第二章 0.0009%

 エステット暦470年

 移住船の出発予定日になった。移住船は近くの恒星から出るプラズマの流れに乗り、約十年かけて生きてゆくのことに適した星であるユトア星に行くらしい。なんでもユトア星には純粋なマナが確認されているんだとか。

 僕は移住船の搭乗口近くにいた。思っていた何十倍も大きい移住船に僕が見とれていると、ふと視線を感じる。

「ふふ。英雄イラステス様も、そんな目を輝かせていては、ただの少年のようですね」

 そこにいたのはどこかで見たことあるような若くて気品がある男性と……胸に綺麗なネックレスをつけた小さい子供もいた。その子は僕を怯えたように見つめている。

「……誰?」

その男性は綺麗な礼をして答える。

「これは失礼。私は軍の元帥であり、この移住船の人々を取りまとめる仕事を任されているエルド、この子は私の息子のコメルと言います。以後お見知りおきを」

 あー、なんだ元帥か……元帥⁉

「げ、元帥閣下⁉」

「いえいえ、私に敬称は不要です。今は元帥としての仕事もないですし。それに、貴方とは良い関係を築いていきたい」

 マジか……元帥と言ったらほぼ国の大権力者だぞ。

「……もちろん僕こそ、敬称なしで大丈夫です」

「じゃあ、お互いそうしましょう」

 戦争が終わった後に誰かが新しい元帥になったという噂があったが、それがエルドさんだったのか。

「良ければ船内を案内しましょうか? この街にはかなり詳しいんですよ」

「ま、街?」

「ええ、街です」

 街ってあの街か? どういうことだろう。

 僕はエルドさんに流されるまま船内を案内してもらうことになった。船内に足を踏み込む直前、エルドさんが「もうアレト星の地面を踏むのは最後だと思いますよ」と言ったので、少し寂しい気持ちになった。

「うわあ……!」

 しかし、入ってみるとそんな気持ちは消えた。中には本当に町があった。森林、ビル、商店街など様々なものがあり、まるで外のように明るかった。エルドさんの説明によると、こんな船を成り立たせているのは加工されたマナの力らしい。マナが尽き次第、プラズマの流れへ動力源が移るということだ。食料も酸素も自給自足できるんだとか。唯一無いのは純粋なマナだけだそうだ。マナの製造方法はいまだにわかっていないのだとか。

 しばらく歩いていると船内アナウンスが流れる。

「出発準備完了。まもなく、この移住船はユトア星に向けて出発します。心の準備は良いですか? 記念すべきこの時をみんなで祝いましょう」

「もう、この星を見るのは最後か」と着々と進むカウントダウンを見ながら、僕達はしばらくの間物思いにふける。汚い星ではあったが、もちろんきれいな思い出もあった。そして新しい星への希望もあった。

「3」「2」「1」

 胸が高鳴る。

「0」

 その瞬間、地面が揺れる。少しずつアレト星が離れていくのを窓から見ていた。

「今までありがとう」

 星に、そんなお礼を星に言いながら、胸に虚しさと罪悪感を少し感じながら、僕たちは宇宙へ旅立った。

 その後、移住船は宇宙でもしっかりと安定した航海を開始した。僕たちもしばらくすると船内での生活に慣れ始め、充実した生活を送り始めた。


 エステット暦472年

 これと言った出来事もなく二年の時が経った。順調に航海は進んでいる。しかし、僕には最近気になっていることがあった。身長が全く伸びないのだ。僕は現在十八歳、僕の種族的にはここ二年は成長期だったはずだが、身長は十六歳から全く変わっていない。違和感を感じた僕は病院の診察に行ったが……。

「申し訳ありません、特にこれと言った原因は見つけられませんでした。単純に成長が止まっただけかもしれませんが……イラステス様のことです、何かほかに原因があるのでしょう。研究所に行くことをお勧めします」

 と言われ、現在は研究室前である。単純に自分がチビだったらどうしようなんて思いながら、僕は牢屋のような研究室のドアをノックする。すると、研究室のドアの鉄格子から博士と思われる白衣をまとった老人が、目をのぞかせる。

「むぅ……むぅぅぅ? ガハハハッ! お主、面白いな! 早く、早く入れ!」

 うわ、入りたくないなあ。凄くクセの強そうな博士だ。でも、違和感の原因は確かめたい。しょうがない入るか……。


「ぎゃああああ!」


 僕は入った瞬間、博士に拘束され、体中をくまなく検査された。

 

