第15話 消えた筈のストライカー



 ──『西山 しゅう』、彼の残した功績は大きい。何故なら彼は日本を初めて"ワールドカップ決勝"まで導いた立役者だからである。


 今からニ年前のサッカーワールドカップ、この年から西山は日本代表としてピッチに立つと、圧倒的ゴール数を重ねて予選リーグを突破。


 本選トーナメントもハットトリックを決めながら、順調に日本を決勝まで導いた。


 日本国民は彼を称える。他の追随を許さない素速き足は輝くような瞬足であり、利き足にこだわる事のなき両足から放たれる圧巻のシュートを見て『黄金の両足』と人々は彼を褒め称えた。



 だが……決勝戦を目の前にして事件は起こった。



 突然、西山は国際サッカー連盟の幹部に対して意図不明・・・・の暴行事件を起こしたのだ。


 当然、サッカー連盟は彼に無期限謹慎の厳しい処分を下した。


 西山を欠いた日本は決勝で負け、彼は手のひらを返されるように世間から猛烈な批判を受けた。


 そして大会はおろかサッカー界からもその姿を消し……そして、消息不明のままニ年が経ったいま──消えた筈のストライカーが我々の目の前に出てきたのだ。




「なんだと……! あの西山か・・・・・……!」


 中嶋監督は思わずたまげた。サッカーファンだけでなく、日本国民ならほとんどが知る西山をピッチでは無く、リングの上で見ることとなるとは思いもしなかったからだ。


 リングに立つ彼は、周りのどよめきを気にする素振りも無く冷静である。


「西山選手……! 私、夢でも見てるのかしら……」


「どうなってやがる!? なぜこんなところに!?」


 南方親子も驚愕する。この男は、それほどまでに関係者に衝撃を与え、場の空気を一気に張り詰めさせた。


 レフェリーが二人のボディチェックを済ませると、両者はリング中央で相まみえた。


「……俺はサッカーにゃ興味ねえがあんたは知ってるぜ、もっともあんたを知ったのは試合じゃなくてあの・・ニュースの方だがな。なんであんなことをしたんだ?」


 俺は深い意味は無く軽率に口を開いてそう言うと、西山は恐ろしく冷たい目でこちらを睨んできた。


「──俺も野球にはまったく興味がない……が、お前のニュースは見た。これ以上の説明はいらないだろう」


 静かに答える彼だが、瞳の奥にどこか恐ろしく燃える青い炎のようなものを感じる。


「なるほどね、俺たちゃ似たもん同士って訳か」


 俺はぽつりと言う。こいつにもそれ相応の理由があってあんな事件を起こしたのだろう。


 俺もそうだ、殴ってでも許せないものがそこにあったからそうしただけだ。俺は少しだけ西山に同情するが、ここからは真剣勝負──勝つも負けるも男の勝負、加減なしでやらせてもらう。


「両者準備はいいか? それではコーナーへ」


 レフェリーが指示すると二人はコーナーに向かい、息を整えた。


「拳坊、いいか練習通りにパンチを打て。相手はサッカーは上手いかも知れねえが、ボクシングの練習を重ねた分だけ闘いはお前の方が有利だ。その豪腕で勝利を勝ち取れ!」


「あたぼうよ! 見てろっての!」


 セコンドの熊三が激を入れるように背中をばしんと叩く。



「──スゥー……レディーーーーファイッッ!!」



 レフェリーの掛け声と共に甲高くゴングが鳴った。



 俺はさっそく距離を詰めるように一直線に前へ出る。ボクシングベースの俺の"野球拳"は兎にも角にもイケイケドンドンだ、まずは様子見もかねて牽制の『ボールジャブ』!


 三振ノックアウトをするためにはカウントが必要! 俺はストライクゾーンを外した相手の肩口めがけて左腕を伸ばした。


 ザキッ、という音。やっこさんの肩口に刺さる俺のパンチ──そのはずが、こぶし三つ分ほど届かない。


 そして、俺の脇腹には西山の右足がえぐるように突き刺さっていた。



「──がッ……!」



 嗚咽おえつに似た声が出る。


 そう、西山の足は──ボクサーのジャブより速い!!



