第三章:彩りの国、リーテン共和国

 船を降りた瞬間から、花の良い香りが漂ってきていた。

 船着き場から少し歩いてすぐ。色とりどりの花でできた大きなアーチをくぐると、もうそこはリーテン共和国の首都だった。

 彩りの国とは言い得て妙ね。どこを見てもカラフルな花、布、壁……街の人々は楽しそうに行き交い、たくさんの露店が並んでいる。お祭りでもやっているのかしら、と思うほどだけど、これがリーテンの日常だそうだ。

 建物は船から見た通り、アラビアン調にまとめられていて、グラン王国とは違う国に来たことを肌で感じた。

 これは映え。映えだわ。あんまり言い過ぎると『先輩、ちょっと無理してる感ありますよ』なんて後輩にからかわれたっけ。いいじゃない。私だって映えたかったんだもん。


「ハヅキちゃん、この街を気に入ってくれたみたいで嬉しいぜ」

ジルさんがにこにこと満面の笑みを浮かべている。ハッ、また浮かれた顔できょろきょろしすぎた!

「せっかくだ。ノアとこの街を少し観光するといい。これはお小遣いな」

そう言い、ジルさんは懐から小さな袋を取り出し、私の手に乗せる。中には硬貨が詰まっているようだ。

「えっ、そんな、いいんですか?」

「ああ、好きなものを買いな」

ジルさんはまた完璧なウインクを披露する。や、やだ、これは絆されそう……。

「あんたには無いけどな、ノア!」

カッカと笑われ、ノアくんは別にいいですよっと頬を膨らませた。

「それよりもハヅキさんをお金で釣らないでもらえます?」

「金がない男より、金がある男のほうがいいだろ。普通は」

「そ、そんなことは……っ」

それ以上言い返せない一文無しのノアくん。いやぁ、それは確かにそうよね。前世でもお金がある男の人のほうがモテてたもの。と思ったけれど、口には出さないでおいた。

「じゃあ日が落ちたらあの建物に来てくれ。ダウム家の別宅だ」

ジルさんが指したのは、ちょっと遠いけれどはっきりと見える、赤い外壁の大きなお屋敷だ。

 ひらひらと手を振りながら、ジルさんはディーターくんを伴って人混みの中に消えていった。


「私たちも行こっか、ノアくん……ノアくん?」

何故か黙って動かないノアくんの顔を覗き込む。ちょっと口を尖らせて、眉をハの字にしていた。

「ハヅキさんは……お金がある男の人のほうがいいですか……?」

「えっ?」

縋るように見つめてくるノアくん。そんなこと気にしなくていいのに。

「お金は大事だけど、それだけで絶対良いとはならないんじゃないかな。ジルさんだって冗談で言ったんだよ」

お金はあるに越したことはないけれど、他にも大事な要素はたくさんある。モテることとそれで幸せになれるかどうかは別の話だもの。

「そうですか……?」

ノアくんはおずおずと私の右手に触れ、握ってきた。

「ハヅキさん、ジルさんのものになったりしませんよね……」

「ええ? それはないでしょ。だって私はノアくんの召喚獣なんだから」

「そう、そうですよね。僕の召喚獣だから……」

「どうしたの、大丈夫? 観光できそう?」

握られた右手を握り返し、軽く振って見せる。お金がないことそんなに気にしてるのかな。ちょっと心配そうになった私の顔を見て、ノアくんは笑みを作った。

「はい、すみません、変なこと言って。大丈夫です」

「そう? 話したいことがあったらいつでも言ってね?」

悩みはできれば共有して欲しい、と思うのは先輩をやってた癖かな。でも無理に聞き出すのも可哀想だし。

「はい。観光しましょう、ハヅキさん。あっちに露店がたくさんありますよ」

ノアくんは少し気を取り直した様子で、大通りの方を指差す。ここはぱーっと観光を楽しんで息抜きした方がよさそうね。

「うん、行こう行こう!」

私たちは手を繋いだまま、大通りへ駆け出した。


 本当にいろんなお店が出ていて目移りしてしまう。いわゆる屋台飯というものもすごく気になったけど、食べ過ぎるときっと夕食が入らなくなっちゃうだろうし。

 ノアくんが杖が並んでいる魔具のお店でしばらく立ち止まっていたから、「ジルさんのお小遣いで買おうか?」と聞いたら苦い顔をして断られた。自分のお金で買いたいみたい。まあ、そりゃそうか。

 結局迷いすぎてあまり買うことなく大通りをブラブラと歩いているけど、それだけでもとても楽しかった。

「そこのカップルさん!」

不意に横から声をかけられる。カップル? って、私たちのこと? 周りを見たがそれっぽい二人組はいない。

「そう、そこの銀髪のお姉ちゃんと魔術師のお兄ちゃんだよ! 観光客かい? 随分と仲が良いんだねぇ、手なんか繋いじゃって。いいねぇ、お兄ちゃん。こんなきれいな恋人がいて」

