RIVERS LONELINESS
森川めだか
RIVERS LONELINESS
RIVERS LONELINESS
Blue called boy
日常の日々の中に少しずつ寂しさが入っていて、少しずつたまり、心の中に積まってゆく。
枯木の並木道を歩いていて、振り向くと誰もいない、前を見ると、それがずっと続いているような、途方に暮れた中に
萱野馬尋は19歳の学生だ。
彼は今、孤独だった。
誰のせいでもなく、何のせいでもなく、なぜ孤独なのかももう分からない。
全てに自信がなかった。
不安と心細さに心は割れそうに震えていた。
胸は大きな穴のようだった。
彼はマンションの三階に一人暮らしをしていた。
見下ろすと円型の広場が見える。
午後9時、街灯が誰もいない広場を照らしている。
部屋から外に出てカギを閉めていると、風が体の中をすり抜けていく。
夜の中に、このまま暗闇に溶け込んでしまいたい。
スクーターに乗って彼は走り出す。
夜の道路には誰もいない。
萱野馬尋の乗ったスクーターが走り過ぎた家の中でTVニュースが流れている。
「――が殺害されてから今日で6日が経ちます。
これでこの連続殺人事件の犠牲者は3人に昇りますが、依然、犯人逮捕につながる有力な手がかりは得られず・・・・・・。」
午後10時半、萱野馬尋が部屋に帰って来る。
スーパーの袋を置く。
電話が鳴り出す。
こんな時間に――。
3度目のベルで出る。
電話の向こうは無音。
小さく響いて女の声がした。
「もしもし。」
「はい。」
「萱野馬尋さんですか?」
「はい。・・そうですけど。」
「私、
「丘・・?」
「初めまして、なんですけど・・・・お話ししたいことが、あるんです。」
「・・はぁ・・。」
「今、いいですか?」
「・・はい。・・何ですか?」
切れるタイミングを逃す。
丘葵は少し間を置いて、慎重に話し出した。
「信じて・・・・欲しいんですけど・・・・。
私、いないんです。・・・・殺されて死んだんです。1週間前。
夜、男に銃で撃たれて。
だから、あなたの、いる世界には、もういないんです。私。」
イタズラ? と言葉が出かかる。
彼女がまた話し出した。
「それで、お願いがあるんです。
私にも、・・・・よく分からないんですけど、あなたに。」
萱野馬尋は少し黙ったが、何も考えられなかった。
「なんですか?」
「私を殺した人が殺されないように、して欲しいんです。私の祖母に・・。」
「え?」一瞬意味が分からなかった。
「そんな気がするんです。
私にもよく分からないんだけど・・・・私は祖母と二人暮らしをしてたんですけど、その祖母が、私を撃った人を殺してしまうような気がするんです。
それを、止めていただきたいんです。」
「・・・・・・。」
「お願いできますか?」
「・・僕に何をさせたいんでしょうか?」
「・・・・ひきうけてくれますか。ありがとうございます。
・・まず、私の家に行って、祖母の様子を見て来ていただきたいんです。
祖母の名前は
住所は――。」
割と、近くの所だ。
「明日の夜、また、電話、します。」
「・・・・はあ。」
受話機を置いて、萱野は落ち着かなかった。
意味がわからなかった。
悪い憶測が頭を巡る。
しかし、彼は失うものが何も見当らなかった。
何が起こってもいいと思った。
・・電話はどこからしたんだ。
ナンバーディスプレイは彼の電話についていない。
いつもより少し長い夜が過ぎていった。
翌朝、萱野馬尋の住む街の警察署から2人の刑事が出て来た。
年長の小柄な女の方が
部下の若い男は
短い階段を降りながら、土田が背広の上着に袖を通して言う。
「まだ9月だってのに、この寒さ・・。
だから田舎は嫌ですよ・・。」
「今年は寒いのよ。異常気象で。
まぁ東京よりは寒いけど。
私は寒い方が好きね。」
「それにしても寒すぎでしょう。
肌寒いのレベル越してますよ。」
風に揺れる木々は顔を隠しているように表情がない。
植え込みの草はもう枯れていた。
二人は東京から来たばかり。
土田が寒そうにポケットに手をつっこむ。
警察署の前の閑散とした通りに出て、二人は立ち止まる。
土田が聞く。
「本当に
「多分ね。」
「しかし、この連続殺人に関わっているとは・・・・僕は思えないんですが・・・・。」
「・・・・まぁ、とにかく昼ご飯食べましょ。」
空は薄く灰色にたれこめている。
レンガの道を歩いてゆく二人。
横を冷たい風が過ぎる。
昼過ぎ。
萱野馬尋は丘葵の家の前にいた。
閑静な住宅地の中の普通の一軒家だった。
二人暮らしには大き過ぎるだろうか。
表札は確かに丘だ。
隣にある空き地では群生したネコじゃらしが白く揺れている。
家は人の気配がなく静まりかえっている。
駐車場には自転車が1台停まっているだけだった。
馬尋がなすすべなく遠まきに、立ちつくしていると、後ろから声をかけられた。
「何かご用ですか?」
振り向くと、老人の女性がスーパーの袋を重そうに手にさげて馬尋を見ていた。
「あ、すいません。あのー、えー、葵、さんの友達なんですけど、葵さんは、いらっしゃいます?」
老女は怪訝そうな顔を少しゆるめて
「あぁそうですか・・葵の・・・・・・。」
老女は馬尋の目を見る。
「葵は今・・・・留守にしてますけど、よろしかったら上がっていかれません?」
老女は手を家に向ける。
何が何だか分からない。
昨夜の電話は。
からかわれているのでもなさそうだった。
それでは、この葵の祖母に見える老人の様子を探るべきなのだろうか?
訳の分からぬまま、とまどっている馬尋を老女が手で招く。
家に連れられる。
カギを開ける老人の後ろ姿が小さい。
玄関に入ると中は外と同じくらい寒かった。
洋室のリビングに通される。
テーブルの周りの2つしかないイスに座る。
窓で外が見える。
老女は暖房のスイッチを入れて
「今、お茶をいれますね。」と奥に入っていった。
リビングは片づいていて、フローリングの床には何も落ちていない。
葵の何かを目で探すが、何も見付けられなかった。
壁際のベージュのソファがそうとも思えたが。
「どうも、すいません、お待たせして。」
急須と湯呑みを盆に乗せて、老女が出てくる。
「私、葵の祖母です。初めまして。」
ななめ向かいのイスに座って会釈する。
確か有子という名前だった。
「葵のお友達が来るなんて初めてで、嬉しいですけど。」
湯呑みに茶を注ぐ。
馬尋に差し出す。
「葵は今、留守で・・・・わざわざ来てくれたのに。」
いえと返事をして、お茶に口をつける馬尋。
お茶にはほとんど味がしなかった。
窓からは隣の空き地が見えた。
枯れたネコじゃらしが風に揺られ続けている。
「お名前は?」
有子が湯気を立てる湯呑みを両手で包みながらほほ笑む。
「萱野です。萱野馬尋といいます。」
「萱野さん・・。」
思い出すようにうなづく有子。
「葵とはどういったお友達?」
「えー、と、大学で・・。」
「葵と同じ所なのかしら?」
葵も大学生なのか。
「いや、・・違います。たまたま・・。」
「あら、そう・・。」
茶を呑む有子。
「お年は? ごめんなさいね、質問ばかり。」
ニッコリと笑う有子。
「19です。」
「あぁ、あの子と同じね。仲良くしてくれてたの?」
「ええ、まぁ、話とか、する程度ですけど・・。」
「そう・・。どういったご用で、今日は来られたのかしら?」
「用は・・・・、まぁ特に、ないんですけど・・。」
明らかに目が泳ぐ。
窓の外で風が鳴る。
「あの子・・あんまり大学に行ってないと思ってたから、お友達がいてホッとしたわ。」
沈黙が空く。
窓を風が小さく叩く。
「あのー、葵さんはどちらに・・。」
馬尋が聞いた途端、空気が緊張した。
有子は何も映ってないテレビを眺める。
馬尋は有子を見てから、有子の向こうの窓に目を流す。
空は速い。
「ご存じない?」
有子が馬尋を見て言う。
「もう1週間、・・葵が帰らないの。
1週間前の・・今頃、家を出て、それから帰らないの。
携帯電話も家に置いたままだし・・・・。
こんなこと初めてだから、・・どうしたのか・・。」
有子は湯呑みを手で包んで、中のお茶を見つめながら話す。
「5日前、捜索願いを、申請したんだけど、・・・・・・・・・・大げさなのかしら・・・・・・・・。」
馬尋の目を見て言う。
「心当たりありません?」
「いや、・・・・。」
電話のことを言おうか。
どう話せばいいのか、迷っている内に有子が話し出す。
「そう・・あの子の・・お友達もよく知らないし、萱野さんが来てくれたから、もしかしたらと、思って、・・・・何かの事件に巻き込まれたんじゃなければいいけど・・。」
有子はお茶を飲む。
馬尋は目を伏せる。
「私と二人暮らしでしょう?
