第二章:ジルヴェスター・ダウムという男
「朝起きて、おとうちゃんと山菜を取りに裏山に入ったら、魔物がいっぱいでてきて」
男の子の名はダリルくんというらしい。椅子に座って水を飲み、少し落ち着きを取り戻した彼は、ぽつぽつと説明してくれた。
「僕を逃がすためにおとうちゃんは魔物と戦って、そのまま連れて行かれちゃったんだ……」
「いっぱいということは群れで行動する魔物ですかね」
ノアくんもあのあとすぐ起きてきて一緒に話を聞いてくれた。ちなみに昨夜のことは全く覚えていない様子。
ダリルくんは首を傾げながら、その時の様子を頑張って思い出そうとする。
「うん、十匹以上はいたとおもう……。耳と鼻が大きな小人? サル? みたいな……」
「ゴブリンだな。奴らは群れで行動するし」
柱にもたれかかって話を聞いていた色黒の青年が顎を触りながら言う。ダリルくんは再び涙目になり、悲痛な声で青年に訴える。
「ぼくが調子に乗って山の奥まで行かなきゃよかったんだ……っ! おとうちゃんはどうなっちゃうの? 食べられちゃうの!? おねがい、助けて!」
うぅむ、と青年は唸った。
「ゴブリン一匹程度は大したことはねぇんだけど、群れの状態の奴らは危険だしなぁ……」
青年の言葉に、ダリルくんの顔に絶望が滲む。
確かに、絶望的な状態なのかもしれない。でも、私の心は決まっていた。ノアくんに目を向ける。彼も真面目な顔をして頷いてくれた。
「ねえ、ダリルくん。私たちがお父さんを助けに行くよ」
「ほ、ほんとう?」
ダリルくんが縋るように私に手を伸ばす。その少し震えている小さな手を取って、そっと握った。
「うん。私たちがきっとお父さんを連れて帰ってくる。ダリルくんはここで待っててくれる?」
「うん……わかった。きっと、きっとおとうちゃんを助けてね……!」
ダリルくんはぎゅっと涙を我慢し、大きく頷いた。
「なら、オレたちも行こう」
色黒の青年が柱から体を起こす。えっ、と言う私に苦笑いを返した。
「人手は多いほうがいいだろ? それに、いくら危険だろうとさすがに泣いてる少年を見て見ぬふりはできねぇよ」
青年はその大きな手でダリルくんの頭をわしわしと撫で回し、白い歯を見せた。
「俺の名前はジルだ。こっちは従者のディーター」
「ディーターです。よろしくお願いします」
ディーターと呼ばれた黒髪の少年は表情を一切動かさず、感情の起伏のない声で挨拶をした。なんだかまるで、家庭用AIのロボットみたいな子だな。
「私はハヅキです。こっちはノアくん」
「よ、よろしくお願いしますっ」
ノアくんはペコリと頭を下げる。
じゃあ、と私は立ち上がった。
「善は急げね。出発しましょう!」
ダリルくんが言っていた裏山は酒屋のすぐ裏手にあり、ほぼ整備されていない獣道をずっと進んでいく感じだった。なんだか、田舎のおじいちゃんとおばあちゃんの家に行った時、山に連れて行かれたのを思い出すなぁ。こういう長い草木を払いながら進んでいくの。都会生まれの私はちょっと苦手だったけど、あれはあれでいい思い出よね。
「ノア、あんたはフリーの召喚師かなにか?」
前を歩くジルさんが、後ろのノアくんに話しかける。私は一番うしろ。先頭はディーターくんが務めてくれている。
ノアくんは驚き目を丸くした。
「えっ、なんで召喚師だって分かったんですか?」
「まあ、その魔術師の格好と、あとハヅキちゃん。キミ、亜人だろ?」
「あ、はい」
本当は神獣バハムートです。と言っても良かったけれど、説明が面倒なのでつい肯定してしまった。