アクセサリーを並べた露店の男主人がにやりとノアくんに笑いかける。

「えっ!? あいや、そ、そういうわけでは……」

そういえばずっと手を繋いだままだったわね。全然気にしてなかった。最近ノアくんとの距離感がバグっちゃってる気がしないでもない。

 ノアくんはあわあわと赤面したが、手は離そうとしなかった。

「ペアブレスレットなんてどうだい? いい思い出になるよ」

主人は小さなチャームがついたお揃いのブレスレットを勧める。

「わ、素敵」

華奢なタイプのシンプルなブレスレットだ。私の呟きを聞き逃さなかった主人は、これ幸いと畳み掛ける。

「これは恋愛成就、カップルなら仲がずっと円満になれるようなまじないが掛けてあるんだ。どうだい、お二人にぴったりじゃないか?」

「恋愛成就……」

ノアくんが急に真剣になる。ど、どうしたんだろう。

「あの、それ、ください」

ノアくんらしからぬ即決。一瞬驚いた私は、慌ててジルさんのお小遣いを取り出す。だけど、ノアくんに制止されてしまった。

「僕のお金で買います。ギリギリ足りそうなので……」

「え、そ、そう?」

まいどー! と主人の景気のいい声が響く。

 ブレスレットをふたつ受け取ったノアくんは、私の手を引いてあまり人気のない裏道へと入っていった。

「どうしたの、ノアくん?」

手を離し、私に向き合うノアくん。ブレスレットの片方を私に差し出す。

「これ……よかったら」

「くれるの? すごく嬉しいけど……ほんとにお金大丈夫?」

「はい。これくらいいくらでも買えるような男になるので、大丈夫です」

「?」

ノアくんは大きく息を吸い込んで、吐いた。

「前も言ったかもしれませんが、僕、貴女に相応しい男になります。召喚師としても、男としても、ハヅキさんの隣にいても遜色ない人間に、絶対なってみせます……!」

私の目をしっかりと見てそう言うノアくん。

 そして私の手首をそっと取ると、ブレスレットを付けてくれる。その優しげな手に、私はちょっとドキドキしてしまった。

「だから、待っててください。きっと、きっと待っててください」

「う、うん……」

私は小さく頷くことしか出来なかった。

「あ、僕にも付けてくれますか?」

ノアくんのブレスレットを受け取り、その手首に取り付ける。

「えへへ、お揃いですね」

チャームがちゃらりと可愛い音を立てる。本当に嬉しそうなノアくんに、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 私がその思いの正体に気づくのは、まだ先の話だ。



 日が暮れたころ、私たちはダウム家の別宅に到着した。アラビアンの王宮のような建物だ。

 ノアくんによると、五大豪族は各地方の自分の領地に本宅を構えているんだけど、評議会のために首都にそれぞれ豪華な別宅を持っているらしい。つまり、この都にはこんなお屋敷があと四つあるということだ。そういえば観光している間、こんな風な色違いの建物をいくつか見たかもしれない。

 門番の人に声を掛けると、すぐに中へと通してくれた。

 美しい絨毯が敷かれた一室に案内される。噴水のある中庭に直結していて、開放的な部屋。

「よぉ、待ってたぜ。観光は楽しめたか?」

部屋の中央にどんと置かれた背の低いソファに寝そべりながら、ジルさんは入ってきた私たちに手を振った。周りには三人ほどの美女をはべらせ、果物を食べさせてもらったり、大きな葉っぱで仰がれたりしている。せ、石油王かな? ディーターくんはソファの後ろで微動だにせず控えていた。

「はい、楽しみました! あ、でもお金はあまり使わなかったんです、お返ししますね」

「ああ、いいよいいよ。取っときな。オレは一度渡した金は返させねぇ主義だから」

「い、いいんですか? ありがとうございます」

申し訳なく思いつつ、取り出しかけた袋を懐に戻す。

「そのブレスレット、買ったのか?」

目ざとい。ジルさんは私の手首に光るブレスレットにすぐさま気づいた。これはモテる男の観察力ね……。

「はい、これはノアくんに買ってもらったんです。お揃いで!」

「ほう……?」

ジルさんは私の後ろのノアくんに目を細めて見せる。

「牽制されちまったみたいだなぁ、ははは」

「え?」

私はジルさんとノアくんを交互に見る。ふたりとも笑みは浮かべているが、どこか目が笑っていない。なに? また喧嘩? なんで?

 そんな時、こつこつとドアがノックされる。召使いの人が一礼して部屋に入ってきた。

「ご夕食の準備が整いました。ジルヴェスター様」

「おう、サンキュ」

ジルさんは美女たちに目配せして下がらせると、伸びをしながら立ち上がった。

「じゃあ、行くか。食堂はあっちだ」

ディーターくんとともに、ジルさんは部屋を出ていく。すれ違いざまにノアくんの肩をぽんと叩き、「やるじゃねぇか」と小声で言っていた。

 どういう意味なんだろ? よく分からなかったけど、とりあえず小走りでジルさんたちについていった。


 色とりどりの果物が山盛りになった大皿が中央に置いてある大きめの丸テーブルに、四人で座る。

 なんとなーくのイメージで、床に座って手で食べるのかと思っていたけど、特にそういうわけではないみたい。ちゃんとフォークとスプーンが用意してあって、香辛料のいい香りが漂う料理が並んでいた。

「じゃ、いただきます!」

ジルさんは楽しそうにまた手を合わせて挨拶し、ディーターくんとノアくんも同じように続く。あれ、それまだ流行ってたんですか!

 異世界に転生して現地の人に教えたのが「いただきます」って、いいんだけど、なんだかなぁ。私はちょっと困ったように笑いながら、自分も控えめに手を合わせた。


「で、仕事の話をしてもいいか?」

食べ始めて少ししたのち、ジルさんが切り出す。ノアくんははい、と言いながら座り直した。

「今回の仕事は一言でいうと、『ダウム家の商船を探して欲しい』だ」

「商船を……探す?」

「ああ、うちの大事な商品を大量に乗せた商船が、忽然と消えたんだ。海の上で、な」

「そんなことあるんですか?」

半信半疑なノアくんに、ジルさんはお手上げのポーズをする。

「オレだって信じられなかったよ。だけどそうとしか考えられねぇんだ。海岸での目撃情報を最後に、商船は消息を絶っちまった」

「海の魔物に襲われて沈んだとか……?」

ノアくんは考えを巡らせる。

「その可能性も否定はできねぇが、帆船を沈ませるほどの大型の魔物がいるような海域じゃねぇし、そんな航路を取るはずもねぇ。その場合、残骸が打ち上げられてるかと思ったが、近くの海岸にはなんの痕跡もなかった。ディーターが調べた限りでは。なあ?」

「はい、その通りです」

ディーターくんがこくりと頷く。

 ジルさんは神妙な面持ちになり、身を乗り出す。

「オレはな……盗まれたんじゃねぇかと思ってんだ。商船一隻、まるごとな」

「盗まれた? まるごと?」

予想外の推理に、私は思わずオウム返しをしてしまった。

「そう、あの船にはマジで貴重な品が大量に積んであったんだ。特に魔術師にとっては。もしかしたらどっかの魔術師が結託して盗んだんじゃねぇかってな」

「そんな、突拍子もない」

ノアくんがはは、と声を漏らす。確かに船まるごと盗んじゃうなんて、可能なのかしら。

「ま、この辺に関してはただのオレの勘だ。沈んだのか盗まれたのか分からねぇが、ともかく商船を見つけて欲しい。回収できる商品は回収したいんだ」

「……分かりました」

ノアくんは少し考えた後、首を縦に振った。ジルさんはニッと笑う。

「悪いな。未知の敵がいるかもしれねぇから迂闊に普通の人間に頼めなくてよ。あんたらならきっと大丈夫だろう。神獣バハムートがいるからな」

「えへへ、頑張ります」

頼りにされていることが素直に嬉しくて、私は照れながら言った。

「じゃあ早速明日、ディーターに最後の目撃情報があった場所に連れて行かせるが、いいか?」

私とノアくんはしっかり頷く。

 異世界での初めてのお仕事に、緊張と少しのワクワクを覚えながら、私は心のなかで気合を入れた。


 食事を終えると、女性の召使いの人に大浴場まで案内された。ま、まさか、湯船に浸かれるなんて……しかもこんなに大きな!

