第一章:崖っぷち召喚師ノアくん
眩しっ。
その強い光がトラックのヘッドライトだということに気づくのに、すこしかかった。
後輩のミスで発生した残業を片付け、落ち込む後輩を居酒屋に連れ出して精一杯励ました、そんなよくある金夜の帰り道。
私、深尾葉月(ふかおはづき)は、突如として二十九歳という短い人生を終えてしまったのだった。
「神獣、バハムート──」
うん? ばはむーと?
人生の後悔に浸る暇もなく聞こえてきた男の人の声。私はゆっくりと目を開けた。
うわっ! 高い! 眼前に広がる空と森と山。天国にしてはなんというか、ヨーロッパの壮大な自然の景色っぽいというか。それよりも私、浮いてない?
状況が飲み込めず、周囲を見渡す。
「バハムート! お願いします、助けてください…!」
さっきの男の人の声が真下から聞こえる。あっ、そこにいたのね。大きな丸眼鏡と魔法使いみたいなローブが印象的な、若い男の人。宝石のついた杖をこちらに掲げている。
……というかバハムートって、私のこと?
そこで気づく。自分の体、手、足。全てが輝く銀の鱗に覆われていて、背中からは巨大な翼が生えている。それはまさに銀竜。ゲームやアニメで目にする、バハムートそのものだった。
『ひぇええ!? なにこれ!』
私の叫びは咆哮となって響き渡った。
「あ、あの、バハムート……」
おずおずと男の人が声をかけてくる。あ、そういえば助けてくださいって言ってたっけ!
よく見ると彼は、五匹くらいの大きな狼のような動物に追い詰められていて、今にも崖から落ちそうだった。
ええ、崖っぷちじゃない! ど、どうすれば……。
その時、脳裏にイメージが湧く。多分それは、この体の使い方。
私の姿を見て少し警戒していた様子だった狼たちが、気を取り直したように男の人に向き直る。激しく吠えながら、獲物である彼に飛びかかった。
「ひいいい!」
男の人は悲鳴を上げて縮こまる。
『やめな、さーい!』
私は脳裏に浮かんだイメージ通りに、お腹に力を入れて、大きく口を開ける。熱いエネルギーがお腹から湧き上がり、私は青白く光るビームを口から吐き出した。
それは、先頭を走る二匹の狼に直撃した。短い断末魔とともに、二匹は跡形もなく消し飛ぶ。
『ひ、ひぇ』
自分で撃って自分でびっくりしてしまった。まさかそこまで消し飛ぶなんて……。
残った狼たちも驚いたように足を止め、耳と尾を下げて、恐怖の眼差しでこちらを見上げる。じりじりと後退し、そのまま森の中へと逃げていった。よかった、もう一回撃つことにならなくて。
「……バハムート」
縮こまっていた男の人がゆっくりと立ち上がって、畏れているような、安堵したような、複雑な表情をこちらに向ける。
「あの、ありが……」
ピシッ。
男の人が立っている崖に、大きめの亀裂が入る。もしかして、さっきのビームの衝撃のせい?
亀裂はあっという間に広がり、崖は盛大に崩れ落ちた。もちろん、その上に立っている彼も一緒に。
「う、うわあああ!」
『危ない!』
私はとっさに降下し、大きな竜の手で男の人を空中キャッチした。よし、これで上昇すれば……。そう思ったけれど、うまく翼を動かせずフラフラと旋回したのち、私は崖下へと墜ちてしまった。
「いたたた……」
男の人の声で、私はギュッと閉じていた目を開けた。あれ? 着地した?
なるべく彼を守ろうと背中から墜ちたのだが、なんの衝撃も感じなかった。でも、地面には着いている。よっぽどこの鱗が硬いのだろうか。
男の人が私の手の中から這い出てくる。よかった、怪我はなさそう。私は彼を地面に降ろし、自分の体を再度確認する。
にしても、大きい体だなぁ。特に翼。こんな森の中じゃ、あっちこっちに引っかかってしょうがない。なんでこんな姿になっているのかとか、色々と見当もつかないけど、とりあえずもう少し小さくなれないのかなぁ。
なんて考えていたら、また頭にイメージが湧いた。ああ、そうすればいいのね。
そっと目を閉じ、全身に意識を集中する。柔らかな光が私の体を包み込み、その姿を変貌させた。
手を見る。うん、人の手。背は少し小さめね。わ、髪が銀色。背中からは銀の翼が生えている。人型だけど、人じゃない、いわゆる亜人の少女の姿になったみたい。
「なんて美しいんだ……」
気づくと、男の人がぼうっと上気した顔でこちらを見ていた。やっぱり若そうな子。二十歳くらいかな。
「あ、大丈夫でした、か?」
私が言うが早いか、彼はずんずんとこちらに近寄り、私の両手をがっしりと取った。潤んだ瞳でしっかりと見つめられる。顔、近くない?