「うむ……やはりこれは面白い、面白いぞ!」

 博士はデータを見て興奮したように言う。そのころには拘束を解かれたが、僕はもうタジタジにだった。

「イラステス君、お主はとてつもない量のマナを吸収しているね。……お主にひとつ問題じゃ。マナとの適合すると、怪我をしてもたちどころに回復される。それはなぜだかわかるかね」

 博士に質問された僕は恐る恐る答える。

「マナが損傷部分の代わりになって修復を行うんですよね……?」

「うむ、正解だ。しかし、マナは損傷部分だけを修復しているわけではない。いつもは少量のマナで短期間のものじゃったから気づかなかったが、このデータを見ると、老いた細胞も同じようにマナによって再構築されておる。じゃが、老いた細胞が死なないということは成長しないということじゃ。それに加えて、マナのおかげでどんな怪我でも死ぬことはない。つまり……」

「つまり……?」

 

「……不老不死ってやつじゃのう」

 

 僕は急に出てきたおとぎ話の中の世界の言葉に、理解が追いつかない。

「不老不死って……あの?」

「うむ」

「何があっても死なないっていうあの⁉︎」

「そうじゃ」

「……」

 何も言葉が出てこない。自分の中で一番不可能だと思っていた望みが今、目の前にあるのだ。

「とは言っても、吸収したマナが尽きれば崩れるように死ぬじゃろう。そのころには体内のすべての器官がマナになっているはずじゃから、マナが切れた瞬間にそのまま消える。おそらく骨も残らない。計算上、マナが尽きるのは早くても三億年後じゃがな」

 なるほど……完全に不老不死ではないのか。しかし、寿命が三億年っていうのはどのくらいなのだろう。あまり想像ができない。なんにせよ、長く生きられるというのは嬉しいことだ。僕はユトア星での暮らしが楽しみになった。

「今日はありがとうございました」

 色々大変だったが僕は気持ちを晴れやかにして研究所を去った。


 エステット暦475年

「んんー」

 僕は精一杯に伸びをする。寝なくても疲れはたまらないのだが、寝ないとどうも落ち着かないのだ。

 ……あの日から、本当に身長が伸びていない。不老不死と言うのは本当だったらしい。

 朝にポストを確認すると、手紙が入っていた。手紙を開けると一つ船内の場所が示されたカードと……。

 

 イラステス様へ

 本日はお願いがございましてお手紙申し上げた次第でございます。

 大事な話なので、出来れば私の家に来ていただきたいです。

 宜しければ、カードの場所に来てください。

                         エルドより


 お願い……僕に? まあ、エルドさんのお願いだ。取り合えず行ってみることにしよう。

 カードに書かれていたエルドさんの家と思われる大きな建物のドアベルを鳴らすとメイドの方が出てきた。僕にその人の部屋に案内すると言ったのでついて行った。部屋の前につくと、「ご主人様、イラステス様がお見えになりました」と言って部屋を離れた。すると、ガチャリとドアが開く。

 ドアの向こうにはエルドさんと、息子のコメル君がいた。

「本日は来てくれてありがとうございます。こうして人を家に呼ぶのは何十年ぶりでしょうか」

 何十年ぶり? エルドさんはとてもそんな年を取っているようには見えないが。そう思っている僕の疑問を悟ったのか、エルドさんが話し出す。

「私たちケリ族は寿命が比較的長い種族でありまして。私は今年で六百五十九歳、この子は今年で百六十歳になります」

「あ、そうでしたか。コメル君ですら僕より年上なんですね。寿命が長いって、いいですよね」

 僕は笑ってそう言う。

「いい……ですか」

 エルドさんは一瞬暗い顔になった。それを僕は不思議に思う。

「さあ、余談はこれくらいにして、こちらに座ってください」

 僕は高そうなソファに恐る恐る座る。

「本日はイラステスさんにひとつお願いがあって呼ばせていただきました」

「お願い……?」

 エルドさんの手がコメルの頭に乗る。

「そうです、単刀直入に言うとこの子、コメルに戦闘の訓練をつけてほしいんです」

「……ぼ、僕が?」

 ふとコメル君に目を合わせると、椅子から飛び出てエルドさんの後ろに隠れてしまった。

「こ、この子と……」

 僕の顔には満面の苦笑いが浮かんでいた。

「私は船内最年長であり、元帥という立場である以上、船内の人々を束ねなくてはならないので、仕事が多いんですよ。なので、この子を見てやれることが少ないんです。うちのメイドたちから話を聞いても、どうやらこの子は気が弱くて……。イラステスさんに戦闘の訓練をつけてもらえば、きっと成長できると思うんですよ」

