第3話 望まぬ産物



 私は、第十六代フェレンツ国王の後妻が生んだ娘である。

 三人の兄と三人の姉は亡き前妻の子、つまりは兄弟姉妹のうちで私一人だけが腹違いだった。

 だからといって、兄や姉達が私に辛く当たったわけではない。

 なにしろ彼らとは大きく年が離れており、長兄など私が生まれた時にはすでに成人を迎えていた。


「母はもともと、この長兄と恋仲でした」

「……っ、それはまた、複雑な……」

「父は、実の息子から無理矢理取り上げて母を妻にしたのです。母にとっては不本意な結婚……私は、望まぬ産物でした」

「アメリア……」


 ローエンが、痛ましいものを見るような目をする。

 そんな目を向けられるのは、私はもう慣れっこになっていた。

 話が聞こえたらしい侍女達も、狼と羊の顔を見合わせている気配がする。

 キュン、とまた窓の向こうでシーシャが鳴いた。

 父は、前妻を深く愛していた──いや、今もまだ愛しているのだろう。

 彼女の死を受け入れられず、瓜二つであったその姪──私の母を身代わりとして側に置くことで、どうにかこうにか正気を保とうとしたのだ。

 そして母は、恋人であった第一王子との仲を引き裂かれた上、夫となった国王が亡き前妻の面影しか愛していない事実に絶望した。

 

「母は、気の毒な人です。彼女が私を愛せなくても仕方がないと理解もしておりました」


 それでも、本心では母に愛されたかった。

 もしかしたら、最後くらいは私を気にかけてくれるのではないか、と淡い期待を抱いていたのだ。

 けれども、母は結局、異国に──しかも魔物の国に嫁ぎ、二度と会えないかもしれない一人娘を見送りにさえ来てはくれなかったし、私も私でその仕打ちを嘆く気さえ起きなかったのである。

 母への思いを完全に吹っ切ろうと、私は殊更明るい調子で続けた。


「そういうわけですので、このドレスに思い入れなどございません。ローエンもシーシャも、どうか気に病まないで……」

「──アメリア」


 ところが、今度はローエンがこちらの言葉を遮った。

 彼はソファの前に腰を落とすと、私を見上げるようにして静かに語り出す。


「ここはな、魔王様の奥方が遺してくださった衣装部屋なんだ。俺はかの方からここの管理を任されるとともに、今際の際にて仰せつかったことがある」


 魔王様の奥方が亡くなって、すでに長い年月が経っているらしい。

 亡き妻を愛し続けているのは同じだが、魔王様は私の父のように身代わりの女性を求めることもなく独り身のままだ。

 その腹心で、奥方からの信頼も厚かったらしいローエンは続ける。

 

「どれもこれも思い入れのある大切な衣装ばかり。だからこそ、死蔵するのではなく、俺の采配で活躍させてやってほしい、と」


 とはいえ、主君の奥方の遺物をおいそれと貸し出すのは気が引ける。

 定期的に手入れや虫干しを行わせつつも、ローエンは託された衣装の扱いを考えあぐねていたのだ。


「それなのに……アメリアのドレスが破れてしまったと知った時、真っ先に思い浮かんだのはこの衣装部屋だった。俺は、奥方に導かれたような気がしたんだ」

「それは……私が衣装をお借りすることを、奥方様にお許しいただけた、という認識でよろしいのでしょうか?」

「お許しになるも何も、むしろアメリアが着ることを切望していらっしゃるような気さえする。奥方がご存命であったならば、きっとあなたにも溢れんばかりの愛情を注がれたことだろう」

