前、魔王様と私の父の会談が行われると、突然ローエンがそれにとって代わったというのだ。
「我が家としては、人間の花嫁を迎えるのに乗り気ではなかったゆえ、破談になろうと痛くも痒くもないが」
そう言いつつ、結婚披露宴でわざわざこんな話をしてくるのだから、ランヴァルト公としてはおもしろくなかったのだろう。
その視線から私を隠すように、ローエンが一歩足を踏み出す。
彼はランヴァルト公を見上げ、冷ややかな声で言った。
「そうか、ランヴァルト公はアメリアを迎えるのに乗り気ではなかったのか……それを聞いて、安心した。御子息の縁談を潰したことに罪悪感を覚えずに済むからな」
「なんだと?」
「アメリアを大事にするつもりもない輩に、彼女を嫁がせなくて心底よかった。俺は、二月前の自分の決断を誇りに思う」
「若造が、いけしゃあしゃあと……魔王様に可愛がられているからといって、調子に乗るなよ」
バチバチ、と二人の間で火花が散るように錯覚する。
まさしく一触即発の様相に、大広間はたちまち緊張に包まれた。
そんな中で真っ先に声を上げたのは、この世界の頂点にある魔王様だ。
「これっ、ローエンくんもランヴァルトくんも、およしなさい。せっかくの祝いの席で、喧嘩はよくないっ」
魔王様はそう言って、玉座から腰を浮かせる。
私はとっさに駆け寄って、杖の代わりに両手を差し出した。
「おお、ありがとう。ありがとうねぇ、アメリアちゃんや。ついでに、おじいちゃんの代わりにあのしょうがない男達を叱っておあげなさい」
「まあ、叱るのですか? お二方を、私が……?」
「そうじゃよ。アメリアちゃんが、あの子達にめっとしてやんなさい」
「めっ……!?」
魔王様の言葉に、私はぎょっとする。
それなのに、側で一緒に聞いていた四人の公達は、何やらおもしろくなってきた、と言いたげな顔をした。
彼らの期待の眼差しを一身に受け、私はすがるように魔王様を見るが……
「おじいちゃんからのお願いじゃよぅ、アメリアちゃん」
「うっ……」
うるうるした瞳で見返されてしまって、断ろうにも断れない。
ローエンは私の窮地に気づかぬまま、いまだランヴァルト公との睨み合いを続けていた。
アメリアちゃんならできる、と魔王様が根拠もなく私を励ます。
四人の公達はますますいい笑顔になった。
「ロ、ローエン……ランヴァルト公……」
追い詰められた私は覚悟を決め、すうと大きく息を吸い込むと……
「──お二人とも! 魔王様の御前でけんかをしては、めっ、ですよ!」
しん、と大広間が静まり返る。
ローエンとランヴァルト公が、呆気にとられた顔をして私を見た。
とたん、四人の公達がどっと笑い出す。
シャアフ公とマルグリット公がくすくすと上品に笑う一方、ヴォルフ公はお腹を抱え、レンブラント公に至っては恐れ多くも魔王様の背中をバンバン叩いて大笑いしている。
私はヨロヨロする魔王様の体を支えつつも、自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じた。
「アメリア、すまない……魔王様、彼女に無理強いをしないでください」
「んふふ……じゃが、覿面じゃったろう?」
真っ先に我に返ったローエンが飛んできて、なおも叩こうとするレンブラント公の手を振り払いつつ魔王様を玉座に座り直させる。
公達の笑いが収まっても、私はまだ恥ずかしくてならなかった。
ローエンの顔さえまともに見れず俯いていると、ふいに大きなため息が聞こえてくる。
「まったく……魔王様には敵いませんな。見事に毒気を抜かれましたわ」
そう言って肩を竦めたのは、ランヴァルト公だった。
いつの間にか大広間に満ちていた緊張も和らぎ、公達以外の招待客の顔にも笑みが戻っている。
そんな周囲を見回したランヴァルト公は、赤い髪を片手でぐしゃぐしゃとかき回した。
そうして、さっきよりもずっと冷静な目に私とローエンを映す。
「言いたいことは言ったからな。もうよいわ──閣下ならびにアメリア姫、ご成婚おめでとう。末長く、仲睦まじく過ごされよ」
吹っ切れたようなその物言いに、私はようやくほっとする。
それなのに……
「ローエン……?」
ともに祝福を受けたはずの夫は、どこか浮かない顔をしていた。
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