 正直やりたくない。この子と一緒に戦闘訓練なんて成り立つ気がしない。適当に理由をつけて断ろう。

「えっと、僕は誰かに何かを教えたこともないですし、とてもその役が務まるとは思えないのですが……」

 僕は申し訳なさそうに言う。しかし、エルドさんはにこやかな表情で答えた。

「私のところに上がってくる報告で、イラステスさんはいつも暇を持て余していると聞いております。それにイラステスさんは不老不死だと聞いているので、それならば寿命の長いコメルを見続けることができるし、イラステスさんは有り余っている暇がつぶれる。教鞭の取り方はじっくり時間をかけて慣れていけばいいんですよ。それに、これはコメルだけじゃなくイラステスさんにとっても成長する良い機会なのではと思いまして、お願いさせていただいていたんですが……」

 言い返す余地もないほど、理路整然と返されてしまった。というか、僕って周りからそんな暇だと思われてるの? 失礼な。……まあ間違ってはないけど。だが、ここで引き下がれば面倒なことになりそうだ。なんだかエルドさんにはすべて見透かされている気がするが大丈夫、僕の言い訳レパートリーはまだ尽きていない。エルドさん、僕の高度な言い訳術をとくとご覧あれ!

 十分後。

「それでは、明日からコメルをよろしくお願いします。イラステスさん」

「は、はい……」

 次の日から、コメル君との戦闘訓練が始まることになった。


「だからこんなことしたくなかったんだ」

 僕は早速、訓練の稽古をつけることに決めたことを後悔した。おびえている様子は昨日よりはなかったものの、コメル君はずっとつまらなそうにしていたし、五分後くらいには段々集中力も落ちてきて、最終的には「面白くないー」とまで言ってどこかへ行ってしまった。これはもう無理のなのでは……いや、それでも引き受けたからにはやらないとな。でも、コメル君はそもそも戦闘に興味がないようだったし、どうしよう。

 僕はどうすればコメル君が戦闘そのものに興味を持ってくれるのか、一晩悩んだ。

 次の日、僕はエルドさんの家の前にいた。ドアベルを鳴らすとメイドさんが出てきたので、コメル君を呼んでもらった。

「よし、行こうコメル君」

 呼びだされた当の本人は、顔に行きたくないの文字を浮かばせてこちらを見つめていた。だが、ここまでは想定内だ。僕は十本の指をコメル君の前に出して言う。

「お願い、コメル君。十分、十分だけ時間をくれないかな? その後でも稽古が嫌だったら……僕、明日から来ないから」

 コメル君は僕の必死な様子を見て、渋々首を縦に振ってくれた。

 僕はコメル君を連れてある程度離れたところに行くと立ち止まり、「コメル君は少し離れてて」と言ってコメル君を下がらせた。僕は軽くストレッチをした後、深呼吸をして剣に手をかけて腰を折り、置物のように動きを止める。一瞬の沈黙の後、剣先が揺れる。周りの草々がざわめく。その時には剣が突き出ていた。コメル君からすれば、剣先が転移したように見えただろう。そう、僕が始めたのは……。

「演武……?」

 演武。戦闘の基本を詰め込んだシンプルな演武は、逆に言えばどこまでも美しくなれる。もちろんマナは使っていない。他の人がどうやってもできないことを物事を見せるのは教える立場では厳禁である。自慢だが、僕はマナを使わなくても技術ではトップクラスだったのだ。そこら辺の軍人とは格が違う。

 太刀筋はきれいに、動きはしなやかに、そして力強く。最後の連撃が終わり、剣を鞘にしまう。

 コメル君はどんな反応をするだろうか。これで心が動かなかったら本当にどうしようもない。いや、エルドさんには申し訳ないが、好きでもない訓練を無理にやらせるよりはよっぽどいい気がする。

