第6話 元婚約者の兄


 一か月が過ぎた。

 リタの退職は三日後だった。

 カイトは先発隊でドルスタ共和国に向かうことが決まり、他の調査団メンバーよりひと月早く行く。そのため結婚は駆け足で行われる。

 引き継ぎも終えた。荷物の片付けもほぼ終わった。持ち物など大してないと思っていたが、家から出て寮生活を始めて五年、さらに働き初めて二年。計七年の間に物が溜まっていた。

 衣類などはとても少ない。女を辞めてるとしか思えない少なさ、とサヤに言われた。代わりに書籍類と資料の写し、研究したことを書き付けた帳面が部屋に山積みになっていた。

 研究成果は研究所に残らず提出してあるが、それとは別の覚書だ。研究所には、それらをきれいにまとめて清書して提出した。

 曖昧なままに終わった推測は、むしろ書き付けのほうに残されている。研究所へは出していないものだ。主任が「こんなあやふやなものは要らん」と怒るので載せられなかった。

 リタのせいではないし、自分でもただの妄想かも、と思う推測もあるので仕方ない。

 ただ、それらはヒントにはなる。正解へと考えを導いてくれるかもしれない。


 来月はふたりの結婚式だった。

 婚約をしたのちに、カイトは親類知人に頼んで、夜会や茶会でふたりが婚約した情報を流してもらった。リタ・マヨルタは、元ヒルダ男爵家の令嬢、などという情報まで詳細に。

 カイトがそんな蛮行・・リタにしてみれば蛮行としか思えなかったのだが、それに及んだ理由はすぐにわかった。お見合いパーティの二回目が行われたのち、ヒルダ男爵家に「リタ嬢が婚約したのは本当か」みたいな問い合わせが何件も来たらしいのだ。父からの手紙でわかった。

 なんと、カイトの推測は当たっていた。婚約者に逃げられた令息たちは、いくらエリートでもそうそう相手は見つけられないと悟り、リタの存在を思い出した。だが、その前にカイトがふたりの婚約の情報を流しておいた。さすが鉄壁の防御力。


 先月末には、ロエル侯爵家にご挨拶に行った。ヒルダ男爵家よりもだいぶ遅れての訪問だが、侯爵夫妻が領地に行っていて留守だったのでそうなった。

 二人の婚約にはロエル家が高位貴族なので当主の承諾が必要だったが、侯爵はそのとき領地にいた。カイトは非常にお金のかかる「通信便」という速達でやり取りをして、婚約の書面を用意してくれた。副団長の早業には恐れ入る。

 侯爵はカイトの知らせに応じて、すぐさま婚約の書類に署名してくれたことになる。考える間もないくらい即座に。

 カイトは「両親は俺の婚約問題が解決したあと、すぐに領地に行ってたんだ」と楽しげに話していた。

 リタは(婚約問題って、なに?)と、すごく疑問だった。なにかが不自然だ。リタのような問題ありの男爵令嬢が婚約者になったことじゃないのか、とも思ったが時系列がおかしい。カイトの以前の婚約者問題だろう。

 カイトは他の皆と同じに、ドルスタに行くことが決まって婚約が流れていた。

 ロエル侯爵夫妻は領地の用事を済ませてから王都に戻られていた。

 ロエル侯爵家をリタが訪問すると、笑顔で出迎えてくれた。夫妻自らがエントランスまで出てきてくれたのだ。

(え? なんで大歓迎?)

 リタは何かの間違いではないかと戸惑うも、夫妻に笑顔で挨拶をした。

 カイトの長兄は法務部の高官で、ドルスタ関連の仕事でいなかった。ドルスタに赴任しているという。カイトは副団長だし、生粋の良家のご家庭だった。

「可愛らしくて愛らしい雰囲気のご令嬢で本当に良かった」

 と、侯爵まで「可愛らしい」の大安売りをしていた。リタが可愛いなど、審美眼がおかしいだろう。リタは強ばる笑顔でお世辞を受け取った。

 こんなはずはない、としか思えなかった。

 リタは十歳までは母にマナーを教わった。それ以降は学園の行儀作法の時間に学んだだけだ。

 楽器は良家の令息令嬢はたしなみとして習うものだが、リタには縁がなかった。学園の音楽の時間に、興味があったので竪琴の初歩は習ったが、富裕な良家のご令嬢は天女もかくやという優雅な指先で天上の調べを奏でていた。

