日の章

目を覚ましたときにあぁ今雪なんだなと思う。音が聴こえるわけでもなく、天気予報を見たわけでもない。カーテンを閉めきって布団の中で頭をうずめていても肌で分かる。剃刀のような鋭さとぴんと張った糸のような緊張感。五感が研ぎ澄まされる不思議な時間。人のいる気配を感じて横に視線を向けると母がいた。あのときと同じように。


あの大雪の次の日の朝。ママは帰って来た。あの日、一人で家に帰って来たあと風呂に入らず着替えてそのまま布団に入ってしまった。父がいなくなってから一回も使われてない。あと自分が4、5人入れるぐらいに大きなベットだ。汚したら怒られるかなと思っていたが、ママが帰って来たときに安心出来るように昨日はそこで寝た。目を覚ましてとなりのベットに視線を向けると後ろ姿のママがいたので安心した。そっと地面に降り立って窓の方に忍び寄った。すこしカーテンをあけて窓の外をみると昨日まで道路も草木も真っ白だったのが嘘みたいに消えていた。ちゅんちゅんと鳥の鳴き声が聞こえて、建物の際から光が差し込むのが見えた。ママに振りかえる。ママ、あの日は勝手に帰ってごめんなさい。と言えたら良かった。だけどママに話しかけられなかった。そのケガどうしたの?なんで泣いてるの?いつもなら無垢な顔をして聞けた。だけどママは触れたら消えそうで目をはなしたらいなくなってしまいそうで怖かった。その日以来ママは毎晩毎晩魘されるように僕に囁いてきた。激しい嗚咽と苦しそうな息づかいまでもがまとわりつくような感覚に何度も叫び出しそうになった。

そこで僕は安心させるように言う。

「大丈夫だよ。僕がいるから」そして小さな手を伸ばしてママの頭をなでるのだ。ママが泣き止むまで、あの怪物を忘れるまでそばにいてやるのだ。そうするとママは「お父さんにそっくりね。」そう言ってはにかむように笑いかけるのだ。


今は気持ち良さそうに寝ている。良かったと思いまた眠りにつこうとしたとき枕元でバイブ音がした。慌ててママの寝息のリズムに耳をすませたが、特に目を覚ます様子はなく、自分の心臓がひどく脈打つのが聞こえるだけだった。ほっと安堵して、昨日スマホ触ったまま寝てたのかと思い枕の下に滑り込ませたスマホを引っ張り出して画面をみるとクラスの女子からだった。

つい昨日のことだった。

「え?」思わず後ずさりをした。いま何て言った?信じられない気持ちでクラスの女子を前に硬直する。黒髪のショートボブの女の子だ。だが、同じ図書委員で話した程度の知り合いだ。鞄の重みでよろめきかけた重心を支えようと手をかけた机が動揺を示すかのようにガタンと音を立てた。「あの...」「えっと?何て?」その子は無言で鞄の中からファイルを取り出しチラシを見せた。映画の広告だった。涙は感情によって変わり、嬉しい悲しい気持ちだと涙の味は甘く、悔しい腹立たしい気持ちだと涙は塩辛いという話がもとになった有名な小説だ。映画化したとは知っていたがその程度だ。「今度二人で映画行けないかなって...嫌...かな?前に小説持ってたのみてて...」映画...二人で...あらためてじっとみつめるととてもかわいらしい子だった。髪の毛で隠れていて表情はよくわからないが間からみえる瞳は息を飲むほどきれいだった。伏せ目がちではあるがなんだろう濁っておらずとても澄みきった目をしている。その目を見て覚悟が決まった。「大丈夫。」「ほんとにいいの?」すこし驚いた顔をする。「うん。」「良かった!また日にちとか連絡するね」安心したのかふわっと笑みをこぼす。花が咲くみたいに笑う子だなと思った。そのままこちらが返事をする前に自分の席まで戻ってしまった。その子の取り巻きであろうクラスメイトがひそひそと口々に話しかける。居たたまれない気持ちになって逃げるようにして教室を出た。背後できゃーと黄色い声が聞こえてきたがこれ以上聞いてしまわないようにぐんぐん足を速める。さっきの言葉。「大丈夫」って初めて嘘をついた。

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