「バハムート……お願いします。僕のそばにいてください。ずっと、ずっと……!」
一世一代の告白かのような熱のこもった言葉。私は頭が追いつかず、首を傾げることしかできなかった。
「はえ?」
どこかでカラスが鳴いている。もう随分と日が落ちてきた。
「──つまり、私は貴方の召喚獣ってこと? ノアくん」
木の根元にふたり並んで腰掛け、彼から事の次第をあらかた聞いたところだ。
彼の名前はノア。グラン王国という国の王様に代々仕えてきた王家召喚師一族、アズナヴール家の生まれ。だけど成人まで“王家召喚師”の試験に合格できなかったノアくんはとうとう家を追い出され、行くあてもなくこの森を彷徨っていたそう。
そうして魔物に崖っぷちまで追い詰められ、もう駄目だと思ったときに召喚したのがこの私。その後は、私も知る通りだ。
「はい。召喚獣には“魔獣”、“幻獣”そして“神獣”という三つのランクがありまして、魔獣は一般的な召喚師が召喚するようなもので、幻獣はそれよりもずっと優秀な、僕の兄のような人が召喚するものです」
「で、神獣は?」
「神獣はもう、神様のような存在です。アズナヴールの歴史上でも、本当にほんの一握りの人間しか召喚できた記録はありません。ましてや神獣バハムートだなんて……最強と謳われている召喚獣。それが貴女です、バハムート」
そんなにすごい召喚獣に生まれ変わっちゃったのか、私。
なんとなくだけど、ここが天国ではないことは肌で感じていた。でも、トラックに轢かれて死んだのも事実。ここは私がOLをやっていた日本とは違う世界で、私は生まれ変わった。突拍子もないことだけど、頭の何処かで納得していた。
「あ、そのバハムートって呼ぶのやめてもらってもいいかな? 私の名前は深尾葉月。葉月って呼んでね」
「ハヅキ、さん……」
ノアくんは噛みしめるように私の名前を呟くと、ふとこちらに向き直って、心配そうに上目遣いをしてきた。なんだかあざといわね、そのアングル。
「本当に、本当にいいのでしょうか。僕なんかと契約して……。僕が『助けて』と言った言葉に応えてくれたあの瞬間に、召喚獣としての契約は成立してしまったんですが。というか、僕が神獣を召喚できるなんて奇跡なのに、ありえないことなのに……契約まで成功してしまうなんて、僕なんかが……」
言っているうちに目線が下がっていくノアくん。前世でもこういう後輩をちょくちょく見たなぁ。反省するのはいいことだけど、自虐はよくない。ノアくんの状況を鑑みるとしょうがないことなのかもしれないけれど。
「いいんだよ。私だってノアくんのこと助けたかったし、助けられてよかったと思ってる。この世界に私を喚んでくれたのはノアくんでしょ? もっと自信を持って。私はノアくんの召喚獣として、ノアくんと一緒にこの世界を楽しみたいと思う」
「ハヅキさん……!」
ノアくんの瞳に涙があふれたかと思ったら、不意に彼の腕が伸びてきてぎゅっと抱きしめられた。思ったより背の高い彼の腕の中に、私はすっぽりと収まってしまう。
「ありがとうございます、ありがとうございます……! 僕、召喚師として貴女に相応しい男になります、絶対……っ!!」
よっぽど辛かったんだろうなぁ。私はノアくんの背をぽんぽんと優しく叩いた。
それにしても、ノアくんの腕の中、あったかくてすごく安心する。なんだか眠くなってきちゃった。
「ハヅキさん?」
耳元でノアくんの囁きが聞こえたが、重い瞼に逆らえず、私は夢の中に旅立ってしまった。
可愛らしい小鳥の声で目が覚める。柔らかな朝日が、枝葉の間から降り注いでいる。
「うん……?」
一瞬状況がよく分からなかったが、意識が覚醒するに連れ、徐々に思い出してきた。ああ、そうだ、私は生まれ変わって、召喚獣で……。
ふと、自分がもたれかかっているものに気がついた。少し汚れた布地を纏った細身の胸板。ノアくんだ。彼は座った状態で木に背を預け、私を包み込むように抱きしめたまま、静かに寝息を立てていた。もしかして、ゆうべあの状態のまま一晩寝ちゃったの?