「そんな流暢に人間の言葉を話せる亜人って見たことないけど、まあおそらく魔獣をそばに置いてるなら、召喚師だろうなと思ってさ。とはいえ召喚師って言えばアズナヴールの一族がほとんどだ。だけどグランの王家お抱えの高尚で由緒あるアズナヴール家の方があんな寂れた郊外の宿屋に泊まってるなんて考えられないしなぁ」
な、なんだかこのジルって人、色々と鋭いわね。
「世にも珍しいフリーの召喚師なのか?」
「ま、ま、まあ……そんなところです、はい、へへ」
ノアくんの動揺っぷりにジルさんはカッカと軽快に笑い、手を振った。
「わりぃわりぃ、言いたくないこともあるよな。詰めたいわけじゃねぇんだ。ちょっとあんたたちに興味が湧いたもんでね。特にハヅキちゃんに」
え、私? ノアくんの肩越しににっこりと笑顔を向けられ、思わず愛想笑いを返してしまう。
「珍しい亜人ってのもあるけど、いやぁ、綺麗だよなぁ、ハヅキちゃん」
「はぇ?」
「その金の瞳と銀の髪! 真っ白な肌に芸術的な翼。いやぁ、完璧だよ。言われない?」
「あはは……」
昨日の夜、ノアくんから似たようなことを言われた気もするけれど。
「それに、真っ先に少年の父親を助けるって決めた意志の強さもオレの好みだ。ハヅキちゃんのことすげぇ気になっちゃってね。こうしてついてきたってワケ」
「はあ、ありがとうございます」
「なあハヅキちゃん、ノアじゃなくてオレと一緒に来ない?」
「ええ!?」
びっくりしていると、ノアくんが私とジルさんの間にすっと入ってきた。
「あの」
聞いたこともないような低い声。
「ちゃんと前見て歩いてもらえますか、ジルさん」
ノアくん、そんな声出せるんだ……。理由はわからないけど、ちょっと怒ってるっぽいのは感じ取れる。
ジルはおっと、と声と両手を上げて前に向き直った。
「ご主人さまに怒られちまった。この話はまた今度な、ハヅキちゃん」
「はは……」
しばらく獣道を行くと、少し開けた場所に出た。長い草木に突かれなくなって少し安心したのもつかの間、どこかからぎゃあぎゃあと猿の鳴き声のようなものが聞こえた。
「ゴブリンの声だ。近くに群れの拠点がありそうだな」
ジルさんが声を潜めて姿勢を低くするようジェスチャーする。
私たちは腰を屈め、周囲に耳をすませた。
『やめてくれ、助けてくれぇ!』
「あっちの方角から聞こえました。多分、ダリルくんのお父さんの声です」
「えっマジで? 何も聞こえなかったけど」
私、耳いいんです。と胸を張ると、ジルさんはすごいねぇと笑ってくれた。そのやり取りを見て、また隣でノアくんがむむ、と眉を潜めていたけどまあいいや。
「でも、よかった。まだ無事みたいです。急ぎましょう」
なるべく音を立てないように、全員で私が指した方角へ向かう。
それは集落のような場所だった。木々を切り開いた開放的な場所に、藁を敷いた簡単な寝床なんかが所々に置かれている。
「すごい数……」
私たちは草陰に隠れながら様子をうかがう。ノアくんが小さな声で呟いた。
ざっと見た限り、三十匹はいそう。耳と鼻が大きい、イメージ通りのゴブリンたちが棍棒や石斧を手に集落を徘徊している。
集落の一番奥には、他のゴブリンよりも数倍大きな個体が横になって大きないびきをかいている。見るからにここのボスっぽい奴ね。
「あ、あそこ」
私が集落の端にある木の檻を指す。中には無精髭を生やした男性が捕まっていた。
木の檻はいくつかがまとまって置いてあり、おそらく捕まえた獲物を生きたまま保存しておく場所なのかもしれない。今回は男性以外に捕まっている人や動物はいないみたいだ。
「あれで間違いなさそうだな。問題はどうやって助け出すかだが……」
パキッ。
ジルさんが話していると、隣でノアくんがあっと声を上げた。足元を見る。小枝を踏んでしまったらしい。そんなベタなことある?
