第13話 12 現実
山を降りた。
総合病院に辞表を提出した。
新しい仕事を探した。
気分の良かったのは数週間だけであった。
そこから先は、生きていくことの大変さを知った。
総合病院で働いていた時は、結構良い給料を貰えていたのだと痛感する。
共働きせずとも暮らしていける給料であったのだと思う。
勿論、今は結婚どころではない。
今は、単純作業をしている。
お菓子の入った袋を段ボール箱に詰めるだけ。
箱に袋を詰めるだけだから、注意をされるような失敗なんてないし、誰も何かを教えたり注意をしたりせず、せっせと自分の作業に集中している。
だからといって互いに他人同士というようなこともなく、休み時間には談笑したり、帰りに一杯引っ掛けて帰ろうなどと相談している。
私はと言えば、時々帰りに魚屋さんへ行って小魚を仕入れて帰る。
その時に、魚屋の大将に少しだけのつもりの大量の氷を分けてもらえる。
今住んでいるワンルームマンションには、どういう訳か大きな目覚まし時計が置いてある。
あの山小屋から運んできた時計だ。
ぺペンギンさんの棲家? ぺペンギンさんは、この大きな時計をシェルターと呼んでいる。
そして何故か上を向いたままの目覚まし用のベル? これはベルではなく器らしい。
私は、毎晩、此処に小魚の切り身と氷を置くことになっている。
そうしないとこのシェルターは目覚まし時計の機能を果たしてくれないそうだ。
時々酒屋さんでシングルモルトを買って帰ることもある。
この町には大きなショッピングモールのようなものがない。
駅で言えば、一つ向こうには有るが私は、わざわざ其処へ行って買い物をしようなんて思わない。
魚屋の大将は、今日のお勧めの魚を教えてくれるんだ。
酒屋の大将は、ウイスキーを買うと、小袋入りのピーナッツやイカの燻製を私のカバンに忍ばせてくれる。
大型の店舗では結構な値引きの商品が並んでいる。
でも、この町の小さな個人経営のお店には、人が居るんだ。
それは、人が、愛情というサービスをしてくれるっていうことなんだ。
魚屋の大将が氷を沢山くれる。
酒屋の大将が小さな袋入りのおつまみを分けてくれる時がある。
いいんだ、それで、いいんだ。
「で、今日の作業は、どうやったん?」
いつものようにぺペンギンさんが聞いてくれる。
「変わらないですね」
「そうか、変わらんっていうことは平穏無事、ゆうことやな」
「ええ、それが一番ですね」
「ところでお前、まだ30代やったな?」
「ええ、四捨五入すれば30歳ですけど」
「そうかぁ、平穏無事なぁ、それって、このまま、いうことやんなぁ」
ぺペンギンさんがシングルモルトを嘴で突きながら思案顔で言う。
「ええねんけどな、そろそろなんかな、って思ってみたりして」
「え? 何が? そろそろ? なのですか?」
「今の生活にも慣れて来たみたいやしな」
「それで、そろそろっていうのは?」
「せやね・・・」
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