第2話 喧嘩のない生活
以来、二人が喧嘩をすることはなくなった。トーリスは触るように叩いただけのつもりで、レイノンを傷つけていた。レイノンはそんなこととは知らずに、トーリスを思い切り叩いていた。
自分の頭を叩いてみたって、高いところから落ちてみたって、水の中に潜ってみたって、そもそもの感じ方が違うのだから。
そりゃあ、加減が分からず、喧嘩にもなる。
「おはよー、ルジ。ふぁぁ……」
ねぼすけが、あくびをしながら起き上がる。
「おはよう、レイノン」
トーリスはとうに起きていて、レイノンが起きるのを待っていた。
「おはよう、トーリス」
「ああ、おはよう。レイノン」
互いに目も合わせない。少し離れたところにレイノンが座ったのを確認してから、俺はご飯の支度をする。リアはもうお腹いっぱいになって、ごろんと丸くなっている。
トーリスは、レイノンが起きるまでは絶対に、朝ご飯は食べずに待っている。
「いただきます」
そう言って食べ始めると、昔は、苦手なものを押し付け合ったりしていたものだが、今は、そういうこともまったくしない。会話も、ない。
近頃、トーリスはずっと本を読んでいて、レイノンはふらっとどこかへ出かけていくことが多い。
「レイノン、昨日は何か面白いものあった?」
「あったあった!あのね、すごく綺麗な木があったんだよー。折れてる枝は一本だけでさ、石でできたみたいに風が吹いても動かなくて、ぶら下がっても、たわみもしなかったんだ。すごく頑丈だったけど、あれ、なんて木なんだろう?」
「へー!それは、いい遊び場を見つけたね。トーリス、何か知ってる?」
「ルジが知らないのにオレが知ってるわけないだろ」
「確かに、俺は世界一、色んなことを知ってるからね。トーリスじゃあ知らないのも当然だ」
「腹立つな。でも、その通りだ」
「いやいや、認めちゃうのかよ。どれだけ知識があったって、俺は万能じゃないんだから、知らないことだってあるよ」
シーン……。
「レイノン、他には何かなかったか」
「うーん。また探しておくよ」
「おっ、それは楽しみだ」
シーン………………。
二人がどう感じているか、正確には分からない。分からないが。多分、思っていることは、みんな同じだ。
「気っっっまずっっっっ」
とにかく、気まずい。俺が気を使っていることくらい、二人も気づいているだろう。
それに、あまりこうやって露骨に気を使いすぎると、心が離れていく。
かと言って、何も話さなくても、心を閉ざしてしまうかもしれないし。
何かしてもダメ、何もしなくてもダメ。どうすりゃいいんだこれ。
「最初から、伝えておけばよかったかな。……でもね。人間だから弱いとか、魔族だから何をしたって許されるとか、そういう風には、思ってほしくなかった」
「ラー」
リアは俺の肩にいて、すりすりと頬ずりをする。そのふわふわの頭をそっと撫でると、耳がへこっと倒れて、俺の手を受け入れてくれた。
「最初から違う、なんて決めつけてほしくなかった。同じなんだよ。人間も魔族も同じなんだって、心の深いところで、ちゃんと、分かっていてほしかったんだ」
とはいえ、今さら後悔したって仕方ない。時は進み続けるのだから。
「しっかし。まだ六歳ってことは、あと二年もあるのか。まだまだ、先は長いなー」
「ラーウ――」
相槌を打つように鳴いて、リアは姿を変える――俺と同じくらいの背丈の、ハープのような楽器、箜篌へと。
箜篌とは、眠った三日月から雨露の弦が降りて、大地に吸い込まれているような。はたまた、陽光が作る虹から光の弦が射し込み、大陸を照らしているような形状の、弦楽器だ。
ハープのようでありつつ、箏の響きも感じられる。とても繊細で、弾く指や角度を変えるだけで、柔らかくも、鋭くもなり、日によって同じ音はない。
弦に指をかければ自然と、体が音を奏で始める。箜篌は暖かな陽の光に照らされて、輝いていた。
「長いときを重ねて いつか 些細な異が 争いに膨らむとき」
「同じときに笑って ふたり 顔合わせて 互いを願えますように」
優しい音を奏でよう。これから先、何度でも、種族の違いを思い知らされるだろうから。
せめて、二人の間では、優劣のない、双子でいられるように――。
「ねえ、ルジ」
幼い声に思わず、無意識に弾いていた手を止め、天を仰いで、ほっと一息つく。木々が生い茂っており、いつの間にか、葉の合間からは月の光が射していた。
「どうした、レイノン」
「すごい汗だけど……楽器って、そんなに疲れるの?」
全身に流れる汗に気づき、とりあえず顔だけ袖で雑に拭く。
「ちょっと集中しすぎたみたいだ。それで、どうした」
「魔族と人間は、仲が悪いの?」
いろんなところを旅して、魔族と人間がいることを知れば、自ずと気がつく。
両者は、互いを嫌い合っているのだと。
みんなの仲が悪いと、自分たちも、仲良くしてはいけない。そんな感じがするのかもしれない。
「――レイノンは、暗闇が苦手だよね」
「うん」
「同じだよ。人間も、魔族も。分からないから、その先が怖いんだ」
「それって、どうすればいいの」
「知ればいい。互いを知って、分かり合おうとさえすれば、魔族も人間も同じだって、すぐに気づく」
「……そしたら、トーリともまた、仲良くできるかな」
「――ああ、できる。絶対に」
どの口が、そんなことを言ったのだろう。
「僕、頑張るよ。同じときに笑えるように、たくさん、笑うよ」
レイノンの黒い目は、真剣そのものだった。
「そうか」
その瞳の強さに、圧されて、淡白に返してしまう。俺の絶対なんて言葉には、そんなに大きなものは乗っていないから。
「それにしても、うーん。リアを撫でたかったんだけど、箜篌になってるから、いいや。おやすみー」
なんとなく、何かを隠しているのだろうなと、思った。
「うん、おやすみ」
レイノンはこうして、リアを撫でに来ることがよくある。リアは気まぐれなので、撫でさせてあげたり、あげなかったり、色々だ。
そして。
「三人で話すのは、まだ怖いか?」
そう話しかければ、茂みから、トーリスが現れた。
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