友達

 昔の僕は今とは違って活発な少年だった。小学校に入学してからも母の様子は変わることはなく、そんな母に心配させたくないという思いが強かったのだろう。そして、誰か特定の人とずっと居るのは落ち着かず、色んな人に話しかけていた。そんな僕だったから、クラスメイト全員が友達だと思っていた。

 小学校四年生の時だった。その日も色んな友達のところを行き来しては、彼らの間に割って入り、会話に乱入していた。そのうちのある友達の集まりでどこかに出かけに行く予定を話していた。小学校の頃だから自転車で行けるような少し遠い公園だろう。

 内容もしっかり聞いていないのに無理やりその話題に入って、自分も行きたいと声を大にして言った。僕の声で少し顔をしかめた、少し背の低い友達がクスリとも笑わずにこう言った。

「友達じゃないから無理」

 僕はその言葉に少し驚いたが、すぐにそれが冗談だということに気づき、嘘だろと笑いながら言い返した。

「嘘じゃねえよ、お前は、友達じゃないから」

 彼はわざわざ僕の目をしっかり見てからこう言った。お前は友達じゃない、その一言で僕はぐるぐると闇に飲み込まれていく気がした。心臓を掴まれたように息もできず、思考はピタッと止まった。

 体と切り離されたように動く僕の口が、そうだよね、ごめんと明るい声で応えた。

 僕の無邪気さが幼いながらに全てを察した。ああそうかと、自分の不甲斐なさを思い知った。

 その日からだった。僕が「友達」というものが分からなくなったのは。今まで「友達」だと思っていた人が全員「クラスメイト」という名前に置き換わって、違うクラスの「友達」は「知り合い」になった。この日、僕は「友達」というものを失った。

 気味が悪かった。僕をそうさせた彼ではなく、今まで当然のように周りの人を「友達」だと思っていた自分が。

 それからの自分は誰と居てもどこか一本、線を引かれたような感覚だった。いや、「引かれた」ではない、自分で「引いていた」のだ。どこまで近づいても結局その一本が二人を分断していた。

 中学生になってもそれは変わらなかった。人に積極的に話しかけることはなくなったし、気兼ねなく話しかけてくれるクラスメイトとは、どこか距離を感じる日々だった。

 誰にも相談出来なかった。母に迷惑を掛けたくなかったし、クラスメイトに相談しようとしても、そんなことないよと言ってくれる期待を遥かに上回っていくのは、友達じゃないと言われる恐怖だった。

 そうして気づけば独りだった。毎日、集団の中で笑いながら孤独を感じていた。

 小学校の頃のことなんだからと笑って流せば話は早いのだろう。ただ、深くえぐられた傷口はすでに膿んでしまっていて、もう治すことも埋めることも出来ないでいた。傷口を手で抑えるように今まで隠してきたが、隠すにも傷が擦れて痛みを感じる。

 中学が終わる頃には傷を隠すことも諦めてしまっていた。心の底から通じ合うことの出来ない人々との関わりを捨て去った。新しくした携帯の連絡先に彼らは居ない。

 本当に独りになった僕は、本当の僕で居られた。

 景色を眺めることが増えた。窓枠に切り取られた世界は一瞬一瞬違う景色を僕に見せてくれた。窓の隣に座って考え事をする僕の心は深いところに沈んでいたが、必死に浮かぼうとするよりはかえって落ち着いた気分で居られた。

 今もこうして誰も居ないホームを眺めている自分が居る。ホームの景色は至って静寂で、沈んだ僕の心をいとも簡単に飲み込んでしまいそうだった。

 次の電車が来るまであと三十分もある。こんな時間から電車を待つ人は自分以外に誰も居ない。自分だって電車を待っているのではない。やってくる電車、すれ違う人々、ホームの静けさ、繰り返すこの景色をただ眺めていたかった。

 そんなゆったりとした心持ちで居たが、突然体に電流が走るような感覚がして思わず立ち上がった。今さらになって気づいたが、夕方から一度もトイレに行っていない。一直線に近くのトイレに駆け込んだ。

 ポケットから取り出したハンカチで手を拭きながらトイレを出ると、真っ先に近くの自動販売機に目が行った。先程まで自分が座っていた椅子からは死角になって気づかなかったようだ。

 自販機の前に立ちお金を入れてから、迷うことなくスポーツドリンクのボタンを押した。それを手にしてまた同じ席に戻ってから栓を開けた。そのまま勢いよく口へと運ぶと、一気に血管を通じて全身に流れていくような気がした。溜まった空気を全部吐き出すように一息ついてから、ペットボトルを隣の席に乗せた。

 それからしばらく、飲んでは一息ついてを繰り返しながら空を眺めていた。少し曇りがかった空に浮かぶ星はほんの僅かだった。星座もろくに知らない僕にとってはその僅かな星たちもただの点にしか見えなかった。

 ペットボトルが空になったことに気が付いて、駅の隅に置かれたゴミ箱に投げ入れてから、また椅子に戻った。最後に大きく息を吐くと体全身が蘇ったのを感じて、生まれ変わったような気分になった。

 そんな僕のもとに疲れ切った電車がまた顔を見せにやってきた。疲労からくる悲鳴とも取れるその大きな音を立てて止まった電車からは、それを上回る程に疲労を抱えた人々が出てきた。彼らは自分の意志もなく携帯の画面を見つめながら改札へと足を進めていた。

 まるでこれからの自分を見ているかのような気がして、彼らの背中から伝わってくる疲労が僕に漠然とした恐怖を与えた。

 これからどう生活していけばいいだろうか。目に映る光景とひんやりとした空気で冷めてしまった僕の頭にそんな疑問がまた浮かんできた。

 一人で生活するにしても、今のバイトの稼ぎでは到底足りない。今まで母に支えられてきたのだと改めて実感する。今さらになって迷惑ばかり掛けてきた自分を恨んだ。母が居なくなった今、僕のもとには後悔だけが残されてしまった。これから先、一生その後悔と共に生きていくのだろう。

 一年前の三月、僕は高校を中退した。

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