第9話 出立


 ドルスタへは王宮から出立することになっていた。

 調査団第一陣は、十台もの魔導車が連なっていく。

(め、目立つわ。ちょっと恥ずかしいかも)

 白い魔導車とグレイの魔導車と半々だ。グレイの魔導車は大型だった。どちらも眩しいくらいピカピカだ。

 遺跡で使う貴重な機材が入っているので、あまり速度は出さないという。それでも、高性能な魔導車なので二週間で着くらしい。燃費が良いからあまり補充しなくても済むのだとか。そういう話はカイトが詳しかった。きっと高性能魔導車が好きなのだ。「男の子っぽい」とリタは微笑ましく思ってしまった。


 見送りの人々がたくさんいた。広い広場の半分くらいは、立派な魔導車と人で埋め尽くされている。

 荷物は後から馬車も使って運ばれる。リタは、そちらに書籍や資料の箱を積んで貰った。衣類などすぐに必要なものは今回一緒に運ぶ。

 荷積みの確認も終了したようだ。

 王宮の広間では、陛下直々にご挨拶を賜る出立式がすでに終わっていた。見送られ、いよいよ本当に出立だ。抱き合って別れを惜しんでいた人々も落ち着いてきた。

 侯爵ご夫妻は控えめに後ろのほうで手を振ってくれている。夫妻の隣にはアダン氏。カイトの長兄アダン氏には、披露宴で初めてお会いした。ドルスタから戻られたばかりだった。あちらでの法的なあれこれをやっていたらしい。リタは専門外でせっかく説明を受けたのに半分くらいは理解できなかった。

 カイトを優しげにほっそりさせた感じの方だ。きっとマリ嬢は、カイトよりもアダンの方がずっと理想の旦那様だろう。残念ながら、彼はもう結婚していた。

 実は実際に、カイトがむさ苦しい騎士になるべく士官学校で猛進していたころ、話はあったらしい。でも、アダンは逃げるように、諸外国へ赴く皆が嫌がる仕事を希望して留守にしまくったという。

 おかげで、アダンの結婚はだいぶ遅くなった。

(どんだけ嫌われてるんだ)

 リタは遠い目をしてしまった。もう会いたくない。

 ご本人は出かけるのは観劇と夜会と茶会のみというから、お会いすることはないだろう。披露宴に彼女が突撃しにきたのは本当に例外だったのだ。ドルスタには間違っても来ないはずだ。

 車に乗り込むために並んでいると、声が聞こえた。

「カイト!」

 夫の名が呼ばれている。

 振り向くとひとりのご令嬢が、令嬢らしくない速さで走り寄ってくるところだった。

 見知らぬ令嬢だった。焦げ茶の艶やかな髪と金茶の瞳。大人しい雰囲気で、人の顔を覚えるのが少々苦手なリタはすぐに忘れそうな感じだ。今はスカートを翻して走っているのでとても目立っているけれど。

 なにもかも、時が止まったように見えた。

 不審な令嬢が、瓶を振りかざした。

 カイトがリタの前に一飛びで立ち塞がった。

 カイトに押されてリタは膝を突いて倒れた。

 嫌な匂いがする。

 劇薬! と思ったときには薬が飛び散っていた。

 カイトの衣服がジュウっと、不気味な音をして溶けた。

(と、溶けた・・)

