第9話 夜ふかし

「お前たちは、同じなんだよ。まったくの対等なんだ」


「対等――」


「そう。トーリスのやることが気に食わなければ、レイノンは文句を言えばいい。やり返したっていい。その逆も然り。俺は、そう思う」


 赤い瞳に、消えゆく熾火を映して、トーリスは呟く。


「でもオレは、レイノンより、強い」


 強いというのは、余裕に繋がり。余裕というのは、トーリスのようなクソ真面目にとっては、自己を研鑽することに繋がる。


 だから、天才と呼ばれる輩は魔族に多く――一方で、遊びに飽きて、非行に走ることも、多い。


「方法は色々ある。何も、同じことをそっくりそのまま返す必要はないし、言い返すにしても、言い方がある。――だから、お前たち二人の喧嘩に、どちらかだけが悪い、なんてことはない」


「それは例えば、俺がレイノンのおやつを取っても、レイノンが悪いのか」


 たとえがかわいいな。


「少なくとも、レイノンがやられっぱなしでいるようなら、トーリスが気にすることはないよ。だって。相手は、たかだかトーリスだからね?」


「あんまりな言い草だな。――でも、その通りかもしれない」


 友だちに嫌われたくない。上司に反発できない。親に抵抗するのが面倒。


 そういった一切のしがらみを取り払った結果、何も言わないのなら、それは、ただの優しさか、気に留めていないか、何か利益があるか――。


 少なくとも二人は、とても、上手とは言えないまでも、不満を言い合ってきた。


「だからね、トーリス」


「うん」


「自分の方が強い、ってだけで、レイノンの痛みを、すべて引き受ける必要はないよ」


 川に尻もちをつくだけだったはずが、顔面から川に飛び込んで全身びしょ濡れなんて、そんな下手な庇い方は、あんまりだ。


 人間と魔族の間にあるのは、絶対的な力の差ではない。たった三倍の話で、試験で言うなら、三三点と九九点の差。あるいは、一点と三点の差。どちらも、百点でなく、〇点でもない。


「ごめん」


「俺に気を使うなんて、それこそ、この世でもっとも必要ない」


「でも、無理やり起こして風邪を引かせたのは、オレだろ」


 俺の苦労なんて、トーリスが気にすることではないと、言っているのに。


「――じゃあ、試しに今、レイノンを起こしてみるといいよ」


「そんな可哀想なことできるか」


「明日は寝坊しても何も言わないから」


「いつも何も言わないだろ」


「俺が謝るから」


 渋々といった表情で、つん、とトーリスが腕をつつく。が、無反応。


 タンタンと、腕のあたりを叩いても、無反応。


 肩を軽く揺さぶっても無反応。ゆっさゆっさしても無反応。無理やり瞼を開けば――白目を剥いている。


「え、オレ、どうやって起こしたんだ……?」


「そういうことだ」


 それでようやく、納得がいったらしい。


「目開けたまま寝るな……!」


 真相なんて、そんなものだ。風邪を引いたのは単なる偶然。強いて言うなら、野菜や果物をトーリスに押し付けてばかりいて、免疫が弱かったのはあるかもしれない。あれは、レイノンの人生で二番目にピンチだったな。


「てか、ルジは、どうして止めなかったんだ。気づいてただろ」


 二人だけの秘密にしていたって、さすがに夜ふかししようとしているかどうかくらいは、見ていれば分かる。


「レイノンが起こされて起きるのか、知りたかったからね」


「そうじゃなくて」


 ――悪いことを、なぜ悪いと言わないのかと、そういう話をしているのだろう。


 夜ふかしなんて、もう少し大きくなれば、いつだってできる。それこそ、一五、六歳になれば、一日の夜ふかしだけで風邪を引くことは、ほとんどなくなるだろう。


 五歳の人間の子どもが夜ふかしするのは、確かに、健康に悪い。一度崩れた生活リズムをもとに戻すにも、骨が折れる。


「だって。夜ふかしは、子どものときが一番、楽しいんだ」


 子どものときの夜ふかしなんて、経験したことはないけれど。あんなに目を輝かせていた二人を、止めることはできなかった。


「レイノンが風邪を引いたのは、俺の監督責任だよ。だから、トーリスがそれ以上、負い目を感じる必要はない。分かったね?」


「……ん」


 トーリスからリアを受け取り、その白髪にぽんぽんと、手をのせる。


「誰だって、寝られない時があるものだから。そういうときは、起きていればいいよ。じゃあ、おやすみ」


「うん。おやすみ」


 トーリスは、自分を責めることをやめられないから、寝られない。朝が早いのではなく、単に、寝ていないのだ。


 けれど今日は、少し、スッキリした顔をしていたから、寝られるかもしれない。床につくのを見送り、遠く、離れたところまで歩いていく。


 遠く、遠く。


 ――どっと、汗が噴き出てくるのを無視して、遠くへ。


「ラーウ……?」


「大丈夫だ。大丈夫、だから……」


 リアは箜篌へと姿を変える。その楽器に、体重を預け、弦に指をかける。


 ――弾いている間だけは、すべてを忘れられるから。

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