だから話したいことも話せなかったのかも、しれないわね。」
お茶に目をとめ、遠くを見るようにほほ笑む有子。
馬尋は何も言えない。
「あの子はあなたに何か話した?」
「いえ・・、そんなには・・。」
「葵は・・、あの子の父親は早くに亡くなられて、母親は、私の娘なんだけど、何年か前に、いなくなってしまって、・・蒸発っていうのね。
弱い人だったから。
それから私があの子を引きとって。
私も早くに夫を亡くしてたから、あの子と2人暮らしになって。
だから、悩む事もあっただろうし・・。
母親のこともね、あの子自分が傷付けたんじゃないかって言ったことがあったわ。
悩みを話せる人がいたのなら嬉しいんだけど・・。」
有子は下を向いてわずかにほほ笑む。
馬尋は黙っていた。
「萱野さんも、よかったら探してみてくれないかしら。
私より、あなたの方がきっといいわ。」
馬尋は躊躇しながらうなづく。
「ありがとう。
ここの電話番号に何かささいなことでも連絡して下さい。」
メモ帳に電話番号を書く有子。
「よかったら、あなたの番号も教えてくれないかしら。
葵がもしも帰ってきたら連絡しますから。」
「あ、あの、葵さんの写真ありますか?
探す時に、友達とかに見せる時に・・・・。」
有子が少しして、写真を持って来た。
高校の制服を着ている、女の子が写っていた。
少し影がある、笑い顔だった。
有子の家を出て、少し離れた所に停めたスクーターへ歩く。
丘有子の様子を思い出す。
あの年で家族が次々にいなくなる気持ちを思うと胸が痛んだ。
借りた写真を見る。
有子は、もしも葵が帰って来たらと言っていた。
それまでの様子や雰囲気は、なんとなくもう葵が帰って来ないと諦めているような感じがした。
葵が死んだとは。
馬尋もまだ信じた訳ではないけれど。
アスファルトの道の上で馬尋の黒いスクーターが少し首をかしげて停まっていた。
It is closing yet
陽の出てきた公園のベンチに東雲倖と土田樹一の2人が座っていた。
テーブルには食べ終わったコンビニの弁当とまだ開けられていないおにぎりが3つ置いてある。
広い公園のグラウンドには誰もいない。
束の間の穏やかな日溜まり。
端で木漏れ日が揺れている。
土田が楽しそうにしゃべっていた。
「それで、1人で泥酔してまして。
レーズンが飛んでるんですよ。大きな。
それでね、よくよく考えるとあれ、ハエだったんですよ。ハハハハ・・。」
「ああそうね・・よく考えなくてもレーズンが飛ぶわけないわ。」
「まぁ、そうなんですけど、・・とにかく、移動手段が必要ですね。
断わられちゃいましたからね。」
「勝手に来たよそ者に車は貸せないわね、やっぱり。」
「現場と現場は離れてますし、レンタカーでも借りますか?」
「張り込みになるかも知れないから、時間があるのは、・・。」
2人は黙る。
割り箸の袋が飛ばされる。
陽が陰り薄暗くなる。
「土田君、車買えば?」
「えっ、それは無理ですよ。そんなお金ありませんよ。」
「免許は持ってるわね?」
「はい。学生時代に。」
「お金なら心配ないわ。
ローンがあるし、決まりね。」
「そんな、ローンって、。」
「この際、買っておいて損はないと思うわ。
いつまでも車なしじゃペーパードライバーよ。」
空の弁当箱をゴミ箱に捨てて、立ち上がる東雲。
「行きましょう。」
出口に向かう東雲。
雲間から差し出した陽が、公園を細く照らす。
雲は我先にと太陽を隠したがっている。
おにぎりをビニール袋に入れて、渋々立ち上がる土田。
馬尋が部屋に帰って来たのは夕方だった。
食料を買って来ていた。
高く烏が飛んでいく。
馬尋はコンビニで新聞を買って来ていた。
連続殺人事件のことを調べたかったからだ。
葵は撃たれたと言っていた。
今年の夏から起きた連続殺人事件も被害者は拳銃で撃たれて殺されている。
食料を冷蔵庫に入れ、水を1杯飲んでから新聞を開く。
新聞を読むのは久しぶりだった。
1人暮らしを始めて3ヵ月で解約した。
テレビ欄しか読まれなかった新聞の束が部屋の隅にうずくまっている。
今年の7月、この静かな地方都市で起きた殺人事件は驚きの話題だった。
7月6日、男が、後ろから頭を撃たれて死んでいるのが発見された。
大騒ぎになり、犯人がつかまらないまま、約1ヵ月後に同じ銃で女が殺される。
そしてまた、その1ヵ月後、つい1週間前に、子供が殺された。
犯行は夜、金品はとられていない。
被害者の共通点も見当たらず、無差別な通り魔的発砲殺人事件とみられている。
葵は確か1週間前に殺されたと言っていた。
3人目の被害者の女児が殺されたのも1週間前。
そうすると同じ日に殺されたことになる。
約1ヵ月の間隔で1人殺されるのがこの事件の特徴だ。
関係がないのだろうか。
他の記事にも目を通している内に夜になっていた。
夕食を作ろうと思った時に、電話が鳴り出す。
出るのを少しためらう。
少し怖かった。
ゆっくりと受話機を上げる。
「はい。」
「あ、葵です。」
向こうの音は昨日と同じに葵の声以外何も聞こえない。
「私の家、行ってくれました?」
「はい。おばぁさんにも会って・・話しました。」
「・・ありがとうございます。・・どうでした? 祖母の様子は。」
「心配してましたよ。」
葵は黙る。
心配していることを話せば、葵がどこかに隠れているとしたなら、そこから出て来て家に帰るのではないかと思った。
なぜ、僕に電話したのかは分からなかったが。
「そうですか・・。」
葵がそれだけ言う。
「僕にも、捜して欲しいってお願いされました。」
葵は黙っている。
「殺されたって言ってたけど、君の・・体は?」
葵は何も言わない。
「君を、殺した犯人は、誰か分からないの? それを警察に。」
「ごめんなさい。」
遮ぎって葵が言う。
「すいません。・・・・・・
私の体はどこにあるか、私も分からないんです。
犯人がだれかも。」
言葉を切る。
「どうして、僕の電話知ってるの?」
何も無い沈黙が流れる。
「あなたにしかつながらなかったから、きっと。
よく分からないけど。」
よく分からなかった。
「あなたでよかった。
少しでも信じてくれて。」
今度は馬尋が何も言えない。
「祖母の様子、これからも時々見てくれませんか。
私も、時々、電話・・していいですか?」
断ることもできた。
「はい。」
小さく返事をする。
葵はお礼を言って、電話が切れる。
少し嬉しいのはなぜだろう。
カーテンを開けて窓を開ける。
冷たい夜の空気が入ってくる。
僕は救いを求めてるのかな・・・・・・
風は止んでいて、空には消えそうに小さな星が見える。
新聞が静かにめくれる。
次の日の午前9時。
冷たい空気の中の、自然公園の林に開かれた1本の細い道に東雲と土田はいた。
常緑樹が地面に無数の葉の影を茂らせていた。
砂利混じりの土の道は、歩くたびに音を立てる。
道には立入禁止のテープが張られている。
「7月6日未明、ジョギング中の女性が、頭から血を出して倒れている被害者を発見。
被害者は51歳の会社員。
争った形跡はなく、金品も、金品といってもポケットの小銭も無事。
前日の午後11時頃日課のジョギングに出て、ここで背後から拳銃で頭を撃たれたものと思われる。
家族は寝ていて、帰って来ないのに気付かなかったということです。
怨恨の線も薄いみたいですね。」
土田が手帳を見ながら話す。
「2人目の被害者は40歳の主婦。8月23日。
ここから15km程離れた道で倒れているのが発見されました。
この被害者は正面から頭を撃たれてます。
犯行時刻は午後12時前後。
周辺に、人通りは無く、近くに身を隠す廃屋がある、と。いうことです。
3人目の被害者は11歳の女児。9月15日。
背後から頭を撃たれています。
塾からの帰りが遅いのを心配して捜していた父親が発見。
犯行場所は2番目の現場から12km、ここから20km程離れた住宅街です。
人通りが少なく以前から不審者の情報もありました。
周辺は段々の空き地と林があり、犯人はそこに潜んで待ち伏せしたと思われる。と。これが大まかな内容ですね。」
東雲は黙ったまま、辺りを見回している。
「完全に無差別でしょう。これは。
子供を殺すなんてどうかしてますよ。」
「そうね。被害者の共通点も見つからないらしいし・・。」
吐く息は白い。
鳩が鳴き続けている。
「寒いですねー。」
土田が口に手を当てる。
「村河だと、思いますか・・?」
土田が聞く。
「・・さぁ。そうじゃないとも言い切れないわ。」
「こんなことをする動機は、ないと思いますけど。」
東雲は土田を見て、それから林の中を見る。
「暗い所から明るい所はよく見えるわ。
けど、明るい所から暗い中は決して見えない。」
林の奥は黒いカーテンがかかってるようだ。
「それだけは覚えておいて。
村河を、犯罪者を理解しようと思うのは、無意味で、無理なことよ。」
土田は東雲に気圧されてうなづく。
「村河はどういう男なんですか?」
「只の傲慢な男。
結局、煙たがられてつかまったわけだからね。
拳銃密輸が大きくなりすぎて、他の大物の方々にハメられたわけだから。」
東雲が嫌味っぽく笑う。
「裏切られたってことですか?」
「元から仲良くしてたわけではないけど。
仲間には裏切られたといえるわね。
リーダーだった村河が捕まって、仲間だった奴らは他の大物さんに迎え入れられた。