「拳坊!! 距離を取れーッ!!」



 オッサンの叫びが聞こえると、俺はかろうじて後方へと下手くそなバックステップをする。


 その様子を見て西山は追撃しない。それは彼が慎重なのか、それともいつでも迎撃できるという圧倒的な自信なのかは定かではない。


「つぅ……ッ!」


 開幕早々から嫌な汗がにじみ出た。


「拳坊大丈夫か!? 無闇に突っ込むな! これはボクシングじゃねえんだ! 間合いをもっと考えろ!」


 熊三の言っている事は正しい。ボクシングならば互いがパンチのみという限定ルールの中での勝負、しかしこれはほぼルール無用の試合。


 したがって『パンチ』を武器にする東谷と『キック』を武器にする西山とでは実はかなり"差"がある。


 それは"リーチ"による差、腕と脚では長さが違う。攻め合った時にリーチの長い脚が勝つのは自明の理。


 故に東谷は自分の武器を活かすなら、距離を詰めなければならない。


「……はぁッ、そっちが蹴って来るならよお! 俺だってなあ!」


「おっ、おい拳坊!」


 俺は懲りずにまた一直線に西山へと向かうと、勢いのついた右足の前蹴りを繰り出した。


 そう、目には目を歯には歯を、そして"蹴りには蹴り"をすればいい。


 西山の身長は自分の178センチよりも2センチほど高いが、それは誤差である。


 元々は俺だって喧嘩の方が得意なんだ、何でもありのルールならそれを活用するだけ。


 喧嘩自慢の前蹴りが奴の腹を蹴っ飛ばそうとすると、西山はひどく落胆したような顔でこう言った。



「馬鹿が──」



 瞬間、西山の右足がフッと消えると──次のまばたきには、奴の右足の甲が俺の脇腹にまた刺さっていた。


「ガっ……なっ……!?」


 臓器を直接蹴られたような衝撃、脇腹のダメージは単純な"痛み"よりも"苦痛"が伝わる。


 呼吸が上手くできない、自分の意識とは裏腹に体は正直にその異常を訴えるように機能を失くす。


 膝が抜け、俺の体は勝手にリングに横になろうとしたが、なんとか片膝だけをついてその場でうずくまる。


「ケンちゃん危ない!!」


 洋子が叫ぶ、何故ならこの闘いはダウンによるストップがないからだ。


 さすれば、隙だらけの俺に対して西山はとどめを刺すべく、うずくまる俺へと蹴りを飛ばしてきた。


 リングの上で起こるそれはまるで、サッカーのワンシーン──すなわち『俺』と言う"ボール"を蹴るシュートするような軌道で西山は美しも鋭い蹴りを放った──!



『サッカーボールキック』!!



 俺の顔面をめがけて、鋼の如き脚が振り子のように降ろされた。



 バツンッッ────!!



 肉と肉が弾ける音が響いた。西山のキックは、ガードを咄嗟に上げた俺の腕とぶつかり、俺はそのまま勢いでふっ飛ばされた。


「ガードした! ケンちゃんナイスッ!」


「ジョー!! 早く立てえ!! 追撃がくるぞお!」


 飛ばされたおかげで距離が取れた俺は、急いで立ち上がる。


「っっ……! 痛ってえッ……!」


 ガードした腕が痺れる、赤く腫れるように染まる腕は奴の蹴りの威力を如実に表していた。


「ジョー! 大丈夫かあ!?」


「ったく、ジョーじゃねえっての……! オッサン、こいつクソ強えじゃねーか……!」


 西山はこちらが消耗しているのを確認すると、じわりと間合いを詰めるように寄ってくる。


「拳坊、奴は蹴りが武器だ! 同じ土俵で戦うんじゃねえ! 間合いさえ詰めればこっちにも勝機がある! 奴の蹴りを空振りさせるんだ!」


 クマのオッサンの言うとおり、どうやら同じ土俵じゃ勝負にはならないようだ。しかしそれは奴とて同じ、殴り合いならこっちの土俵だ。


 パンチとキックはリーチ差がある以上キックの方が有利だが、距離さえ詰めればその差は無くなりパンチの独擅場になる。


 この時、東谷が取るべき戦法は大きく分けて三つ。


 一つは『受ける』、敵の蹴りを防御して間合いを詰める。一番現実的な方法だが問題は奴の蹴りの威力である、受けるだけで精一杯の可能性は充分にある。


 二つ目は『躱す』、蹴りを読んで事前に躱すか、見てから反射的に躱す。これはかなり難しい、そもそもこちらのジャブより速い蹴りを避けるのは至難、避け損なえば大ダメージも負うだろう。


 三つ目は『さばく』、流すような動きで相手の蹴りを捌ければ奴に大きな隙ができる。問題はこの"捌く"と言う行動が、己の技量が高くなければできないと言うこと。したがって今の東谷では無理に近い。


 わりと喧嘩慣れしていた筈の東谷も、これほどの蹴りは初めての体験である。


 プロサッカー選手のキックは、速く、鋭く、そして重い──!


「──終わりだ」


 射程距離に入った西山がその一言と一緒に、黄金と呼ばれた左足が閃く。



『ミドルシュート』!!



 閃光の如き脚がこちらの脇腹をまた抉ろうとする!