 召使いの人は体を洗ってくれようとしたけれど、それはさすがに丁重にお断りして、私は久しぶりの湯船に首元まで沈んでいた。

「はぁあ~……」

生き返るぅ。前世でも仕事が忙しいときはのんびり湯船に浸かることは少なかったなぁ。いやぁ、大切ですよ、ゆっくり温まって体をほぐすことは。肩こりひどかったもの。酷いときは頭まで痛くなっちゃったりして。

 あれ、そういえばこの姿になってから肩こりとか感じないな。そりゃ、神獣バハムートが肩こり持ちとか残念極まりないか。うむ、召喚獣に生き返って一番良かったことかも。

 しかし、肩こりがなくともお風呂は気持ちいい。しばらく温まっていると、ちょっと眠くなってきてしまう。

「っ! いけない、いけない」

ハッと我に返る。あんまり長風呂してもご迷惑よね。そろそろ上がりましょう。

 脱衣室で待ってくれていた召使いの人が、タオルと着替えを手渡してくれる。至れり尽くせりで申し訳ない。ありがとうございます。

 私は、用意してくれた寝間着に着替え、そのまま寝室へと案内してもらった。


 なんだか勝手にノアくんと同室だと思いこんでいたけど、どうやら一人部屋みたい。そりゃそうか、普通はそうよね。

 大きな窓から夜空を眺めることができる素敵なお部屋。中央には天蓋付きのベッドが置かれている。わあ、ちょっと憧れあったのよ、天蓋!

 召使いの人に丁寧にお礼を言って、ドアを閉める。一人になった。こうなったらもう、これでしょ!

 私は天蓋付きのベッドに思いっきりダイブした。いい感じの反発が帰ってくる。高級そうなシルクの肌触りがとても気持ちいい。

 えへへ、スイートルームではしゃぐ庶民だわ。

 なんてことをしていたら、ドアがノックされた。私は慌てて起き上がり、どうぞ! と叫んだ。

「よお、ハヅキちゃん……どうした?」

「え? えへへへ、なんでもないですよ?」

入ってきたのはジルさんだった。よかった、はしゃぐ庶民を目撃されなくて。慌てていたのがバレたのか、ちょっと不思議そうな顔をされたけれど、そこはスルーよ。

「なにか御用ですか?」

お茶でも入れようかしら、と部屋を見渡していたら、ジルさんがお構いなくと片手を上げた。

「ハヅキちゃんの顔を見に来ただけだよ」

「顔? それならさっきも見てたじゃないですか」

心底ぽかんとすると、ジルさんは軽く苦笑した。

「本当に、ハヅキちゃんって鈍感だよな」

ジルさんは私に歩み寄り、まだ湿っている私の銀髪をその手で梳いた。

「駄目だぜ、こんな無防備な格好のときに男を部屋に入れちゃ」

「ええ?」

だって来たのはそっちじゃない。なにか用があるのかと思ったのに。ちょっと不満げな私の様子が面白かったのかジルさんはくっくと笑って、私の両肩を優しく押した。

 私はそのままベッドにぽすんと倒れ込む。状況を理解する間もなく、ジルさんは両手をついて私の上に覆いかぶさった。

「ほんと、隙だらけだよ、ハヅキちゃん。これはノアも気が休まらないわけだ」

「え……」

これは……まずいのかな? さすがの私も少し危機感を覚えて身をよじる。

 だけど、流れるようにジルさんが私の両腕を押さえつける。そんなに強い力じゃないのになんとなく動けない雰囲気。

 ジルさんは私の耳元に顔を近づけ、ゼロ距離で囁く。

「オレのものになれよ、ハヅキちゃん」

ジルさんの吐息が耳にかかり、ぞわぞわと変な感覚が体を走る。

「っ、それは無理ですよ、だって私はノアくんの召喚獣ですし……」

「そういうことじゃねぇんだよな」

ジルさんは私の手首のブレスレットを、人差し指で撫でた。

 そういうことじゃないって、どういうこと? 神獣バハムートが欲しいって話ではないのかな……。でも私はノアくんの召喚獣だし、ノアくんに魔力を貰わないとこの世界にいられない身だし。ジルさんの希望はきっと叶えられない。

 思ったよりも私は困った顔をしていたようだ。ジルさんはふっと微笑んで、押さえつけていた腕を離してくれた。

 起き上がろうと半身を起こしたら、不意に頬に軽くキスをされる。

「へっ?」

頬をおさえて目をパチクリとさせる私に、ジルさんはいたずらっぽく笑った。

「まだオレにもチャンスがある気がするよ」

「?、??」


「待ってください!!」


 ばんっとドアが開く。私は驚きすぎて軽く飛び上がった。ジルさんはゆっくりとドアの方を振り向く。

「よぉ、どうした、ノア? レディの部屋にノック無しで入ってくるなんて無礼だぜ」

「どうしたじゃないですよ! 無礼も何も、なんでここにいるんですか、ジルさん!」

ノアくん、すごい形相。

「というか、なんでベッドにふたりで……っ!!」

「そいつぁ、内緒だよな。ハヅキちゃん?」

「へっ? え、いや……」

にやにや笑うジルさんは最高に楽しそう。ノアくんは肩を震わせ、こちらに勢いよく走ってくると、ジルさんの腕を思いっきり掴んで彼を立ち上がらせた。

「ほら! はやく出ていってください!」

「え~?」

ぐいぐいとジルさんの背中を押し、ドアに向かわせるノアくん。

「ったく、次こんなことしたら許しませんからね!」

「なんでノアに許されなきゃなんねぇんだよ? ま、いいや。おやすみ、ハヅキちゃん!」

ジルさんを部屋の外まで追いやって、ノアくんはおやすみなさい! と叫びながらドアを強めに閉めた。

「全く……」

ノアくんは深い深いため息をついて、こちらを振り向く。なんか、怒ってる?