「……恐れ多いことです」


 魔王様の奥方は、とても愛情深い女性だったようだ。

 王族でも貴族でもないローエンのことも、まるで我が子のように慈しんだという。

 それを聞いた私は、膝の上で両手を握り締めていた。

 最後の最後まで実の母にも愛されなかった自分と比べて、心がささくれていくのを自覚する。

 肩に掛けられたローエンの上着が、とたんにずしりと重く感じられた。

 そんな私の拳を、ふいに温かなものが覆う。

 ローエンの手のひらだった。


「アメリア、すまなかった」

「ローエン、ドレスのことでしたらもう……」

「ドレスのことではない。あなたに辛い話を打ち明けさせたこと、それに平気なふりをさせてしまったことを……俺は今、心の底から悔いている」

「……っ」


 私はさらにきつく拳を握り締める。

 ローエンはそれをやんわりと両手で包み込むと、私の目をじっと見つめて言った。


「アメリアは、本日をもって俺と夫婦になり、この先の人生をカシュカで過ごす。これはもう、誰にも覆させない」


 一文一句同じ言葉を、ローエンはフェレンツ王国の人々の前でも口にした。

 シーシャの背中に跨って彼と密着して聞いていた私は、もう後戻りはできない、と覚悟を強いられている風に感じたのだ。

 けれども今、ローエンはあの時よりもずっと柔らかな──けれども、真摯な声で続けた。


「あなたには、幸せに過ごしてもらいたいんだ。だからどうか、俺の前では取り繕ったりせずに、ありのままの気持ちを聞かせてほしい」

「ありのままの、気持ち……私、の?」


 私は、呆然としてしまった。

 そんな風に言ってもらったことが、これまでの人生で一度もなかったからだ。

 母に望まれずに生まれ、前妻しか愛さない父にとっての私は政治の手駒としての価値しかなかった。

 兄や姉達は優しくしてくれたが、それは愛玩動物を相手にするみたいに独善的で気まぐれで、対等な人間として扱われたことなど一度もない。

 物心つく頃にはそんな立場を自覚し、自分を押し殺すようになった私の気持ちは、乳母や侍女達にさえ顧みられることがなくなった。

 そうしてついには祖国からも放り出され、私の意思など一切考慮されないまま夫となることが決定したのは、種族さえ異なる相手。

 それなのに、自身も望まぬ結婚であるはずのローエンが言う。


「アメリアの気持ちを聞きたい。俺はあなたの夫として、それを尊重したいと思っている」

「私の気持ちが……尊重してもらえる、の……?」


 この瞬間、ぱっと目の前が開けるような心地がした。

 ローエンが包み込んでくれている両手と同じくらい、心が温かくなるのも感じる。

 私はその温もりに背を押されるように、おそるおそる口を開いた。


「ドレスが破れてしまったことを気にしていないのも……ローエンやシーシャが気に病まないでほしいのも、本心なのです」

「そうか」

「でも、このドレスに思い入れがないことは……最後まで母に少しも気にかけてもらえなかったことは、とても悲しく思います」

「うん」


 自分の言葉が無下にされず、ただ耳を傾けてもらえるのがこんなに嬉しいことだと知らなかった。

 きっと今の私は、これまで生きてきた中で最も饒舌だろう。


「祖国に未練はありません。それでも異国に嫁ぐことには……正直に申し上げれば、不安はありました」

「ああ……」

「ですが、ローエンとなら……あなたが側にいてくださるなら、私は大丈夫な気がしています」

「アメリア……」


 ローエンの手のひらに力がこもる。

 私は頬を綻ばせて続けた。


「ドレスですが……本当に、この部屋のものを私がお借りしてもよろしいのでしょうか?」

「ああ、もちろん。俺はむしろ、ようやく奥方の遺志を叶えられることにほっとしているくらいだ」

「でしたら、お言葉に甘えさせていただきます。……せっかく選び直すのですから、今着ているドレスと趣の違うものにしても?」

「全て、アメリアの思うとおりに」


 私の意思を、ローエンが何もかも肯定してくれる。

 シーシャの背中に乗って初めて空を飛んだ時みたいに、どんどんと鼓動が高まっていくのを感じた。

 私は握り締めていた拳を解き、それを包み込んでいたローエンの両手と手のひらを重ねる。

 そうして、まっすぐに彼の瞳を見つめて言った。


「色は、あなたの瞳の色がいいです。リンドウの花のようでとても綺麗……私の好きな色です」

「……っ、そうか」


 ローエンの白い頬が、ほんのりと色付く。

 この後、一部始終を見ていた侍女達の助力を得つつ──私は生まれて初めて、自分好みのドレスを選ぶのだった。


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