第25話 栓

 トーリは、何をやっても僕より上手くできる。それも、どんぐりの背比べなんて優しいものじゃなくて、圧倒的な差があった。


 今でこそ、分かっている。トーリは魔族だから、その差は生まれて当然だと。


 けれど。握る手の強さや、冗談に軽くぽんとやっただけの痛みや、僕が何を考えているのか言い当ててしまうところとか。


 全部。すごくて、尊敬していて、大好きで――怖い。


 トーリのことは、怖いけれど。それ以上に、怖いものがある。


「トーリスはすごいと、僕は思ってるよ」


「何が?」


 瞬間、わずかに手に力を込めたのだろう。ビリッと痛みが走り、思わず繋いでいた手を引く。


「っ――!」


「あ、ごめん……」


 それだけで、真っ赤な指の跡がついた。


 ――咄嗟に目を開けて確認しようとするトーリのフードを、僕は思い切り引っ張って、下ろす。


「何考えてるんだよ、バカ!」


「ご、ごめん……。大丈夫か」


 こんなときでも、素直に謝って、純粋に相手の心配ができてしまう。だから、僕は素直に、大丈夫じゃないと、痛かったと、言えない。


「……大丈夫だよ、このくらい」


「でも、反射で手を引くって、相当だろ」


 ほら、やっぱり。誤魔化そうとしても、すぐに気づいてしまう。どうせ気づくなら聞かなければいいのに。


 僕が、嘘を重ねることになるだけだ。トーリは、その何も嬉しくない心配が、代わりに僕の心を、ひとかき削っていくことを知らない。


「仮に、本当に痛かったとして、トーリスに何ができるって言うのさ?」


「それは……」


「本当の痛みも知らないくせに」


 自分の言葉ではなかった。そんなこと、考えたこともなかった。なのに、勢いで出てきたのは、そんな言葉だった。傷ついたようなトーリよりも、僕自身が一番、驚いた。


 きっとそれで、どこかの栓が外れてしまったのだろう。どんどん、溢れてくる言葉を、必死に、のみこもうとする。いつもやっているように。


 けれど、奥から湧き出る悪い言葉たちに、溺れそうになる。息が詰まりそうになる。どこか遠くへ行ってしまいたい。そのまま、消えてしまいたい。


「レイ、大丈夫か!顔色が悪いぞ。食べすぎたのか?」


 入ってこない空気の代わりに、悪い言葉の風船が膨らむ。膨らんで、僕の内側から突き破って、外に出ようとする。


 そんな汚いものを外に出したら、きっと、トーリは僕を嫌いになる。だってトーリは、僕を傷つけようとしていない。僕を害する言葉なんて持っていない。


 お互いに悪いところを言い合ったとして、僕は、一〇〇〇〇個、トーリの悪いところを言えるけれど、トーリはきっと、一つも言えない。


 だって、僕は。


「トーリは、さ」


「ん?」


 塞ぐ口から、言葉が出ていこうとする。でも、我慢すると息が苦しくて、息を吸う代わりに、悪い言葉が飛び出る。


「偽善者だよ」


 ただ、トーリと自分の違うところを、一〇〇〇〇個知っているに過ぎない。トーリは、僕と自分を比べたことなんてないだろう。いいところは、悪いところだ。


「心配をされるのが、苦しいって、分からないかなあ……」


「ごめん、分かってなかった」


 ――これ以上、一緒にいて、トーリを傷つけたくない。


「僕、一人で歩いてるよ」


「いや、でも、一緒にいた方が――」


「今は、トーリスと一緒には、いたくない」


 トーリには、このくらいはっきり言わないと、伝わらない。


「ムーテ。トーリスは目が見えないから、肩を貸してあげて」


「うん、任せて。お義兄さん」


 ムーテのなんとも思っていないような反応が、今はすごく助かる。


「……あんまり、遠くまで行くなよ」


「日が暮れるまでには戻るよ」


 もう、戻らなくてもいいような気さえしていた。僕はトーリが怖いわけじゃない。



 ただ、僕が人間であることが、怖かった。


 僕が弱いから、トーリが傷つく。それが、ただただ、恐ろしかった。

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