第11話 暗雲なるスポーツ界
急な文言である。その監督の言葉に俺と南方親子はよくらわからぬと言った顔をする。
「あの、スポーツ界の危機って……?」
洋子が恐る恐る聞くと、監督は静かに口を開いた。
「突然こんな事を言って申し訳ない。今から私は本当に
それを受けて南方親子は少し戸惑いながらも、『はあ』と生返事をする。
「実はスポーツ界は今、様々な協会が来年の東京オリンピックに向けて準備を進めていたのですが、ここでその
そう言えば来年はオリンピックだったなあと、俺はすっかり野球から遠ざかっていたため今思い出す。
「そこで各スポーツ協会は、賭けをすることにしました。五輪における全ての利権をまとめ、統括する者を決めるために勝負事をする提案をしたのです」
大人の汚さが出るような内容である。俺は眉をひそめ、南方親子はただ監督の言うことに聞き入っている。
「その、賭けと言うのは……?」
洋子が聞くと、監督は自分の膝をぱしんと叩いてこう言った。
「言うならば、たった一人だけがオリンピック全てを支配できるこの勝負。それは、各スポーツ界から一人ずつ選手を選抜して行われる格闘大会!
リングの上で殴り! 蹴り! 極め合う! 名付けて──『スポーツマンバトルトーナメント』!!」
──なんだか、すごい言葉がでてきた。俺を含め、南方親子は顔が引きつっている。
「スポ、えっ、バトル……? すんません、なんかの聞き違いですかね……?」
「オッサン、俺は監督をよく知ってるけどよ、この人は冗談は言っても"嘘"はつかねえ人だぜ。つまり、本気ってことよ」
信じ難いがその馬鹿げた発言は本気なのであろう。監督の目は
「驚いていますが本題はここからです。そう、オリンピック競技である野球! プロ野球協会ももちろんこのトーナメントに参加します。
そして、野球協会が選抜した選手──それが、今わたしの目の前にいる『東谷 拳』なのです──!」
一瞬、監督が何を言ってるのかわからなくなった。まっすぐと俺を見る監督。俺は自分の後ろを思わず見るが、他に『東谷 拳』がいないことを確認すると口から変な呼吸が漏れた。
「……は? えっ、俺……?」
「そうだ。あのお前を追放処分した、野球協会会長がお前を指名したんだ。そしてその説得と説明のために私が協会から派遣されたのだ」
ジム内が静まり返る。だからこそ余計に自分の鼓動が早く、ドクンドクンとうるさくなるのがわかった。
「ちょ……ちょっと待ったあ! 急なその、なんだ、ええい! 急すぎて頭が回らんが! 拳坊をそんなルール無用のリングに上げるだって!?」
クマのオッサンは気が動転しながらも口から大声を出した。
「監督、気に食わねえなあ。いまさらあの
俺は監督の力にはなりてえが、あの
「あ、あの……ケンちゃんを連れていくんですか……?」
「南方さん、どうか落ち着いて下さい。まだ続きがあります。拳、会長はこの大会で優勝ができたらお前を野球界に戻すと言っている。
だがな、お前の言うとおり会長には裏がある。この大会は各スポーツ界の
監督は問う。俺は頭を使う難しい問題は苦手だが、この答えはすぐにわかった。
「……いらねえ奴ってことか」
舌打ちしながら俺は答える。ましてやすでに選手では無い俺を、私利私欲のために無理矢理に出そうと言うのだからなおさら気分が悪い。
「会長は、いや……各スポーツ協会は腕っぷしのあるお前のように手に余る奴や、目の上の
選手には優勝したらスポーツ界に戻れる、賞金を沢山出すと言ったメリットを提示すれば断る奴はいないと踏んでるんだ」
「けっ! 人のことを何だと思ってやがんだ」
俺は思わずテーブルをばしんと叩く。
「勝てば官軍……だが、スポーツ協会の真の狙いは優勝だけではない。このトーナメントを通じて、邪魔者を消そうと言う意味合いもあるのだろう。ただでさえ危険な大会だ、選手生命に関わる怪我も負うかもしれん」
喋っている監督でさえ、その真意に腹が立っているようだ。胸糞の悪い話しに俺も怒りが込み上がる。
「そ、そんな危ないもんに拳坊は出るわけにゃ行かねえ! 悪いがこいつはわしにとっての『ジョー』なんだ! このジムの星なんだ!」
「ケンちゃん、それは
クマのオッサンが俺の肩をガシッと掴みながら言った。確かに荒唐無稽で危険な大会だ、二人の心配が身に染みる。
「無論、お前には断わる権利がある。協会が勝手に指名をしただけだ……最終的な判断は拳、お前にある」
監督はごまかすような言葉は選ばない。
