第14話 逮捕

 純粋な気持ちが脳裏に浮かぶが、そんなことを口にする前に、花梨さんが口を開いた。


「とりあえず、そんなことはどうでもいいわ!」

「……そっすか」

「なぜ、日彩が岩瀬君の家にいるのかが、不思議なの!」

「そっすよね」

「だから、教えてくれない?」

「教えます」


 改めて思う。

 この人は、本当に感情が激しい人だ。

 気になることはとことん聞いてくるし、泣くときはとことん泣く。……怒ったところは見たことないけど、怖そうではある。


「長くなりそうですし、お茶出しますね?」

「おー気が利くねー」

「ありがとうございます」


 感謝の言葉を最後に、俺は台所へと向かう。

 お茶を作っている間にも、話そうかな、なんて思い、花梨さんをさっきまで日彩がご飯を食べていた席に座らせる。


 さて、どこから話そうか。

 まぁ、娘さんを借りているわけだし、初めから話した方がいいか。


「本当に、少しだけ長くなりますけどいいですか?」

「いいよー」

「了解です。じゃあ、一週間前の友達との旅行が終わり、家に帰った時のことの話からしましょうか」


 ――7月30日。東京から飛行機で戻り、空港から駅までのバスの中でも楽しさが忘れられないほどに、浸っていた時だった。


 友達とも別れ、キャリーケースをコロコロと引っ張りながら家への帰り道を歩く。


 キャリーケースの中には着替えの服以外に、家族へのおみやげが詰まっており、とても重い。

 きっと喜ぶんだろなーなんていう、気持ちが込み上がり、疲れているはずなのに、さらに家へと向かう足は早くなる。


 この時の俺は、これが地獄への階段だということも知らずに。いや、知る由もなかった。


「ただいまー」


 なんて言葉を、玄関に入るや否や口にして、靴を脱いで紺色のスリッパを履く。

 どことなく薄暗い家を不思議にも思ったが、特に気にせず、俺はリビングへと向かって行った。


 リビングに入る時、再度ただいまーという言葉を口から放ち、ダイニングテーブルの方に目をやる。


 すると、スマホとパソコンを眺めながら、なにか作業をする母さんと目が合う

 いつものこの時間なら、ご飯を作っているはずなのだが、今日の母は、シリアス……という言葉があっているだろう。


「おかえり。楽しかった?」

「楽しかったよー」


 母さんのシリアスな雰囲気を変えるためか、それともただただ無粋だったのか、俺は健気にそう言う。


「それなら良かった」


 そこで、俺は気がついた。

 明らかに母さんの機嫌が低いこと、そして家が少し薄暗い原因が。


「そういえば、拓斗たくとさんどこ行った?」


 拓斗さんというのは、1年前に再婚した義父のこと。

 未だに義父とうさんだとか、呼び捨てだとか、まだそういうのは言えないけれど、一緒に住む分には何も問題はなかった。


 拓斗さんは、この時間は大体部屋でパソコンで仕事をしていたり、リビングでテレビを見たりと、家にいることが多かった。


 だけど、今日はいない。

 それに、今母さんが使っているパソコンは、拓斗さんが使っていたものだ。

 ますます疑問が増えるばかり。楽しさに浸っている今の脳では到底追いつけないほどに、疑問が増え続ける。


「そのことだけど、これ見て」


 母さんにそう言われ、差し出されたスマホを見る。

 スマホには動画が流れており、すぐに拓斗さんが家にいない理由が判明した。


『7月28日、香川県○○市○○町で岩瀬拓斗氏を逮捕しました』


 初めは単純にそんな言葉がキャスターの口から言い渡された。


 ……?逮捕?

 さっきまでとの温度差がすごすぎて全く頭が追い付かん。

 逮捕?逮捕か。ん?逮捕?


「えーっと、母さん?」

「言わんとしてることはわかるよ。私も、頭が追い付かなかったから」

「これ、本当のやつ?」

「本当のやつだね。そこ座りなよ」


 話でもするつもりなのだろう。

 キャリーバッグをドアの隣に置き、母さんと向き合って椅子に座る。


 まさか、ニュースで見る者だけだと思っていた逮捕が、身近で、それも家族の中に現れた。

 ニュースを見るに、拓斗さんは詐欺罪で捕まったとか。

 きっと、家でパソコンを使っていた理由は詐欺をするためだったのかもしれない。

 そう考えると、色々怪しかったところがあった……のか?