「だッらあッ──!!」


 バシィーーッッ!!


 快音が響く! 東谷が取った選択肢はやはり『受ける』の一択、下ろした右腕でしっかりと西山のキックをガードする。


「くッ……!」


 恐ろしい威力だ、ガードした筈の右腕の感覚が痛みを通り越してほとんど無い。


 受けられた蹴りの反動で、西山の動きに若干であるが隙ができる。


「拳坊いまだ!!」


「ここしかねえ!!」


 俺はここぞとばかりに間合いを詰める。もはや感覚の無い右腕では無く、打つのは左腕!



『マッハストレート』!!



 タイミングはドンピシャ! 避ける事はできないであろう俺の大砲のような豪腕が、ストライクゾーンド真ん中である西山のみぞおち・・・・へと突き刺さった!


「よおし!!」


「やったあ!」


 南方親子が興奮する。俺も、渾身のマッハストレートが刺さったのを確信した────が、それは早計であった。


「──遅い」


 西山はその豪腕を食らった瞬間、その俺の腕を軸にするように体をぐるりと回転させた。


「なっ!? 回転した!?」


「あれは……『マルセイユ・ルーレット』!」


 驚く熊三、そしてスポーツオタクである洋子は西山のその技を見てすぐに、ある・・サッカー技術を頭に浮かべた。


『マルセイユ・ルーレット』──サッカーにおける高等技術であるそれは、相手のドリブルカットに対してボールを足裏で止めて、それを軸に体を回転させて相手を躱す技である。


 それを西山は相手のパンチでやってみせた、東谷の拳が自分の体に当たると同時に滑るように回転した。


 西山は東谷の目の前でぐるりとターンを決めると、その回転を活かすようにそのまま東谷の右足にローキックをかました。


 バツンッッ! 遠心力の乗った鋭い蹴り、瞬間的に激痛が襲い倒れそうになる。


「~~ッッ!」


 声にならない声が出る。サッカー選手の蹴りの威力を甘く見ていた、これほどまでに人間は速く鋭いキックを打てるものなのかと感心さえする。


「踏ん張れ拳坊!! おめえのパンチはまだあるだろ・・・・・・!」


 熊三が叫ぶ、そうだ、練習を思い出せ──真っ直ぐなパンチが当たらないなら!


 がしりと握った拳、俺が振るったパンチは急速に弧を描く!



「くらいやがれ──!!」



 繰り出したのは曲がる軌道の『フック』! だがボクシングのフックとは違い、その軌道は山なりのパンチから急速に深くえぐり込むような曲がり方を見せて敵を打ち抜く妙技!


 これぞ必殺『カーブフック』!


 西山の肩口に当たる──が、西山は触れる瞬間に後方へとバックステップする。


「避けられた!?」


「そんな……あのタイミングで」


 南方親子が目を丸くする。間合いは完璧だったが西山のスピードはそれを凌駕する。


「くそっ……素速いやろーだぜ」


 足をガタつかせながら俺はぼやいた。だが避けられたのには理由があり、俺にはその理由がわかっていた。


 ボクシングで一番威力の強いパンチは『フック』と言われる。だがフックは威力が強い代わりにリーチが短い。


 山なりの軌道で放つ『カーブフック』は普通の『フック』よりも若干リーチは長いが、それでも多少の差だ。敵も一流、身体能力はバケモンのそれだ。


 一方で、東谷のボールジャブとマッハストレートを見て目が慣れていた西山は、今の変化球カーブフックに少し警戒したのか距離を取る。


「(ありがてえ、今のうちに足を回復させねえと……!)」


 互いに距離を置いたことで息が整う、しかしダメージレースで東谷は一方的に負けているこの状況は決して有利ではない。


 こちらが勝つにはやはり一発逆転にかけたカウンター……パワーなら負けない、そうこう考えていると西山は肩の力を抜きながらこちらを凝視する。


「……なるほど、ボクシングか。それも野球をベースとした変わった拳技だな」


 見透かすような目で西山は言った。


「ご明察だぜ。あんたボール蹴ってた割には人間も蹴り慣れてるじゃねーか、喧嘩も相当やってたと見るね」


 俺は皮肉まじりにそう言い返すと、西山は目を厳しくしながら脚に力を入れた。


「──こうでも・・・・しないと生きていけない所に俺はいたんだ。悪いが俺にはお前に負ける要素がない、俺とお前には大きな差がある」


「けっ! えらい自信たっぷりじゃねーか、ならその差ってもんを教えてくれよ」


「……お前の中にある信念、その炎が俺よりも小さい。教えてやろう──身を焦がすほどの俺の信念……いやさ、この"復讐"の念をな……!」










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