3、

 姉の仕送りのおかげで、どんどん仕事が減る中でも、ぼくらはなんとか生活ができていた。とはいえ、父は相変わらず酒に湯水のごとくお金を使うので、暮らし向きは苦しいままだ。姉がいなくなってから、父はぼくにますますつらくあたるようになった。

 そんな中、郵便屋さんがひとつのふみを届けてくれた。姉からの手紙のようだった。ぼくはそれを食い入るように見つめた。


『リイチへ。

 久しぶりね。元気にしていますか?

 姉さんは、大変なこともあるけれど、なんとか元気にやっています。

 あねさんたちの中には、たまに意地悪な人もいますが、私によくしてくれる人もいっぱいいます。その人たちから、お客さんがくれたという、金平糖というお菓子をわけてもらいました。手紙と一緒に入れておくから、よければ父さんと食べてくださいね。

 とむらい屋の仕事は大変だと思うけれど、姉さんは遠くから応援しています。

 チイより』


 読み終わった時、がらがらと戸口が開いた。お客さんだ。ぼくは慌てて手紙を閉じ、受付台の下に隠した。

 喪服を着たお客さんに、「この度はご愁傷様です」と頭を下げる。じっとりと嫌な眼差しをしていたお客さんも、一応、ぼくに合わせて頭を下げてくれた。空っぽの骨箱を渡し、お金の入った包みを受け取る。包みはずっしりと重かった。久しぶりのまとまったお金だ。これで、生活に必要なものを、やっと買い足しに行ける。

 一通り仕事を終え、それから街へ出るころには、辺りはすっかり夕闇に沈んでいた。

 日用品を買った後、少しなら贅沢をしてもいいだろうと、ぼくは屋台でごはんを買った。薄べったい小麦の生地に、茹でた青菜と、煮込んだ豚肉を巻いたものだ。豚肉は茶色くてらてら光っていて、煮詰められたタレのにおいが鼻先をくすぐった。

 せっかくだから、できたてのうちに、ぼくは店先でそれを食べることにした。一口かじると、香ばしいにおいとともに、肉汁がじゅわっと溢れ出てくる。

「チビは本当に美味しそうに食うなあ」

 屋台のお兄さんが、そう言ってくしゃりと笑った。

「久しぶりに、こんなごちそうを食べたから」

「そうかい。……親父さんは元気か?」

「……うん」と答える声は、どうしても弱々しくなってしまう。

「つらいだろうけど、チイちゃんもがんばってるんだし、お前もしっかりしないとな」

 お兄さんの目には憐れみが浮かんでいた。ぼくが普段受けるよりも、ずっとずっと柔らかい眼差し。外の人でぼくに親切にしてくれるのは、この人だけだった。

「そうそう、これはお前にだから話すんだけどな」

 唐突に言ったお兄さんは、そっと声をひそめながら、続ける。

「最近、うちの爺さんが妙なものを見たって言うんだ」

「妙なもの?」

「なんでも、奇妙な行列だとか……。うちの爺さんは西洋趣味があるから、『パレード』なんて口にしていたが」

 ぱれえど……とぼくは繰り返す。

「爺さんが言うには、ありゃこの世のもんじゃねえ、妖怪変化の類だと。中には死んだ婆さんが歩いていたらしいぜ。……とうとうボケたのかねえ。爺さんがお前の世話になる日も近いかもな。……あ、いらっしゃい!」

 お兄さんは愛想よく挨拶して、小麦の生地を鉄板の上にくるっと伸ばした。ぼくは邪魔者にならないように、急いで生地を口に押し込み、立ち去ろうとする。ごちそうさま、と言って去ろうとした時、お兄さんがそっと耳打ちしてきた。

「最近何かと物騒だからな。チビも気をつけろよ」

 


 屋台の並ぶ道を下る。下に行けば行くほど店のたたずまいは貧しくなる。僕はその最下層に住んでいる。

 赤ちょうちんの灯りが細ぉくなって、道はどんどん狭く、暗くなる。長い影がにょろりと伸びたり縮んだりする。

 たくさんの荷物のせいで、身体が不安定に揺れる。帰りたくなかった。父と二人残された、あの家に。

 地面を見ながら、そうやってとぼとぼと歩いていた時。

 遠くの方から、祭囃子みたいな音楽が聞こえた。

 色んな楽器と、人の喧騒。

 ひとっこひとりいない道を歩いていたのに、急にお祭りの中みたいな騒ぎに包まれる。

 大きな神輿、赤色の飾り。その上で踊る、丸い帽子をかぶった女の子は、肌が透き通るように白くて、折れそうに細っこい。夜の闇と同じ色をした髪が、風もないのにさらさらとなびく。

 女の子の大きな瞳が、ぼくを捉える。同時に、神輿を担いでいた人たちの足も止まった。ざ、と視線が揃う。みんな、顔に薄い笑みを浮かべていた。

 音楽も止まって、突然聴覚が奪い去られたみたいに、周りが静かになる。

「絶望のにおいがする」

 女の子が言った。

「絶望? 死体のにおいじゃなくて?」

「死体のにおいぃ? きゃははははは! 変なのぉ」

 何がおかしいのか、ぼくにはまるでわからない。

「絶望のにおいよ。とっても深くて、美味しそうなにおい……。でも、まだまだ熟れるわね、きっと。くくっ……」

 女の子が低く笑うと同時に、彼女の首がぐらんと傾いだ。その動きにぞっとしていたら、女の子は四肢をしなやかに曲げて踊り始めた。金糸の織り込まれた長い袖が、光を反射してちらちらと光った。

「あなた、退屈してるんでしょう? パレードに入りたい? 入りたいわよねぇ。こんな毎日じゃ、つまらないもんねぇ」

「いや……」とぼくはとっさにかぶりを振った。本能的に、関わってはいけないものだと理解していた。

 これはきっと、百鬼夜行なのだ。

「あら、つれないわねぇ。すごぉく楽しいのに」

 女の子は残念そうに言って、ぼくから視線を外した。

「あたしはロン。また来るわ」

 しゃらん、と大きく深く鈴の音が響いて、パレードがまた動き出す。ろうそくの灯された色とりどりのちょうちんが、神輿を飾った金箔が、ぼんやりと夜の闇を照らす。

 ぼくは呆然とそのパレードが去るのを見続けていた。見てはいけないものだとわかっているのに、ずっと目を離せずにいた。

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