村河は刑務所で1人ぼっちよ。」
「じゃあ、もう追う必要はないんじゃないですか?」
「何するか分からないでしょ。
復讐で殺すかもしれないし、殺されるかもしれない・・色々知っている村河は邪魔でしょうしね。
それに、裏の社会に詳しい村河は、こっちにとっても有利な情報源になりえるかもしれない。
期待はしてないけど。」
「居場所を押さえていて損はないということですね。」
土田がうなづく。
「この辺りにいるって情報はどこから入ったんですか?」
「村河の昔の部下から聞き出したの。」
「部下って裏切ったんじゃないんですか?」
「下っ端だったから、他の奴らの言いなりよ。
村河は、・・確かにカリスマ性みたいなものがあったわ。求心力・・。
一部の部下は尊敬してるのよ。彼を。
村河の胸に何があるか知ってる?」
東雲は胸の中央を指さして楽しそうに土田に聞く。
「さぁ・・。」
「クリスマスツリーのタトゥー・・。
神様きどりってわけよ。
とんだ神様ね。無力な。」
東雲が皮肉っぽく笑う。
土田は苦笑いした。
「しかし、今やインターネットで銃を買える時代らしいですからね。」
「そうね。」
「大きな無法地帯が世界全部覆ってるみたいですね。
怖いです・・。」
土田は空を見上げて言う。
「村河もその一翼を担ってたわけですね。」
「そうよ。それにしては刑が軽すぎる。
私は、個人的には、彼をもう一度逮捕して服役してほしいわ。」
東雲が言う。
「村河はまだ拳銃を手元に持ってると思う。
そう簡単に手放せないからね。」
土田が真剣な顔でうなづく。
「・・・・他の現場も回りますか?」
「時間は?」
「まだ大丈夫です。」
自然公園の広い駐車場に黒いレンタカーが置いてある。
土田がエンジンをかけると、白い息を吐き出す。
「納車の日が楽しみでしょう?」
東雲がシートベルトを肩に回し笑って聞く。
「そうですね、今となっては楽しみです。」
「がんばってね。」
土田が遠い目をして、車は動き出す。
換気扇がうるさい。
煙草の煙が換気扇に向かって流れていく。
電車が風を切る音。
足先が冷たい。
外の寒気が部屋中を這いながら、巡る。
男がゆっくりと煙草をもみ消す。
服の中の胸に、クリスマスツリーのタトゥーが彫られている。
丘葵からの電話は不定期にかかってきた。
「特に変わった様子はないよ。」
馬尋は有子の様子を時々電話をかけて確かめていた。
「そう・・・・。」
葵は安心と心配な小声でいつもそう言う。
それから先は、他愛のないことを話す。
初めの緊張も解け、友達のようにふざけあって話す。
少しずつ分かり合い、打ちとけ合い、楽しかった。
少し変わった形ではあったけれど。
何気ない会話から、仕草まで分かるようだった。
葵はけっこう冗談が好きだった。
何てことない会話はいちいち思い出すのは難かしいし、恥ずかしいものだけど、とても楽しかった。
葵もきっとそうに違いなかった。
葵の電話がない時は、馬尋は変わらずに孤独だった。
孤独はだんだん速く暗くなっていくようだ。
馬尋の胸の中にはいつからか雨が降り出していた。
時々、何もかもが哀しくなる。
誰も知らない夜の湖に沈んでいる気分だった。
葵からの電話があった時は、胸の中に温かい花が咲くようだった。
時が歌に変わって流れていく。
外に出る度、どこまでも交わって続く電線が、馬尋の心を重くする。
もしも、葵が本当に死んでいるのなら。・・・・
かすかに変わりそうな予感を秘めた日々は、2ヵ月間続いた。
電話が鳴る。
葵だった。
「特に変わった様子はないよ。」
今では枕言葉のようだ。
有子は変わりない生活をしているようだった。
「・・・・私を撃った人を探して。
見つかったら、遠くへ行くようにしてほしいの。」
心臓が鳴る。
「え・・?」
「いないならそれで。
もしいたら、不安だから・・・・たのめる?」
「探すっていっても、・・何か手がかり・・。」
「私が撃たれた場所は――。」
葵の家にそう遠くない所だ。
「そこの駐車場の道のとこ。
その人は、黒髪で、白いジャージみたいなの着てた。
年はまだ若い、20代から30代位だと思った。
身長は普通、170くらい? で、細い感じ。・・それだけ。」
馬尋はとりあえずメモを取る。
「その時の、・・状況は?」
「・・・・私が買い物して、駅から家に帰ってる時に後ろから呼び止められて。」
「でも、それだけじゃ・・。」
「呼び止められる前に、駐車場でバタンッてドアを閉める音がしたの。
呼び止められて、男を見た後にその車を見たんだけど、多分その男の車だと思う。
白い、銀かもしれない、高そうな、丸っぽい、カワイイ感じ、卵っぽい。」
「え? 卵?」
「そう。いうなれば卵な感じ。」
「卵の漢字?」
「あ、字の漢字じゃなくて、感じ。
卵を見た時のような感覚?」
「ああ、そっち・・。」
葵が笑っている。
馬尋もその声につられて少し笑う。
“卵な感じ”とメモして、丸で囲む。
「ナンバーに9があったような気がする。」
メモする。
「ごめんね・・できるだけ・・・・危ないことは、・・やめて。」
「・・・・うん、・・できるだけ、・・つかまえるんじゃなくて、・・遠くへ行くように・・どうにかして伝えるってことだったね?」
「うん。ありがとう。」
それだけで話を終え、受話機を戻す。
TVをつける。
「今日の特集はクレオパトラ。」
「クレオパトラといえば世界三大美女・・・・・・鼻がもう少し低ければ歴史が・・・・。」
どうだっていい・・・・
「どうだっ、て・・・・・・。」
寝ころんで呟く。
どういうことだ。
どうなるんだ。
・・死んだ人が電話するわけないだろ。
「おかしいわね。」
「お願いですから、こぼさないで下さいよ。」
コーヒーを片手に持っている東雲に土田が釘をさした。
コンビニの駐車場に、新車の黄色い車が停まっている。
その中で、東雲と土田は昼食をとっていた。
「やっぱり外で食べましょうよ。」
「寒いわよー。」
11月末、外はますます寒くなっていた。
「ホンットに寒いですよねー、ここ、というか今年ですか?
ホンットに頭にきますよ。」
「もうまるで真冬ね。」
街路樹が北風に揺れる。
空を灰色の雲が覆い、薄い陰の中にいるようだ。
鳥が何かを話している。
「それより、おかしいと思わない?」
「何がですか?」
「連続殺人、とぎれすぎよ。」
「そうですね、・・1ヵ月間隔で起きてましたからね。」
村河の居場所は未だ分からず、連続殺人の捜査も今や完全に行きづまっているようだった。
「行方不明者を洗ってみましょう。この1月前後、特に最近の。」
「こんな田舎ですから、簡単そうですね。」
サンドイッチをたいらげて、ハンドルを握る。
土田の新車が軽快に走り出す。
拍子に東雲が持っているコーヒーがハネて、真新しいシートに茶色いシミができる。
東雲は表情を動かさない。
フロントガラスに細かい水滴が散る。
「雨だ。」
遠くに雷鳴が聞こえた。
夜の道路は星のダンスのようだ。
光が並んですれちがい、曲がったりして流れていく。
冬の夜は特にきれいに見える。
馬尋はスクーターに乗り信号待ちをしていた。
淡い朱色の街灯が、枝だけになった木を照らしている。
地面は昼から夕方に降った雨で濡れていた。
白や赤や緑の光が滲んで映っている。
馬尋は昼過ぎに、雨が小降りになってきた時に、昨夜葵の言っていた駐車場に行ってみた。
アスファルトの駐車場はだだっ広く、車はまばら、白いラインが幾可学的な模様に見えた。
そこには何もなかった。
事件をうかがわせる何かも、白銀の高そうな丸っぽい車も、なかった。
しばらくじっとしているうちに雨は完全に止んだ。
夕方になっていた。
烏が鳴いて飛んでいく。
このまま、いても変化はないと思い、適当にドライブすることにした。
今、午後8時。
何もなかった。
途中でもしかしてと思う車はいくつか見かけたが、断定することはできずにいた。
今日は収穫はなしか。
分からないことが分かっただけだった。
電線が夜空を切り取っている。
手は手袋の中で凍えていた。
目も風を受けて渇いていた。
ここから家まではまだ遠い。
疲れていた。
急に喧騒が聞こえる。
見ると、パチンコ店の自動ドアが開いて、中年のおじさんが出てきたところだった。
無意識に隣接する駐車場を見る。
そこには、“卵な感じ”のする車が停まっていた。
白銀で、割と小さい、けど高そうな車だった。
卵の形をしているわけではないが、なにか卵を思わせる、そんな形の曲線だった。
中は無人。
信号が変わる。
前の車が進む。
馬尋は少し進んで、曲がって歩道に乗り上げる。
耳元で風の切れる音がした。
停車し、自動販売機でホットの缶コーヒーを買う。
駐車場が見える。
あの車も見える。
とりあえず。
手袋を外し、缶コーヒーで手を温める。
前の道を車が走り抜けていく。
空は紫色に沈んで、眠る雲から飛行機がライトを光らせ出てきた。
それがまた雲に入る頃には、缶コーヒーは熱を失い、手はだいぶ楽になっていた。
タブを開けると甘い香りがする。
口に運ぼうとした時に、駐車場で靴音がする。
街灯に照らされる車に男が近づいて来ていた。
黒髪で、背はそんなに高くない。
年もまだ若い。20代から30代位だろう。
それらは葵の言っていた特徴に一致している。
しかし、男は黒いジャケットを着ていた。
その下に白いジャージを着ているのか?