ひとまず彼の腕の中から脱出しようと身をよじってみるが、意外としっかり抱きしめられている。
「ん……ハヅキさん?」
私がもぞもぞしていたら、ノアくんが目を覚ました。数秒私の顔を見つめた後、わあ! と声を上げて両手を広げる。
「あわわわ、す、すみません!」
「ううん、大丈夫だよ。おはよう、ノアくん」
「あ、お、おはようございますぅ……」
私は立ち上がり、思いっきり伸びをする。
「なんだかすごく体が軽い! 元気に満ち溢れてる感じ。ノアくんの腕の中で熟睡しちゃったのかな?」
「うううでのなかとか、なんかすみません、恥ずかしいです……」
顔を真っ赤にするノアくんは、口元を抑えながら目を泳がせた。
「あの、たぶんそれは魔力供給のおかげかと」
「魔力供給?」
目をぱちくりとさせる私。ノアくんもやっとのことで立ち上がると、服の砂埃を払う。
「はい、召喚獣がこの世界に顕現するには召喚師の魔力が必要なんです。基本的にそばにいるだけで供給はされ続けているんですけど、あの、ああいうふうにその、触れたり、抱きしめ……たりするともっとしっかり供給されて、召喚獣は元気になるというか……」
「ええ、それ、ノアくんは大丈夫なの? 魔力なくなって倒れたりしない?」
「あ、普通だと魔力節約のために必要なときに召喚して、普段は還しておいたりするんですけど。僕は保有魔力だけは人一倍あって、ハヅキさんのことずっと召喚しつづけるくらいは大丈夫そうです」
「簡単に言っているけど、それって結構すごいことなんじゃないかな」
真面目な顔をして褒めると、ノアくんはまた顔を真っ赤にする。
「いぃいいや、そんな、役立たずの魔力樽なだけなんで……」
「ううん、私、喚ばれたり還されたりするより、こうやってずっとここにいられる方が安心する。ありがとう、ノアくん」
にっこりと本心からお礼を言う。ノアくんは更に耳と首まで真っ赤にし、両手で顔を覆った。
「ひぃ、恐れ多いですぅう」
なんだか面白い子だな、ノアくん。
「それで、ノアくん。これからどうするの?」
いつまでもこんな森の中にいるわけにもいかない。どうしましょう、としょんぼり呟くノアくんに、私はひとつ、考えていたことを提案した。
「ねえ、グラン王国に帰らない?」
「へ……? 王国、アズナヴール家に、ですか?」
私はしっかり大きくうなずく。ノアくんは途端に首を横に振った。
「だだ、駄目ですよ! だって僕はもう家を追い出されて……」
「それは召喚が上手くいかなかったからでしょう?」
私は自分の胸を叩く。
「今は私がいるわ。この神獣バハムートが」
泣きそうだったノアくんの瞳に、少しだけ希望の色が見えた。
「神獣を召喚できたって言えば、もしかしたら不合格を取り消してもらえるかもしれないじゃない。名字を取り戻せるかもしれないよ」
「そうですかね……」
「きっと大丈夫! 責任は私が取るから!」
「せ、責任?」
あ、前世の癖でつい。後輩の背中を押すときはいつも責任は私が取っていた。この場合、どうやって責任を取るのかわからないけど。
「と、とにかく! 行ってみましょう。行動しないとなにも始まらないよ!」
「そう、そうですね」
ノアくんはきゅっと唇を噛み締め、頷いた。
「帰りましょう、グラン王国へ」
あの森からグラン王国の首都への道のりは、さほど遠いものではなかった。というか、あの森もグラン王国の領地の中に存在していたらしい。
本当は帰りたいという気持ちの現われだったのだろうか。ノアくんは首都の近くをふらふら歩き回っていただけだったみたいだ。
一日ほど歩くと森を抜けることができた。するとすぐに舗装された大きな街道に出て、そこからはそのまま道なり。首都に近づくにつれて行き交う人々も増え始め、大きな馬車も走っていた。
「珍しいですか、ハヅキさん?」
「へ?」
思った以上にきょろきょろしていたらしい。ノアくんが微笑ましい顔で私を見つめている。なんだか恥ずかしくなって頬を掻いた。
「うん、なんだか海外旅行に来たみたいだなーって……」
「旅行、ですか。僕は生まれてこのかたグラン王国から出たことがないので、旅はしたことがないですね」
「そうよね、飛行機とか新幹線もないだろうし」
初めて聞く単語に、ノアくんは不思議そうに小首をかしげた。
「わあ、すごい!」
グラン王国の首都は、絵に書いたような大きな城下町だった。遠くに立派なお城が見える。
