第59話 帰り
今回こそは洗い物をしてやるぞ、という気持ちで台所前に立ったのだが、
「岩瀬君~。バイトは行かなくていいの~?」
「……なんで俺が今日バイトあることしってるんすか」
「女の勘ってやつ?」
「鋭いっすね」
時計を見ると8時6分。時間的にも洗い物をしてからバイトに行けるし、花梨さんが気にすることなんて何一つもないのだけど、洗い物をするなっていう圧を感じる。
「準備して来たら~?」
「まだ時間的にも余裕はありますので、洗い物ぐらいしますよ」
「岩瀬君が昨日着て来た服は、畳んで日彩の部屋に置いてあるからね~」
「……いつのまに?」
「さっき?」
「さっきっすか……」
洗濯まで畳んで、朝早くからホットケーキ作って……花梨さんはいつ寝てるんだ?もしかしてショートスリーパーっていうやつか?
なんて事を頭の片隅で考えるが、花梨さんが俺に洗い物させたくない理由は別にある。
洗濯物を日彩の部屋に置いたっていう言葉と、地味に日彩に向けている体で大体予想は付く。
彼女彼氏だから、少しぐらい二人で話して来いってことを言いたいんだろう。
これといった話題はないから、話さなくてもいいのだけれど……。
「そゆことだから、部屋で着替えて、ソファーにでも座って日彩と話してなさいな~」
「洗い物をするなっていう理由には不十分だと思いますけど……」
「つべこべ言わずに早く言ってきなさい」
と言いながら、台所へとやってきた花梨さんは俺の背中を押す。
日彩からも何か言ってほしい所だけど――うん、welcomeと言いたげにソファーに腰を下ろしてこっちを見てきやがる。
隙あらば勘違いをさせたいのだな。
そうと分かっていても、花梨さんが背中を押すのだから行かざるを得ない状況にある俺は、致し方なく台所を後にした。
「本当にいいんですか?」
「いいのよいいのよ~。早く行ってきなさーい」
「大変そうでしたら手伝いますからね?」
「分かったから~」
絶対分かってないなと思いつつ、俺はリビングを後にして日彩の部屋で着替える。
同じ洗剤で洗濯したのだから当たり前なんだけど、俺の服からは日彩の匂いがする。
いつも通りに服を着るのだけれど、その匂いのせいか、抱き付かれているような感覚に襲われてしまう。
きっと、中学の俺ならこの後にトイレに行ってた。絶対に。
今の俺は行かないからな、なんて言葉を誰かに言い聞かせるように独り言俺は、日彩の部屋を後にしてリビングへと戻る。
すると、待ちくたびれたようにソファーの背もたれに顎を乗せる日彩と目が合うや否や、日彩は隣においでと言わんばかりにソファーを叩く。
家だからか、随分日彩の警戒心は解けている……というか、ほぼゼロだ。
俺と目が合うとふにゃっと頬を緩めるし、俺一人で日彩の部屋に上がっても何も言わない。
勘違いさせようという意図でそのようなことをしているなら、相当たちが悪い。けど、日彩からはそんな意図は感じない。
「今日の晩はご飯作りに来る?」
日彩の隣に腰を下ろした俺はそう問いかける。
「確認しなくても、毎日行く予定よ?」
「毎度言ってるかもしれないけど、嫌なら嫌って言えよ?」
「大丈夫。絶対にないから」
「ならよかった」
しっかりとソファーに座り直した日彩と何の変哲もない会話をするが、話題が尽きてしまった。
女子に慣れてない俺のせいなのか、それとも勘違いさせようとしていることに気が付いているからか、話題が全く思い浮かばない。
数秒間の無言が続き、気まずいかと思われた空間だったが意外にも日彩がその空気を破ってくる。
「ねぇ翔?」
「ん?」
「また今度も遊びに行こ?」
「あー全然いいよ」
まぁ勘違いだと気がついているのなら大丈夫だろう。危ないと思ったら自分の頬にビンタすれば正気に戻るはずだ。
昨日の手を繋いだり肩に頭を乗せてくるという行動を何も考えずに抜けれたのだから、相当なことがない限りは大丈夫だと思うが。
「やった。なら再来週の日曜日に行こ!」
「再来週の日曜か……」
見るからにテンションが上がる日彩の前では非常に言いにくいのだが、再来週の日曜日はあなたのお母さんと遊びに行きます……。
本当にすみません。
「もしかして、来週の日曜日はダメな日?」
「ダメな日だね。ほんとごめん」
「そ、そんな謝らなくてもいいよ」
色々な意味合いを込めて深々と頭を下げる俺に、あたふたと逆に申し訳なさそうに手を振る日彩。
悪いのは俺と花梨さんなんだ。その中でも9割が花梨さんが悪いけど、一応俺も悪い。9割花梨さんが悪いけども!