それは分からなかった。
そして、その男はメガネをしていた。
メガネをしていたら、葵はそう言うだろう。
普段はコンタクトで、今はメガネなだけなのか。
この男に執着しすぎだと思った。
けれど、妙な感じが男にはあった。
普通とは少し違う何かがあるような感じだ。
男が卵な感じの車の横に立ちドアを開けて入った。
エンジンがかかって後ろのライトが赤く光る。
そういえば、葵がナンバーのことを何か言っていた。
メモをポケットから出す。
“ナンバーに9”と書いてある。
駐車場の端で車の切れ目を伺っている車のナンバーに目をこらす。
左から2番目に9があった。
急いでコーヒーを捨てて、スクーターに乗る。
とりあえず、とりあえずだ。
男の車が前を走り去る。
その後に2台続いて、馬尋が後を追う。
新興住宅地のなだらかな長い道路を下る。
オレンジ色の街灯が通りをノスタルジックに照らす。
車がだんだん先に遠くなる。
スクーターはスピードが出ない。
しばらく一本道が続いているから、なおさら車は速い。
曲がり角を曲がって、遠くの十字路で車が赤信号で停まっているのが見えた。
そのもっと向こうには、出来てまだ新しい駅がライトアップされている。
馬尋のマンションに最寄りの駅から1つ離れた駅だ。
車の列に追いつかないままに、信号が青に変わる。
目を細くすると、例の車が左折した。
遅れること数秒、馬尋も続く。
と、男の車が少し行った所で右折のランプを点けて停まっていた。
右の車線を車が1台走り抜けていく。
男の車がマンションの地下の駐車場の入口に下りていって見えなくなった。
マンションは新しそうで、あまり大きくはない。
レンガの壁模様で、キレイだった。
ここに住んでるのかな。
路肩にスクーターを寄せて、少し眺める。
とりあえず、今日はこれでいいや。
スクーターにまたエンジンをかけて、走り出す。
夜を引き連れて自分の部屋へ。
駐車場に車を停めて、男はエレベーターに乗る。
目をシバシバさせている。
エレベーターが停まる。
靴音が通路に響く。
420号室で立ち止まり、カギを開けて中へ入ってゆく。
「あくまでも可能性ですが、あなたのお孫さんの葵さんが連続事件の被害者になっていることが考えられます。」
東雲が言う。
丘有子は東雲の目を見る。
東雲と土田は丘有子の家に来ていた。
この地方都市で今年の行方不明者は5人だった。
「その内の3人は痴呆、いや認知症ですか。
認知症の老人です。
もう2人の1人は、かなり素行が悪かったみたいで、まぁヤンキーですね。
バイクがなくなってるみたいですし、どこかに行ったんでしょう。
・・残る1人が19歳の女の子です。大学生。
しかしいなくなった日が3件目の被害と同じ日ですね。
・・それはありますかねー・・。」
有子の家に向かう前、土田が黄色い車にもたれて言う。
東雲が書類を見ながら答える。
「ないとは言い切れないわね。
もしそうだとしたら、犯人はその被害者だけ隠してることになる。
撃ち殺したまま放置している3件とは違って・・事件がとだえている、特別な被害者、関係があるのかもしれないわ。」
首をかしげながら土田。
「そうですかー?
まぁ一度聞き込み行きますか?」
黄色い軽乗用車が丘家に走る。
土田が有子に尋ねる。
「――葵さんは以前から長く留守にすることがありましたか?」
「いえ、ありません。おとなしい子でしたので。外泊もなかったと思います。」
土田がメモをとる。
「何か変わった様子や、今年大学生になられていますが、友人関係など、お気付きになられたことは。」
「いえ、私は・・。」
「失礼ですが、葵さんのご両親は?」
「葵の父親は、葵が幼い頃、確か3,4歳の時にご病気で亡くなられました。
私の娘ですが、葵の母親は、数年前に蒸発してしまいまして。
それから私が葵を引きとりまして、2人で暮してました。」
「そうですか・・。」
土田は一旦質問を止めて、お茶を飲んで外に目をやる。
ネコじゃらしが空き地で揺れていた。
道路を老人が犬の散歩をしていた。
犬は眠そうに歩いている。
有子は視線を落としている。
東雲は何かを考えているようだった。
東雲は上着の内ポケットから分厚い手帳を出し、その中から写真を1枚抜いて有子に向けてテーブルに置く。
「この男をご存じありませんか?」
写真には男が写っている。
有子がのぞく。
「いえ・・。」
「東雲さん・・・・。」
土田は驚いて東雲を見る。
「村河
東雲が訊く。
有子は首をふる。
「いえ・・全く。」
「そうですか。失礼しました。」
写真をしまう東雲。
咳をする土田。
「見かけることがあったら、ご一報下さい。」
名刺を渡す。
「あのー、葵のことで力になってくださってる葵のお友達がいらっしゃるんです。
その方なら、もう少しお話が分かるかも知れないわ・・・・。」
萱野馬尋はちらかった部屋のテーブル付近に円く空間を押し開けて2人の刑事を通した。
テーブルの上の物を背後に置きながら、馬尋は言う。
「汚くてすいません。」
刑事が来る直前に有子から連絡があったので多少は落ち着いていた。
「葵さんとはどこでお知り合いに?」
土田が聞く。
「えーと、よくは覚えてませんけど、確か大学だったと思います。」
「君と丘葵さんはどういう関係?」
「友達です。」
ふーんと土田がうなづく。
「大学で知り合ったと言ったけど、君と丘葵さんは違う大学だよね?」
「――ええ。・・たしか文化祭に来てたんだと思います。」
あぁ、文化祭・・と土田がうなづく。
年の近い馬尋には気を使わずに話しているようだ。
東雲が口を開く。
「葵さんがいなくなる前に何か変わったこととか、気付いたことはなかったかしら?」
「いやー、あまり仲良いってわけじゃなくて、たまに話す程度なので・・。」
そう・・と東雲は部屋を見る。
完全に男1人暮らしのワンルームだった。
まだ片付いてるといってもいい方だろう。
土田が正座した足を動かしながら言う。
「葵さんと親しかった人とかは知らない?」
「いや、知らないです。」
へー、そうと土田がうなづく。
話がとぎれる。
「この男を見たことはない?」
東雲がまた写真を見せる。
あの男が写っていた。
あの尾けた車の男だ。
動揺を必死に隠して答える。
「いえ・・この人は?」
東雲が馬尋の顔に瞳を止めたままで言う。
「村河才次という男で、ちょっと情報を求めているの。見かけたら連絡してほしいんだけど。土田君、名刺。」
土田がよろしく、と名刺を渡す。
二人がドアを閉めて出て行くのを見送った。
外はまだ昼の光だ。
あの男だった。
間違いなかった。
葵の言っていた特徴に当てはまる男が、連続殺人事件の話で出てきた。
僕だけ居場所を知っている。
なぜつかまえさせたくないのか・・
何か2人の間に事情が?