 一度深呼吸をして、恐る恐るコメル君の方を向くと……。

「お兄ちゃーん。今のどうやってやるのー?」

 と目を輝かせてこっちに走ってきた。僕は拳をを握り締め、花が咲いたような笑顔になった。

「ふふーんコメル君、今のはねぇ……」

 この日から、僕はコメル君の師匠になった。


 エステット暦477年

「……九十九、百! よし、今日はもう遅いし終わろうか」

「ししょう、ボク素振りより別のやつがやりたい」

「だーめ、素振りは基礎中の基礎だからね。剣技は色々なものに応用がきくんだ。銃とかを扱うのは、剣を覚えてから。週一は別の練習方法でやってあげるから我慢して」

「えー」

 稽古は順調に続いていた。たまにいやいや期はあるが、なんだかんだいつも戻ってくる。初めてのいやいや期はもう来てくれないんじゃないかと少し絶望したが。

 稽古が終わった後、僕はベットの上で何をするわけでもなく、窓の外の宇宙を眺めていた。すると次の瞬間、一瞬ゾワっと寒気がしたと思えば宇宙に一筋の赤い光が通るのを見る。

「なんだろうあれ……」

 僕は気にしないようにしたが、この日は胸騒ぎがしてあまり眠れなかった。


 エステット暦480年

 十年はあっという間に過ぎ、今日にでも目的地のユトア星に到着する予定である。移住船は近くに感知されたユトア星の鉱物の破片から逆算して座標を特定し、着陸への微調整をしていた。

 僕はコメルと一緒に研究室にいた。研究室には大きな窓があり、ユトア星が良く見えるらしいとコメルが聞きつけて来たので、僕は博士にお願いして研究室に入れてもらっていた。しかし、博士は少し体調を崩していて来なかった。

「ししょう、そろそろ着くんだって!」

 コメルは落ち着きなく興奮したように言う。僕もこれから長い時間を過ごすであろうユトア星に期待を膨らませていた。しかし、移住船は細かい鉱物の塵が集まった空間を進んでいて、ユトア星はまだ見えない。

「こんなところに塵なんて観測されてたか……?」

 不安になってきた。すると、船内アナウンスが流れる。

「まもなく、この移住船は着陸態勢に入ります。この煙が晴れたら、ユトア星が見えると思います。皆さんわれらの新しい星を迎えましょう!」

 明るく、落ち着いている船内アナウンスに少し安心する。きっと計算通りなのだろう。

 数分後、徐々に煙が薄くなっていき、遂に完全に晴れる。そこには目的地ユトア星が……。


 何もなかった。


 *

 

 次の日、本部から正式に説明がなされた。人々はその説明を聞けば聞くほど、顔色が悪くなっていった。

 結論から言うと、ユトア星はなかった。いや、正確にはあったのだ。しかし、無くなっていた。あの塵は、ユトア星そのものだったらしい。ユトア星が塵になった原因は、その空間にとある人工物が発見されたことで分かった。その人工物にはこう書いてあった。

「我々を捨てた権力者に制裁を」

 そう、ユトア星を壊したのはアレト星に残された国民たちだった。ユトア星を壊したところで、残された国民たちに利益はないが、人を憎む心がそれをやらせたのだ。

 何がまずいかと言えば、僕たちはもう純粋なマナを手にする手段がないということである。僕のマナも、船内の加工したものしか出せないので、子孫を残すのに使われる純粋なマナは船内では手に入らない。つまり、船に残されたものに出来ることは残りの寿命をただ生きることであった。

 

 それからは暗い時が流れた。ある者は泣き崩れ、ある者は激怒した。まだ希望を持つ者もいた。

「もしかして、僕はずっとこの船に……」

 僕は首を振る。考えたくなかった。


 幸か不幸か船内の酸素や食べ物はしっかり循環し、生活に困ることはなかった。移住船が少し故障しても、とりあえず僕がマナで直していた。


 エステット暦488年

 コンッ、カンッ。

 剣の打ち合う音が響く。僕はいつものようにコメルと稽古をしていた。コメルはなかなか戦闘のセンスがあり、腕は日に日に上がっていた。まあ、まだ追いつかれる気はしないが。

