第三章 99.9991%

何百年も前から、こうなることは分かっていた。それでも受け入れがたかった。胸に穴が開いているようで、鏡を見るのが怖かった。今までの思い出も、僕の中にはまだ生きている。今無くなったのは実体だけだ。それだけだ。それだけのはずなのに、どうしてすべてを失ったような気になるんだろう。コメルは何度も「師匠の胸の中に生きている」と言ってくれたのに。僕はその言葉を、コメルの言葉を疑ってしまっているのか。

「最低だ」


 エステット暦3221年

 何もする気が起きない。あの日からほとんどの時間をこのベットで寝て過ごしている。今の世界は完全に色褪せ、モノクロに見えた。……あの時、グライン王国を救わなければ、英雄なんて言葉にたぶらかされなければ、いや、あの後すぐに博士に研究してもらって元に戻す方法を見つけてもらえばよかったのか。今更考えてもどうしようもないことを考えるしかすることもなかった。

 時々コメルの言葉を思い出す。

(戦闘ってやろうと思えば終わりがないじゃん。だからこそ、誰かを守るとか、戦いに勝つとか、目標という名のゴールを決める。それがないと、やる気力も湧いてこないし)

 人生だってそうだ。終わりがあるから頑張れるんだ。三億年も時間があれば、色々なことを極められると思っていた。でも、逆だった。三億年も時間があるからこそ今すぐ何かする気なんて全く湧いてこない。

 「もう……どうすればいいんだ。教えてくれよ、コメル」


 エステット暦?????年

 僕はコメルに稽古をつけていた。

「ハハッ、もう、何してるんですか師匠」

 コメルの笑い声が聞こえる。

 分かっている。これは夢だ。この夢を見るのはもう何度目だろう。繰り返し同じ夢を見ていると、すぐに夢を見ていることが分かってしまう。

夢の中でいつもコメルは楽しそうで、「師匠」と呼んでくれる。そのコメルはいつも笑顔で……あれ?

「コメルの顔がない」

 ハッと目を覚ます。目を覚ますたびにいつもあの日の喪失感が生き生きと蘇ってくる。……それにしても、あの顔がないコメルは何だったのだろう。コメルの顔は……顔は……?


 コメルの顔が思い出せない。


 長い時間は残酷にも少しづつ、コメルを、大事な記憶を忘れさせていた。もう失うものなんてないと思っていたのに、まだ……僕から奪うのか。


 ?????暦?????年

 体内のマナがかなり減っているのを感じる。今は半分ほどだろうか。

 本当に何もやることがなく、これという出来事は全くない。何度か、死のうと頑張ったが、どうしても無理だった。地道にマナを使っていこうとも考えたが、途中で気力が湧かなくなってしまった。時間感覚はっとっくに失われた。昔のことは何も思い出せない。もしかすると、忘れることが精神を保つことに必要なことなのかもしれない。長い時間も忘れれば短く感じることができ、狂わずに済むのだ。しかし、日々無くなっていく記憶にあらがうこともできず、ただただ喪失感と不安が積もっていく感覚は残る。苦しさもある。たまにこのネックレスを見ると自然と涙が出てくる。でも、その涙が何の涙なのかも思い出せない。


 ?????暦?????年

 長い時も終わりが近づいているような気がする。体内のマナがもうほぼなくなっている。残りはおよそ一年くらいくらいだろうか。そう思うと、少しだけ気力がわいてきた。ゴールが見えれば、気力がわいてくるのだ。……あれ、この言葉はどこかで……いや、どうせ思い出せないだろう。

 僕は何千年かぶりに研究室へ行ってみた。研究室があるのかもうろ覚えだったが、記憶は正しかったようだ。……どんな人がここで研究していたのだろう。なんだか懐かしいような気がする。

 ふと、研究所の大窓を見るとそこには今までに見たこともないような美しい星があった。モノクロに映る世界でも、その星の色だけは少し鮮やかに見えた。

「青い……」

 自然と、最後はその星で過ごしたいと思えるほど、その星は綺麗だった。

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