第26話 一緒にいたくない

 トーリは、耳がいい。だから、僕の心臓の鼓動を覚えていて、隠れていてもすぐに見つけられてしまう。


 けれど。今の僕の音は、いつもとは違うという自覚があった。今なら、トーリにも見つからないという確信があった。


 トーリに聞こえないよう、もっと遠くへ。市街地であれば喧騒の中だし、すぐに隠れることだってできる。


 けれど、より確実に見つからない場所となれば――赤川山脈だ。僕は人間だから国境を容易く越えられるが、トーリは一度出たら、二度とは入れないかもしれない。


 しかし。トーリは、僕が国境を越えたと知れば、ついてくるだろう。――いや。


 きっと、赤川山脈に向かうはずだと考え、国境に先回りするだろう。僕が越える前に。


 トーリの思考を読むなんて、ドラゴン焼き完食よりも容易い。だって、いつもトーリのことばかり考えているのだから。これだけは、トーリには負けない自信がある。


「だとすれば。一番、会わない確率が高いのは――」


 そこまで考えて、僕はムーテの家に戻ってきていた。門前に腰をおろし、緑の壁にもたれかかり、青い空を見上げる。


「ルジたち、まだ話し合いしてるのかな」


 ルジがいてくれさえすれば、トーリともそれなりに話せるし、僕が気を使う必要もない。


 ルジはトーリと仲が良いから、嫌いだ。でも、ルジがいると、安心する。


 ――と、にわかに扉が開かれて、驚いて見上げればそこには、空よりも青い髪を持つ、ルジの姿があった。


「レイノン。一人でどうした」


「なんで、ここにいるって、分かって……」


「まあ、なんとなく」


 鼻の奥がつんとして、熱くなって。涙でルジの顔がぼやける。


「ラーウ」


 その後ろから、とことこと歩いてきたリアが、僕の懐に飛び込んでくる。ふわふわの毛並みが気持ちいい――なんて、背を撫でてみても、涙は収まらない。


「トーリに酷いこと、たくさん言っちゃった」


 僕の隣にルジが同じようにして座り、壁にもたれかかる。


「トーリは、優しいから、謝らなくたって許してくれるけど。……だから、もう、一緒にいたくない」


「まったく。七歳児のくせに、難しいことばっかり考えて」


「ラウラウ」


 リアも呆れた様子なのが、なんだかおかしくて、ちょっとだけ、笑ってしまう。


「お前はトーリの彼女か」


「トーリには僕だけいればいいから、『トーリの彼女』なんて言葉は、永遠に成立しない」


「まじでお前、極めてるな……」


「とにかく、トーリが優しすぎてつらいって話。どうにかしてよ、ルジ。ルジしか頼れないんだから」


 随分、横暴だったと思う。もっとマシな言い方があったに決まっている。


「まあ、俺も三人で気まずいのは、さすがにもう嫌だからな」


 そう言ってルジは。


「そんなわけで、任せた、レイノン」


「丸投げ!?」


「大丈夫大丈夫。トーリスって、もともと怒りっぽいやつだし、そんなに優しくもないから」


「トーリはあんまり怒らないし優しいよ」


「お前限定、今限定でな。まあ、ムーテに酷いことしようとかすれば、飛んでくるんじゃないか」


「利用するとしても、ムーテのために動くトーリは気に入らないから却下」


「ええー。じゃあどうするんだよ?」


「僕が聞いてるんだけどね!?」


 まったく、ルジというやつは――。僕という人間を、よく分かっている。おかげですっかり、涙は引っ込んだ。


「でもさ。前みたいに戻るのは、やっぱり無理なのかな」


「さあな。俺はトーリスじゃないから、分からないよ」


 少し突き放したような返答が、何をすればいいのか、僕に答えをくれる。


「僕は、ムーテとは違う。何にも縛られていない。それは、とても恵まれていること、だよね」


 その環境を整えてくれているルジは、何も言わず、青色の瞳だけで、柔らかい笑みを浮かべている。


「それに、トーリははっきり言わないと、分からないもんね」


「それは間違いない」


 リアがするりと、液体のように僕の腕から抜けて、ルジのもとへと帰っていく。落ち込んでいるとき以外は、冷たい。


「……リアって、なにげに僕のこと避けるよね」


「あー。俺に優しくしないからだろ」


「なるほど納得」


 トーリのところへ言って、はっきり言ってやる。ちゃんと、思っていることを。

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