 気が付いたら悲鳴を上げていた。

 場は騒然とした。

「か、カイト」

 身を起こして夫に寄ろうとすると誰かに腕を掴まれた。

 令嬢は護衛の騎士たちが押さえつけて捕らえた。

 カイトは呆然としていた。

 服はどろどろと溶けている。

「近寄らないでください」

 増援の衛兵も駆けつける。

「いや! カイト!」

 夫に近付こうとするリタを腕を掴んでいる騎士は離さなかった。

「大丈夫だ、リタ」

 カイトが振り返る。

 大丈夫なわけがない。

 治癒師が駆けつける。

 カイトの上着がそっと剥がされた。手袋をはめた騎士が作業を行っている。

 カイトは中のシャツ姿になり、安心させるようにリタに一度微笑みかけると治癒室に向かう。しゃんと歩いている夫を見てリタは少し落ち着いた。

 騎士と侯爵夫妻が付き添ってくれて後を追った。


 治癒室で、リタと周りの人たちは意外な結果に呆然としていた。

 服は溶けていた。中のシャツもだいぶ傷んでいる。

 けれど、カイトの肌はなんともなかった。首に巻かれたスカーフも。

「防御の魔導具を身に付けられていたんですか」

 治癒師に尋ねられ、カイトは即座に頷いた。

「そうです」

 かなり食い気味に答えた。

 リタは知らないふりをしておく。

 カイトがとりあえず、秘密にすることにしたのはリタのためだろう。公にするとしても、よくよく作戦を練ってからにした方がいい。

 高性能の魔導具並に効果がある御守りを、妻が糸で作ってしまえるなんて、迂闊に口にできない。

 カイトはなんともなかったので着替えるだけで良かった。リタのワンピースにも少しかかったが、ほんの少しだ。それでも、義母が泣きそうな顔で「着替えてちょうだい」というので着替えた。

 一時間ほど遅れた調査団一行は計画通りに出立をした。


◇◇◇


 道中、王宮から通信の魔導具で知らせが入った。

 犯人は、カイトに懸想していた令嬢だった。

 マリ嬢以外にもいたなんて知らなかった。カイトはリタに話さなかったのだ。

 カイトがマリとの婚約を解消し、リタと婚約を結び直したとき、幾人かのご令嬢から婚約の打診があったらしい。

 カイトのドルスタ行きはなくなったか、あるいは短期間になったのだろうと勝手に思い込んだ令嬢たちだ。お相手が子爵家の令嬢なら、自分の方が良いだろうと売り込んできたのだ。

 ロエル侯爵家が「カイトのドルスタ行きはこれまで通り、長期間で決まってる」と返答したところ、潮が引くように婚約の打診はなくなった。

 ところが、ひとりだけ残った令嬢がいた。

 彼女も、以前は公爵令嬢のマリが婚約者だったので危なくて近寄れなかったが、子爵令嬢なら押しのけられると考えた。ダリア・ノバ侯爵令嬢。

 ダリアは、長期間のドルスタ行きもきっと短くできる、などと勝手に決めていた。

 お話の通じない人がこの国の貴族には多いのだろうか。

 人を殺せる劇薬を侯爵令息とその妻に向かって放った彼女は、終身刑が決まりそうだという。法務部のアダンがそう通信で寄越したので間違いなさそうだ。

 修道院とかではない、もっと過酷な刑務所だ。ご令嬢がそんなところに入れられたら長生きできないかもしれない。

 でも、同情する気は毛頭ない。先に殺意をもって、人体を溶かす劇薬を使おうとしたのは彼女だ。

 ショックだったが、二日もするころにはもう忘れた。

 我ながら復活が早いとリタは思う。

(だって、旦那様と一緒の楽しい旅行中だものね)

 あの事件でより二人は絆が深まった気がする。ふたりで危機を乗り越えたのだから。夫婦であり、共に遺跡の謎を解く仲間であり、戦友にもなれた。

「君にあの薬がぶつけられたらと思うと、腸が煮えくりかえるし、恐ろしくて未だに背筋がぞわっとするよ。無事でよかった」

 カイトがリタを抱きしめる。

「ああいうときは守ろうとしなくていいわ。私をひとりにしないで」

「約束はできないなぁ」

 カイトは困ったように笑った。

「御守り、もっと作るわ」

 リタはこっそりと囁く。

 あのスカーフの御守りは、魔力が抜けてしまったのだ。

 役割を終えてしまったのだろう。

 また作れば良い。

 幾らでも作ろう。愛する人を守るために。夫は危険な任務に就く予定なのだから。



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