見渡す限り、ファンタジーによく出てくるヨーロッパ調の建物がずらり。思わずテーマパークに遊びに来たような気分になってしまった。大学のときはよく友達と行っていたけど、社会人になってからは忙しくて全然行かなくなってたなぁ。
どこを撮ってもSNSで映えそう。ああ、ここにスマホがないのが惜しいっ。
「ハヅキさん、迷子になってしまいますよ!」
ひとりでフラフラと何処かへ行ってしまいそうだった私の手を、ノアくんが掴む。
「あ、へへ、ごめん」
「ハッ、僕こそすみません!」
ノアくんは慌てて手を離した。また顔が真っ赤。手くらい気にしないのに。なんか可愛いな、この子。
「でも、あの、ハヅキさんは目立つので、あまりあちこち行かないほうが……」
そういえば、ご通行の人たちがもれなくこちらを二度見していっている。まあ、ローブで多少隠してても銀髪は目立つし、この翼も隠せないし。
召喚師の話を聞いていたから、私みたいな亜人は普通なのかなと思ったけど、一般的にはそうでもないみたい。アズナヴール家が特別なのだろう。
「そうね、サクッとご実家に挨拶に行っちゃいましょう!」
「そ、その言い方は恥ずかしいです、ハヅキさん……っ」
観光はまた今度。私達はアズナヴールの屋敷へとまっすぐ向かうことにした。
城のそばに位置するアズナヴールの屋敷は、想像の五倍くらい大きかった。
門ですら見上げるほど大きい。その随分と向こうに豪華な屋敷が見える。これ、敷地相当広いわね。
「……」
気づくと、隣のノアくんがぷるぷると震えていた。顔が真っ青だ。足も震えて、それ以上は前に進めないといった様子。
「ノアくん」
私は彼の背中をそっとさすった。
「大丈夫、大丈夫よ。私もいるから」
前世で、大きな企画のプレゼンを目前に緊張でどうしようもない会社の後輩の背中をさすったことを思い出す。本当にノアくんは後輩みたいで、放っておけない。
「……っ、はい、ハヅキさん……」
目に涙をいっぱいに溜めながら、ノアくんは無理やり笑おうとする。
「がんばります……っ!」
ノアくんは勇気を出して足を踏み出した。門番に近寄り、裏返った声で言う。
「の、ノアです! 兄に……レオ・アズナヴールに会いに来ました」
ふたりの門番はノアを見て、顔を見合わせる。年配の方の門番が眉をひそめて応えた。
「ノア様……申し訳ありませんが、貴方はアズナヴール家を破門された身では」
「は、はい。でも、会いたいんです、お願いします」
深々と頭を下げるノア。困り果てた門番は視線を泳がせ、私に気づく。
「そちらは?」
ここはノアくんのためにもはっきり言わなきゃ。私は胸を張って返事をした。
「私はノアさんの召喚獣、神獣バハムートです!」
「しん、じゅう……?」
まさか。と言いたげな門番。負けちゃいけない。私は真剣な目を門番に向ける。すると門番は私の目線にすこし怯んだようにみえた。
「……分かりました。お取次ぎ致します。こちらでお待ち下さい」
年配の門番は、隣の若い門番にここにいるよう指示をし、門をくぐって屋敷の方へと走っていった。
「や、やった!」
ノアくんは私の元へ駆け戻り、ぴょんぴょんと小さく跳ねる。
「よかったね。一歩前進!」
よしよし、と私は背伸びをしてノアくんのふわふわの髪の毛を撫でた。ノアくんは嬉しそうに笑う。大きな子犬みたいね。
十分ほど待つと、門のくぐり戸が開く。年配の門番が、誰かを連れて戻ってきた。
「レオ兄様……」
あれがお兄さん? ノアくんの顔に再び緊張が走る。
すごくきっちりとした貴族の衣装を着て、暗い茶色の髪を撫でつけている。眉間には思いっきりシワが寄っていて、見るからに厳しそうなひと。それでも私よりは若そうだな。二十四、五歳くらいだろうか。
雰囲気が正反対すぎて分かりづらいけれど、垂れ目気味の目元が少しノアくんと似ているような気がしないでもない。
「何をしに来た、ノア」
低い声で、威圧的にお兄さんは言う。ノアくんは一瞬たじろいだけど、多分無意識に私の手を握り、姿勢を正した。
「は、破門の取り消しを、お願いしに来ました」
私の手を握るノアくんの手に力が入る。
「召喚、したんです、僕。神獣を。神獣バハムートを、召喚したんです!」
「……」
お兄さんは私の方に目線を移し、上から下までじろじろと観察してくる。
「……それが、その亜人だとでも?」
「そうです、私が神獣バハムートです。今は亜人の姿だけど、本当は銀竜になれます」
再び真剣に、私は答える。お兄さんは驚いたように目を見開いた。
「ここまで流暢に人語を解する亜人がいるのか……」
