溺愛召喚師は崖っぷち~神獣に転生したOLの愛され異世界生活~
タクヘイ
プロローグ:降臨せし、神獣バハムート
ノア・アズナヴールは走っていた。
細い枝が頬を切りつけ、木の根が足元を絡め取る。何度転んだかわからない。それでも足は止められなかった。
聞こえるのは、自分の荒い息と激しい心臓の音、そしてすぐ後ろから迫りくる恐ろしい唸り声が複数。
「死にたくない、死にたくないよぉ……っ!」
森に棲む魔物たちに追いかけられながら、ノアは涙と鼻水を撒き散らして叫んだ。
僕にもっと才能があれば。きちんとした“王家召喚師”になれていれば。後悔ばかりが脳裏を駆け巡る。
数日前──。
大陸最大の国、グラン王国。都の中央に佇む城の中。試練場と名の付いている巨大な円形の広間の中央に、ノアはひとり立っていた。
「ノア、分かっているだろうが、これが最後のチャンスだ」
広間の壁際で腰に手をやりながらノアを睨むのは、兄のレオ・アズナヴール。
「は、はい、兄様……」
上ずった声で返事をした弟に、レオは深い深いため息をついた。その隣で母のエステル・アズナヴールが、扇で口元を隠しながら軽蔑の目を向けてくる。
「全く、本来ならすでにアズナヴール家を追われていてもおかしくない身だというのに。成人の日に最後の試練をお許しくださった国王陛下に心から感謝申し上げることね。今年は大切な建国式典もあるのだから、これ以上失態を重ねないでくれるかしら」
「はい……っ」
きゅっと唇を噛み締め、ノアは見物用の二階席に目をやる。高齢の国王が複数人の側仕えを伴い、こちらを見下ろしていた。
「始めろ」
国王が厳かな声で命ずる。はっ、とレオが応じ、ノアの前に歩み出た。
「只今より、ノア・アズナヴールの“王家召喚師認定試験”を始めさせて頂きます。最低限の強さを持った、神獣、幻獣、魔獣、いずれかを召喚し、従えることができれば合格となります」
レオは国王に深々と頭を下げてから、ノアに向き直る。
「お前は今日、成人した。二十歳にもなってその程度ができないのならば、お前はもうアズナヴールの一族には必要ないということだ」
ノアはこくりとうなずく。緊張で声も出せなかった。
「魔力だけはあるんだから、いい加減合格しろ。いいな」
不出来な弟に吐き捨てるように言葉を掛け、レオは壁際に戻った。
杖を握る手が震える。手汗で滑り落ちてしまいそうだ。でもやるしかない。ノアは強く目を閉じ、ひとつ息を吸い込んだ。
杖を眼前に掲げ、召喚術の詠唱を始める。正直頭の中はパニックだが、物心ついてから何度も何度も練習した詠唱は勝手に口が紡いでくれた。
「お願い……来て、僕の召喚獣……!!」
ノアを中心に、風が吹き荒れる。杖の先に時空の切れ目が現れ、そこから鋭い爪が飛び出してきた。
切れ目を広げるようにして顕れたのは、獅子の頭に山羊の胴体を持った怪物。
「や、やった…来た!」
ノアは目の前の召喚獣に、涙を溢れさせた。
「……キマイラか。魔獣ですね」
「フン、最低ランクじゃない。本家のくせに幻獣も召喚できないなんて」
召喚獣が顕れたことに少しばかり安堵の様子を見せるレオとは裏腹に、エステルの蔑んだ目は変わらない。
ノアは、周囲を警戒するように見渡すキマイラに杖を向ける。
「キマイラ、僕の言うことを聞いて……!」
ここで契約が成立すれば召喚成功だ。キマイラはノアに向き直り、首を傾げる。そしてゆっくりと鼻先を近づけてきた。
「そう、僕と契約を……」
ヒュッ、と風を切る音がした。
ノアは左半身に激しい衝撃を覚えたのち、壁に激突した。キマイラがその巨大な爪でノアを叩き飛ばしたのだ。
「ぐあっ……!」