音を聞きつけて、ゴブリンたちが一斉にこちらに気づく。
「す、すみませ……」
ノアくんが言うが早いか、ゴブリンたちが怒号を上げて襲いかかってきた。ジルさんは腰の剣を抜きながら叫ぶ。
「仕方ねぇ、戦(や)るぞ!」
「はい、ジル様」
ディーターくんが真っ先に飛び出した。いつ取り出したのか、両手にはそれぞれ短剣を握りしめている。
目にも止まらぬ速さでゴブリンたちを斬りつけ倒していくディーターくん。すごいな、この子。本当にアンドロイドなのかもしれないわ。
「は、ハヅキさん!」
はっ! 見とれている場合じゃないわ! ノアくんの声に我に返った私は、急いでジルさんたちの後を追う。
こちらにもゴブリンたちが襲いかかってくるが、私は幻獣ケルベロスと戦った身だ。あまりにも遅く、雑な動き。そんなゴブリンたちをあしらい黙らせていくのは容易だった。
確実にゴブリンの数を減らしていく私たち。うーん、これならバハムートになる必要もないかな?
「う、うわああ!!」
そう思った時、突如悲鳴が響き渡った。ダリルくんのお父さんの声だ。
慌ててそちらを見ると、ボスゴブリンがお父さんの檻を抱えて立ち上がっていた。巨大な石斧を檻に突きつけ、ゲヒヒと下品な笑い声を上げる。
「もしかして、人質ってこと……?」
私たちの手が止まる。ジルさんは剣を地面に落としながら舌打ちをした。
「チッ、さすがゴブリンだな。悪知恵だけは働きやがる」
ディーターくんもジルさんの目配りの指示で武器を手放す。
形勢逆転。ゴブリンたちは私たちを取り囲み、じりじりと距離を詰めてくる。捕まえて全員食料にしちまおう、とでも言いたげなニヤけ顔で。
「こいつぁまずいな…」
ボスゴブリンが野太い雄叫びを上げる。それに応えるように、子分たちは一気に私たちに飛びかかってきた。ディーターくんが咄嗟にジルさんを庇おうとしているのが見えた。
これはまさに危機的状況。
──だけど大丈夫。なんの問題もありません。
眩い輝きが弾ける。
神獣バハムートになった私は、舞い上がりながら、ひとつ咆哮を上げた。
それだけで、飛びかかってきていた子分ゴブリンたちは全員泡を吹いてバタバタと倒れる。
「なっ……」
ジルさんがぽかんと口を開けて私を見上げる。
私はボスゴブリンを睨みつけた。ボスゴブリンはガタガタと震え上がり、ダリルくんのお父さんの檻を落とす。その衝撃で檻が壊れ、お父さんは急いでボスゴブリンから距離を取った。
ボスゴブリンは子分を探して辺りを見渡すが、一匹たりとも立っている者はいない。私を見る。もう訳が分からなくなったのだろう。石斧を掲げ、叫びながら突進してきた。
しょうがないな。私はお腹に力を入れる。
私の口から放たれた青白いビームが、まっすぐボスゴブリンに直撃した。
「ギャッ」
短い悲鳴を上げ、ボスゴブリンは跡形もなく消し飛んだ。
降参してくれたら命は助けたのに。ちょっと残念な気持ちになりつつ、私はゆっくり舞い降りながら亜人の姿に戻る。
「ハヅキちゃん、今のは……」
「話はあと! まずはお父さんを」
興味と畏怖が綯い交ぜになった目をするジルさんを制止し、私はノアくんとともに、腰を抜かして座り込むダリルくんのお父さんのもとへと走った。
「大丈夫ですか!?」
ノアくんが手を差し伸べる。お父さんは状況が理解できない様子ながらも、ノアくんの手を取って立ち上がる。大きな怪我はなさそうだ。
「あ、ありがとうございます……あの、貴方がたは……宿泊のお客さん……?」
「はい。ダリルくんに言われて助けに来ました」
にっこり笑う私に、お父さんはああ、と安堵した表情を見せた。
「ダリルは無事でしたか! よかった、本当によかった……!」
「あんたの息子がちゃんと状況を説明してくれたから助けに来れたんだ。良かったな」
いつの間にかジルさんとディーターくんが後ろに立っていた。
「さあ、戻るとしよう。魔物はまだいるかもしれない。オレたちが護衛してやるよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!!」