 世界が違う、と思ったものだ。卑屈になっているわけではない。単なる事実だ。リタは、こんなに大歓迎されるような条件の良い令嬢ではない。

 それでも、侯爵夫人が気さくにお喋りをしてくれたのは嬉しかった。リタは社交の話はよくわからなかったのでいちいち尋ね返し、夫人はきっと呆れたと思うのだが、笑顔で色々と教えてくれた。

 あげく、「こんなに素直で、楽しくお喋りしてくれるご令嬢がカイトのお嫁さんになってくれるなんて。感激だわ」と目を潤ませて言ってくれた。

 何か変だ・・とリタは最後まで戸惑っていた。


 研究所では、もうすぐ辞めることになっているので、リタは皆の補助的な仕事を手伝っていた。それでも、それなりに忙しかった。主任の顔色はさすがのリタも気の毒に思うほどに悪かった。

 罰が当たったとしか思えないが、苦しんでいる誰かを見れば哀れと思うものらしい。

 あと半時間で昼休憩というころ。

 研究室の扉がノックされ、バタンっと開けられた。

 見ると、事務員がどなたかを案内してきていた。

「ああ、案内はここまででいい」

 と、武官の制服を着た男性が尊大に言い放っていた。

「リタ・マヨルタ嬢はどちらだ」

 彼は室内を見回した。

 主任がおたおたと立ち上がった。

「ヒルダ・・いえ、マヨルタがどうかしましたか」

 彼は卑屈な笑みを浮かべて尋ねた。相手が高位の武官の装いをしているからだろう。制服の徽章がそれを示している。

「こちらにいるのだな」

「はい、あの者です」

 主任がリタを指し示す。

 リタは目付きが悪くなりそうになるのを堪えながら男性を眺めていたが、やはり見覚えはない。武官という者に用もない。

 思い当たるとしたら、カイト関連だろうか。

「私がリタ・マヨルタですが、ご用件はなんでしょう?」

 仕事の手を止めて立ち上がった。

「タク・クルカだ。クルカ公爵家のな」

 タクがそう述べた。

「はい」

 リタは話の続きを待った。

「カイト・ロエルの婚約者の兄だ」

「はい?」

 この男はリタの兄ではないはずだ、父の隠し子でなければ。おそらく、元婚約者の兄だろう。

「元」と付けるべきだ。二重の婚約はできない。詐欺でもない限り。

「妹は泣き暮らしている」

「そうなんですね。では、カイトさんとドルスタに行きたいと・・」

「んなわけないだろう! あんな野蛮な国! しかも僻地だ!」

「はぁ」

 リタはよくわからないながらも、偉そうな武官なので穏便に話をしたかった。だが、話にならない。

「貴殿と婚約をするということは、カイトはドルスタを辞めたのだろう」

「えぇと、ドルスタにご一緒して行く予定でしたが?」

「は? いや、あるいは、ここで彼が帰るのを待つのではないのか」

「あの、こちらはご存じの通り、考古学研究所ですわ。私、遺跡大好きですから、なんら問題ありませんの」

「・・なるほど。変わり者同士の婚約ということか」

 タクが考え込んでいる。

(この話の通じない失礼な男が、元婚約者の兄ということなのね。兄妹で似てるのかしら? 似てるのかもね。これを女にした感じの婚約者だったのかしら。婚約が駄目になってロエル侯爵家が喜ぶわけだわ。相手選びに失敗しちゃってたのね)