まさか本当に当たりとは・・・・・・・・・・
馬尋の頭は混乱していた。
馬尋のマンションから出てきた東雲と土田は階段を下りている。
「あの子、知ってるわね。」
東雲が言う。
「え?・・村河をですか?」
土田が驚く。
「ええ、知ってる。
早急に萱野馬尋を調べて。
私は車で張ってるから。」
「え! あ、はい。
しかし、あの子と村河に接点があるとしたらどうしてでしょうか?」
「さぁ。ただ何か知ってるのは確かね。」
土田は東雲にキーを渡し、駅に走っていった。
「あの男が何か関係してるとは限らないですよ。ええ。
それに、連続事件と関係してるなんて深読みのしすぎですよ。
あまり、気になさることはないと思います。
きっと、大丈夫ですよ・・。」
馬尋は部屋で有子と携帯電話で話をしていた。
有子も写真を見たのか知りたかったからだ。
有子も見ていた。
あの男の顔を知ったわけだ。
気を落としている有子に慣れない励しをかける。
有子も連続事件との関係性をそう信じてはいないようだった。
「あの子がいなくなったのは3回目の事件と同じ日だし、そんなことなかったでしょ?
それに、手口っていうの? 単純なもので・・・・すぐに見つかってるでしょ? 被害者の方達・・、関係ないと思うわ。」
芯の強さを感じさせる口調で、有子は話した。
電話を終えた後、馬尋は座ってタバコに火をつけた。
馬尋は強いタバコを吸うと、吐き気がする体質なので1mgのスーパーライトだ。
それでも、彼には充分だった。
何をすればいいのか、煙が体を支配して、一時何も考えられなくなる。
煙が小さく渦を巻く。
その日は部屋にこもり切りだった。
望んだが、その夜は電話は鳴らなかった。
No love for you
次の日、昼食を食べてから、馬尋は部屋を出た。
レモン色の光が溢れていた。
新鮮な空気が冷たく心地いい。
広場には数人の母親と子供がふざけていた。
スクーターのエンジンをかける。
古いので1回ではかからず、走り出してもすぐにはスピードが出ない。
道は建物の影が日光を切り取っている。
眩しくなったり暗くなったり。
後ろには黄色い小型車が尾けていた。
中には東雲と土田がいる。
「どこに行くんでしょうか。
大学の方向ではないですね。」
土田が運転しながら言う。
「なんでこんな目立つ車にしたの?
1回が限度よ。」
東雲が馬尋の背中を見ながら、土田を咎める。
「すいません。いいじゃないって言ってたじゃないですか。
好きなんです。黄色。」
距離をおいて走るうちに、駅を2つ越えた。
「けっこう来ましたね。
あ、曲がる。」
馬尋が右のランプをつけた。
右折してすぐまた右のランプをつける。
「細い道に入りましたね。」
「一旦通り過ぎて。」
狭い路地にスクーターを止めてヘルメットをしまっている馬尋を垣間見る。
「あっ、停めてましたね。」
2人の車も見えない角に停まる。
車から出て、通りを見ると馬尋がレンガ模様のマンションの出入口に入っていくのが見えた。
「なんでしょう・・。」
「行ってみましょう。」
2人はゆっくりとマンションに向かう。
馬尋はマンションの出入口のドアを開けた。
すぐ横には部屋毎の郵便受け、エレベーターのドア、奥には階段が見える。
階段を下りる。
地下の駐車場に出た。
いくつもの車が停まっている。
中は冷たく静まりかえっている。
しばらく歩くとあの車があった。
白い卵みたいな車だ。
近くで見ると卵には似ていない。
足元に白く部屋番号が書かれている。
420だった。
引き返して階段を上り、1階。
420の郵便受けに白い紙を入れ、ガラスドアを開けて出る。
裏路地から馬尋の乗ったスクーターが出て来て走り去るのを見て土田が言う。
「どうします?」
「中に入りましょう。」
マンションのレンガ色のタイルが光を受けて眩しい程だ。
ガラス扉を引いて中へ入ると、郵便受けと1つのエレベーターのドアと階段があった。
「ポストに何かしてたわね。」
「階段の下は駐車場です。」
「土田君見張っといて。」
土田が外の輝きに混じる。
ポストの口を上から1つずつ順番に開けていく東雲。
封筒を片っぱしから抜いていったが、420のところで手を止める。
1枚のノートの紙が2つ折りにされてホッチキスでとめられている。
ホッチキスの部分をちぎって開く。
“警察が来ている。逃げろ”と大きく書いてあった。
ムラカワサイジと下に片仮名で書かれている。
集めた封筒を1つのポストに突っ込み、東雲はその紙をポケットに入れて出て行く。
「萱野馬尋、19歳。
都内から去年こっちに引っ越して1人暮らし、今は大学の2年。
家庭環境は特に問題なし。
前科もなし。
村河との関係がどこにあるんでしょう・・。」
土田が考えて言う。
朝の青い日差し、馬尋のマンションの前に停めた車の中で手帳を見ながら土田は携帯で話している。
相手は東雲だ。
「葵との関係も知りたいわね。」
「そっちはどうですか?」
「特に動きはないわね。本当にここにいるのかも、まだ分からないわ。
何かあったら電話して。」
東雲が電話を切ろうとした時、土田が引き止めた。
「出てきました。」
午前9時、息を白く吐いて馬尋がマンションの出入口から出てきた。
馬尋は、寒そうに体を小さくしている。
ショルダーバッグをかけていた。
「大学に行くようです。」
駐輪場に入る馬尋。
すぐにスクーターを押して出て来て、大学の方向に遠くなっていく。
「今から行くわ。」
東雲が電話を切る。
東雲が20分程で馬尋のマンションに来る。
「電車は嫌いよ・・。」
混雑した電車に疲れ切った声で東雲は呟く。
「道具は持った?」
「はい。」
「じゃあ、行きましょう。」
朝の広場ではもう何人かの子供連れが集まっている。
3階に上り、萱野の表札が出ている部屋の前。
「ドアの外を映せるようにカメラ1つ。
客が何かポストに入れるかも。」
「わかりました。」
土田が背伸びをして、普段見ない所に人差し指大の盗撮器を設置する。
東雲が合いカギを入れてドアを開ける。
部屋の奥に入る。
カーテンが開けられた窓から弱い光が部屋を映している。
ドアを閉めてカギをかけて、土田が続いて来る。
「電話を傍受できるように。
それぐらいでいいかしら・・。」
ワンルームを見渡して東雲が言う。
土田は電話機を裏返す。
押し入れを開ける東雲。
引き出しという引き出し、ベッドの下、テレビ台の影、段ボールの中、ベランダ、本棚、服のポケット、鍋の中、探せる所を思いつく限り探した。
「どうですか。」
盗聴器をつけ終わった土田が聞く。
「何もないわ。」
部屋を何事もなかったように直して2人は出て行く。
馬尋が大学から帰宅したのは昼を少し過ぎた頃だった。
電線の鳥が2羽飛び立った。
部屋に入るとなんとなく違和感があった。
引き出しを開けると直されてはいるが荒らされたのが分かった。
泥棒だろうか。
そうだとしたら分からないように元に戻そうとはしないだろう。
金目のものもないし、・・・・あの刑事か。
思い当たるのはそれしかなかった。
というか、なんとなくあの刑事が入ってきたのが分かったような気がした。
盗撮器が仕かけられてるかもしれない。
久しぶりの早起きと大学で疲れている頭で、部屋全体が見える場所を探した。
小1時間探したが、何も見付けられなかった。
「帰って来ました。」
車の中で馬尋の部屋のドアをパソコンでモニターしていた土田が言う。
カギを開ける音まで聞こえた。
「部屋にカメラつけなくてよかったんですか?」
「男の1人暮らし見たい?」
「まぁ、そりゃそうですね。」
「いいわ。どうせ部屋には何もなかったし、接することがあるとすれば、玄関か電話でしょ。」
パソコンを後部座席に置く土田。
2人は、村河才次がいるかもしれないマンションを張っていた。
「いるでしょうか。」
「今日中に現れなかったら、土田君、部屋まで行ってみて、420号室・・。」
「・・はい。」
レンガ色のマンションの前の街路樹が音もなく陽光に揺れた。
夜、葵から電話がかかってきた。
馬尋は有子の変わりない様子を伝え、葵の言っていた男によく似た男を見つけたこと、その男の住むマンションの郵便受けに逃げろとメッセージを残したことを話した。
「僕ができるのはこれぐらいだよ。」
「本当にありがとう。・・これでお別れね。」
息が止まる。
「え・・。」
「その人がいなくなったら、もう何も心配ない。・・私が電話する意味ももうない。」
「・・・・。」
薄々は分かっていた。
葵は、有子が男を殺すのを止めようとしていたのだから。
「本当にありがとうございました。
助けてくれて、本当にうれしい・・。」
「有子さんのことは? これからは気にならないの?」
「いつまでも続けるわけにいかないでしょ?」
「・・そう・・そうだね・・・・。
・・・・・・・・何か・・君が、いなくなる、と思うと・・。」
「私は平気。ありがとう。」
「・・・・いや、・・いいよ・・。」
電話が切れた。
手の指先が冷たくなっていた。
これで終わり?
