第32話 見えない線

 外に出る。それ自体は、入るときよりも簡単だ。どこかで監視しているのだろう警備に、外に出たいと一言、言えばいい。


 ただ、入国以来、監視下にあるオレたちのことを、もしかしたら知っているかもしれないと、レイノンの出国について尋ねてみた。


「ああ、弟さんなら、まだ国内にいるよ」


「そうですか。どの辺りに?」


「それは教えられないよ」


 まあ、そうだろう。例えば、かくれんぼしているときなど、無敵になってしまう。


「とりあえず、大きな怪我はなさそうだな。よかった」


「……でも、探しようがないね。おにーさんの行きそうなところとか、思い当たる?」


「オレは、レイノンのことはあまり知らないからな」


「そうなの?」


「ああ。昔も今も、よく分からない」


 近すぎて見えない。どうして、オレと一緒にいると、あんなにも怯えた顔をするのかも。オレが、魔族だからだろうか。


 オレは、レイノンが人間であることが怖い。弱いとか、そういうことはもちろんある。


「まあ、国境を越えてないなら、そこまでの危険はないだろ――」


 耳に飛び込んできたのは、記憶に新しい声。――とうもろこしだか、サトウキビだか、そんな感じのやつだ。


「静かに」


 ムーテの口を背後から塞ぎ、オレの体で覆い隠すように、声に背を向ける。フードを被っていれば、誰だか分からないだろう。


「あの小娘……。次に会ったら、目をくり抜いてやる」


 なぜ、外に出ているのだろう。幸い、杖はムーテの懐にあるが――いや。幸い、ともいい難い。魔法が使えない以上、杖が取り上げられてしまえば、同じ末路を辿るだろう。


「むーむー」


 むーむー唸っていたので、解放する。


「とうもろこしがうろついてる。なぜかは分からないが」


「えー。私、また耳切られるの嫌だよ」


「――なあ。どうしてあいつ、釈放されてるんだ」


 目の前の警備に聞いてみる。


「証拠と証言がなかったからだよ。疑わしきは罰せずってね」


 監視されていたのは、国境に入ってきたオレたちだ。ムーテはこの国の住民で、監視などついているはずもない。


「杖を持っていただろ。何人も見てるはずだ」


「あの杖は偽物だった。現に、その子の傷は、止まっている」


「それは、ムーテに魔法が効かないからだろ」


「ブリェミャーの杖の魔力は、原初の人類が込めた魔力だよ。魔法が効く効かない、なんて関係ない」


「……ルジ、騙したな」


 ルジが知らないわけがない。本心から知らないと言っているのを、聞いたことがない。この間の、レイノンが遊んだという木の話でも、ルジは知っていたのに、答えなかった。


 あのときは、会話を続かせるためだと思っていたが、今にして思えば、何か答えづらい事情があったんじゃないだろうか。


「ひとまず、ルジのところに戻ろう」


 そうして歩き出そうとするが、ムーテは、動かない。


「……」


 怖いのだろう。ずっと気丈に振る舞っているけれど、内心では怯えている。強くあろうとしているだけで、恐怖に鈍感なわけじゃない。


 ――怖いのか。


 と、問おうとして、やめる。


「行こう」


 外を指せば、ムーテの足が前へと進む。街に自分を狙う犯罪者がいるのは怖くても、家で安らげるわけじゃない。


 外に出たことが知られれば、それもまた同様。何をされるか分からない。


 ムーテは言葉通り、男を殺そうとして近づいたわけじゃない。あれは嘘だった。どちらかと言えば、怒りを含む、恐怖だ。


「嫌なことを聞くかもしれないけど、いいか」


「いいよ」


「誘拐されたのは、犯人を目の前にして逃げた後、ママに何をされるか分からなくて、怖かったからか」


「ママって言うんだ」


「ママはママだろ」


 オレの問いかけには答えず、ムーテは警備に問いかける。

 

「出国してもいいですか?」


「ムーテ・ゴールさんだね。どうぞ、お通りください」


 力強く、地面が蹴られる。きっと、見えない線を跳び越えた先で、ムーテが言う。


「とーりすと一緒なら、越えられる」


 オレはどうしてムーテがそう思うのか、分からなかった。外で目をえぐり取るつもりなのかもしれない。

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