壁に全身を打ち付け、視界がチカチカする。キマイラの怒りに満ちた咆哮が聞こえた。
「ノア!! くそっ」
レオが杖を取り出す。
「来い、幻獣ケルベロス!」
レオの眼前に、三つ頭の犬の怪物が顕れる。キマイラよりもずっと大きな召喚獣だ。
レオが操る幻獣ケルベロスは、制御を失い暴れ回らんとするキマイラに飛びかかり、その首を噛み切る。
悲痛な叫び声を最後に、キマイラは光の粉となって掻き消えた。
「きまいら……」
朦朧とする意識のなか、かつてキマイラだった光の粉に向かって手を伸ばすノア。その視界を遮るように、母、エステルがやってきた。
倒れる息子を心配するでもなく、彼女は鋭い音を立てて扇を閉じる。見下ろすその顔は、まるで汚物でも見るかのような、嫌悪と憎しみに満ちたものだった。
「やはり時間の無駄だったようね」
国王が興味を失ったかのように退室する。
「破門よ。歴史ある王家召喚師一族に、召喚獣一匹従えられない才能のない者は必要ないわ。貴方には今これより、アズナヴールの名を名乗ることを禁じます」
「母、様……」
「やめてくれるかしら。貴方はもう、わたくしの息子ではなくてよ」
エステルは踵を返す。
「二度とその顔を見せないで頂戴。アズナヴールの恥晒しめが」
試練場をあとにするエステルに、レオも付き従う。床に突っ伏したまま静かに涙する弟には、一瞥もくれなかった。
──そうしてアズナヴールの屋敷にも入れなくなったノアは都をあとにし、行くあてもなく森を放浪していたところ、今こうして魔物に追いかけ回される羽目となったのだった。
「死にたくない、死にたくない……」
どれだけ走ったのかわからない。足の感覚はもうない。だが次に転べば背後に迫るオオカミ型の魔物たちの餌となってしまうだろう。
しばらくすると、不意に視界がひらけた。
「!!」
ノアは慌てて足を止める。ギリギリだった。木々を抜けて出た先は、切り立った崖だ。
「そん、な……」
背後を振り返ると、勝利を確信した魔物たちがゆっくりと距離を詰めてきていた。
じりじりと崖の端まで追い詰められる。ノアが蹴った小石がからんからんと遥か下まで落ちていった。この高さはまず助からないだろう。
ここで魔物に喰い殺されるか、崖から飛び降りて死ぬか。
「いやだ、しにたくない……」
アズナヴール家では生まれたときから兄と比べられ、保有魔力だけは人一倍高いくせにまともな召喚術のひとつもできず、『役立たずの魔力樽』と誹られてきた人生。
それでも。それでも、死にたくなかった。
気がついたら、召喚術の詠唱を紡いでいた。
ノアを取り囲むように風が吹き始める。魔物たちは少々警戒して足を止めた。
なにもいいことがなかった人生だとしても。なにもかもに見放された、文字通りの崖っぷちだったとしても。
「僕は……死にたくない!!」
杖を天に掲げる。晴れ渡った空に大きな雷が落ちる。まさに青天の霹靂だった。
ノアと魔物たちはあまりの眩しさに目を背けた。
──銀。
恐る恐る目を開け、見上げたノアの視界いっぱいに入ってきたのは、あまりにも神々しい銀色。
それは巨大な翼をはためかせ、ノアの頭上にゆっくりと舞い降りる。
王家召喚師一族アズナヴール家で育ったノアでさえも、絵本でしか見たことがないような、途方もなく遠い存在。
召喚獣の中でも神に近い存在を意味する、“神獣”。その中でもさらに最強と謳われる銀色の竜が、今、ノアの目の前に顕れたのだ。
震える唇で、ノアはその名を呟いた。
「神獣、バハムート──」
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