「部屋を分けられて、なんだかものすご~く嫌な予感がしたんで部屋の前まで来たらジルさんの声がして、思わず飛び込んでしまいました。すみません」

こちらに歩み寄りながら、ノアくんはむすっとした声色で言う。ベッドに座る私の前まで来ると、跪いて私の手を取り、見上げた。

「変なことされませんでしたか? 大丈夫でしたか?」

「え、あ、うん、多分……」

頬にキスは、変なことに入るのだろうか。でも、そういう挨拶をする国もあるし……。

 曖昧な私にしびれを切らしたかのように、ノアくんは立ち上がり、バッと私をハグした。

「隙だらけなんですよ、ハヅキさん……」

それ、さっきも言われた気がする。

「もう、夜に男を部屋に入れちゃ駄目ですからね」

「……ノアくんはいいの?」

「っ! そ、それは、いいんです!!」

いいんだ。なんだかもう訳がわからないけど、まあいいか。ノアくんの腕の中で安心して眠くなってきてしまった私は、考えることを放棄し始めていた。

 うとうとする私に気がついたノアくんは、私をそっとベッドに寝かせてくれる。

「じゃあ、僕は部屋に戻るんで……」

離れようしたノアくんの左手を、私は無意識に掴んでいた。えっ、とノアくんが振り向く。

「ここに……いて」

ノアくんがいた方が安心する。彼の手を引き寄せ、私はその手に頬を寄せる。

「は、ハヅキさん……」

ノアくんはベッドに腰掛け、もうほとんど眠りについてしまった私の頭を、躊躇いながらも撫でてくれた。

「本当に、困ったひとですね……」

そんなノアくんの呟きは、私の耳にはもう届いていなかった。



 がたんごとん。荒い道を走る馬車。大きめの石を踏むたびに、上下に揺れる。私は大丈夫だけど、隣のノアくんがだいぶ気持ち悪そう。窓にしなだれかかって、真っ青な顔をしている。酔い止めの薬とかあればいいんだけどね。このあとちょっと休憩させてもらおっか。

 そう思って向かいに座るディーターくんを見た。彼は静かに目を閉じ、揺れる馬車の中でも微動だにしない。ものすごいバランス感覚……。

 翌朝、私とノアくんはディーターくんに連れられ、ダウム家別宅をあとにした。馬車に乗せてもらい、今こうして、最後の目撃情報があった海岸まで送ってもらっている。首都を出て、しばらく郊外を走っているところだ。

「ディーターくん、このあとちょっと休憩させてもらってもいいかな? ノアくんが吐いちゃいそう」

ふっと目を開け、ディーターくんは私に顔を向け、感情のない声で言う。

「はい、かしこまりました」

「う゛っ、あ、ありがとうございます……」


 五分後、馬車は道の端に停止する。

 ノアくんは口元を抑えながら草陰へと走っていった。大丈夫かしら。

「ディーターくん、あとどれくらいで着きそう?」

「はい、ノア様の体調次第ですが、通常通りだと正午過ぎには到着します」

「そっか、ありがと」

「いえ、なんでもお聞きください」

いや、この子ほんとうに……友達の家にあった喋るAIロボットにそっくりなんだよなぁ。

 ディーターくんに好きなものとか、嫌いなものとかあるのかしら。表情が動いたところ、ちょっと見てみたいわね。

 なんでもお聞きくださいと言われて、じゃあ、と私はディーターくんのことを聞いてみた。

「ディーターくんって、何歳?」

「約十五歳だと思われます」

「約? って、どういうこと?」

「ディーターは赤子の頃より孤児ですので、正確な誕生日は把握しておりません」

「へぇ~」

孤児だったんだ。じゃあ、ジルさんに拾われたとか、そういうのかな。というかこの子、一人称自分の名前だったのね。ちょっとだけディーターくんのことが分かって嬉しい気持ちと、さらなる興味が湧いてしまう。

「ディーターくんの好きなものってなあに?」

「ジル様です」

「え、じゃあ逆に嫌いなものは?」

「ジル様に害なすものです」

即答! 真顔で! ものすごい忠誠心だわ……。若干でも困ったり考えたりするかなと思ったけど、全くそんなことはなかった。

「そっか。ディーターくんはジルさんに仕えて長いの?」

「はい。およそ五歳の頃に拾っていただき、十年ほどになります。ディーターという名も、拾っていただいたときに付けていただきました」

思ったよりずっと長かったわ。

「そっかぁ。すごいね。ディーターくんはとっても強いし、なんでもテキパキこなすし、ジルさんも感謝してるでしょうね」

「……そう、でしょうか」

お? 彼の表情が少し緩む。

「ジル様のお役に立てているのであれば、それほど嬉しいことはありません」

彼なりに微笑んでいるのだろうか。ちょっっっとだけ口角が上がっているような気がするような。

 あんまり質問攻めにするのも悪い気がするし、この微笑みが見れただけで満足。私はきっとそうだよ、と微笑みを返した。


「ず、ずみまぜん……もどりましたぁ」

ゾンビみたいに歩きながら、ノアくんが戻ってくる。さっきよりは顔色がマシになっているかな? 私たちは再び馬車に乗り込み、目的地を目指した。



 リーテン共和国の首都から馬車で数時間。私たちは海辺に位置する小さな漁村に到着していた。御者さんにお礼を渡して見送ってから、ディーターくんが海岸まで私たちを連れてくると、沖の方を指差して言う。