「レオ兄様、お願いします。破門を取り消してください!」
「……駄目だ」
そんな……とノアくんは小さく小さく呟いた。絶望感がひしひしと伝わってくる。
なんとかしなくちゃ。私がなにか言おうと口を開けると、同時にお兄さんが続けて話した。
「破門は簡単に取り消せるものではない。試練をやり直す程度では駄目だ。母様も納得しないだろう」
ノアくんに向き直ったお兄さんの目は、決して弟を突き放すような冷たいものではなかった。
「俺と決闘しろ、ノア。召喚獣で俺に勝つことができれば、誰も文句は言わないだろう」
門の中へと案内され、屋敷に向かうのかと思ったらその隣の建物に連れて行かれた。
「と、闘技場だ……!」
さすがにテレビで見た世界遺産のようなものよりは随分小さいが、客席が並ぶ円形の建築物はまさに闘技場だった。
「普段はここで召喚獣の訓練をしているんです」
先を歩くお兄さんについていきながら、ノアくんは私に耳打ちしてくれた。確かに、召喚獣を戦わせたりするならこれくらいの設備は必要よね。
闘技場に入ると、控室のような部屋へと通される。
「人を集めさせる。しばらくしたら始めるぞ」
「はい、兄様」
人? そ、そうか。しっかり色んな人にノアくんがすごいことを見せつけなきゃいけないものね。公開決闘、ってやつかあ。
お兄さんは部屋を出ていった。お兄さんの召喚獣ってどんなのなんだろう。
「兄様の召喚獣は“幻獣ケルベロス”です」
「えっ」
たまたまだろうけど、私の心を読んだようなノアくんの言葉にちょっとびっくりしてしまった。
「えっ、あ、いえ、ちょっと心配そうな顔をしていたので。レオ兄様のことが気になるのかと」
「あはは、バレバレだった? うん、ちょっと緊張してきたかも」
ノアくんに椅子を勧められて腰掛ける。隣の椅子にノアくんも座り、体ごと私の方に向いた。
「兄様は、十歳のときに幻獣ケルベロスを召喚しました。僕たちは一応アズナヴールの本家なんですけど、兄様は本家当主に相応しい才能と召喚獣を持つ、本当にすごい人なんです。僕はその弟として、不出来が故に、完璧な兄様の名に泥を塗り続けてきました……」
ノアくんは拳をぎゅっと握りしめる。
「もしかしたら、僕はもうこのまま消えたほうがいいのかもしれません。だけど……兄様に、『破門された弟がいる』という汚点を残したくない。自分自身が家に戻りたいって気持ちもあるんですが、そういう思いも半分あります」
「ノアくんはお兄さん思いなんだね」
「へへ、へへへ……。兄様、ああ見えて優しい方なんです。僕のためになんども王家召喚師認定試験を設定してくれて、二十歳になるあの日にも、最後に試験を受けさせてやってほしいと国王陛下に直談判してくれたんです」
口元は笑いながらも、目にはどんどん涙を溜めていくノアくん。色んな気持ちがないまぜになっているようだ。
「それなのに、僕は一度もレオ兄様の期待に応えることができなかった……。本当に、自分が情けないです」
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。私は、固く握りしめられたノアくんの手にそっと自分の手を重ね、微笑みを向けた。
「大丈夫。こんどは独りじゃないでしょう?」
「ハヅキさん……っ」
ノアくんは思わずといった様子で私に抱きついてきた。強く抱き締められ、つい苦笑が出てしまう。ハグ好きなのかな、ノアくん。魔力供給の影響なのか、私はとてもいい気分になるからいいんだけど。
「がんばります、僕っ」
「うんうん、がんばろうね」
背中をぽんぽんと叩いて宥める。それと同時に、背後のドアがノックされて開いた。
「あ……あの」
使用人らしきメイド服の女性が気まずげに声をかけてくる。ノアくんはハッと我に返り、私から急いで離れた。相も変わらず、顔を真っ赤にして。
「は、はい!」
「ノア様、準備が整いましたので闘技場までお越しください」
「はいぃ!」
メイドさんは一礼して出ていった。
「行きましょう、ハヅキさん!」
勢いよく立ち上がったノアくんは椅子を倒してしまう。ノアくんらしいなぁと思いながら、私も立ち上がる。
「うん、行こう、ノアくん」
「ひぇ」
思わず小さい声が出てしまった。暗い通路を進んだ先。眩しい光とともに現れたのは円形の大きなフィールド。そして観客席。
その観客席には、所狭しと人々が座っていた。みんなノアくんのような魔法使いっぽい格好をしている。もしかしてこれ、全部アズナヴール家の召喚師さんたち?