部屋の中は静かだ。
馬尋は敏感な方だったから、葵がわざと冷たくしてるのが分かった。
それは別れだからなのか。
それすら分からない。
夜の中、黄色い小型車。
「何か萱野の方はあった?」
「いえ、特に何もないですね。」
「そう、明日、昼頃に420に行ってみましょう。ネクタイとかにカメラ付けて。」
「はい。バレませんかね。」
「それは、あんたの腕次第よ。
・・村河だったら・・鋭いわ。気をつけて。」
「インターフォンだけで帰されたらどうします。」
「部屋に誰かいることが分かっただけでいいわ。」
「土田君、起きなさい。」
後部座席で寝ていた土田は東雲に厳しい声で起こされた。
「あ・・ファイ。何です?」
「今、ドアから出てきたわ。村河。」
土田が運転席に移る。
「え・・・・村河ですか?」
東雲の横顔は睡眠不足と緊張で影が濃く見える。
外は朝。
薄暗い。
空を包み込んだ雲がゆっくりとスライドする。
1階のエレベーターが開いて男が出てくる。
道を左に歩いてゆく。
写真の男だ。
「ホントだ。」
「追うわよ。」
2人は車から出て小走りで村河を追う。
氷のような空気、まばらに会社員が歩いている通りに出る。
村河の後ろ姿は駅に向かって小さくなっていた。
足元をオレンジ色の明かりが照らしている。
「電車でしょうか。」
歩調をゆるめて土田が言う。
無言で追う東雲。
駅は雑然としていながらも、無機質な光に覆われていた。
出社の早い会社員が死んだ熱帯魚のように白く浮かんで漂っていく。
村河は切符を買って改札口を抜ける。
2人はカードで改札口を通る。
ホームは時間が止まったように音がしていない。
夜が朝に変わっていくのが見える。
電車が止まる。
村河の乗った車両の1つ後ろに乗る。
「目を向けないで。」
土田の横に隠れるように立つ東雲。
「終点まで3つしかないですよ。
電車を使うってことは、遠くに行くわけですかね。」
「さぁね。萱野からは何の接触もなかったわね?」
「はい。」
「ひとまず村河に集中しましょう。」
駅を1つ過ぎてすぐ停まる。
「他の列車の通過待ちをしております。」
アナウンスが言う。
座っている村河の後ろの窓に踏切が見える。
その踏切に丘有子がいた。
朝を散歩して、コンビニに立ち寄りビニール袋を手にさげていた。
ふと電車の中を見ると、まばらな乗客の中ですぐそこに村河の横顔があった。
グリーン席に座っている村河は寝ているようだった。
電車が轟音を立ててすれ違う。
ムラカワサイジ・・
家に刑事さんの名刺があったわ。
あの男が・・
葵の影は分からない。
目を開けて。
目を開ければ、はっきりと分かるのに。
葵を見たのか。
ビニール袋の柄を強く持ち直す。
目をつむったままの村河を揺らし電車は動き出す。
駅が1つ、2つ過ぎる。
村河は目をつむって座っている。
乗客は少しずつ多くなる。
「終点、お忘れ物のないよう・・・・。」
一斉に乗客が降りる。
エスカレーターで昇る村河。
新幹線のチケット売り場で止まる。
「新幹線ですよ。」
「東京かしら。」
「とうとう動き始めたということですか?」
「それはどうかしらね。」
村河が新幹線のホームに向かう。
2人も遅れてチケットを買い続く。
新幹線が来るにはまだ時間がある。
村河は喫煙所で煙草に火をつけていた。
売店の影に隠れて待つ東雲と土田。
「何か買いましょうか。」
「おにぎりとお茶。あと甘いチョコとか。」
土田が買うついでに村河を盗み見る。
村河は遠い目をして立ち呆けていた。
タバコはもう吸い終わるころだ。
「・・何か・・予想してたより覇気がないですね。」
おにぎりを東雲に渡しながら土田が言う。
「・・・・何もないからね。今の村河には。」
村河を見ずに東雲はおにぎりをかじる。
新幹線の喫煙車両に3人はいた。
村河の頭が見える最後尾の席に東雲と土田は座っていた。
指定された席は違ったが、空いていたので座ったのだ。
座席は半分弱程埋まっていた。
村河の席からは煙が上がっている。
「空気悪いことこの上ないですね。」
土田が口を手で押えながら言う。
「タバコ嫌なの?」
東雲はマスクをつけた口で言う。
「そんなことないですけど、副流煙ってすごい体に悪いらしいですよ。
吸ってもないのに損してる気分じゃないですか?」
ふーんと東雲は興味がなさそうに鼻で言う。
「私寝るわ。何かあったら起こして。」
売店で買ったアイマスクをかけて、東雲はリクライニングをたおし、腕を組む。
途中で起こされた土田も眠いが、交代で眠る約束だったので、村河の頭を眺める。
東京には小雨がパラついていた。
昼なのに空気は灰色だ。
「東京も寒そうですねー。」
駅の構内から窓の外を見て土田が言う。
「何をするのかしらね。」
「ひまつぶしってことはないですよね?」
「引っこすってこともないと思うけど。」
「東京だと楽ですね。見張りが。」
村河は窓辺で外を見ながらパンを食べていた。
窓には細かい雨粒が張りついている。
「なんか寂しそうですね。」
土田が言う。
「傘買って来て。」
土田が売店に向かう。
村河も傘を持っていた。
雨が強くなってきた。
大粒の雨がボツボツと傘を叩く。
東京の街を歩く村河を尾けて、もうずいぶん経っていた。
「僕が思うにですね、ブラブラしてるだけのように感じます。」
土田が話す。
「そうね。散歩よね。これは。」
村河はゆっくりと歩き、時々店をひやかす。
「久しぶりに東京に来ただけでしょうか。
欲しい物があるとか、それとも、これから何かをするんでしょうか。」
「さぁ。」
村河は路地裏で立ち止まって傘の中で煙草を吸う。
「ずいぶんヘビースモーカーですね。」
土田が濡れたズボンの下を気にしながら言う。
「前はそうでもなかったけどね。」
東雲が傘を手で回転させながら応える。
村河が捨てた煙草を足で雨水口に落とす。
カプセルホテルの前、もう外は夜だ。
「今日はここに泊まるみたいですね。
どうします?」
「泊まりましょう。土田君、できるだけ見といて。」
「僕、今日ほとんど寝てないです。」
「若いから平気でしょう。頼んだわ。」
「ガンバります。ここ、サウナとかジムとか設備豊富みたいですよ。」
「へー。こういうとこ初めて。眠れるかしら。」
土田が苦笑する。
「起き出しました。今、フロに向かいました。」
午前10時、東雲は土田からの電話で起こされた。
入口で待ち合わせをする。
土田の髪に寝ぐせがついている。
「いやー、見やすい位置で助かりましたよ。」
「あなた、寝たでしょ。」
「少しだけ。ホントーに少しだけですよ。」
缶コーヒーを飲んで村河を待つ。
「けっこう寝やすかったわ。ここ。」
「そうですか。昨日村河と時間を合わせてフロに行ったんですけど、サウナでスッキリできました。
村河と少しサウナで一緒になりましたよ。」
「顔を覚えられたと考えた方がいいわね。」
午前11時村河が出てきた。
昨日と同じ服を着ている。
東雲も土田もそうだったが。
村河はファーストフード店で昼食を買い外で食べた後、少し歩いて新しそうな皮膚科の病院に入っていった。
「皮膚科・・村河はタトゥーを入れてるって言ってましたよね。
・・除去するのか。
それともここで誰かと会うかもしれませんね。」
「分からないわね。待ち合い室は狭そうだし・・入りようがないわね。」
2人は病院の出入口が見える喫茶店で待つことにした。
「入れ墨の除去をしてもらいたいんですが。」
村河が受付の看護士に言う。
待ち合い室で待ち、診察室に通される。
胸を出す村河。
クリスマスツリーのタトゥーが彫られている。
「うちではレーザーと手術ができますが、ご希望はありますか。」
医者が尋ねる。
「早く取れる方がいい。」
「では、手術ですね。傷跡残りますよ。」
「はい。」
手術室に入る。
約1時間後、病院の自動ドアが開いて村河が出て来た。
白い薬袋を黒いジャケットのポケットに押し込む。
左手で胸を押さえる。
「取ったみたいですね。」
土田がコーヒーを飲みながら言う。
村河はひとしきり歩いた後ビジネスホテルに入っていった。
駅のホームのベンチに有子が1人座っている。
電車が来るたびに、中に目をこらす。
「タトゥーって取るのに何回も通院する必要があるのかしら。」
ホテルの喫茶店でコーヒーを飲みながら東雲が言う。
「レーザーの場合だと少しずつ取るみたいですからそうなんでしょう。
手術だと上に皮膚を貼り付けたりして1回で済むみたいですよ。」
ハムをはさんだパンをほおばって土田が答える。
村河はもう1週間もこのビジネスホテルに滞在している。
昼は外に出て、散歩したり映画を見て過ごす。
東雲と土田もこのホテルに部屋をとっていた。
が、交代で家に帰ったりの生活だった。