 ペシッ。

 僕は竹刀でコメルを軽くたたく。

「構えが遅いよ」

「くそぅ。ししょうから一本だけでも取れたらなあ」

「ふふーん、僕から一本取るなんて百年早いね」

「あと百年だけでいけるの⁉」

 そうだった、コメルにとっては百年はそんなに長い時間じゃないのか。

 すると、エルドさんが速足でこちらに来ているのを見つける。息子の練習風景でも見に来たのだろうか。

「エルドさん、どうしたんですか」

「……研究所の博士が亡くなった」


 博士は高齢のため老衰で亡くなったそうだ。この船で初めて聞いた「死」の言葉。博士とは特別深い関わりがあったわけではないが、ぬぐい切れない不安があった。

 博士の死を皮切りに、船内の高齢の方や、寿命の短い種族が次々と亡くなっていった。次第に僕は他の人と新しい関わりを持つのを避けるようになった。


 エステット暦620年

 あれからだいぶ時間が経った。僕はコメルたちと違って、元の寿命は長くないので、普通の時間間隔で過ごすこの百五十年はとても長かった。

 僕と同じように寿命の長く無い種族はほぼ全員が死んでしまった。ほかの種族も段々と寿命で亡くなって行っていた。

 

「おりゃあああ」

 コメルの剣がイラステスを襲う。僕はその剣筋を見切り、コメルの剣を払って頭に竹刀を打ち込む。

 ベシッ。

「イテテ……。師匠、少しは手加減してくれても……」

「戦闘中に手加減してくるやつがいると思うか?」

 そう言うとコメルは何もいえず、頬を膨らませる。とは言え、コメルの剣はかなり上達した。僕にとって十二歳ほどのコメルは筋力も増していた。実際、今の一瞬は半分本気だった。

 「くそ、次こそは」

 またやる気満々で剣を持ってこちらに来る。師匠としては嬉しい限りだ。このままやっていけば、僕も超えるかもしれないな。僕を超えたら、その後は……。……その後?

 僕は気付く。こんな移住船に「後」なんて……。


 エステット暦635年

「お、お父さん……。なんで……?」

 コメルの声が灰色の部屋に響く。そこには僕と、コメルと……首にひもがかかり、天井から吊るされているエルドさんがいた。先ほど稽古中に急に本部の男性が現れて、「エルドさんが……」と聞いて急いで向かったらこの状況だった。

「そ、そうだ、師匠。し、師匠のマナでどうにかできないの?」

「……ごめん。僕にはどうすることもできない」

「そ、そんな……嘘だよ。父さんが自殺なんてするはずないよ」

 元帥であり、船内最年長としてこの艦内をまとめていたエルドさん。しかしあの日、ユトア星がないと分かった日から人々は気力を失い、統制などほぼ取れなくなってしまった。エルドさんは日に日に精神を摩耗していたらしい。いつも明るく人々を元気づけ、束ねようとしていたエルドさん。だが、それがエルドさんを苦しめていたらしい。実の息子のコメルですら気付けなかった。いや、実の息子だからか気付かれないようにしていたのか。しかし、あまりにも突然だった。

 当然、その後コメルは何日も泣き続けた。僕はコメルの背中をいつまでも撫で続けた。


 エステット暦862年

 あれから約四百年。言うまでもないが、とてつもなく長かった。しかし、三億年からすればまだほんの少しである。キツ……いや、長く生きることが出来るならいいだろ。僕はそう毎日自分に言い聞かせた。

 カッ、カカッ、パパパッ。

 撃ち合う剣の音。二人の剣の腕は、常人には何をやっているかわからないほどに上達していた。なんだか僕の剣の腕も少し上がっているような気がする。戦闘訓練ではもちろん銃撃なども教えたのだが、剣は奥が深くてやりがいがあるのだ。だからなんだかんだ最近はずっと剣を教えている。コメルは僕からすると現在十八歳ぐらいってとこで、最近は押されることも増えてきている。何とかまだ一本は取られていないが……。

 コメルの剣先が隠れ、軌道が読めなくなる。コメルはニヤリと笑っている。

 ブォン。

 耳元に剣先が通る。

「惜しい」

 今のは僕が教えた技じゃないな。……自分で作ったのか! 成長したな。でも、こういうことが剣術の新しい未来を……。

 未来?