一体何人いるんだ。そしてこの短時間でこれだけ集めるなんて、お兄さん一体何者なんだ。
「分家の人たちもほとんど来ています。まあ皆さん兄様の幻獣ケルベロス目当てでしょうけど」
「アズナヴールの一族って、すごく大きいんだね……」
「はい、僕たち本家を中心に分家がたくさんあります」
『来たわよ、ノアだわ』
ふと声がして振り向く。だけど誰もいない。
『なんだ、あの亜人の小娘は。あれでレオ様に挑もうとでもいうのかね』
『相変わらず情けない顔。役立たずの魔力樽が』
まさか私の耳、観客席の声を拾ってる? よく耳を澄ますと、色んな方向から声が聞こえてくる。すごい、バハムートって耳もいいのね。
『正直、ノアなんてどうでもいい。レオ様の幻獣ケルベロスを見に来ただけだ』
『あんな小さな亜人で挑もうだなんて……一瞬で消し飛んでしまうでしょうね。かわいそうに』
『さっさと始まらんかね』
『破門されたくせにまた敷地に足を踏み入れるなんて、本当に恥晒しだな』
な~んだかむかっとする声ばっかりだなぁ。こんな人達に囲まれてノアくんは育ったのか。私はノアくんに向き直り、無言でその頭をわしゃわしゃと撫でた。
「は、ハヅキさん? どうしたんですか?」
「ううん、ノアくんは強い子だよ」
「え、えへ、そうですか? えへへ」
ひねくれずにまっすぐ育っている。それだけでノアくんはすごいよ。
ざわざわしていた観客席が急に静かになった。なんだろう、と見渡すと、向かいの通路からお兄さんがゆっくりと歩いてきていた。なんというか、すごい威圧感。オーラがすごいわ。さすがにこんなに大きな一族の本家当主ともなれば、雰囲気も違ってくるのね。
後ろでノアくんがごくりと唾を飲み込む。
お兄さんはフィールドの中央まで進むと、観客席を見渡して一礼した。
「お集まりいただきありがとうございます。これより、私とノアの、破門取り消しを賭けた公開決闘を行わせていただきます」
お兄さんはノアくんに杖を突きつける。
「手加減はしない」
そのまま、杖を天に掲げた。
「来い、幻獣ケルベロス!」
どこからともなく顕現した大きな怪物は、お兄さんの目の前にズンと着地する。三つ頭の大きな犬。たしか、地獄の番犬かなにかだったっけ。地面がめり込むほどの巨躯だけど、多分私の銀竜モードよりは結構小さいかな。というかもしかして、私めちゃくちゃ大きかったのかしら。
「ハヅキさん!」
「うん、任せて」
ノアくんにうなずいて見せてから、私は前に出ながら考える。さて、どうしようかな。
するとケルベロスが大きく口を開ける。ああ、炎を出すのね。なんだかこのケルベロスの考えていることが解ってしまう。召喚獣同士だからかなぁ。
ケルベロスが放った火球が真っ直ぐ襲いくる。
「ハヅキさん、危ない!」
ノアくんは焦っているけど、多分これ大丈夫なんじゃないかな。
私は避けようとはせず、前に手を差し出した。火球は私の指先に触れた瞬間、軽い音を立てて霧散する。
「なっ……」
お兄さんが目を見開く。
『何、いまの? 炎が消えたような……』
『外れただけじゃないのか』
『直撃していたら無事ではすまないだろう』
客席がざわざわしている。さすがに、今のじゃよくわからないか。
「ケルベロス、噛み切れ!」
お兄さんの指示で、ケルベロスがこちらに向かってきた。うん、じゃあいっちょ派手にいきますか。
ケルベロスの巨大な牙が迫る。私はまた一歩も動かなかった。後ろでノアくんが私の名前を叫んでいる。
そのまま、私はケルベロスに喰べられてしまった。客席が湧く。
『ははっ、あの小娘、丸呑みされたぞ!』
『ほら見たことか』
『ま、レオ様の幻獣ケルベロスを拝めただけ良かったわね』
「……?」
ケルベロスが私に噛み付いたまま微動だにしないことに、お兄さんは怪訝な表情を見せる。
「ワンちゃん、お口を離した方がいいよ」
ケルベロスの口の中から強い銀の光が溢れる。ケルベロスは身悶えし、その光を吐き出した。光は上昇し、どんどん大きくなっていく。
『刮目しなさい。これが……神獣バハムートよ!』
光の中から現れたのは、巨大な銀竜、神獣バハムート。
銀の光の粉を振りまきながら、私はできるだけ大きく咆哮した。空気が震え、闘技場の壁が剥がれそうになる。
金の瞳で、ケルベロスを見下ろす。ああ、やっぱり私よりずっと小さいわ。私と眼が合っただけで後退りするケルベロス。レディに噛み付いたこと、ちょっとお仕置きしなくちゃね。
私は青白いビームを放つ。直撃すると消し飛んじゃうかもしれないから、足元にちょっとだけね。
キャンッと子犬みたいな声を上げて飛び退るケルベロス。戦意は削いだかしら。
「まさか……そんな、本当に、神獣バハムート……?」
信じられないと言った様子で、私を見上げるお兄さん。そうよ、ノアくんは嘘なんてついてないんだから。
私はゆっくりと地面に舞い降り、亜人の姿へと戻る。
「ハヅキさん!」
ノアくんが一目散に駆け寄ってくる。ふふん、完璧だったでしょ? そう言おうとしたが、ノアくんはなんだか困惑しているような顔をしていた。
「どうしたの?」
「あ、あの、さっきのハヅキさんの咆哮で、観客の方たちが軒並み失神してしまいまして……」
「え!?」
慌てて観客席を見渡す。なんだか静かだと思ったら、みんな白目をむいて倒れている。うそ! そんなことあるの!?