「……でもよ、俺をわざわざ探して監督がじきじきに来たって事は、何か意図があるんだろ?」
俺がそう聞くと、監督は背筋を伸ばした。
「拳、私がなぜビッグアローズの監督を退任して去ったのだと思う──?」
「それは……俺も気になってたんだ。どうしてあんなに調子が良かったチームを、監督が去ったのかずっと気になってた。おかげで俺はその後に、新監督と揉めて野球界を追われたしな」
そう、監督の退任は突然だったのだ。誰もが事情の知らぬ青天の
「私はあのまま監督として野球界に貢献していれば、いずれは協会の重役についていただろう。
衝撃の事実がとび出した。監督の目の奥には怒りの炎が燃える。
「はあ!? じゃあ監督も俺と同じように、あの協会連中にしてやられたのかよ!?」
「そのとおりだ。私も以前からプロ野球協会内部が腐敗しているのは知っていた。だから少しでもこの野球界の環境を変えようと裏で努力していたのだが、それが協会に目をつけられた要因にもなった。"出る杭は打たれる"と言うやつだ」
落胆と衝撃、そして俺と監督の腹には、怒り渦が巻いている。
「拳、
「利用──? どうすんだ?」
監督の言葉に熱が高まる。俺は身を乗り出すように聞く。
「お前がこの大会で優勝すれば、世間は嫌でもお前に注目する。そこで、世間に野球協会の内部腐敗を暴露するのだ。お前や私と言った被害者が野球界にはまだまだ少なからずいる、それを公表するんだ」
「──そうか……!」
「さすればお前は野球界に戻り、私も監督に戻り、協会はクリーンになる……! 言わば一石二鳥、いや三鳥にもなる。
はっきり言おう、私は今の野球協会に復讐心が業業と渦巻いている。拳、お前が頼りだ。お前の手で野球界を救ってはくれないか──!」
思わずその一声に俺は立ち上がった。こんな気持ちはいつ以来だろう、いつの日か甲子園で味わった最終回のマウンドを思い出すようだ。
「俺は────俺は…………やるぜ!!」
「拳……!」
監督も立ち上がり、俺達はがっちりと握手を交わす。
「ちょ、ちょっと待たんか待たんか! わしらを置き去りにするな! 拳坊、おめえ正気か!? ボクシングはどうすんでえ!?」
「今の話しを聞いたら、私達親子が出る幕じゃないと思うけど……でも、やっぱり心配だわ」
南方親子が横から入ってくる。そりゃそうだ、いま俺は曲がりなりにもこのジムのボクサー。筋は通さなきゃオッサンとの約束の反故になっちまう。
そこで俺は考えた、誰もが得する方法があるのだ。
「安心しなクマのオッサン、洋子ちゃん。俺はちゃんとプロボクサーも目指す。でもよ、このジムはやっぱりボロいし借金取りまで来るやべーとこだ。
環境と設備ってもんはやっぱ大事だ、そしてそれには金がいる……だからよ、この大会に優勝すればスポンサーなんかが付いてくれるんじゃねえか?」
「何を馬鹿な! 金ならわしがその、まあ何とかしてみせる!」
「いやオッサンそりゃ説得力ないぜ……監督、この大会は賞金はでるのか?」
俺がそう聞くと、監督はにやりとしてこう答えた。
「出るぞ。優勝者には……十億円だ──!」
「「「じゅ、十億──!!??」」」
考えていた賞金を遥かに超えてきた。思わず腰を抜かすオッサンを洋子ちゃんが支える。格闘技の世界大会よりも高額賞金だ。
「決まりだな! ここの借金もすぐに返せるし、何より俺が大会に出ることで、このジムの知名度も上がる! おいおいこれじゃ一石三鳥どころじゃねえ……四鳥にも五鳥にもなるじゃねえか!」
「でもケンちゃん本当にいいの……? その、うちのジムのためにそんな危険な道に──」
「当たり前だろ洋子ちゃん。俺は洋子ちゃんにもこのジムにも本当に感謝してるんだ、ここのボクシングでチャンピオンになるんだ。野球もやってプロボクサーにもなる。俺は欲張りだからよ、両方で天下を取って見せるぜ」
心配する洋子ちゃんの言葉をさえぎるように、俺はキザな口調で話した。
「拳坊……! おめえは今、スケールがとんでもない事をしようとしている。本音は止めてえとこだが、そこまで啖呵を切るんじゃわしは止めん。
そしてわしからも頼む、野球界と一緒にこのジムも救ってくれ──!」
「おうともよ! 楽しくなってきたじゃねーか!」
かくしてここに、一人の漢が得体の知れぬトーナメント参加に意欲を燃やした。
それが、どれほど辛い道なのか──本人も、周りも、まだこの時には誰もが想像もできなかった──。
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