 僕の剣先が乱れる。コメルはその隙を見逃さず、僕の剣を払う。

 パシッ。

 僕は対応が遅れ、なすすべなく首元に剣を突き付けられた。

「え? これは……一本取った?」

 コメルは自分でも驚いているような表情で尋ねてくる。僕は無言で、嬉しく少し悲しい笑みを浮かべて頷く。

「よっしゃああああ!」

 僕がコメルに戦闘訓練をつけ始めてから、三百八十七年目のことであった。


 *


 稽古が終わった後、コメルが僕に話しかけてきた。

 「今日初めて一本取ったじゃないですか。もちろん嬉しいんですけど……その、直前に師匠の剣先のブレが少し不自然で。いつもの師匠なら、防げてたはずじゃないですか。それに、最近なんだか稽古中に悩んでいるような顔をよく見るので……」

 どうやら心配してくれているようであった。確かに思うところはあるのだが……言えない。言ってしまったらきっと師匠失格だろうから。

「ごめん、言えない」

 コメルはその答えに少し目を見開いて、「言えないって……何かはあるってことじゃないですか」と頬を膨らませてコメルは行ってしまった。

 次の日からの稽古は少し気まずかった。


 数日後。

 カキーン!

 僕の剣が飛ばされる。コメルは怒ったような、悲しいような顔をして詰め寄ってくる。僕はコメルに押し倒された。

 「お願いだから話してください。なんだか、ボクが信用されていないようで……悔しいんです」

 師匠である僕に言えることはない。しかし、コメルに噓はつきたくなかったため、「師匠として、言うわけにはいかない」と返す。コメルは「ふう」と自分を落ち着かせた後、「手荒になってごめんなさい」と言って手を差し伸べ、僕を立たせた。

 誰にも、実の息子にさえも相談せずに自殺してしまった父親と、僕の現在が重なったのだろうか。そんなところで思うところがあって強引に聞き出そうとしたのかもしれない。今更、そう気付いた僕は、申し訳ない気持ちになった。

 コメルは「そういうことなら……」と言って暫く考えて、そして腕を組み、口調を変えて言った。

 「じゃあ、今だけ。今だけ師弟関係をやめよう。一応、ボクはイラステス君より年上だ。だから人生の先輩として相談すればいいんだよ」

 「ふふ」

 今までに聞いたことのないコメルの口調に少し笑ってしまった。そして、そんなコメルのやさしさに触れてか、隠すのが面倒になったのか、とにかく僕は打ち明けることにした。

 「実は……」

 

 「つまり、この船に居続ける以上、もうこれ以上何も後世に残せない。だから、実際に使う機会がない戦闘技術を教える意味が何なのか分からなくなったってことだよね? ……うーん、それは確かに師匠失格だね」

 分かってはいたが実際に弟子から言われると肩身が狭くなる。

 「武術を学ぶ意味……」

 コメルはしばらく考えてから、僕に言い放つ。

 「そんなものないと思うよ」

 「え?」

 思ったより軽い口調の答えに、僕は拍子抜けした気分になった。コメルが続ける。

 「戦闘ってやろうと思えば終わりがないじゃん。だからこそ、誰かを守るとか、戦いに勝つとか、目標っていうか、ゴールを決める。それがないと、やる気力も湧いてこないし」

 確かにそうだが……。

「じゃ、じゃあなんでコメルは稽古場に来るの?」

「うーん、それはねぇ」

 しばらくコメルは考え込む。

「……きっと、ボクは師匠に会うために来てるんだよ」

「ぼ、僕に……?」

 コメルは頷く。

 「もちろん、初めのうちは戦闘技術も重要でしたけど……。ユトア星が破壊されてから、確かに戦闘技術を高めても無駄だと思いましたし、今もそう思ってます。でも……ボクが稽古を続けているのは、稽古場に行くといつもそこに師匠がいる、師匠に会えるっていうゴールが毎日あるんです。まあ、いろんな人が亡くなっていっている中で、変わらない師匠を見て安心するっていうのもあります。でも、稽古場はボクの居場所だし、やっぱり一番の理由は単純に……」

 コメルの胸にあるネックレスが差し込んできた星明りを反射して光り輝く。


「師匠といると楽しいんです」


 そう言って、彼ははにかんで笑った。その笑顔は、僕の中にあった暗い悩みを明るく照らしてくれた。

 確かに、そうだ。よくよく考えれば僕にとっても、弟子がいれば、コメルがいれば、コメルのこの笑顔が見られれば、それだけで稽古するには十分な理由だったんだ。

「師匠、何にやにやしてるんですか」

「いや、ありがとう。スッキリしたよ」

「もう、なんかちょっと照れ臭くなってくるじゃないですか……あ、気付いたら敬語になってましたね」

 僕はコメルに向き合って手を差し出す。

「これからもよろしく」

 コメルもにこやかに手を取る。

「はい、師匠」

 いい弟子を持ったものだ。


 エステット暦1620年

 あれからもコメルの成長は続き、一時期は普通に負けることも多かった。しかし、最近はまた僕が勝つことが増えてきた。まあ、無理もないか。コメルは今、僕からすると三十六歳。段々コメルも歳を取ってきたのだ。