「消えた商船は、あの辺りで目撃されたのが最後です」

「うーん、特にそれっぽいものはなにもないね」

海岸には、おそらく漁業用の網や道具が転がっている程度で、商船の痕跡といったようなものはなかった。

「とりあえず、あそこの漁村で話を聞いてみますか?」

ノアくんが片手で頭を抑えながら漁村に目をやる。まだ気持ち悪さが抜けきっていないようだ。

「大丈夫? もう少し休んでからでもいいよ」

「大丈夫です、そのうち元に戻ります」

そう? ならいいんだけど。ノアくんって無理するところありそうだからしんどそうなら強制的にでも休ませよう。

 そう思いつつ、私はディーターくんに向き直る。

「ディーターくんは帰るのよね? ここまで送ってくれてありがとう」

「いえ、このままお手伝いをしろとジル様から仰せつかっておりますので、お供致します」

「あ、そうだったの」

人手が多いのは助かるわ、と素直に喜んでいたら、ノアくんがぼそりと私に耳打ちする。

「多分お目付け役ですよ。ちゃんと初仕事ができるかどうかの」

「えっそうなの?」

「ご自由にご想像していただいて結構です。ジル様からは『ディーターは好きに使え』とお伝えしろとのことでしたで、ディーターのことはお好きにお使いください」

ぺこりと頭を下げるディーターくん。ま、お目付け役だとしてもちゃんとお仕事すれば問題ないのよね。

「ありがとう、じゃ、私たちと一緒に聞き込みしてくれる?」


 のどかな漁村だった。

 質素な家がぽつぽつと並んでいて、魚がたくさん干してある。大人たちはせっせと働き、子どもたちはきゃっきゃと遊び回っていた。

 まずは村長さんの家に挨拶に言って、聞き込みの許可をもらう。ディーターくんがダウム家の名前を出したら即快諾だった。

「とはいえ、この村には一度聞き込みに来ていますので、めぼしい情報は出てこないかもしれません」

村長さんの家を出ながら、ディーターくんは話す。

 そっか。ディーターくんが調べてこの場所を特定したんだもんね。

「まあ、他にやることも思いつかないし、もう一度聞いてみましょう。刑事ドラマだって何度も聞き込みするものだもん」

「けいじどらま……?」

ノアくんが横で首を傾げた。

 私たちは三手に分かれて、漁村の村人たちに話を聞いていく。

 大体は「ああ、たしかあの沖にでかい船が停まっていたような気がするなぁ」とか「次の日にはいなくなってたよ、出発したんじゃない?」とか、ふんわりした話ばかり。

 何人かに「亜人? そんなに喋れる亜人なんて珍しいね」なんてじろじろ見られたり、「えらいね、ご主人さまのおつかいかい?」と小さな干し魚のおやつを貰ったりしたけれど。


「どうでしたか?」

しばらくして、私たちは漁村の隅っこに集合した。干し魚のおやつをかじる私を二度見しつつ、ノアくんは進捗を聞いた。

「以前調査した内容とほぼ変わりありません。目撃情報はありますが、それ以上の情報は出てきませんでした」

ディーターくんは淡々と答える。

「私も、ふわふわした話ばっかりだったよ」

「僕も似たようなものですね……」

うーんと唸る私たち。

「ん?」

ふと視線を感じてあたりを見渡す。すると、横倒しにされた小舟の影から、五、六歳くらいの小さな女の子がこちらを見ていた。

「あわわっ」

私に見つかって、女の子は小舟の影に隠れてしまう。

 私はあまり刺激しないようにゆっくりと小舟に近づきつつ、優しい声を心がけ挨拶した。

「こんにちは~」

「あわ……こん、にちは」

女の子がもう一度そっと顔を出す。

「おねえちゃん……あじん?」

さっき、私が大人たちにそう言われていたのを聞いていたのかな。うん、そうだよと頷く。

「でも、怖くないよ。大丈夫。なにか私たちにご用かな?」

「あのね……お船のこと知りたいの?」

私たち三人は顔を見合わす。私は、腰を屈めて女の子と目線を合わせた。

「そう、私たちはお船のことを調べに来たの。もしかしてなにか知ってる?」

「うん……あのね、お船は海にもぐっちゃったんだよ」

「えっ?」

女の子はもじもじとしながら沖を指差した。

「夜ね、暑くて起きちゃったときにね、窓から見たの。あそこにあったお船、とつぜんざぶんって海にもぐったの」

「潜った? 魔物か何かに引きずり込まれた……とかではなく?」

ノアくんが後ろから問う。女の子は上目遣いで首を振る。

「お船がじぶんでもぐったの。お母さんにそのお話したら笑われちゃったんだけどね。お船って泳げるの?」

「……潜水艦なら泳げるでしょうけど……ディーターくん、商船って帆船よね?」

「はい、もちろん」

だよね。ノアくんは大きく首を傾げる。

「泳ぐ、帆船?」



「うーん、結局のとこ、見に行ったほうが早いね!」

私は海岸で腕組みし、沖を睨みつけた。

 村の女の子の話を信じるなら、あの沖に船が沈んでいるかもしれない。実際に見て確かめるのが一番だとは思う。

「では、村で小舟を借りてまいります」

後ろで踵を返しかけたディーターくんを引き止める。

「ううん、空から見ましょう」

「空から? まさか、ハヅキさん」

ノアくんが言う間に、私の体から強い銀色の光が溢れ、神獣バハムートの姿へと変貌する。

『はい、乗って!』

私はできるだけ姿勢を低くし、ふたりに背中を見せる。え!? とノアくんが大きな声を上げた。

「神獣に乗る……!? そんな、恐れ多いですよ!」

「かしこまりました」

ディーターくんがぴょんと軽く跳躍し、私の背中に躊躇いなく乗る。

 反応が真逆すぎて面白いな。

『ノアくんも早く。それともここで待ってる?』

ちょっと意地悪げに言うと、ノアくんはうむむと唸りながらもこちらに近づく。恐る恐るといったように私の鱗に掴まり、よじよじと登った。

「はわ……神獣の背中に乗ってしまった……」

『あはは、じゃあ行くよ。しっかり掴まっててね』

私は勢いをつけて翼をはためかせる。海岸の白い砂がぶわりと舞い上がった。


 空へ飛び立つ大きな銀竜の姿に、村の小さな少女は見惚れていた。先程話した三人の様子が気になって見に来たが、なんだか恥ずかしくなって木の陰に隠れていたのだ。

「あのおねえちゃん、竜さんだったんだぁ……」

でも、お母さんに話したらまた笑われちゃうかな。

 大きく美しい神獣バハムートの後ろ姿を、少女はこっそりと心のなかに刻み込んだ。


 目的の沖までは飛ぶとすぐだった。

『なにかあるー?』

私たちは海面を見渡す。今日は波は静かで見やすい方だが、パッと見は何もなさそうだ。

 私は大きめに旋回しながら、よくよく目を凝らしてみる。女の子の話が本当だったとしても、沈んだ後に移動している可能性もあるし、難しいかもなぁ。

『うーん』

「あれ」

背中のノアくんはぽつりと呟いた。

『どしたの?』

「いえ、なんだか真下から魔力が上ってきているような……」

その時だった。

 ざばん! と大きな音を立てて、海の中から何かが飛び出してくる。

『わ!』

私は咄嗟に横に避けた。背中のふたりは振り落とされないよう必死に私にしがみついている。打ち上げられた海水が雨のように降り注ぐ。

『……タコの、足?』

飛び出してきたのは、吸盤がたくさんついた、巨大なタコの足だった。

「ハヅキさん!」

ノアくんの声に、私は大きく上昇した。二本目の巨大なタコ足が真下から飛び出してくる。明らかに私たちを狙っている様子だ。

 海面が振動しながら膨張する。海の中から現れたのは、やはり巨大なタコだった。

「く、クラーケン……! 海の大型の魔物です、ハヅキさん!」

クラーケン。聞いたことがあるわ。海賊映画で常連ですものね。

 クラーケンはぎょろりとこちらを睨みつけ、その長い八本の足で私を捕まえようと猛攻を仕掛けてきた。

 その巨体に似合わない素早さ。私はその攻撃をしっかりと見切り、襲いくる八本の足を避け続ける。避けることは難しくないけど、背中のふたりが振り落とされないかすごく心配。