 リタは心底納得した。だから、リタでも皆に歓迎されたのだ。

 真相がわかって複雑な気分だが、リタはカイトが好きなので、もうどうでもいいかと思う。きっかけはどうあれ、二人は良い夫婦になれそうなのだ。

「邪魔したな」

 タクは、入ってきたときと同じ、突風のように去って行った。

 彼の足音が遠ざかってから、そっとサヤが近寄ってきた。

「すごいわね。リタが言っていた元婚約者の家族ってわけね」

 耳元でサヤが囁く。

 サヤには話してあったので察したのだろう。

「高い位の武官様だったみたいね」

「大丈夫かよ、うちの軍部」

 サヤが呟くと、近くにいる同僚たちもこっそりと頷いていた。


 その日の夜。寮までカイトが訪れた。

 婚約者なので寮の応接間も使えるが、ふたりは街に出て料理屋の個室に入った。

「すまなかった。元婚約者の異常な兄が訪れたそうだな」

 カイトが沈痛な顔をしている。

「あら、なんでご存じ?」

 リタはまだ知らせてなかった。

「あいつがわざわざ知らせてきた」

「・・うちの軍部、大丈夫?」

「意外かもしれないが、武官としての能力は悪くないらしい」

「そうなのね」

 ホント、意外だわ、とリタは心中で思った。

「あいつは君に酷いことをしたり言ったりしなかったか?」

「特になにも? すぐに帰っちゃったし。ちょっと面白かったわ。同僚たちも、思わぬ気晴らしになったかも」

「そ、そうなのか。考古学研究所というところは、柔軟なんだな」

「あの方、結論として『変わり者同士の婚約』と納得してたわ。私としては、別に変わり者ではないと思うんですけど。ドルスタの遺跡発掘は国家的大事業ですものね。なにがいけないんだか」

「そうだな」

 カイトは楽しそうに笑った。ようやく安堵したらしい。

「元婚約者殿はおいくつですの?」

「リタと同い年だ。俺の五歳年下」

「普通だと、十八歳で高等部を卒業したのち結婚したりしますよね。四年の学院に入っていたとか?」

「いや、まさか。高等部も三回留年してやっと卒業した。あまり通ってなかったしな。試験だけ受け続けたらしい」

「そうなのね。珍しいっていうか」

 リタはむしろ感心してしまった。二回留年したくらいで大抵は諦める。

「そこまでして卒業する根性があるなら出席すればいいのにな、って思うだろ。あれは、公爵家が高等部中退という学歴は不味いと思って押し止めたらしい。本人は興味がなかった」

「公爵家なら学費の心配は要らないものねぇ」

 通わないのに学費を払い続けるという感覚はリタにはなかった。

「リタは、高等部のあと学院にいったんだろ」

「ええ、そう。二年間の専門課程を学べる学院」

 リタが返済していた奨学金はこのときのものだ。高等部の奨学金は成績優秀者だったおかげで返済義務はなかった。

「俺は、士官学校を最速で卒業した。人生をかけて勉強し、主席を維持し、剣術大会では好成績をあげられるように剣聖と呼ばれる師匠に学ばせてもらった」

「まぁ・・」

「マリが・・元婚約者殿はマリという名なんだが。彼女が『むさ苦しい騎士は嫌いだ』と言ったからな」

 カイトが淡淡と告げた。

「え?」

「それを聞いてから、俺の進路は騎士一択だった。元々、マリの理想とする高官などつまらなそうだったしな。むさ苦しい騎士に一刻も早くなろうと、努力に努力を重ねたんだ」

「そ、そうだったの」

「士官学校を飛び級で卒業できた。剣術大会の成績と、座学の成績の合わせ技だ。史上最年少だった」

「す、すばらしいわ。動機がなんであれ」

「だろ。マリが『暑苦しい筋肉は辞めろ』と言ってから、筋力トレーニングは欠かさなかった。ドルスタとの紛争時は前線も厭わず志願し、軍功をあげた。それで、最年少で副団長を拝命した」

「あの紛争で・・国の英雄だったのね。ごめんなさい、わかってなくて」

 リタがしゅん、と俯くと、カイトは髪を撫でてくれた。

「君が紛争のことなど知らなくて良いくらいに国は平和だったんだろう。それが軍人の功績というものだ」

 カイトは清々しく言い切った。リタはカイトの凜々しさに見惚れた。

「若いのに副団長って、そういうわけなのね」

「国としては、俺に褒美として副団長の地位を与えたらしいが、マリが『副団長ならいいわ』とか言い出して」

「え」

「どうしようかと思っていたら、ドルスタ遺跡の話が出てきたんだ。一も二もなく志願した」

 カイトは「おかげで可愛い妻に巡り会えた」と晴れやかな笑みを浮かべた。

 カイトが元婚約者との結婚をものすごく嫌がっていたことはよくわかった。


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