第10話 心臓の石

 小一時間ほどして、汗も収まり。リアを肩にのせて赤い川へと戻り、その上流へと向かっていた。


「ラー……」


「多分、この辺りだろうな――」


 微弱なにおいだが、先ほど食べて記憶した上に、嫌なにおいなので、意識すれば感じ取れる。


 それだけで発生源をたどるのはなかなかに難しいが、死蝋化する可能性があるのは、経験から考えて、流れが穏やかで、水が清潔なところ。そうして川を見ていけば、恐らくはここだろうと想像がつく。


「ラウ」


 ぴょんと肩から飛び降りたリアが駆けていくのを、追いかける。


「見つけたか、えらいぞ」


「ラー」


 案の定、遺体は赤い川の中に沈んでいた。


 その頭を撫で、待っているように伝えてからら、川の中に入り、遺体を取り出そうとするが、びくともしない。どこかが引っかかっている。


「うーん。遺体に魔法は、使えないしな」


 魔力には、活性化されているものと、非活性のものがある。魔法が使える使えない、あるいは、有機物無機物に限らず、モノや生命の中には、ある程度の魔力が取り込まれている。魔力粒子はとても小さく、様々な物質に溶け込んでいるからだ。


 ただし、魔法が使えない――ヒトであれば、八歳以下が体内に保有する魔力はすべて非活性である上、ごく少量である。


 そのため、実際のところ、八歳以下の子どもには魔法が効かないとされている。その上、触れていると、非活性の魔力によってこちらの魔力が非活性にされてしまい、魔法が使えなくなる。


 そこへ来て、死体となると、さらに話は異なる。死体には、魔力がまったく含まれていないため、何をしたって魔法が効かない。ただし、非活性の魔力すらないために、触れていても魔法自体は問題なく使える。


「ラーウ」


「そうだね。効かないのもそうだけど――亡くなった人の側で魔法を使うのは、確かに、気が引ける」


 この考え方は、世界にはまだ浸透していない。俺がそう思うという段階の話。


 ともあれ、引っかかりが四肢や頭部ではないのを確認して、仕方なく真上に持ち上げる。


 と、心臓の辺りに深く、木の枝のようなものが突き刺さっていたようだ。川底と人体が固定されていて、動かなかったのだろう。その枝を拾って、懐に入れ、やっと遺体を川から引きずり上げる。


「これじゃ、誰かまったく分からないな」


 取り出したはいいが、遺族に見せるのもはばかられるし、かと言って勝手に燃やすのも忍びない。そもそも、誰が見たって、誰だか、分からないだろう。


「何か持ってないかな」


 手指や耳、口の中など、見回してみると――左手の薬指に、指輪があり、膨らんだ体の中でそこだけが、細いままになっていた。


「結婚していた可能性があるな」


 しかし、一体、ここで何があったのか。調べようにも、衣服などの軽いものは体の膨張に耐えきれず、破れて流れていってしまったらしい。枝で刺された、というのは考えられるが――。


 そのとき、キラッと、川底が光った。


「何か沈んで――えっ」


 チェパリースハニレッドに混ざって、透明な石が沈んでいた。大きさは片手の中に隠すのが少し、難しいくらい。握っていると、ドクンドクンと、振動が伝わってくる。


 月明かりに照らせば、その中には赤い心臓が浮かび上がった。


「心臓の石――」


 ためらいはあったが、そうも言っていられないと、遺体を切り開き、中を確認する。


「心臓、入ってるよな……」


 この者の心臓ではなさそうだ。


「ラーウ……」


「とりあえず、しまっておくか。――すー……。さすがにきついが、やるしかない、か」


 俺は時空に拳サイズの歪みを生み出し、そこに石を入れて、閉じる。空間収納と呼ばれるもので、中は時が止まった、無限に続く空間となっており、入口さえ通れば、何でも入れられ――。


「あ、やばい」


 ぐらっと、体が傾く。このまま倒れたら、恐らく、意識が飛ぶ――。


「っと……ありがとう、リア。助かった」


 瞬時に箜篌へと姿を変えたリアが、支えになってくれる。楽器のときの重さは、トーリスとレイノンを足したくらい、とまではいかないが、俺のことは十分に、支えられる。


「ラーガブ」


「いたった」


 体勢を立て直すと、ネコに戻ったリアに腕を噛まれた。


「すまんすまん。でも、あれを外に出したまま、ってわけにもいかないだろ?」


「ラー……」


「はい、気をつけます。だから、仲直りの握手。ね?」


 リアの肉球を持ち上げて、握手。腕を伝って、リアは頭の上に乗り、尻尾でぺちぺちと後頭部を叩いてくる。まだ機嫌が悪いらしい。 


 仕方ないので、遺体は火を持ってきて燃やそう。そんなに離れてはいなかったから、おこすよりも、持ってきたほうが早いだろう。


「こんなに感情表現が豊かな箜篌は、お前くらいだよ。なんで楽器なのに、ネコになれるんだろうね?」


「ラー?」


「はは、そうだね。――現存する箜篌自体、か」


 箜篌は、楽制改革によって忘れ去られた楽器だ。現存する使い手は、きっと指を折るほどしかいない。


 この先、技術が発達して、紛失した箜篌の欠片から復元されるとしても、完全に元通り、なんてことは、まず不可能だ。そのくらいの時間が経っている。


「ラ!」


「え?……あ、ほんとだ。鼻血出てる」


 鼻の下をこすった指に、血がつく。ぺちぺちと、尻尾が攻撃してくる。心配の裏返しだと思うと、それすらかわいい。


「まだあと半年もあるのか……。トーリスとレイノンは、最初にどんな魔法を使うんだろうな」



 あと半年――二人が八歳になれば、魔法が使えるようになる。



 そうすれば、大概のことは、解決する。


「ラーラー」


「大丈夫だよ、リア。俺は、死なないから」


「ラ」


 ぺちっと、尻尾で頭を叩いて、リアは頭から飛び降り、スタスタと歩いていく。


「……本気で怒らせちゃったな」


 怒られると知っていて、甘えてしまったのだから、当然だ。

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