第5話 婚約
週末。
リタはカイトとともに実家のヒルダ男爵家に向かった。
三日前には夕食に誘われ、楽しい夜を過ごした。お泊まりはなしだ。リタはごく普通くらいには身持ちが堅いし、カイトも食事が終わると寮まで送ってくれた。
そのときに、今回の実家訪問についてしっかりと打合せをした。
(うまくいくかしら・・いや、うまくやらないと。あの実家とは縁を切ってやるのよ)
考え込んでいるとカイトが手を握ってくれた。
「なにか不安かい?」
相変わらず良い声だ。
「いいえ。実家は本当に久しぶりなので、ちょっと緊張してるだけ。不安はないわ。カイトが一緒だから」
「ああ。最強の防御力と言われた男が隣にいるんだ。なんら心配要らないからね」
にこりと微笑まれた。
(ほ、惚れるわ)
リタは頬に熱が集まっていくのを感じた。
ヒルダ男爵邸に到着した。今日は魔導車を頼んであったのでそれで乗り付けた。
屋敷は記憶よりも小さい気がした。あの頃は今より背丈が小さかったのだから当然か。
先触れは出してあった。なんと、騎士団長の名で。リタが「嫌がらせで居留守でも使われたら嫌だな」とぼやいたために、騎士団長が協力してくださった。
『部下が行くからよろしく』と書いてあったらしい。カイトの役職などは記さなかったという。それは作戦のうちだ。
玄関の呼び鈴を鳴らすと執事がドアを開けた。
見慣れない若い執事だ。前の執事はかなり高齢だったので代替わりしたのかもしれない。所作がぎこちないのでまだ慣れていないようだ。
彼に案内をされて応接間に通された。
ソファには落ち着かない様子のヒルダ男爵がいた。カイトとリタが部屋に入ると、慌てて立ち上がった。隣には後妻のロゼがいた。相変わらず、根性の悪そうな顔をしている。
「これは、ようこそ。私はニル・ヒルダ。ヒルダ男爵家の当主だ。こちらは妻のロゼ」
当主が紹介するも、ロゼはふてぶてしい顔でにこりと笑うだけで挨拶はなしだ。彼女は王都で宿を営む家の娘で貴族家の出ではない。実家は裕福だが、マナーは学ばなかったようだ。
カイトは「どうぞよろしく」と言葉少なに答え、ニルに勧められたソファに腰を下ろした。リタもすぐ隣に座った。
「カイト・ロエルだ。この度、ドルスタ共和国の遺跡調査団で、衛兵として赴任することになっている。つきましては、お嬢さんを妻として同行させたい」
カイトは単刀直入にわかりやすく説明した。
ヒルダ男爵も、わかりやすい顔で反応している。呆然という顔だ。
隣のロゼは満面の笑みだ。かなり嫌な笑みだ。
ロゼの頭の中はだいたいわかる。カイトが「衛兵」と言ったからだろう。
おそらく、『大したことない男だわ、ただの警備員ね、リタの相手ならそんなもんよ』くらいのことを考えているのだろう。
リタも最初に彼が「衛兵」と名乗ったとき、変だと思ったのだ。簡単な警備の仕事なら現地で雇えないのだろうか、と。遺跡まで最新式の魔導車で二週間かかるのだから。
彼でなければならない特殊な、あるいは尋常ではない理由でもあるのか? と、不安にも思ったものだ。
けれど、ロゼはそんなややこしいことは考えず、ただの衛兵と思っているはずだ。
「我が娘は、大事なヒルダ家の長女だ。元敵であった国に行かせるわけにはいかないな」
ニル・ヒルダは、急に尊大な態度になった。
「そうですわ。まさか、衛兵に男爵家の娘が嫁にいくなんて。考えられませんわ」
ロゼも夫に追従した。
カイトはふたりの台詞を聞くとにやりと笑った。
「ハハハ。面白い冗談だ。なにが『大事なヒルダ家の長女』だ。リタは、学生のころ、何度も貧血を起こしている。当時、学園の治癒室に勤務していた担当治癒師は、何度か家に『お嬢様は栄養失調です』と通知を寄越した。あんたたちは無視したようだがな」
「な、なんだと?」
ニルは愕然として目を剥いた。
「それから、最近になって体調を崩したリタは、治癒師に診察を受けている。若いころの栄養失調が原因で魔力回路の成長が阻害されていた、とはっきり告げられた。どちらも証言をしてもらった。ここに証明書がある」
カイトは二つの書面を男爵夫妻に見せた。
ふたりは声もなく書面に視線を落とした。
「ヒルダ男爵家は、三代前の初代が、数十年にもわたって町の子供らに無償で文字と計算を教えた功績で爵位を賜った。当時の国王が教育熱心な方だったからだ。そういった善行で得た爵位は、子孫が不品行だった場合に取り消される場合がある。子供への虐待は罪だ」
「な、なんですって!」
叫んだのはロゼだった。ニルただ気まずそうに俯いている。知っているのだろう。ニルは総務部の支部で文官として働いている。文官試験には受かっているのだ。
「貴族に関する法律、爵位の項目に記されている」
「あ、あ、そ、そんな」
ロゼは目に見えて顔色を失った。
「そもそも、リタは二十二歳だ。親が反対しても結婚できる。虐待するような親なら、なおさら反対など意味をなさない。手続きさせてもらう」
