迷い猫 2
その日は漣果さまは窓辺から、ずっと夜を見ていた。僕がベッドに横になって、睡魔に手を引かれはじめたときも、そうしていた。
そのとき僕はぼんやりと考えていた。
漣果さまの存在とは、いったいなんなのだろうか、と。
たとえば、漣果さまが持ってきた、妖怪や魔物の辞典を読んだときに、いくつか、これはというものを見つけた。『夢魔』とか『魔女』とか『山姥』とかがそれだ。
あのときの僕には、まるでわからなかった。
その夜に悪夢を見た。
黒い魔物が襲ってきて、家族を殺していく。僕は追いつめられ、叫び声を上げる。逃げ場はない。――そんな夢をしばしば見た。
目をあけるとすでに朝日が昇っていた。
漣果さまがなぜか、枕元に立っていた。黒髪が太陽に輝き、大きな目がくっきりと僕をとらえていた。「うなされていたね」と言う漣果さまに、僕は答えた。
「はい。怖い夢を見て」
「そうかい。わたしは、夢などは見ないがね」
「僕も、そうなれると、いいですけど」
「人間は、夢を見るものだろう?」
「僕は人間じゃないでしょう?」
「そうね。いまは」
漣果さまはそう言って、着物の懐に手を入れた。そして、白い巾着袋を取りだした。
「この袋は、いっぱいになったから、あんたが持っていなさい」
巾着袋を受け取ると、ずっしりとした、雪片の感触があった。
そのとき、僕はふと聞いてみたくなった。
「僕は、なぜ生かされているんですか?」
漣果さまは意外そうな表情をした。
「なぜ? ですって?」
「はい。こんなふうに、いつも雪片をくれて。僕はなにか、漣果さまの役にたっているんですか?」
「そんなことを聞くのかい。そうさね、気まぐれかね。このわたしの」
僕はその言葉に、落胆を覚えた。人間の親子のような愛情があるとは思っていなかったが、それでも心にこたえたものがあった。
いや、僕に心なんてものがあれば、の話だが。
その日の夜、漣果さまは再び白い布になって窓から出ていった。
僕は巾着袋をあけて、中を確認した。雪片が十個以上は入っていた。
それが引き金になったのかはわからないが、漣果さまにバレないように、少しだけ外に出てみようと思った。
僕は立ち上がって、ベッドの脇に積んである服を持ち上げた。灰色のパーカーに黒い長ズボン。それらを身に着けた。秋口だから、さほどおかしな服装ではないだろう。
ポケットには巾着袋を入れた。
ビルの部屋の扉を開けて、階段に出た。そこは二階だった。灰色のコンクリートの階段を降りていき、裏通りに出た。
するといきなり、向かいの水商売の店の客引きの男と目が合った。相手の男は、僕を見て少し驚いたようだが、それ以上詮索してこようとはしなかった。
僕はポケットの中の巾着袋を握りしめ、歩きはじめた。パーカーのフードを深くかぶり、好奇心と恐怖を道連れにして。
暗雲の煙る月夜だったが、街の光は際限なく明るかった。
路地から出ると、お祭りの縁日のような通りに出た。ひとがごった返しており、さまざまな店の看板がギラギラと光っていた。
街をゆく人々は、さまざまな髪型をしていた。金髪に赤髪。毛先だけ赤かったり。それに、若者が多かった。
左手に目を向けると、ビルに張り付いた大きなディスプレイが見えた。
僕はじろじろと視線を向けられながら、気まずい思いで歩き出した。なんとなく、大きなディスプレイのある広場の方へ向かっていった。
ディスプレイの下の広場には石畳が広がり、周囲はカラオケ店や店舗が並んでいた。
広場では、さまざまなひとが騒ぎ、寝転び、歩いていた。僕は呆然とそれらの光景を眺めた。――僕が想像していた街角の風景とあまりに違っていたからだ。夜の盛り場といえば、会社員や若者が、騒ぎながら飲み屋から飲み屋を移動する。そんな根拠のないステレオタイプを想像していた。
僕の体は小学生だが、実際よりも年をとっている。だから、ある程度はいろいろなものを見てきたつもりだった。それでも、この広場の光景は異質なものだった。
「なに? きみ。なにしてんの?」
と急に話しかけられたのは、そのときだ。
振り返ると、サンゴみたいに派手な少女がいた。赤い装飾のある黒いひらひらしたスカートに、黒い手袋をして、白いブラウスを着ていた。髪は金髪で、赤いリボンを垂らしていた。それに、白い肌にまつ毛がくっきりとしていた。
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