お父さんは涙を滲ませながらなんども頭を下げた。
「おとうちゃん!」「ダリル!」
酒屋で、感動的な親子の再会を微笑ましく見守る私とノアくん、そしてジルさんとディーターくん。
「本当にありがとうございます。もちろん今回の宿代や酒代は結構です。更にお礼をしたいのですが、私どもにできることはありますでしょうか……」
お父さんがおずおずと伺ってきた。私とノアくんは同時に手と首を振った。
「いえいえ、お礼なんて!」
「特に僕なんて大したことしてないので……!」
その様子を見たジルさんはくすりと笑う。
「ああ、礼はいいよ。それが目的で助けたわけじゃねぇしな」
そう言って、またダリルくんの頭を豪快に撫でる。
「泣いてるガキがいたら助ける。普通のことだろ?」
「そ、そんな、それでは私の気が済みません!」
食い下がるお父さんに、ちょっと困ったように頭を掻くジルさん。
「う~ん、じゃあそうだな。ここにいる四人にエールを一杯ずつ奢ってくれ。それでいいか?」
ジルさんが私たちに尋ねる。なんだか粋な提案。私たちは元気に頷いた。
「っ……分かりました、ありがとうございます」
お父さんは深くお辞儀し、厨房の方へと走っていった。
「さて、昼から酒が飲めることになったんだ。じっくり話を聞かせてもらってもいいか?」
長テーブルに私とノアくん、ジルさんとディーターくんで向かい合って座る。
ああ、そういえば話は後にしたままだったわね。ジルさんは組んだ手に顎を乗せ、私に目線をくれる。
「キミは一体何者だ? ハヅキちゃん」
言ってもいいのかな。ノアくんに小首を傾げて見せる。ノアくんは、いいですよと答えるように首を縦に小さく振る。
「私はノアくんの召喚獣、神獣バハムートです」
「神獣バハムート……」
ジルさんは大きく目を見開き、納得したように息を吐いた。
「そうか、確かにあの姿と力は……そうだな。しかし神獣バハムートだなんておとぎ話の世界の生き物だと思っていたぜ」
「僕もそう思ってました」
ノアくんがしみじみと同意すると、ジルさんがハッハと軽く笑った。
「召喚した本人がそれ言うか?」
「だって、僕なんかが神獣を召喚できるなんて信じられなかったし……その上、一緒に来てくれるなんて、正直今でも信じられません」
「確かになぁ。現実味がないんだよ、ハヅキちゃん。綺麗すぎてな」
褒められているのかいじられているのかよく分からなくて困ったように笑うことしかできない。
「エールです! あとこちらサービスです!」
ダリルくんが大きなお盆にエールと軽食を乗せて運んできてくれた。あ、ノアくんには飲ませすぎないようにしなくちゃ。
エールを配り、軽く乾杯してから飲み始める。軽食を頬張りながら、ジルさんは話を続けた。
「で、神獣って召喚獣の中で最上級なんだろ? そんなすげぇ召喚師さんがどうしてフリーなんだよ? 普通ならアズナヴール家に大歓迎されるべきだろ」
「うっ、それは……」
ノアくんは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、事の次第の説明を始めた。
「──そいつぁ、とんでもなく頭のかてぇ母親だな」
まあ、そういう感想になるわよね。全てを聞いたジルさんは呆れたように肩をすくめる。
「しょうがないです。アズナヴール家では母様が一番力を持っているので」
「んまぁ、でも兄貴が頑張ってくれるんだろ? てことはそれまではいわゆる無職ってやつか?」
「う゛っ」
現実を叩きつけられて、ノアくんはのけぞる。
「金はあるのか? 明日からどうするんだよ」
「うぅ~~見ないようにしてたのに!」
「えっ、もしかしてお金ないの?」
それは聞いてなかったな。そうなんです、とノアくんは小さく小さくなってしまった。
「ああ、そうだ」
ジルさんが不意に声を上げる。
「そういや、オレのことをなにも言ってなかったな」
「え?」
同時に聞き返した私とノアくんに、ジルさんは背筋を正して見せる。
「オレの本名はジルヴェスター・ダウムだ」
それを聞いても私はピンと来るわけはなかったのだけど、ノアくんがはっと息を呑んだのが分かった。