村河が出かける時は伝えるようにロビーに頼んでいた。
「タトゥーを取るために来たのかしら。」
「まぁ、あんな田舎より信頼できますからね。」
「・・今年は寒いわね。」
「ホントですね。」
東雲は外に目をやる。
風の外、暖色のコートのエリを立てて女が歩いている。
「けど、やっぱり東京の方がいいですよー。」
パンをたいらげた土田が外を見る。
「あのおばぁさん、どうしたのかしら。」
駅の売店で売り子が有子を盗み見て話す。
雨が降っている。
「ずっといるわよね。こんな寒いのに。」
「もう1週間もよー。朝から晩まで。」
「ホームレスには見えないけど。」
「電車をじっと見てんのよ、上りも下りも、かと思うと下向いてる時もあるし。」
「誰か待ってんのかしら。」
「探してるって感じよ・・・・。」
有子はたたんだ傘を手でもてあそんでいる。
馬尋は部屋のベランダで雨を見ていた。
鼻先で雨が降っている。
遠くまで雨が降っている。
屋根の上で烏が雨に打たれている。
部屋からはつけっぱなしのテレビの音が小さく漏れる。
部屋に戻りタバコに火をつける。
タバコが短くなるのが早い気がする。
有子の様子を今も見にいくが、家にはいないようで電話にも出ない。
タバコを吸い終わり、肩が重くなる。
胸の中に波紋のたてる音のない音がエコーして響く。
寝転がって天井を見る。
飾り気のない電灯と何もない白い天井があるだけだった。
寂しくて声も出ない。
雨上がりの夜、馬尋はスクーターで走っていた。
滲んでボヤけた夜の景色が黒目に流れ込んでくる。
空にははっきりと星がちりばめられている。
白い丸い街灯が並んで立っている。
唸り声をあげて車が追いぬいていく。
闇が揺れる。
足元で光が逃げた。
車が黄色信号の下を走り過ぎていった。
手はもう手袋の中でかじかんでいる。
飛行機が赤く腹を見せて飛ぶ。
赤信号が待っている。
信号の光を浴びて、吐いた白い息が落ちてライトに照らされてほどけて消えた。
An icy rain week
「結局9日間いただけですね。」
「そうね。」
東雲と土田は新幹線のホームにいた。
村河は喫煙所で煙草を吸っている。
クリスマス前、駅は混雑していた。
新幹線が来る。
電車の中の人の顔は全部は見えないが、有子には村河の顔がすぐに目に入ってきた。
有子は白線の前に立ち、降りてくる人を見つめる。
村河は降りて来ない。
閉まる直前、有子はドアをくぐった。
有子の家のインターフォンを押しても今日もいないようだ。
電話にも出ない。
空は薄曇り。
時刻はもう夕方近くだった。
葵の手がかりは結局何も分かりませんでした。
馬尋は有子にそう言って終わろうと思っていた。
スクーターで適当にドライブする。
駅を通った時、ホームのベンチに座っている有子が見えた。
どこに行くんだろう。
どこかに通ってるのかもしれない。
だから連絡がつかないのか。
そのまま街を走る。
1つ離れた駅まで来て信号待ちをしていた。
駅に目をやると、停まっている電車の中のドア際に東雲と土田が立っているのが見えた。
隣の車両には村河が座っている。
どうして、まだいる。
甘かった。
逃げると思ったのに。
刑事は何をしてる。
電車が動き出す。
このままいくと有子とニアミスするかも知れない。
焦る。
信号が青に変わる。
Uターンして、電車を追う。
考えられる限りの近道をして次の駅に急ぐ。
電車は見えない。
有子がまだいたら声をかけよう。
気をそらそう。
駅のホームが見えた。
有子はまだいた。
電車が来た。
あの電車なのか分からない。
ドアに目をこらすと東雲と土田がドア際に立っていた。
あれだ。
大声を出そうか。
きっとレールの音で聞こえない。
駅に停車して、また動き出す。
有子はベンチにいない。
何が起きる?
何ができる?
怖い。
とにかく追うことしかできない。
追って何になる。
このままじゃ、このままじゃ。
スクーターを走らせる。
道路は滞り始める。
しばらくすると、完全に渋滞していた。
街はもうクリスマスの装いで家も店も木も電飾だらけだ。
色とりどりの小さな光が至る所で点滅している。
道路は進まない。
馬尋はわき道にそれて、次の駅を目指す。
どの道も渋滞している道にぶつかった。
あと少しで駅なのに。
スクーターを歩道に乗り上げて停めた。
キーを抜いて、走り出す。
走るのは久しぶりだ。
足が、体が悲しい程重い。
冬の光は道路を青くする。
空気は透明な灰色だ。
駅はもうほんの少し。
車の列が右目に流れる。
ガードレールも流れる。
道を歩く人が走る馬尋を見る。
鼻に水が当たる。
汗かと思ったが、雨だった。
雨が降り始めた。
息が苦しい。
口から白くとぎれながら息を吐く。
駅の入口に着く。
ホームは見えない。
急いで金を入れて適当に切符のボタンを押す。
おつりも取らず、改札口を抜け、ホームへの階段を昇る。
手すりにつかまりながら前の車両に進んでゆく。
手袋を外す。
村河は目をつむって長イスの中央に座っていた。
座席は埋まっている。
有子は村河の前に立ち吊り革につかまる。
ゆったりとしたコートのポケットに手を入れ、黒く光るものを取り出す。
拳銃だ。
銃口を村河の額に向ける。
村河は目をつむったまま。
乗客が驚いた顔で光景を見る。
1つ前の車両では東雲と土田が見ていた。
あっけにとられていた。
東雲も土田も動けない。
村河が目を開く。
有子の靴が見える。
少し顔を上げると静止した銃口が見える。
有子を見る。
見覚えのない老婆だ。
「何だ?」
村河が言う。
有子は村河を見ている。
「ムラカワサイジ?」
有子の声。
沈黙が浮かぶ。
レールの音がする。
「そうだが?」
村河が動かずに言う。
「・・・・丘葵という子を知ってる?」
有子が訊く。
「知らない。」
村河が言う。
「19歳の女の子。黒い、肩までの髪で、背は160くらい。」
「知らないな。」
恐る恐る乗客たちが2人から離れる。
東雲と土田は少しずつ近づき、2人のいる車両に入る。
声が聞こえる距離だ。
「あなた、・・殺したんじゃないの?」
村河は移っていく窓の景色に目を止める。
「葵は・・・・どこ?」
有子が訊く。
電車がスピードを下げていく。
村河が口を開く。
「殺した。・・俺が。」
駅に停まる。
東雲が有子に向かって走ろうとする。
有子は両手で銃を握る。
銃声が大きく鳴り響く。
ドアが開く。
駅の階段を昇って、ホームに出てすぐざわめきが聞こえた。
その方向に走る。
ホームにはバラバラと人がいた。
電車の窓に血がついているのが見えた。
有子が東雲と土田につかまれて出て来る。
乗っていた人達がホームにちらばっている。
泣いている人もいた。
「世界がこんなに悲しいはずない・・。」
馬尋は祈るように呟いた。
気がつくとひきかえしていた。
誰にも気付かれないよう。
階段を下りて、駅員に切符を見せて駅を出ると遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。
外は細い雨が降っていた。
スクーターに向かって道を戻る。
ポケットに両手を入れる。
1台のパトカーと1台の救急車とすれ違う。
雨が急に強くなる。
人が走る。
髪の毛を濡らして水がしたたり落ちる。
雨に濡れきってスクーターにつく。
シートもふかないで走り出す。
家に急ぐ。
道路を走るスクーターは黒い河を泳ぐ一隻の小さな舟のようだ。
雨というには冷たすぎる雨。
マンションの駐輪所に着く。
乾いたコンクリートに大きな黒い水跡ができる。
服が重い。
雨にこんなに濡れたのは初めてだろう。
今年は寒いのに雨はなぜなのかいつまでも雪にならない。
クリスマスイヴは過ぎて、クリスマスの午後4時前。
窓の外を烏が鳴きながら飛ぶ。
部屋はいつもの通りだ。
電話が鳴る。
「はい。」
電話の向こうは聞き覚えのある無音だった。
「葵です。」
何て言えばいいだろうか。
「もう、知ってます。・・・・」
何も言えない。
「あなたを巻き込んでしまって、」
「いや。・・・・」
2人とも何も言わない。
「私の・・、体、行ってほしいの。
今はまだ誰も、見つからない。
もうしばらくは。」
「わかった。」
葵が場所を説明する。
そう遠くない、山の中の使われなくなった廃車置き場だった。
「どうする?」
葵は少し黙る。
「分からない。」
「もう、・・・・・・・・お別れだね。」
「・・・・あなたを、傷付けてしまった。――」
「・・僕が傷付けたんだよ――。」
「――会いたい――なんか――。」
瞳を閉じるように電話は切れた。
街を山に向かってスクーターで走る。
空の低い所はもう黄色い。
もたれあうカップルが目立つ。
家族連れも楽しそうだ。