「も、もしかして、私の姿、よく見れてなかったりするかな……」
「かもしれません……」
「俺は見たぞ、ノア」
お兄さんが歩み寄ってくる。ケルベロスはもう還したようだ。
私達のそばまで来ると、お兄さんは不意に跪いた。
「お目にかかることができ、この上ない光栄です。神獣バハムートよ」
「えっ、ちょちょ、やめてください!」
慌てて立ち上がらせようとする私に、お兄さんはふっと表情を緩めてみせた。
「まさか、ノアに神獣を召喚することができるなんてな」
「レオ兄様……」
お兄さんは立ち上がると、ノアくんに向き直る。
「神獣バハムートを従えたとなれば、破門取り消しも叶うかもしれない。母様もきっとお赦しに……」
「何をしているのです!」
鋭い女性の声が耳を突いた。召使いを従えてカツカツと近寄ってくる淑女。
「エステル母様……!」
ノアくんの表情にサッと暗い影が落ちる。
「何度も言わせないでくれるかしら。わたくしはもう貴方の母親ではないのよ。レオもどういうことかしら。私に黙って、この恥晒しを再びアズナヴールの敷地内に入れるだなんて! それにこの状況は何? またこれが余計なことをしたの!?」
「母様、聞いてください。ノアは立派な召喚師になって戻ってきたんです。神獣バハムートを……」
「いいえ、聞きたくないわ! 気づいてないようだけれど、貴方はなんだかんだと弟に甘いのよ。これの口車に乗って闘技場なんか使って! 本家当主としての意識をちゃんと持ちなさいと言ったでしょう!?」
「申し訳……ありません、母様」
「ところでノア? いつまでそこにいる気かしら。訳の分からない亜人まで連れて。汚らわしいわ。これ以上アズナヴールの敷地を踏まないでくれるかしら! 今すぐに出て行って頂戴!!」
ノアくんが、びくりと肩をすくめる。なんなの、この人。言いたい放題言ってくれちゃって!
言い返そうとした私を、お兄さんがそっと静止する。こうなったらもう駄目だ、と言いたげにゆっくり首を振る。
「分かりました、母様。彼らを送り出して参ります」
「ふんっ」
母親は扇で口元を隠し、もう見たくないと言いたげに私達から目を背けた。
お兄さんに案内されて、私達は門のくぐり戸を抜ける。
「すまない。俺は本家当主という身でありながら、エステル母様には逆らえないんだ」
深々と頭を下げられる。
「一族にも派閥があってね……単純に言えば、俺の味方より母様の味方のほうが多い。俺の一存でお前を破門取り消しにはできないんだ」
「分かってます、兄様。すみません」
微笑むノアくんだが、ぎゅっと服を握りしめている。悔しいよね、そりゃ。
「だが、あのときバハムートの姿を見て覚えている召喚師は少なくないはずだ。まず少しずつ周りを説得して、母様を説得する。少し時間をくれ、ノア」
「兄様……」
泣きそうになるのを我慢して、ノアはばっと頭を下げる。
「お願いします……!」
夜更け。都の郊外に佇む、味のある宿付き酒場で、ノアくんはエール──私の世界で言うビールを一気に煽っていた。
「ぶはぁっ! かあさまのわからずや! ハヅキさんはすごい神獣なのに!」
ドン! と机に樽型のジョッキを叩きつけ、ノアくんは叫ぶ。
こうして同僚や後輩の愚痴を聞いたなぁ。また前世の思い出に浸りつつ、私もエールを煽った。これで三杯目だが、全く酔わない。バハムートはアルコールにも強い、なるほどね。
「あのときお母さんの前でもバハムートになっちゃえば良かったね」
「……なってたとしても、母様だとなにかと因縁をつけて信じなかったかもしれません」
うーん、確かに、あの勢いだとそうかもしれない。
「母様は、僕が神獣を召喚しようと、兄様に勝とうとどうでもいいんです。長年出来損ないとして周りに誹られて、本家の汚点として生きてきた。その事実を持つ僕は、もう一刻も早く消えてほしいんだと思います」
「ひどいなぁ。出来たことはちゃんと認めてもらわないと困るよね」
