第27話 隻眼の青鬼
「あの。差し出がましいのは、重々承知しておりますが。私は何か、間違っているのでしょうか」
ラズ――赤を意味する名を持つ、ムーテの母と雑談していると、ふとそんなことを言い出す。まだ距離的に、トーリスには聞こえてしまったかもしれない。
それにしても、トーリスが怒って戻ってきそうな問いかけだ。レイノンに頑張ってもらいたかったが、何かあったのか、別行動をしているらしい。
「間違っていますね」
「続けての質問で申し訳ないのですが、それは……私のやり方では、ムーテを、守れないということでしょうか」
守れないというか――。
「はい。現に、彼女の片耳は、ブリェミャーの杖で切り落とされています」
「えっ」
「気づかなかったでしょう」
呆けた顔だ。徐々に鼓動が速くなっていくのか、顔が真っ青になっていく。
驚いただろう。焼け付くような痛みを娘に隠されて、それに気付けない己自身に。
「よかったですね。まだ、魔法が効かなくて」
「ほ、本当に、よかった。魔法が効く年齢だったら、あと、一年遅かったら、耳が治らないまま――人間の象徴を一つ、失うところでした」
まあ、今のラズならそう答えるだろう。
――魔法が使えないものには、魔法が効かない。世間ではそう言われている。
魔法が使えない者は、魔法と交わることがない、というのが鉄則だ。つまり、八歳未満の子どもには、魔法が効かないことになる。
ブリェミャーの杖の、永遠に治らない傷の効果は魔法であるため、子どもには効かない。
「ただ、八歳までに治っていないと、厳しいかもしれませんね」
脅しでもなんでもなく、事実だ。魔法が効かない子どもの耳を、縫合するならまだしも、生やすとなれば、不可能に近い。
しかし、魔法が効くようになってから、塞がった傷口を開き、そこに耳を生やすとなると、あるいは、傷が塞がらなくなる可能性がある。
そもそも、聴力というのは固定するのが早いため、一刻も早く耳を戻さないと、あとから付けていたのでは、聞こえづらいままになってしまう。
「はっ、はあ、あ、あ……」
耳以外なら、どんな反応をしていたのか。
ともあれ、ムーテは、自分の耳が片方ないことを、些末事だと判断したのだろう。
「なぜ、そんなことになっているのだと思いますか?」
「偶然、人さらいに遭い、あなた様方に助けられたのだと……」
「それは、真実を告げたらきっと、あなたを怒らせてしまうと思ったからでしょうね」
安心感を与えられない環境というのは、恐怖しか生み出さない。その恐怖に疑問を抱かないままでいれば、ラズのようになる。あるいは、疑問すら、塗りつぶされたか。
「彼女は自ら、捕まりにいったそうですよ。父親の仇討ちをするために」
「ああそれは、なんと素晴らしい行いなのでしょう。帰ってきたら、ムーテをたくさん褒めてあげないと。――して、犯人の方は?」
「ブリェミャーの杖を持っていた人物なら、警察に捕まりました」
「そうですか……残念です。あの子なら、殺してきてくれると思ったのに」
ラズにとっては、それが正しい。予想通りの虫酸が走る答えだ。
「一つ聞きますね。――お前は、ムーテが死んでいたとしても、同じことを言えるのか?」
「え」
街中は建物が多く、周囲に音もある。トーリスでも、このくらい離れていれば、聞こえないだろう。
なんて愚かなのだろう。与えられた答えがいつまでも不変で正しいものだと思い込み、自身で考えることを封じられた人間は。
「――お前は、親に愛されなかったんだ、ラズ」
けれど、自分では自分の過ちに気付けない。
「いい加減に気づけ。お前が親から与えられたそのすべてが、お前を駒として動かすためだけのものだったと」
「ちが……だって、お母さんと、お父さんは」
「生まれた瞬間、お前の髪色を見て、こいつはどうなったっていいって思われたんだよ。じゃなきゃ、反魔族を掲げる家の子に、ラズと名付けるはずがない」
「ち、ちが、う……。だって、いいことをしたら、褒めてくれた」
「一つ一つ、嬉しかったことを思い出して、愛されていたと思い込もうとする時点で、それはもう、愛じゃない」
頭を抱え、いやいやと首を振るラズは、ゆっくりと呼吸を整えると、そのオレンジの瞳で、俺を睨めつける。
「いくら恩人とはいえ、私の、何が分かるというのですか。あなたのような若者に」
そんな目を見下ろして、俺は赤い眼球の容器を開けて、鷲掴みにして取り出す。