道路はあまり混んでない。
山の中の道路は霧がけぶり暗く、寒い。
左目に景色が広がる。
広い空き地にはたくさんのススキ。
黄昏の光を受けて、金色に光って見える。
送電線が真上を通っていた。
右には廃車置き場があった。
トタンの壁をツタが這っている。
中に入ると狭い。
車の部品がうずたかく積まれていた。
廃車が雑に何台か重ねられていたり、置かれていたりしていた。
トランクの中、そう言っていた。
一番手前にあった車のトランクは閉まっていた。
そこから白いタオルケットのようなものがはみ出している。
開けようとするが開かない。
辺りを見回す。
サビたロッカーの横に、鉄の棒が何本かあった。
それを手にとり、ふりむいて思い切りトランクの鍵の部分を叩く。
左から右へ。
出口が見える。
空き地のススキがさっきより金色に揺れている。
送電線が夕空に伸びている。
左から右へ何回も力の限り叩く。
ガコッと鍵の外れる音がして、トランクの口が小さく浮く。
棒を落として、トランクに両手をかけて上げる。
タオルケットにくるまれた人型があった。
動かないその上に、拳銃が置いてあった。
それに手を伸ばす。
手に持った途端、頭に衝撃が爆発して、目の裏に閃光、イメージがなだれこんできた。
庭の紫陽花に鮮やかな雨。
それを見ている葵の目が茶色く透けている。
パソコンの画面。
マウスをクリックする指、音。
キッチンの有子の後ろ姿。
窓から見える黄昏の空。
隣の空き地を見下ろすと一面に緑。
夜の林。
オレンジ色の街灯が土の道を照らしている。
重く歩いてくるジャージ姿の男。
林を抜けて背後。
後頭部に銃を近づける。
撃つ。
――まだ手は震えるのね。
ニュース。
夏の空。
水色と白い入道雲。
アスファルトを焦がす日光。
雨。
うなじに感じる熱さ。
木の下でセミの声。
夜、オレンジ色の街灯。
バッグの中で握る拳銃。
廃屋の階段下。
道の向こうにひまわり。
切り絵のような遠くの木。
女が街灯に照らされる。
立ち上がり歩き出す。
女の背後。
近づきながら、銃を出す。
女、振り向く。
すぐに撃つ。
うつ向きに倒れている女。
――雨が止まないの。ずっと止まないの。
オレンジ色。
頭から広がる暗い花。
血が夏に溶ける。
カンカンカンという硬い音。
外は光でまっ白。
踏切。
待っている人達の中に葵。
溢れるセミの声。
柔らかな空を飛行機が止まったように飛ぶ。
電車が目の前を走り過ぎる。
葵の髪留めだけ動かない。
木。
空き地の向こうに道。
並ぶオレンジ色の街灯。
風が涼しい。
土の上に座ってタバコを吸う。
手はまたにはさむ。
タバコの明りが根本まで来る。
土にタバコをおしつける。
うつ向けに横たわる。
土がヒンヤリとする。
体温が移っていく。
右手で小さく穴を掘って短いタバコを埋める。
頭の方で音。
道。
子供。
小さな影。
遠くに子供の後ろ姿。
だんだん近づく。
無人の夜の道。
呼び止められる。
振り向くと村河。
横の駐車場に白銀の車。
村河、銃を向けている。
黙って向かい合う。
「もう狂ってる・・・・・・・・・・・・。」
村河が言う。
――あの時の寂しさで狂っちゃったみたい。
まっ暗。
山の道路を走る白銀の車。
車が停まる。
何もない広い空き地。
トランクを開ける男。
中には白いタオルケットでくるまれた人。
片方の端がまっ黒。
抱きかかえる男。
廃車置き場。
トランクの上がっている廃車。
抱え入れる男。
タオルケットの中に手を入れる。
中から拳銃を取り出す。
弾を抜いて、タオルケットの上に置く。
トランクが閉まる。
タイヤが見える。
馬尋は横たわっていた。
辺りはもう薄暗い。
ゆっくりと起き上がる。
積まれている部品の隅に大きなドラム缶がある。
中には雨水がたまっていた。
体重をかけて押し倒す。
水が一斉に流れ出す。
そばにあった台車にドラム缶をひきずってのせる。
トランクの方に押していく。
白い人型が見える。
拳銃をどかして、抱きかかえる。
思ったより軽い。
ドラム缶に入れる。
台車を押して道を横切って空き地へススキの生えていない所から入る。
ススキが白く風に流れる。
空き地の中央は何も生えていなかった。
街が見下ろせた。
真上を通る送電線が赤と白の鉄塔を渡っている。
黄昏はもう遠くに行っていた。
湿った草の上にドラム缶を下ろす。
台車の先をススキの根本に当てて、押手側から穂を引っぱって抜く。
続ける。
空には大きな月が開いていた。
遠くクリスマスの街の灯がにぎやかに星空のようだ。
台車にたくさんススキがたまった。
ドラム缶にそれを入れていく。
あふれる程になってもまだススキは余った。
ポケットからライターを取り出す。
ドラム缶の中のススキに火をつける。
火はすぐにドラム缶の中を包む。
炎が高く上がる。
何かを囁いているようだ。
台車に座りながらススキをつぎ足す。
風が吹いた。
世界は回り続け、命は1つずつ置き去りにされるみたいだ。
葵はこぼれてしまったのだろうか。
葵に奪われた命は?
遠くと近くから帳が落ちて来る。
両手で顔を覆う馬尋。
心が・・・・・・・・・・・・心が流されてしまう・・。
空を仰ぐ。
目の表面に涙が浮かび上がる。
涙はこぼれない。
胸の中の壁をつたって、下に下に重く沈んでいく。
炎が音を立てている。
しばらくして雨が降って来た。
弱く、どんどん一直線に落ちてくる。
雨は容赦なく地面の下へ向かってゆく。
火は煙になって消えた。
廃車置き場に戻りはずれかけたトタンを引き裂いてドラム缶にかぶせる。
そばに座ってよりかかって雨宿りをする。
――サヨナラに僕ら2人が――
雨はトタンの屋根を絶えまなく叩き続けた。
He lost and
年が明けてすぐ雪が降り始めた。
今は全国的に記録的な大雪になっていた。
窓が白い。
スズメが細かく鳴く。
コーヒーが部屋の中で湯気を出す。
テーブルの上には新しい電話機。
前の電話機は押し入れにしまってある。
警察の取り調べがあった。
東雲と土田に訊かれる。
葵とは偶然道で会って友達になった。
村河は変わった車だったのでマンションまで尾けた。と苦しい言い訳で逃れていた。
村河の郵便受けに警告を入れたのは、有子が苦しまずに済むようにと言うと、東雲は黙り、土田はしゅんとした。
部屋を出て駅に向かう。
雪かきされた道。
樹には雪が白く乗っている。
空には雲がちぎれて流れている。
信じられないほど、世界が美しく見える。
電車に乗って少し遠くまで行く。
どこでも雪が輝いている。
2時間程で海が見えた。
遊覧船が遠くに浮いている。
松の林を抜けて海岸に着く。
海岸も雪で覆われていて、人はいない。
空は薄いライム色。
凍ったように澄み切っている。
波の音がする。
遥か水が続いている。
――雪は全てのことを知らぬ顔で積もっているけど。
冷たい風が髪と耳を過ぎる。
遠い海岸の左端の向こう。
堤防に小さな遊覧船が止まっている。
雪をそっちに向かって歩いてゆく。
波が洗う部分は元の砂浜が見える。
小さな白い巻き貝がらせんを見せる。
遊覧船は本当に小さく、乗るのは馬尋と3人の親子連れだけだった。
底がガラス張りになって海の中が見えることに子供がはしゃいでいる。
父親と母親が子供をはさんで座り、同じ様にガラスの向こうを覗く。
父親が写真を撮ろうとするが、フラッシュでガラスが光る。
「こりゃだめだな。」
母親が笑う。
子供も、まぶしかったと笑う。
馬尋はタバコを取り出して外に出る。
船が波に当たり、しぶきが上がる。
向こうに白い海岸が見える。
崖の上には灯台があった。
雪の下では春が目を開いている。
風ももうすぐ色づくだろう。
この頃、急に泣きそうになる。
その度に、胸の中に涙を閉じ込める。
いつか泣く時が来るだろうか。
誰のために、何のために泣くのだろうか。
海と船の境界を見る。
バッグから白いタオルでくるんだかたまりを出す。
タオルを取ると中から拳銃が出てくる。
おもちゃみたいに日光で光る。
遊覧船が少しスピードを速める。
船の白い跡が大きくなる。
拳銃を持つ腕を外に下ろす。
手を離す。
拳銃はすぐに見えなくなる。
「おにいちゃん、海に何か捨てた。」
横を向くと子供がいた。
こら、と母親が叱る。
すいませんと困ったように笑いながら頭を下げる母親。
笑って会釈を返す馬尋。
何か不満げな子供は母親と、タバコを吸っている父親のもとに向かう。
「捨てないよ・・。」
呟く。
唇をかんで水平線を見る馬尋。
RIVERS LONELINESS 森川めだか @morikawamedaka
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