「うぅ、僕の味方はハヅキさんだけです……」
しょんもりするノアくん。
「そんなことないよ。お兄さんだって味方でしょ?」
「それは、そうですけど……レオ兄様はとてもお忙しい方です。本当に僕なんかのために説得して周ってくれるのかどうかなんて……」
口を尖らせながら、ノアくんは机にのの字をぐるぐると書く。頭をふらふらと揺らし、もう随分と酔いが回っている様子だ。
「はっきりそうしてくれるって言っていたじゃない。お兄さんのこと信じよう?」
「はい……」
私は苦笑いし、ノアくんの頭をぽんぽんと撫でた。
「さ、今日はこのくらいにしてもう寝ましょう? これからのことは明日考えようね」
足元のおぼつかないノアくんに肩を貸し、私達は二階にある客室へと上がっていった。
小さなベッドが2つ並べられただけの質素な一室。部屋を分けたほうがいいかと思ったけれど、空きがなかったのだ。
ノアくんを片方のベッドに寝かせる。薄い毛布を掛け、寝かしつけるように肩を軽く叩いた。
「ハヅキさん……」
「ん?」
ノアくんは私の手を掴み、ぐいと引き寄せた。抵抗する間もなく、私はベッドの中に引きずり込まれる。
ノアくんは私の顔の左右に手を付き、馬乗りになる体勢をとる。
これはいわゆる押し倒されてる状況では?
「の、ノアくん? どうしたの?」
もう、酔い過ぎだよ笑おうとしたが、ノアくんの顔が近づいてきていることに気づいて口をつぐんだ。
すごく近い。ノアくんの瞳に映る自分が見える。
「ハヅキさんの目……すごく好きです。金色に光ってて、この世にひとつとない宝石みたいで」
ノアくんがそっと私の目の下を撫でる。あまりにも優しい手付きに、私の心拍数が少し上がった。
「髪も、肌も、何もかもがすごくきれいで」
頬に髪に、ノアくんは慈しむようにゆっくりと撫でていく。
「こんな美しいひとが僕の召喚獣だなんて、最初は信じられなかったけど。一緒にいたいって言ってくれて、兄様と戦ってくれて……本当に、嬉しかったです」
こつり、と額をくっつけてノアくんは甘い声で囁く。
「好きです。ハヅキさん、大好きです。ずっとずっと、一緒にいてください」
「の、ノアく……」
ぽふ、とノアくんは私の顔の横に突っ伏した。静かな寝息が聞こえてくる。
び、びっくりしたぁ。好きですって、召喚獣としてってことよね。神獣バハムートを召喚できて嬉しいって話よね。
さすがにちょっとドキドキしちゃった。自分の頬を触ると少し熱い。
「ノアくんはお酒に弱いのね。今後は飲ませすぎないようにしないと」
さてと。と起き上がろうとしたが、ノアくんの腕ががっちりと私の体をホールドして離さない。ま、またか。
あぁ、駄目だ、ノアくんに抱き締められたら安心して眠くなっちゃう。
私とノアくんは、ひとつのベッドで健やかに眠りについてしまったのだった。
どたんばたん。下の階が騒がしい。子供の泣き声がする。
何事? 早朝、私は騒音で目が覚めると、ノアくんの腕の中から抜け出し、一階へと向かった。
一階には床に座り込んで大泣きする小学生くらいの男の子がひとりと、そばに色黒の青年がひとり、その青年に付き従うように立つ中学生くらいの少年がひとり。
たしか色黒の青年とその少年は、昨日お酒を飲んでいた時に端っこの方で飲んでいたふたりだ。多分、同じ宿泊客なのだろう。
「おとうちゃんが、おとうちゃんが!」
小学生くらいの男の子が泣き叫んでいる。
この子はこの酒場の主人の息子さんだ。昨日、給仕をしてもらって可愛いなぁと思っていた。そんな子がこんなに泣き叫んでいるなんて……。
「どうしたんですか?」
私の声に、色黒の青年がはっとこちらを向く。
「ああ、実は……」
青年が説明しようとしたら、男の子が私に飛びついてきた。足にひっしとしがみつき、訴える。
「おとうちゃんが連れて行かれたんだ! 魔物に!!」
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