『大丈夫!? 落ちないでね!』

「は、はいぃいいい」

「はい、かしこまりました」

どうやらディーターくんの方が余裕があるようだ。今にも落ちそうなノアくんの服をしっかりと掴んでくれている。頼りになるなぁ。

 でも、このまま避けるだけじゃキリがない。ビームを撃ちたいけど、あれ、お腹に力を入れなきゃいけないからちょっと隙ができちゃうのよね。

 うーん、これはしょうがない!

『ノアくん、ディーターくん、突っ込むよ!』

「え!?」

「かしこまりました」

ぐるんっと一回転し、私はクラーケンの頭部めがけて急降下した。

 頭に近づいてしまえば、足の攻撃は受けづらい。私は鋭い爪でクラーケンの眼球を思いっきり引き裂いた。

 悲痛な叫び声を上げて、クラーケンはよろめく。

 よし、いまだ! 私は至近距離からクラーケンの頭部にビームを撃ち込んだ。

 ビームはその額に大きな穴を開け、息絶えたクラーケンはぶくぶくと海の中に沈んでいったのだった。


『うん?』

沈むクラーケンと交代するかのように、大きな気泡が海の中から浮上してきた。

 なんとその気泡の中に帆船があるではないか。

「探していた商船です」

背中のディーターくんが言う。海上に出ると、気泡はパンと弾け、商船の姿が完全に露わとなった。

 よくよく見てみると、商船の甲板には、十人ほどの杖を持った魔術師のような人がいて、私を見上げて震え上がっている。なにが一体どうなっているの?

『とりあえず降りましょうか』

私は商船に近づき、ゆっくりと降下した。


 私は亜人の姿に戻り、甲板に降り立つ。ノアくんはふらっふらになりながらも足を踏ん張っている。

 一足先に降りていたディーターくんは、十人の魔術師たちをすっかり縛り上げていた。

「その人たち、商船の人じゃないの?」

「知りません。おそらく襲撃者かと」

「く、クラーケンを殺っちまうなんて、なんなんだお前はァ!」

縛られた魔術師のひとりが私に向かって唾を飛ばしながら叫ぶ。その口ぶり、クラーケンはこの人たちの味方だったの?

