忍耐は許容ではない
三鹿ショート
忍耐は許容ではない
彼女は、何時から変化したのだろうか。
共に生活を開始した頃は、笑顔を浮かべる時間の方が多かったはずである。
それが今では、怒鳴りながら暴力を振るい、時には刃物で私を刺そうとすることもあった。
やがて、傷だらけの私を抱きしめながら謝罪の言葉を吐くということが彼女の定番と化したが、私はその言葉に対して、一度も返事をしたことがない。
彼女の言葉はその場限りのものであり、明日どころか、数分後には己がどのような言葉を発したかも忘れ、再び私を殴るからだ。
無駄だと分かっていることに、一々反応していては、疲れるだけである。
だからといって、彼女の暴力を容認しているわけではない。
彼女のような人間が相手ならば、容易に組み伏せることは可能だが、それを実行してしまえば、これまでの暴力行為に対する怒りが一度に放出されてしまい、彼女の生命を奪ってしまう可能性が高かったからだ。
私が耐えているのは、彼女のためである。
だが、その忍耐が存在するからこそ、彼女は私に対して暴力を振るい続けている。
抜け出すことが出来ない迷路に入ってしまったかのような状況である。
私は、どうすれば良いのだろうか。
***
事情を知っている友人は神妙な面持ちで、同じ言葉を吐く。
「彼女から離れた方が良い。このままでは、どちらかが破滅するまで終わらないのではないか」
友人のこの言葉こそ、最善の方法なのだろう。
それでも私が彼女から離れようとしないのは、彼女を愛していたからである。
学生時代から共に過ごしていたために、彼女が存在しない生活など考えることができなかったのだ。
私が意志を曲げようとしないことも友人は理解しているために、呆れるしかないようである。
しかし、その日の友人は異なっていた。
酒を一口飲んだ後、腕を組みながら首を傾げると、
「そもそも、何故彼女はそれほどまでの怒りを抱いているのだろうか」
そのように告げられ、私も同じように首を傾げた。
確かに、これまで彼女の問題行動ばかりを口にしてきたが、根本的な原因について考えたことは、一度も無かった。
おそらく、私の目が届いていない場所に原因があるのだろう。
それを探り、私が解決すれば、彼女は元に戻るのだろうか。
そのような淡い期待を胸に、私は彼女の行動を観察することにした。
***
彼女について、私が何も知らなかったということが分かった。
何故なら、彼女の仕事が、聞いていたものと異なっていたからである。
職場の最寄り駅は聞いていたものと同じだったが、その職場は、薄暗い路地を抜けた先に存在していた。
屈強な外見の男性たちに頭を下げると、彼女は扉の奥へと消えていく。
扉の上に存在する桃色の看板を見ただけでは、どのような場所かは分からなかったために、私は男性たちに問うことにした。
男性たちは傷だらけの私に不審な目を向けてきたが、何も知らない一般人だと察したのだろう、この場所について説明をしてくれた。
私は、耳を疑った。
だが、営業時間を迎えた店へと向かったところ、男性たちの言葉が真実だと分かった。
現実を受け入れなければならないが、私の脚はそれ以上動くことを拒んでいる。
しかし、立ち尽くしている私を、店員が個室へと案内していった。
ここまで来てしまったのならば、行動しなければならないだろう。
私は一人の女性を指名し、やがて姿を現した相手に向かって、告げる。
「きみの怒りの原因が、よく分かった」
彼女は驚きに満ちた表情で、その言葉を聞いていた。
***
彼女が新たな職場で働き始めた理由は、会社で大きな損失を生み出してしまったからだった。
補填しようにも金銭的な余裕が無かった彼女に対して、給料が良いという理由で、上司は現在の職場を紹介したらしい。
確かに給料は良かったが、半分以上は損失の補填として持っていかれてしまい、仕事内容は、傍若無人な客の要求に応えなければならないというものであり、彼女の精神はみるみる削られていった。
男性たちによって傷つけられていると考えるようになってしまったために、彼女は私ですら敵だと認識してしまい、上司でも客でも無い私に対して、怒りを発散していたというわけだった。
***
怒りの原因が分かったために、私は彼女をこの職場から連れ出そうと決めた。
だが、損失の補填のためには、逃げ出すことができないと彼女は告げた。
それならば、損失をする相手が消えれば良いだけの話である。
彼女を見張るようにと友人に依頼してから、私はかつて彼女が働いていた職場へと向かった。
***
彼女が私に対して暴力を振るうことは無くなり、今では笑顔を浮かべることが多い日々を過ごしている。
平和な日常を取り戻すために私が行ったことは、一つだけである。
それは、彼女がかつて働いていた会社の最高責任者に対して、事実を述べたことだった。
損失を生み出した人間を売り、それによって得た金銭を補填としているということを告げたところ、相手は寝耳に水といったような表情を浮かべた。
何故なら、そのような命令をしたことは一度も無かったからだ。
真実を言っていると即座に信ずることは出来ないが、会社の他の人間に話を聞いたところ、同じような人間が他にも存在していたことが判明した。
何らかの損失を生み出した人間が辞職をすることは珍しくは無いが、その数は明らかに多く、同時に、その損失というものがそもそも存在していないということも判明したのである。
くだんの上司を追及したところ、偽りの損失を作り出しては店に紹介し、紹介料を手に入れていたということだった。
会社の最高責任者は、この事実を私が明らかにしないことの代わりとして、金銭的な援助を申し出た。
勿論、私が断る理由は無かった。
その後、くだんの上司がどうなったのか、私には分からない。
噂では、地下の地下にて、くだんの上司に似た人間が、死が救いであるかのような行為に晒されているらしいが、確認する気は無かった。
忍耐は許容ではない 三鹿ショート @mijikashort
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