第12話 五輪を取り戻す女



 20xx年三月某日──私の祖父と父が死んだ。



 事故現場は都内高速道路、父の運転で隣県に仕事に向かう途中であった。


 目撃者によれば、突如父の乗った車がふらふらと蛇行し、そのままスピードの出ていた車はガードレールに衝突して大破、さらに避けきれなかった後続のトラックが突っ込み二人は死亡した。


 現場検証の結果、それは車の整備不良による事故だとわかった。


 私の祖父はオリンピック委員会の会長であった。また父もその祖父を補佐をする実行委員長である。


 この突然の訃報に私、『一文字いちもんじ 紀子のりこ』は大きなショックを受けた。


 おごそかに葬式が行われ、あっという間に二人の死去から三週間が過ぎた頃──私はとある会議のため、都内某所に呼ばれた。


 都内でも一際高いビルの上階、そこにある広い会議室には各スポーツ界の重鎮が並んで座っていた。


 私が椅子に掛けると、会議が始まった。


 会議の内容は来る前からわかっていた。それは今後のオリンピックの方針についてだ。


 祖父が死に、父も死んだ。今や五輪を動かすのは誰か? 亡くなった祖父と父の代役として、委員会の補佐役である私はその会議に呼ばれた訳だ。


 周りからの視線が刺さる。自分以外は各スポーツ界を統べる老獪な会長達。そこにまだ二十半ばの小娘がぽつんといる訳だ、もはや背景の無い私などなめられているのだろう。


 会議は予想通り、私利私欲が乱れる論争であった。統治する者がいない今、奴等はここぞとばかりに獲物を狙うハイエナに見えた。


 暴言、罵詈雑言が飛び交いながらもやがて会議は終着点へと向かう。それは殴り合いのトーナメントで勝った者が五輪会長になれると言う、非常に馬鹿げた話しにまとまってしまった。


 私の祖父と父は、このオリンピックを良いものにしようと努力していた。


 少しでも五輪効果で日本経済を明るくし、そしてなにより各スポーツ選手達が輝けるそんな素敵で理想的なオリンピックにしようと尽力していたのだ。


 それがいま、このハイエナ共に利権を貪られる結果となり、この五輪は本当に汚いものになろうとしている。


 ……しかし、今の私にはこれをくつがえせる案は無いし、あってもかき消されるのが関の山。


 だから私は──これを逆にチャンスと考える事にした。奇策とも言える一つの提案を出し、全員に認めさせたのだ。


 その案とは『各スポーツ界代表の他に、世間一般職の中から二人だけ選出して出場させる』というものだ。


 そしてもしその一般職の者が優勝した場合、その者が五輪会長を指名する。実にシンプルな提案である。


 私の発言は最初『馬鹿な』と一蹴されかけたが、奴等は少し考えた様な顔をすると、全員が納得したように賛成と手の平を返した。


 これが私の中の秘策であり、奇策。スポーツ界からの選抜だけだと『私』に勝利は無い。『私』が勝つにはどこかのスポーツ協会を買収するか、よそから選手を引っ張ってくるしかないのだ。


 この案は会長共にとってはデメリットしか無い……いや、実はそんなことは無いのだ。


 何故なら外部から選手を引っ張ってこれるなら、奴等は自分のスポーツ界の選手と外部の人間を同時に大会に出せる。


 つまりは優勝の確率が更に上がると言ったメリットがあり、反対する理由が無いのだ。


 私にもメリットがあるが、奴等にもメリットがあり、それは私のデメリット……。


 だが、これしか無い。これに全力をかけるしかないのだ。


 他の五輪委員会の奴等に私は相談はできない。何故なら奴等もまた、各スポーツ界から息のかかった工作員の様なものだから。


 頼れるべきは己のみ。そして私はこの会議を通じて一つわかった事もあった。


 おかしいと思ったのだ、父の趣味は車の運転であった。昔から私もよく色んな所にドライブで連れて行ってもらった。


 そんな父が車の整備不良などするはずが無い。現に事故一週間前には車検も通していたのだ。


 私は確信した。父と祖父の死亡は事故などでは無い──これは意図的に仕組まれた殺人事件だと。


 そしてその犯人は、父と祖父がいなくなる事で得をする者……つまり、あの会議室の中にいた誰かが犯人だと私は思ったのだ。



 これは──復讐だ。父と祖父の弔い合戦だ。



 私の人生はこの日より、生涯で一番の多忙が始まった。


 私の出した案は一般職の人間の大会参加。その詳細は"東日本"から一人、そして"西日本"から一人を選出するというもの。


 選出の仕方は東京と大阪の会場で、完全ランダムな抽選式で当選した参加希望者が予選トーナメントで戦いあって、東京大阪の優勝者であるニ名が本トーナメントに参加できるという仕組みだ。


 参加が抽選と言うのが運任せであるが、こうでもしないと私の選んだ闘技者が予選にすら参加できない可能性があるのでしょうがない。


 ちなみに"プロの格闘家"の出場は、例え抽選で選ばれたとしても無効である。これはあくまでも一般職の人間や、趣味程度の公式戦記録のないアマチュアの格闘家だけが出れるものだ。


 ……だが、おそらく各スポーツ界の会長共は抜け道を探るが如く"裏"の人間を使ってくるだろう。


 例えば名の通ったヤクザの用心棒や、喧嘩無敗の半グレ、地下格闘界の荒くれ者と言った公式記録の無い連中共を金の力で使ってくる筈だ。


 私もそれなりの腕自慢を探さなければならない。それも抽選を勝ち取るために複数人必要だ。


 私は闘技者を見つけるため日本中を駆け回った。目の回るような毎日、それと同時に父の事故も解明するために、様々な捜査に探偵を雇ったり、自分の足で事故現場を訪問して事件の究明に尽力した。