「ウッ」

ディーターくんが無言でその魔術師の首筋に手刀を落とす。魔術師は一瞬で意識を失ってしまった。

「詳しい話は帰ってから聞きます」

「そう……喋ってくれるかな、ちゃんと」

「問題ありません。喋りたくなるよう、丁重におもてなしいたしますので」

無感情でそう言われると、とても怖い。私はあはは……と愛想笑うことしかできなかった。

「ディーターは甲板と彼らを見張っておりますので、中の調査をお願いできますでしょうか。商船の乗組員らが捕らえられているかもしれません」

「そうね、分かった!」

私は足元の覚束ないノアくんに軽く手を貸しつつ、船内に入った。


「す、すごい量の魔力が充満してますね」

やっと本調子に戻ったノアくんは、船内を見渡しながら驚いた顔をする。ここはハンモックがたくさんかけられているから、多分寝る場所なのかな。

「そうなの? 全然分からないな」

「なんなんでしょう。ジルさんは魔術師にとって貴重な品がたくさん積んであると言っていたので、その関係かもしれません」

ふと、足元に跳ね上げ式の扉を見つける。

「ノアくん、ここから降りられそうだよ!」

重めの扉を開き、私とノアくんは下に降りる。

「あ……ここだ」

見渡す限りぎっしりと積み込まれた大量の木箱。ノアくんはそのひとつの蓋を少しだけ開け、納得したように頷いた。

「魔具です。ここだけでも魔力増強系の魔具が大量にあります」

「へえ、そんなのがあるんだね」

あの魔術師さんたちは、この魔具が欲しくて襲撃したのかなぁ。なんて考えながら奥に進んでいくと、簡素な牢屋を見つけた。

 中には数人の船乗りのような人たちがげっそりとやつれた顔でうなだれている。不意に現れた私の姿を見て、彼らは心底驚いたように立ち上がった。

「あっあんたは!?」

「あ、えと、ジルさ……ジルヴェスターさんの依頼でこの商船を探していた者です。商船の乗組員の方々ですか?」

「ああ、ああ、ジルヴェスター様が……! 助かった、助かったぞ!」

わっ、とおそらく乗組員のひとたちが抱き合って喜ぶ。

「皆さんご無事でしたか? 僕、ディーターさんに知らせてきます」

ノアくんがハッチを上って行く。じゃあ牢屋を開けてあげなきゃな。見てみると、扉に南京錠が掛けられている。

「鍵とかどこかにあります?」

「さあ……奴らがどっかに持って行っちまったから……」

そっかぁ。じゃあいっか。しょんぼりする乗組員さんたちを横目に、私は片手で南京錠を破壊した。

「!?」

突如として南京錠を粉砕した少女に、乗組員さんたちは一斉に後ずさる。

「っ、あ、あんた魔物か!」

今気づいたのだろう、私の背中の翼を見て震え上がる乗組員さん。ああ、クラーケンとか見たから怯えちゃってるのかな。

「ああいえ、私は召喚獣です。さっきの彼の。だから大丈夫ですよ」

「そ、そうか……?」

開いた扉から恐る恐る出てくる乗組員さんたち。はい、と私は怖がらせないように至極優しく微笑んだ。

「南京錠壊しちゃってごめんなさい。新しいの、ジルさんに頼んでおきますね」



 そのあと、乗組員さんたちが商船を動かし、リーテン共和国の首都まで戻ることが出来た。

 捕らえられた魔術師たちはダウム家の別宅の地下へと連行され、“丁重におもてなし”されるらしい。積荷も全て無事で、そちらも別宅にしっかりと運び込まれた。


「おかえり! よくやってくれた!」

ダウム家の別宅に到着し、部屋に入るなり、私はジルさんに思いっきり抱き締められてしまう。

「ちょっと!」

ノアくんがすかさずジルさんの脇腹を殴る。おうっ、と声を上げてジルさんはよろめいた。

「まったく……懲りないひとですね」

「ははっ、まだあの夜のことを根に持ってんのか? 嫉妬深い男はモテねぇぜ、ノアよ」

「うううるさいですっ」

まーた仲いいのか悪いのか分からないやり取りしてる。私は短く息を吐き、肩をすくめた。

「で、このあとはどうなるんですか?」

体勢を立て直したジルさんは、私の質問ににっこりと白い歯を見せて笑う。

「ああ、今、捕らえた奴らの“もてなし”をディーターと他の臣下がやってっから、その報告が上がってきたらハヅキちゃんたちにも教えるよ。それまではのんびりしててくれ」

のんびりとは。

 ぽかんとした私の顔を見て察したジルさんは、少し考えてぽんと手を叩いた。

「プールで遊ぶか?」

「ぷーる?」

ノアくんは聞き慣れない言葉といった様子だけど、私はよく知っていた。

「プールがあるんですか?」

「お、ハヅキちゃんは知ってたか。そうそう、前に海外の旅人に教えてもらってなぁ。室内に最近作ったんだよ」

「室内プール!?」

噴水があったり大浴場があったり室内プールがあったり、ここは水の設備が充実しているわね。

「ハヅキさん、ぷーるってなんですか」

ジルさんに聞くのは嫌だったのだろうか、ノアくんは私にこそこそと尋ねてきた。

「ああ、人工的に水を張って作った……そうね、池みたいなものかなぁ。泳いだり水浴びを楽しんだりするの」

でも私、水着……泳ぐための服とか持ってないですよと言うと、ジルさんは二度手を叩く。スッとどこからか召使いの人が出てきて、なにかの布をふたつほどジルさんに渡した。

「これとかハヅキちゃんに似合うと思って取っておいたんだよ」

その布をそのまま手渡される。ジルさんはもう一枚の方を、ノアくんに投げ渡した。

「ほら、ノアにもやるよ。あとで案内させるから、部屋で着替えてきな」


 そこは、黄金の装飾が施された真っ白い壁に、水面の反射が幻想的な、正真正銘の室内プールだった。

「すご……」

まさに大金持ちの家にありそうな施設。私は思わず見惚れてしまった。

「すご……」

横でノアくんが同じことを言う。そうよね、すごいよねと振り向いたけど、彼はこっちをじっと見ていた。

「思ったより大き……じゃない、ハヅキさん、ちょっと露出多くないですか……?」

「え、水着ってこんなものじゃない?」

ジルさんが貸してくれたのはビキニタイプだけど、フリルが多めの、下はスカートになっている青色の綺麗な水着。金のチェーン型の装飾が多くて、ひと目見たときは踊り子の衣装みたいだなと思った。

「そんなものなんですか? なんだか目のやり場が……破廉恥ですよぅ」

ノアくんは顔を赤くして目を泳がせる。私はこの水着可愛いなと思ったけど、駄目だったかなぁ。

「そう? 似合わなかったかぁ」

「あっいえ! 違うんです! 似合ってはいて、似合いすぎてて、困るというか……」

「?」

観念したように顔を両手で覆い、ノアくんは小声で言う。

「すみません、とても似合ってて可愛いです」

「ふえ」

つい変な声が出てしまった。ちょっと自分の顔が上気しているのが分かる。

「あ、ありがと……」

「なんだなんだ、初めて夏にデートする少年少女か?」

後ろからジルさんが軽快に笑いながらやってきた。あながち否定もできず、照れ笑いを返す。

 ジルさんは金色が印象的な水着を履いていた。こう見ると色黒が映えてますますカッコいいわね。サーフィンとかやってそうだわ。

「ノア、あんた、上は脱げよ……」

「ええっ」

ノアくんは一応下は借りた水着のズボンを履いているようだけど、上にいつもの魔術師のローブを羽織ってしまっている。それじゃあ泳げないと思うけど。

 同じことを思ったらしいジルさんが呆れたようにため息をついた。

「あ、それとも泳げねぇから着てるのか? なら仕方ねぇな。ハヅキちゃん、オレと一緒に泳ごうぜ」

自然な動作で私の手を取り、プールに誘(いざな)うジルさん。後ろでノアくんが慌てて上着を脱ぎ捨てた。

「ちょっ、泳げないなんて一言も言ってませんけど!」

「ほらっ飛び込め!」

ばしゃんっと涼しげな音を立てて、私とジルさんは手を繋いだままプールに飛び込んだ。

「ぷはっ」

水は冷たすぎなくてちょうどいい。プールなんて社会人になってから一回も行ってなかったな。久しぶりのこの体が浮く感じ、気持ちいい!

「あわわ、ちょっと待ってください」

ノアくんは恐る恐る足の先から水に浸かっている。

「早くおいでよ!」

「うわっ!」

ちょっとテンションの上がった私は、ノアくんの腕を引っ張って水の中に落としてやった。

「ぶはっ!? ちょ、ハヅキさん! なにするんですか!」

「あはは、置いて行っちゃうよ!」

私はジルさんの元へと泳いで戻る。ノアくんは慌てて追いかけてきた。


 目一杯泳いで疲れたあとは、プールサイドに敷かれたタオル地の敷物の上でごろごろしながら果実の飲み物をいただいた。こんな贅沢して良いんだろうか。OL時代には考えもしなかったリフレッシュ方法だ。