 ある日の練習中。僕がコメルから一本取った直後のことである。

「いやー。やっぱり体が追い付かないですね。師匠は衰えを知らないですけど……。師匠が羨ましいです」

「寿命が長くて何がいい……」

 そこまで言ってハッとした僕は口をふさぐ。自分がそう思っていることを自覚したくなかった。若いころは寿命が長いことにあこがれを持っていたのに。


 エステット暦1740年

 船内で僕とコメル以外の全員が亡くなった。僕とコメルはもう人が亡くなるのには慣れてしまっていたし、こうなることもわかっていたので、感情の動きはあまりなかったが。僕の焦りと不安は着々と膨らんでいた。

 残った二人は寂しさを紛らわすために色々なことをした。その中で僕達の絆はどんどん深くなっていった。しかし、僕の中ではその絆が、少しづつ、少しづつ、恐怖へと変わっていった。


 エステット暦2673年

 段々コメルが稽古に参加するのが難しくなってきた。体も弱くなり、顔にはしわが増えていた。

 ある日の練習後。

「いやー、段々動けなくなってきて悔しいですね」

「そんなこと……」

「いや、師匠が一番わかってるでしょう。ボクはもういい歳なん……」

 ふとコメルから力が抜け、僕の方に倒れてきた。

「⁉」

 僕は急いでコメルを支え、転倒するのを防ぐ。コメルの顔を見ると、目が開いていなかった。

「おい、嘘だろ」

 僕は一気に体中から冷汗が出る。

「ハアッ、ハッ」

 上手く呼吸ができない。頭が真っ白だ。心臓の鼓動が脳を痛いくらいに揺らす。苦しい。怖い、怖い、怖い。

「僕を一人にしないで……!」


「う……うーん」

 コメルは数時間後、ベッドの上で目を覚ました。

「コ、コメル!」

「ん、師匠……?」

「は、はぁ」

 極度の緊張が解け、頭がふわふわする。僕はその場にヘナヘナと倒れこむ。ああ、最悪のことにならなくて良かった。

 

 しかし、この日決定的に感じた。一人になることの恐怖、コメルを失う恐怖を。この日からその恐怖が僕に寄生し、僕の活力を吸い取って成長していった。コメルの死を、日々意識しなければならなかった。


 エステット暦3192年

 コメルは二千七百十七歳、種族の平均寿命を少し超えていた。

 稽古は完全にできなくなり、最近は家で寝込んでいる。僕は、コメルの家に毎日通っていた。

 ある日、ふとコメルが呟く。

「今まで見てきた死は他人事でしたけど、ボクもそろそろ他の人と同じように死ぬんですかね……」

 辺りに沈黙が流れる。

「あれ? 師匠、泣いてます……?」

 僕の目からは涙がでていた。

「……ないで」

「師匠? よく聞こえません……」

「死なないで……! 一人にしないで……」

 コメルは驚いたようにこちらを見る。直後、僕は自分の不甲斐ない言動を自覚して、悔しくなる。あまりにも情けない発言だった。そんなことを言われてもコメルにはどうしようもないことは分かっているはずなのに……!

 それなのに、コメルは優しく微笑みながら答えてくれた。

「ごめん、死なないのはさすがに無理だけど……。うーん。あ、」

 コメルはずっと胸につけていたネックレスを外し、僕の掌の中に渡す。

「師匠、これ、受け取ってくれないかな。これはボクの種族に代々受け継がれてきたものなんだけど、もう受け継ぐ人もいないし。なんか恥ずかしいけど、これをボクだと思ってくれれば、ボクは師匠の中に生き続けられるから」

「……」

 どこまでも優しいコメル。僕の心の不甲斐なさも、酷く幼稚なところも、全て受け入れてくれる。それに対して僕は……。

 

 怖くて何も言えない。


 エステット暦3215年

 コメルが亡くなった。僕は最後まで言いたかったことを何も言うことができなかった。

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