チラッと洗い物をする花梨さんに目を向けて見れば、申し訳なさそうな顔ではなく、どこか楽しそうな顔を浮かべている。
……この人性格わっるいな。
「いや、ほんとごめんな。行きたいところあったらどこにでも行くから許してくれ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「やった。なら遊園地に行きたい!」
「遊園地……ね」
とことんお母さんと被るな。本当にごめんな日彩。再来週の日曜、花梨さんと遊園地に行くんだ。
けど、どこにでも行くって言ったからには行くしかないよな。
「もしかして、そこもダメ?」
「全然ダメじゃないよ。また行ける日があったら連絡するな」
「やった」
喜びをかみしめるように小さくガッツポーズをする日彩を横目に、俺は花梨さんの方を見やる。が、やっぱり花梨さんには罪悪感がないようでニッコニコでこっちを見てくる。
今は喜んでくれているとはいえ、さっきは悲しい顔を浮かべてたんだぞ。我が娘の悲しい顔なんて見たくないとは思わないのか。
そういう意思を込めて花梨さんに睨みを効かせるのだが、やっぱりニコニコのまま。もしかしたら悪魔か何かなのかもしれない。
それからも日彩が話の話題を作ってくれたおかげでなんとか時間をつぶすことができ、時刻は9時15分となっていた。
途中から洗い物を終えた花梨さんが参戦して、どことなく日彩が不機嫌になったこと以外はこれといった事件もなく、俺は荷物を持って玄関の前で靴を履いていた。
「それじゃあ、本当にありがとうございました」
「いいのよ~。またいつでも来てね~」
「いつでも……というわけにもいきませんが、また機会があればよろしくお願いします」
「はーい」
いつでも来るという言葉を否定したからか、不貞腐れ気味に返事を返した花梨さん。機会があれば来ると約束したのだから許してくれ、という目線を送った後日彩に目を向ける。
「日彩はまた夜だよね?」
「そうそう」
「終わるのが22時ぐらいになると思うから、作り置きしといてくれたらいいからね」
「ちゃんと待ってるから大丈夫」
「……22時だよ?」
「ね、お母さんも大丈夫だよね?」
「岩瀬君が送ってくれるのなら大丈夫だよ~」
「ほらね」
「……そっすか」
家族である花梨さんが了承するのなら俺がどうこう言うことはできない。夜遅くに俺が送るっていうのは別にいいんだが、日彩は眠くならないのだろうか。なんて事を考えていると「それよりも」という花梨さんの言葉で遮られてしまう。
「22時まで働くの?」
「予定です。大丈夫です」
「一応聞くけど、岩瀬君って高校生だよね?」
「高校生ですね」
「22時まで働くの?」
「ぶっ倒れそうになったらちゃんと休みますので大丈夫ですよ」
「そう……?本人が言うのならいいんだけど、無理はしないでね?」
「了解でーす」
これ以上話が長くならないように軽く言葉を返した俺は扉を開けて「お邪魔しましたー」という言葉を放った後に夢咲家を後にした。
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