「ごめんね。私の見る目がなくて」

「見る目がなかった?」

「うん、もっとちゃんと見るべきだったよね」

「それでなんで、俺に謝るの?」

「拓斗の詐欺って、かなり前からやっていたらしいのよね。それも私と結婚する前から」


 結婚前からというと、約一年以上も前?

 ……かなりの間、騙されてたってことになるな。

 母さんからすると相当精神的にも来るし、自分を見失いそうにもなるよな。


「そうなんだ。それで、もう一度言うけどなんで俺に謝るの?」

「迷惑かけたかなって」

「別にかけてないよ。動揺はしてるけど、母さんが思うほどには迷惑はかけてないよ」

「ほんと?」

「割とほんと。俺は、母さんの方が気になるな」


 精神的なこととか、今後のこととか、その辺が知りたい。


 旅行気分もすっかり抜け落ち、俺の頭にはこれからのことと、母さんのことしかなかった。

 だってそうだろう?詐欺してたとはいえ、この家を支えていたのは拓斗さんのお金。汚いお金で過ごしていたというのは少し気分が悪いが、これは捻じ曲げられない事実だから仕方がない……とは言いたくないけども。


「私のことというと?」

「将来的なこととか、拓斗さんのこととか」

「……どうしようか」


 なにか作業をしてたであろうパソコンを閉じ、母さんは下を見つめながら呟く。


 改めて思ったけど、こんなしおらしい母さんを見たのは初めてだ。

 正直、なんと言えばいいのか分からない。


 女性の慰め方なんて知らないし、ましてや母さんの慰め方なんてもってのほかだ。

 じゃあどうするよ、俺。

 ……今の話の流れで、慰めの要素ってあったか?


「ここからは本音で言ってね?母さん」

「わかった」


 ここまでの会話で、俺は1つも母さんを慰めようとしなかったな。


 なんでだ?と考えた時、母さんは強い女だからという答えしか返ってこない。

 いや、あながちその答えに間違いは無いな。

 強い女だから、慰めはいらないと、母さんひとりで解決出来ると思ってるんだ。


 できるわけも無いのに。


 この時の俺は、拓斗さんの逮捕ということに頭が回り、他のことに頭が回っていなかった。

 強い女だからって、これだけのことを一人で抱えられるわけが無い。


 少し落ち着いて、今この場面を振り返っている俺だから分かる。

 だからこそ、悔しい。


 悔しさが怒りに変わり、自分を殴りたくもなるし、悔しさが胸を締め付けて涙を零しそうにもなる。


 だけど、俺は自分を殴りもしなかったし、泣きもしなかった。

 だって、目の前で生まれたての赤ちゃんよりも泣いている花梨さんがいるんだぞ?

 こんなのを見たら、苦笑しか俺の顔には浮かばない。


 俺は何度かティッシュを花梨さんに渡し、涙が収まるのを待ってから、続きを話し始める。


「母さんは、拓斗さんと離婚するの?」

「それは分からない。でも、拓斗の気持ち次第では離婚するし、反省するならこのまま交際は続けるよ」

「なるほどねー」


 自分の頭に、一つ一つ、母さんの言葉をインプットさせるために、溜息を吐いて気持ちを整理する。


「母さんは、俺にどうなって欲しいとかある?」

「翔は、いつも通りにしてくれてたら大丈夫。バイトもしてるし、特にこうして欲しいとかはないよ」

「そっか」


 ここで話しは終わった。

 そして、冷蔵庫にあった作り置きの料理を、レンジで温めて食べる。


 本音ってなんだ?

 本音で話し合ったってなんだ?

 あーこれ、後悔がすごいな。


 これ、俺のミスで母さんを苦しめてるんじゃないか?

 もっと話し合えていれば……母さんの気持ちに気づいていたら良かったんじゃないか?


 あーきっついな。

 目の前でまた泣き出したけど、俺も泣きそうになるわ。


「――そして次の日、気を取り直すためか、母さんと妹と一緒に、県外日帰り旅行に行くことになった」


 どこで事故があったのか、家族はどうなったのか、病院では何があったのかを諸々話し、日彩がどうしてここに来ることになったかを話した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る