「ノアが意外と泳げて驚いたな。召喚師なんて本ばっかり読んでる坊ちゃんかと思ってたが」

「ふ、ふんっ、舐めないでください。本ばっかり読んでたのは否定できませんけど」

私はベリー系の赤いジュースを飲みながら、なんだかんだ楽しげに会話するノアくんとジルさんを眺める。

 やっぱり仲良いんだよね、このふたり。それならいいのよ。うんうん。

 ジルさんがふと振り向く。

「ハヅキちゃんは楽しかったか?」

「はい、とっても楽しかったです、ありがとうございます」

ジュースも美味しいです! と満面の笑みでコップを掲げて見せる。

「可愛いなぁ、ハヅキちゃん」

「あはは、冗談やめてくださいよ~」

「冗談じゃねぇって。ノアに先を越されちまったけど、それも思った通りよく似合ってる。可愛いよ」

笑っているけどからかうような感じではなく、目は真剣味を帯びている。私はまた顔が熱くなっているのに気づいた。

「ジルさん、僕の目の前で口説かないでください」

「おっとこりゃ失礼」

ノアくん、また顔が怖くなってる。も~せっかく仲良くしてると思ったのに。


 なんてやり取りをしていたら、扉が開き、ディーターくんが入ってきた。

「ジル様。魔術師たちの拷問が終了いたしました」

ごうもん。思わず固まった私とノアくん。ジルさんはにっこりと小首を傾げる。

「ディーター」

「失礼いたしました。“おもてなし”が終了いたしました。報告をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「おう。じゃあ着替えて部屋に戻るか。ディーター、応接間に茶の用意をしておいてくれ」

「かしこまりました」

つかの間のリフレッシュタイムは終了みたい。ディーターくんは泳がなくてよかったのかなぁ。そんなことを思いつつ、私たちはお仕事の話を聞くため、プールをあとにした。



「結論から言いますと、ジル様のご想像のとおりでした」

ローテーブルを挟むように置かれたソファに、ノアくんと私、向かいにジルさんがどっかりと座っている。

 私たちに紅茶を配ってくれた後、ディーターくんはジルさんの横に立って報告を始めた。

「あの魔術師たちの目的は商船に積まれていた魔具。特に魔力増強系の魔具を欲していたようです」

「一体何のために……」

怪訝なノアくんに目を向け、ディータくんは続ける。

「はい、クラーケンです」

「クラーケン? ハヅキちゃんたちが倒したっていうヤツか」

「はい。魔術師たちは魔物クラーケンを“使役”するため、魔力増強の魔具を必要としたのです」

「魔物を使役……!?」

ノアくんが真っ青な顔で息を呑む。

「使役? 私がノアくんと契約したのとは違うことなの?」

「……まず、魔獣、幻獣、神獣を総称した召喚獣と、魔物は全く別のものです」

神妙な面持ちでノアくんが教えてくれた。

「召喚獣はそもそも、異界に存在します。召喚師はその異界の召喚獣をこちらに喚び、そして従えます。正当な手順を踏み、お互いに“契約”する。それが召喚術です」

「魔物は元々こちらの世界にいた“動物”が、大地の魔力の影響を受けて凶暴化や巨大化したもののこと、そしてその子孫のことを言う。クラーケンは元はタコだし、ゴブリンもありゃ元は猿だ」

ジルさんは紅茶をすする。

 つまり? 私は目でノアくんに続きを促す。

「つまり。契約するために喚ばれる召喚獣とは違い、魔物はそもそも“契約”なんてものは出来ません。従えたいのならば、魔力と術式で押さえつけ、無理やり“使役”しなければならないんです。だけど魔物はもちろん抵抗します。使役には途方もない魔力が必要となりますし、術式の展開もひとりではまず無理でしょう」

「なるほど、コスパが悪いのね」

「こ、こすぱ?」

「あ、えーっと、作業に対して得られる成果のこと」

「ああ、そうです。……なるほど、だから魔力増強の魔具を」

「はい」

ディーターくんはノアくんに目で頷いて見せる。

「魔術師たちは商船を襲撃し、魔力増強の魔具を用いて、クラーケンをおびき寄せ十人掛かりで使役していたようです。ディーターたちが向かったときは、海の中で使役の安定化を図っているタイミングでした。

 クラーケンの安定化が成功すれば、そのまま海の魔物を片っ端から使役していく計画だったと話しています」

「なぁんでまたそんなことを」

心底理解できないとジルさんは首をふる。

「申し訳ありません。使役の目的については現段階では口を割りませんでした。ただ、魔術師のひとりが、こちらを所持しておりました」

ディーターくんは胸ポケットからなにか小さなものを取り出し、机の上にそっと置いた。

 よく見てみると、鈍い銀色のボタンで、鳥のような模様が刻まれている。私はなにか分からなかったけれど、またジルさんとノアくんには分かったようだ。

 ふたりともごくりと息を呑んでいる。特にノアくんは、そんな、まさか、と震える声で呟いた。

「これは……ブランシュ家の、紋章です」

ブランシュ家、って聞いたことがあるわね。ノアくんが泣きそうな顔で口元を手で抑える。

「母様の……エステル・アズナヴールの、実家です……」

あの、私たちを追い払ったお母さんね。でもどうしてこんなものを商船強盗の魔術師が。

「魔術師はブランシュ家と関わりがある者である可能性が高いと思われます」

「なーんかきな臭くなってきやがったな」

淡々と言うディーターくんに、ジルさんが鼻を鳴らす。

「ブランシュ家の野郎、なにを企んでやがる……?」

「あのっ」

ばん、と机を両手で叩き、身を乗り出したノアくん。

「し、調べさせてください。ブランシュ家のことを……!」

居ても立っても居られないといった様子だ。そうね、確かにお母さんの実家が強盗に関わってるかもしれないなんて知ったら、じっとなんてしていられないわ。

「直接ブランシュ家に乗り込んで調べたいです!」

「どうやって?」

ジルさんに冷静に返され、ノアくんはうっと小さくなる。

「っ、私も調べたいです、ジルさん」

私はノアくんに加勢した。どうやるかなんて分からないけれど、でも。

「ハヅキちゃんにまでお願いされちゃなぁ」

うーん、とジルさんは天井を仰ぐ。十秒ほどそうしたのち、何かをひらめいたようにこちらに向き直った。

「まあ、出来なくはねぇかもな」

「本当ですか!? よかったね!」

私は思わずノアくんの肩を叩いた。

 そんな私を薄目でじろじろと見つめるジルさん。そして、ディーターくんに向かって指を鳴らした。

「ハヅキちゃんに制服を用意してやってくれ」

「はい、ジル様」

ディーターくんは颯爽と部屋を後にする。せ、制服?

「ノアはまあ、適当に臨時雇いの魔術教師でいいだろ」

臨時雇いの教師?

 ノアくんは大体察したように真剣な目つきをしている。いや、察さないで! 説明して!

 あわあわとする私に、ジルさんはとても楽しそうに言った。


「ハヅキちゃんには入学してもらうぜ。──“学院”にな」

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