カイトが立ち上がりかけると、慌ててニルも立ち上がった、。
「す、すまなかった、申し訳ない。私は、仕事が忙しく・・」
「学園でリタが『小枝のリタ』と陰で囁かれるほど痩せ細っていたことに気付かなかったとでも?」
カイトが冷たく言い放つ。
「きょ、教育は、妻に任せて」
「教育ではない、虐待だ」
カイトは噛んで含めるように答えた。
「本当にすまなかった。申し訳なかった、リタ。許してくれ。訴えるのだけは、どうか。仕事を失ってしまう」
「平民でも優秀なら問題ないだろう」
「結婚は許す。持参金も、出来るだけ払う」
「ほぅ」
カイトはちらりとロゼを見る。ロゼは、悔しそうに顔を歪めている。
「あんたの妻は鬼みたいな顔で睨んでいるが? 反省など一欠片もしていないようだな。こんな性悪をよくも選んだものだ」
「ロゼ! お前も謝れ!」
「な、なんでこんな奴に!」
「ロゼ!」
「まぁ、いいです。その女の謝罪など気色が悪い。どうせ性根は治らない」
「な!」
ロゼの顔がさらに醜く歪んだ。
「とりあえず男爵の言い分はわかりました。こちらに署名していただければ良いです。それから、持参金代わりに、リタの亡き母のペンダントと指輪を返していただきたい。その女がリタから取り上げたものだ」
「ロゼ、持ってこい」
「わ、わかったわ」
「見つからなかった場合は、金貨三十枚を請求する」
「き、金貨三十枚!」
ニルが目を剥いた。
金貨十枚あれば、庶民なら家族四人で一か月は暮らせるだろう。
本当は、母の指輪とペンダントは、銀と魔石を組み合わせた魔導具だ。魔力が込められるようになっている。母の実家、マヨルタ子爵家のご先祖が作ったものなので価値がわからない。あまり高い値段をふっかけると、ロゼが余計なことを考えて素直に持ってこない可能性があったので金貨三十枚にしておいた。
「マヨルタ子爵家に挨拶に寄ったところ、亡きミア夫人の遺品であるその二品は子爵家に伝わるもので銀細工だ。金貨三十枚はくだらないと教えてもらった」
「ロゼ! まさか売ってないな!」
「あ、あんな古ぼけたもの、う、売ってないわ」
ロゼは慌てて部屋を出て行った。
「では、その間にこちらに署名をいただこう」
ニルはカイトが差し出した書面を端から端までしっかりと読んだ。
ヒルダ男爵家からリタが離れ、マヨルタ子爵家の養子となる申請書類だった。リタとカイトがマヨルタ子爵家を訪問したのはこの書類を用意するためでもあった。
その文面を目にしたとき、ニルは気まずいような悔やむような、複雑な表情で固まったがのろのろと手を動かし署名をした。
そうしている間に、ロゼはペンダントと指輪を持ってきた。銀細工のそれらは放置されていたらしく黒ずんでいた。物の価値のわからないロゼが「古ぼけた」というのもわかるような有様だった。
「では、リタと私たちは貴殿らとは今後、一切、関係はない」
「れ、例の件は・・」
「では、失礼する」
カイトはニルの言葉はまるで無視をしてリタの手を取り、男爵家を後にした。
再び車上の二人となると、カイトがリタの手を両手で包んでくれた。リタは全てカイトに任せて喋りもしなかったが、なぜか指が震えていた。ペンダントと指輪は、震える指の中にしっかりと握られている。
「あれで良かったのかい?」
「ええ、ありがとう、カイト」
「男爵家はそのままにするんだね?」
「せっかく証拠を集めてもらったのに、ごめんなさい。私のことで善行をなしたご先祖の功績が消えたら悪いから。でも、気が済んだわ。あの小物の父がぺこぺこ謝ってるのを見たら、色んなことがどうでもよくなった。胸のつかえが消えたみたい。母の遺品も戻ってきたし」
「そうか」
「本当にありがとう。感謝の言葉も満足に浮かばないくらい嬉しいわ」
リタは先ほどから涙が込み上げてならなかった。必死に堪えた。
「妻なのだから、当然だ」
「でも、忙しいのにあんなに手間をかけさせちゃって。私ができることがあったらなんでも言って」
ようやく頬笑んだのに、とうとう涙腺が決壊した。ぽろりと零れたひとしずくをカイトはそっと指ですくってくれた。
「リタ。私がやりたくてやったことだ。一目惚れした君を喜ばせたかったんだから」
カイトはリタを抱き寄せて髪に口づける。
「一目惚れ? まさか、私なんぞに?」
「なんぞって・・。リタは可愛いだろ。この天使みたいな髪と、愛らしい瞳に惚れたんだ」
「天使・・」
(親友に「茅ネズミの巣」と言われた髪と、チンピラだった目に?)
カイトを見ると、照れたような、少年のような瞳でリタを見詰めている。
リタは髪の手入れは面倒でも続けよう、チンピラの目は一生封印しようと固く心に誓った。
明くる日。ふたりは無事に婚約の手続きを終えた。
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