百合物語

ユリアス

光があれば影がある

私の恋人、美月は死んだ。

妹との買い物の帰りに、交通事故にあったらしい。

最初その話を聞いたとき、衝撃のあまりに頭が真っ白になった。

とても、信じられなかった。いや、信じたくなんてなかった。それでも、既読の付かないライン、繋がらない電話、そういった美月のいない日々が嫌でも見たくない現実を突きつけてくる。

もう、耐えられない。だから私は彼女に会いに行く。

曇天の空の下、不穏な風の音が響き渡るマンションの屋上。パラペットの上に乗り、半歩前に出る。

その瞬間、はみ出したつま先の感触が先ほどまで正常だった私の心臓を狂わせた。

先ほどまで聞こえていた風の音は消え、代わりに自分の心臓の音と、荒くなった自分の息がうるさく鳴り響く。

あと少し。あと少しで美月に会えるのに。

いざ死を目の前にして、私の足はすくんで動かなくなった。

しばらくして、やっとの思いで死にたくないと必死に引き留める本能を無理やり押し殺すと、私は空へと身を投げ出した――はずだった。

前に倒れたはずの私の身体は何者かによって後ろに引っ張られ、屋上の床に叩きつけられた。

「なに……してるの……?」

今にも泣きだしそうな声で私に聞いてきたのは美月の妹、陽菜ちゃんだった。

私は起き上がって陽菜ちゃんの方へと向き直る。そこには私を必死に睨みつける年下の少女が立っていた。私は視線を落とした。

「もう少しで美月に会えそうだったのに」

遊びを邪魔された子供のように、嫌味を込めて発した言葉は、自分でも驚くほど低く、冷たい声だった。

「ふざけないでよ!」

陽菜ちゃんの声が暗い灰色の空に響いた。そして、少しの静寂の後、彼女の足元に落ちてきた数滴の雫に気づくと、思わず顔を上げた。

しゃくりあげるように泣いている陽菜ちゃんの顔が目に入って、胸が苦しくなった。

美月がいなくなっても、私の前では涙を見せなかったはずの彼女が、泣いていたのだ。

『空香のことは一番大切だけど、陽菜も同じくらい大切なんだ。変かな?』

いつだったか美月はそんなことを言って笑ってた。優しい美月らしい素敵な考えだと思った。そして、私も同じ気持ちだった。陽菜ちゃんは本当の妹のように思っていたから。それなのに――

「ごめんね……私、最低だよね……」

美月を失って悲しいのは陽菜ちゃんだって同じはずなのに。

周りが見えなくなって、人に当たっている弱い自分が自分が情けなくて仕方がなかった。

そんなどうしようもない私を、陽菜ちゃんはそっと優しく抱きしめてくれた。

「お姉ちゃんじゃなくて私が死ねばよかったのにね」

「そんなこと言わないで!」

陽菜ちゃんが耳元で囁いた衝撃の一言を、私は咄嗟に否定した。

すると、なぜか陽菜ちゃんはクスッと笑った。私は何が何だかわからなかった。

陽菜ちゃんは私の後ろに回していた手を両肩まで持ってくると、私の顔をまっすぐ見つめてきた。

雲の隙間からちょうど太陽が顔を覗かせ、光が私達二人を照らした。

「私が死ぬのは嫌?」

「そんなの当たり前じゃない……」

そこまでして、やっと陽菜ちゃんの言いたいことがわかった。

「空香さんが私に死んでほしくないって思うように、私も空香さんに死んでほしくない。きっとお姉ちゃんも同じ気持ちだよ」

そう言って笑う陽菜ちゃんの顔は、いつもより眩しく、まるで雨上がりの太陽のようだった。

なんて強い子なんだろう。自分だって辛くて悲しくて仕方ないはずなのに、私や他の人の前ではいつも笑ってる。一体その笑顔に何度助けられただろう。

辛いとき、いつも笑顔で励ましてくれた。美月と一緒に、私を支えてくれた。

酷い言葉を投げかけたのに、私を救ってくれた。

この時、私は誓った。絶対にこの子を幸せにすると。もう辛い思いはさせないと。

ぼやける視界で彼女を見つめる。

「酷いこと言って、みっともないところ見せてごめん。頼りないかもしれないけど、これからは私が美月の分まで陽菜ちゃんのそばにいるから……だから……」

上手く言葉が出てこない。

それでも私の気持ちは伝わったのか、陽菜ちゃんは再び私をぎゅっと抱きしめた。

「ありがとう、お姉ちゃん……」

「……?何か言った?」

「……ずっと一緒だよって言ったの」

そう言って微笑む陽菜ちゃんの顔はどこか影があるように思えた。

眩しいほど明るかった太陽は、再び雲に覆われてしまった。

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百合物語 ユリアス @Yurias0228

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