「何を……」
覚悟を、決めよう。ただ偶然出会っただけの少女に過ぎないけれど、直感した。
――ムーテは、トーリスとレイノンの架け橋になってくれる。
そんな少女を、俺は助けようと思う。
「俺がいくつに見える」
「せいぜい、十六、七でしょう?」
「まあそんなところだ。ラズは、二十四だったな」
「……どうして」
「それはさておき。お前は、自分の名前についてどう思う?つまりは、魔族の象徴である、この赤についてだ」
赤い虹彩は死んでもなお、色を失わずに残る。一部のクソ貴族どもが集めているという話も聞く。
「そんなの、この街の人なら、誰だって、嫌いに決まってる」
「でもお前は、赤が好きだ。そうだろ」
「はあ……?」
「普通は、魔力を抜いて飾るものだ。魔力を抜くことで魔族の虹彩は真っ白になり、そこに、人間の目ではありえないほど鮮やかな緑を入れる。赤い目をそのまま飾るのは、よっぽどの変態か、あるいは、赤色のものを――この国で唯一許される赤を持ちたいかの、どちらかだ。まあ、赤を持つために眼球を飾るというのも、俺としては、なかなかだと思うが」
ラズは、眼球が好きなわけでは、ない。
「随分と、お詳しいんですね」
ちょっと、得意げに語りすぎたかもしれない。別に俺も、眼球愛好者じゃない。
「……ですが、その通りです。どうして?」
どうして、という問いには答えない。
「ラズは、ムーテを、愛しているんだろう?」
「はい。愛しています」
その言葉に、偽りはない。
「それなら、親と同じようにやっていてはいけないよ」
愛のない教育に、感情など不要だ。せいぜい抱いても、思い通りにならない苛立ちや怒りだけ。
機械的に、必要なアメとムチだけを用意すれば、それでこと足りる。子どもがいつ死んだって構わないし、子どもから返される愛でさえ、煩わしく思うだけだ。
だから、きっかけさえ与えれば、愛されていないと気づくことは、容易い。あとは離れるだけでいい。
けれど、そこに愛があるとすれば。離れることすらはばかられ、結果、より苦しむことになるかもしれない。
「私は、ムーテをずっと、苦しめていた……?」
「何を言ってるんだ今さら。自分がしていることくらい分かっていたはずだ。目を背けてきただけだろ」
本当に知らなかったのだと、覚えのない罪に問われているような顔で、ラズは首を横に振る。
「そんな――」
「お前の罪を認めることができるのは、お前だけだ。今、その罪悪感から逃れてしまったら、ムーテはさらに苦しみ続けることになる。お前の罪で」
歪ではあるが、まだ若く、頭が柔らかい。だからこそ、考え方を改めようとすることは、まだ、できるはずだ。
「そう、ですか。……私は、どうしたらいいのでしょうか」
「うーん、そうだね。答えなんてあってないようなものだけど……まずは、ムーテを喜ばせてみようか」
「魔族の眼球をもう一対用意して――」
「こら」
「しかし、母はこれをあげると一番、喜んでくれ」
「子どもに魔族殺しをさせる親なんて、クソだ。クソは連鎖するんだ」
「くそ……?」
「いいか。こんなもの、こうすればいい」
掴んだ眼球を、ぎりぎりと、素手で締め上げる。
ラズは、止めなかった。
だから、俺は握りつぶすのをやめ、変形した眼球を容器の中に戻す。
「まあ、握りつぶさなくてもいいけど」
「握りつぶさないとすれば、どうすれば――」
「ことを起こすのは、今じゃない方がいい。ムーテの目の前でやった方が、実感が湧くからね」
それに、俺がやってしまえば、すべてが俺のおかげになってしまう。俺の自分の意志でやるべきことだ。
と、すぐそこにレイノンが戻ってきたので、この家を出ることに。トーリスと分かれてから真っ直ぐこちらへ向かっているのは知っていた。
「ラズはここで、よく考えるんだ。これから、何をすべきなのか。悪いけど、連れが呼んでるから、俺はここで」
「そんな、それだけですか。それだけじゃ、何も分からな――」
顔を上げたラズは、俺の青い片目を見て、言葉を止める。
「君はもう、答えを与えられる側じゃなく、示す側だ」
それだけを言い残して、俺は扉を開ける。リアがとことことついてくる。
「隻眼の、青鬼」
扉を閉めて見下ろせば、レイノンが驚いたように、俺を見上げていた。
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