「小説は死んだ」

 知ってるかい。音楽界に生ける伝説として、1960年代に一世を風靡したイングランド・リバプール発のロックバンド──The Beatlesが解散を迎えた1970年、後続のバンドは音楽の芸術性をおざなりにして、万人にウケる音楽を作ろうとしていた。その当時、加速する商業化傾向に、元メンバーであるJohn Lennonは、ロック・シーンの将来を憂うあまり「ロックは死んだ」と発言したんだ。


 数十年の時を超え、今や小説がその窮地に立たされていると感じる。ここに宣言しよう。今日の商業主義化した文芸界隈において「小説は死んだ」のだと。


 最近、小説家を志す者の動機として「自分の書いた作品をアニメ化してほしい!」とか「音声作品化に挑戦します!」とか「漫画化希望!」とか、個人的にはなはだ奇妙に思う言説を耳にする機会が増えた。要するに、小説の道をきわめ、小説家としての頂きに登り詰めることが真の目的なのではなく、あくまでメディアミックスによる自作品の一般化・大衆化を望むがあまり、小説を書くことをその最終目的に向かうための踏み台のように扱うが大挙襲来している。


 今や小説が売れることとは、アニメ化・漫画化・ドラマ化・音声化・ゲーム化その他etc.とイコールだ。大衆に受け入れられ、人気となった作品からは搾れるだけ搾り取ろうとする商業化傾向に歯止めがかからない。これは小説という文化がその他一般のサブカルチャーと比較して、明らかに見劣りしているという証左であり、今後もその傾向には拍車がかかるばかりだろう。全く、嘆かわしいことだ。


 もっとも、小説を扱う出版社側がそういう姿勢なのだから、無理もないだろう。小説という文化それ自体を盛り上げようとするのではなく、小説で人気となった作品は次々と他の媒体で世に送りだす。小説としてではなく。そりゃあ小説界隈におけるプレイヤーが減っていくのも頷けるや。


 だからこそ「小説は死んだ」のだ。今、日頃から活字を読む若者がどれだけ居る? 漫画やアニメ、ゲームに触れず、小説という文化に心酔しているという若者は? 少なくとも僕の身の回りに、そのような人間は見たことがない。


 今日、奇跡的に小説という文化に巡り逢い、挑戦を続けている若者の目標も小説界のトップではなく「○○化」である。小説など、目的ではなく一種の手段に過ぎない。彼らにとって、もはや文芸作品など眼中にないのだ。


 過度な商業化傾向は、その文化を根本から腐らせ、死に至らしめる。息も絶え絶えに死に体となった小説文化の明日はどっちだ。その命運を握ってるのは、カクヨムはじめメディアミックスを率先して取り組んでいるプラットフォーム側か、あるいは我々作家たちの志なのか。


 ──おしまい。

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