 二ヶ月後──私は各地で有望な闘技者を25人も見つけることができた。


 彼等には優勝したら私を五輪会長に推薦すること、その見返りに大会賞金とプラスアルファで更に金を積むと約束した。


 事件の方も少しずつだが真相が見えてきた。どうやら事故数日前に、何者かが父の車を触っていたと言う情報が雇った探偵から出てきたのだ。


 捜査も進展し、闘技者も確保した。全ては順調に思えた。


 そして東西で予選トーナメントが始まった。私の闘技者は……東京で二人、大阪で一人が抽選で選ばれた。


 これは幸先が良い。参加希望者は数百人となる中でよくぞ抽選を勝ち取った。


 後は勝つだけだ。18人で行われる予選トーナメント、私はその様子を東京会場で見守る。




 そして、その結果────私の選んだ闘技者は、負けた。




 東京も、大阪も負けた。勝ったのは知らない男だった。


 あれはどこのお抱えの選手なのか、いや……そんなことよりもどん詰まりな自分に吐き気が催す。


 もう、私が会長に選ばれる事はない。その事実だけが、涙となってボロボロとこぼれ出た。


 さらに、悪い知らせは続く。私が雇っていた有能な探偵が突然と姿をくらませた。


 その探偵は事件の究明にかなり心血を注いでくれていたのだが、ここ最近その探偵からの連絡がなぜか途絶えてしまった。


 私が動いていたように、何者かも水面下で動いていたのだ。恐らく……いや、探偵は間違いなく消されたのだろう。


 父の事故を調べられては困る者がいる、これで改めてはっきりとした。


 私は絶望を一途いっとを辿っていた。もう誰も信じられず、頼れない。死のうかと、考えたが、



「…………ざけんな……ふざけんじゃねーわよおおおおおおおお!!!!」



 持っていた自殺用のロープを自宅窓からぶん投げた。



「まだだ……まだ終わりじゃねえですわ、まだ終われねえんですわ──! あの会長ハイエナ共、いまに見てやがれってんですわよ!! お父様とお祖父様の仇! 奴等の首揃えて墓前に並べてやりますわッ!!」


 はあはあと息巻きながら一文字紀子はえた。


 頭に付けた白いカチューシャは激しくずれて、長く美しい黒髪は心労のためか、やや傷んでいる。端正な顔立ちは怒りにまかせるように鬼の形相であった。


 その時、家の電話がタイミングを計ったように鳴った。私は息を切らしながら出ると、それは意外な人物からの電話であった。


 その人物は私を自宅へと招いた。呼ばれるがまま私はその人の自宅に行き、会いに行く。そこには優しそうなおきなが車椅子に乗って迎えてくれた。


 その翁は、とあるスポーツ協会の前会長であった。あのふざけた会議には出席していない者だ。


 翁は身体の具合が悪そうに咳をする。車椅子に乗った姿は弱々しく感じた。


 そんな翁は、私を見るなり昔話を始めた。どうやら翁は私の祖父とかなり親交が深かったらしい。祖父の死に相当ショックを受けていたようだ。


 翁は私にこう言った。


「私も力になろう」


 か細い声で、力のある言葉をかけてくれた。


 翁はあのトーナメントに、自分が所轄しょかつするスポーツから一人の男を推薦するそうだ。


 そして、その男が勝ったら、私を五輪会長に推薦すると一方的に約束してくれた。



 ──天は、私を見放さなかった。翁も悔しかったのだろう、祖父が楽しみにしていたオリンピックを牛耳ろうとしている奴がいるのが相当気に食わない様子であった。


 翁は自分の選出した者に会ってくれと言った。私はどんな男なのだろうと、胸を高鳴らせながら会いに行く。


 その男とは都内から外れた海岸で待ち合わせる事となった。約束の時間に行くと、一人の男がどこか寂しく、しかし鋭い目つきで海を見ていた。


 私は彼に近づき簡単に自己紹介すると、男は黙ったままこちらを一瞥した。


 寂しげで虚ろな雰囲気をした彼は、その若さとは裏腹にどこか世界を恨んだような目をした青年である。


 この男が勝てば、私は会長になれる。あいつらの思い通りにはならない、綺麗なオリンピックが実現できるのだ。


 少しの沈黙の後、男は静かに口を開いた。


「──あんたの事は前会長から聞いている。その代わり俺もあんたに頼みがある」


 男は曇り空の下、海を見ながら言った。


「わかったわ、何でもする。私はあなたの優勝を期待していますわ」


 嘘偽りは無い。他の者と同じく金ならいくらでもくれてやる、もはやそんなものは私の人生には必要ないくらいこの怒りは頂点に達しているのだ。



「俺の──俺の頼みは────」


「……え────」



 男から出た言葉は、意外なものだった。その言葉は、私と同じく業火のような怒りに満ちたものであった。


 この男は金に目が眩む他の者とは違う──私と同類・・だ。


 怒りだ、怒りと復讐のためにこの男は戦いに出るのだと、私は瞬時に理解した──。


 あの翁が私をこの男と巡り合わせたのが今ならわかる。




 いまこの時より私は、誰よりも強力な味方をつけ、此度こたびのトーナメントに参戦をするのであった────。









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