「ダウム……!? まさか、リーテン共和国の五大豪族のひとつ、ダウム家ですか!?」
「おお、よく勉強してるな。正解だ」
え、なになに。リーテン? 豪族? 理解できずにジルさんとノアくんを交互に見る私に、今まで黙っていたディーターくんが淡々と説明してくれた。
「リーテン共和国とは、ここ、グラン王国と大河を挟んで隣接する国です。グラン王国よりは小さいですが、商業が発展しており、別名を彩りの国と言われています。
五大豪族とは、リーテン共和国を五分する五つの有力家の総称です。ジル様はダウム家、そしてここで関係があるのはブランシュ家ですね。ノア様のお母様のご実家になります」
ほ、本当に、訊いたら何でも答えてくれるAIロボットみたいな子……。
「あ、母の実家まで……よくご存知ですね」
ノアくんもちょっと面食らっている。そんな私たちの様子に構うことなく、ディーターくんは続ける。
「リーテン共和国は王政ではなく、各豪族から選出された代議士が評議会を開いて国を治めています。ダウム家の現当主であり、その代議士でもあるお方がジルヴェスター様です」
「現当主で代議士!?」
素っ頓狂な声を上げた私に、ジルさんは得意げに鼻を鳴らした。
「そうそう、オレってば結構偉いんだよ?」
「なんでそんな偉い人がここにいるんですか!?」
「まあ、商売人でもあるんでね。グラン王国に商売話取り付けに来てたわけ。都の高い宿はかたっくるしくて性に合わねぇんだ」
変わった人……。開いた口が塞がらない私たちに、ジルさんは身を乗り出して言う。
「で、ここでジルヴェスター・ダウムから取引話があるんだが、どうだ?」
「取引?」
ノアくんが首をひねる。
「そう、あんたらしばらくフリーなんだろ? ま、こっちとしてはしばらくじゃなくてずっとでもいいんだが」
ジルさんはにやりと白い歯を見せた。
「ノア、ハヅキちゃん。ダウム家のもとで働かないか?」
甲板を吹き抜ける涼やかな風が気持ちいい。
「は、ハヅキさん、あんまり身を乗り出したら落ちちゃいますよぉっ」
ノアくんがあわあわと私の服を引っ張ってくる。景色見てただけで、そんなに乗り出して無いけど?
「もしかしてノアくん、船苦手?」
「うっ! いえ、その、生まれて初めて乗るもので……っ」
「そっか、グラン王国から出たことないって言ってたもんね」
私たちは大河を往く帆船に乗っていた。
あのあと、ジルさんの提案を受け入れた私たちは、リーテン共和国へと向かうことになったのだ。
グラン王国とリーテン共和国を隔てる大河はかなり大きいらしく、船で半日ほどかかるのだという。早朝にグラン王国の岸から出発して、数時間ほど立っただろうか。そろそろお昼時かな。
「よぉ、船旅はどうだ?」
ジルさんが甲板に姿を見せた。後ろにディーターくんも控えている。
「最高です!」
元気よく答えた私に、ジルさんは流れるように私の銀髪を一房掬うと、髪に軽く口づけした。完璧なウインクも添えて。
「そいつは良かった。ダウム家自慢の船だ。快適な船旅を引き続き楽しんでくれ」
わぁお、絵になるわね。ジルさんカッコいいからなぁ。この様子じゃきっと女の子にモテモテなんだろうな。
「ち、ちょっと! そういうのはやめてください!」
不意に肩を掴まれ、ジルさんから引き剥がされる。ノアくんは私の前に出て、がるがると唸った。ジルさんはからかうように肩をすくめて見せる。
「なんでだよ? 召喚獣ってだけでノアの女ってわけじゃないんだろ? ハヅキちゃんが嫌がってないんだからいいじゃねぇか」
「ぐぬぬ……」
何をそんなに喧嘩しているのかしら。男の子同士のコミュニケーションかな。
「ジル様」
ディーターくんがぼそりと呟く。ジルさんはおっといけねぇと手を叩いた。
「昼食の用意が出来たから呼びに来たんだよ。腹減っただろ?」
「ぐぬ……はい」
空腹には逆らえないらしい。ノアくんはちょっと不機嫌な顔のまま頷く。それが面白くて、私はついつい笑ってしまった。
案内されて来たのは船長室。応接間も兼ねているようで、大きな一室に執務用のスペースと食事ができそうな長テーブルのスペースがある。家具や備品は全て豪華そうなもので取り揃えられていて、これまたすごく映えそうな空間。
テーブルクロスが掛けられた長テーブルの方に、人数分の食事が並んでいた。パンに、野菜やお肉が入ったスープと、飲み物はワイン。
この世界に来て、バハムートに生まれ変わってから数日しか経っていないけれど、多分私に食事は必要ないんだと感じている。味覚はあるし食べられるけど、全くお腹が空かないのだ。ノアくんが言っていたように、召喚獣は召喚師の魔力をエネルギー源としているからかな。
とはいえ、せっかく用意してくれた食事。私はありがたく席につき、いただきます、と手を合わせた。
「そういえばハヅキちゃん、酒屋でもそれやってたけど、なんかの儀式か?」
「え?」
ジルさんが真似をして手を合わせ、イタダキマスと言う。ああ、これのこと? そういえば前世の習慣のままやっていたわ。改めて指摘されるとちょっと照れるな。
「あ、えーっと、食物の命とか、作ってくれた人とか、その他諸々に感謝する挨拶です」
「へえ、素敵ですね、ハヅキさん」
「じゃあオレたちも諸々に感謝すっか」
ノアくん、ジルさんにディーターくんまでもが手を合わせていただきますと元気に挨拶した。やだ、なんかもう恥ずかしいっ!
私は少し赤くなった顔を隠すように、ワインを煽った。
「それで、僕たちはどんな仕事をさせられるんですか?」
あらかた食事も終わり、ワインのグラスをことりと置きながらノアくんは質問した。
「なーんか怪しい仕事やらされるみたいな言い方だなぁ」
ジルさんは苦笑する。
「別に法に触れたりはしねぇよ。まあダウム家ぐらいデカい家になるとあちこちで問題が起こるもんでね。そういうのに関する調査とかがメインだな。もちろん戦闘が発生する場合もあるだろうが、ハヅキちゃんがいれば問題ないだろ」
「なんだか抽象的ですねぇ」
少々眉をひそめるノアくんに、ジルさんはその眉間を軽く指で小突く。
「だーいじょうぶだよ。というか、頼みたい仕事はひとつ決まってるんだ。リーテンに着いたら詳しく説明するよ」
「そうですかぁ? 頼みますよ」
小突かれた眉間をさすりながら、ノアくんはジト目でジルさんを睨んだ。
なんとなく、ノアくんはジルさんには遠慮がなくなってるというか、これはこれで仲良くなってる気がする。なんだかノアくんに仲良くできる人が増えて嬉しいな。
穏やかな先輩スマイルが出てしまっていたようで、ノアくんとジルさんに不思議そうな目を向けられてしまった。
「それよか、ノア、アズナヴールなんか捨ててダウム家の専属召喚師にならねぇか?」
「えっ」
ノアくんは言われた意味が一瞬理解できなかったかのように固まってしまう。ジルさんは頬杖をつき、片手でワインのグラスを揺らす。
「しばらくじゃなくてずっとでもいいって言っただろ? 元アズナヴール家の召喚師を迎え入れることができりゃ、他の四豪族へのいい牽制になる」
「それは……」
「金なら言い値で払うぜ。それだけの価値があんたたちにはある」
ノアくんと私を交互に見て、ジルさんは口角を上げる。飄々としているが、その目は真剣だ。冗談を言っているわけではなさそう。
ノアくんは唇を噛み締め、ゆっくりと首を振った。
「それは、できません。とてもありがたいお話ですけど」
そう、ノアくんにはアズナヴール家に対する、お兄さんに対する思いがあるもの。
ジルさんは特に食い下がることはせず、そうかと笑う。
「気が変わったらいつでも言ってくれ。とりあえず、しばらくはよろしく頼むぜ」
ノアくんと私は、同時にはいと返事をした。
それからしばらくして、すこし日が傾き始めたころ。
「見えたぜ、あれがリーテンだ」
甲板で、ジルさんが前方を指差す。わっ、と私とノアくんは甲板の先まで駆ける。
はっきり見える、アラビアン調の建物のシルエット。
私たちは、彩りの国、リーテン共和国に到着した。
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