第3話

 

 好かれたから、好きになるなんて、なんだか浮かれてる。

 そんな気持ちだってあったけれど。

 

 狭山のことをよく思い出すのだ。

 たとえば、四月の五十メートル走で、一緒に狭山と走ったときのこと。

 狭山は足が速かった。狭山の細身の背は、ぐんぐん遠くなった。焦りと恥ずかしさでいっぱいになりながら、凪は走っていた。

 なんとかゴールして一息ついたら、とっくにゴールしていた狭山が、ゴールラインでずっと立っていた。

 なんだろう、凪は不思議に思って狭山を見た。狭山も凪の顔を見る。

 そして何も言わず、伊藤たちのところへ行った。

 何だったんだろう。そう思ったけれど、何だかあたたかかった。


 他にも、となりで合唱の練習をしたときの歌声とか、給食のとき、配膳を手伝ってくれたときのこととか、いろんな狭山のことが思い出された。

 凪は、ずっと自分が狭山を見ていたことを知ったのだった。

 

「そろそろバスいこ」

「おう。吐くなよ」

「酔い止めもってるから!」

「じゃー」

「うん、いこーなぎちゃん」

「う、うん」

 

 律子が伊藤たちに手を振った。凪はそれに合わせて、手を振る。

 一瞬だけ、狭山がこっちを見た気がして、凪はどきりとする。慌てて顔をそらして、律子のあとに続いた。

 

「ひひひ」


 律子が凪を小突いてきた。凪はかっかとして、律子の腕にすがった。

 

 バスに揺られながら、凪は思う。

 これから、三日、狭山といられる。

 狭山と、少し話せないか……想像の中なら、ずっと強気でいられた。

 律子の頭が、凪の肩に乗っかってくる。乗り物が苦手な律子は、いつもひたすら寝ていた。

 律子の頭が揺れないように、凪は体を固定した。

 目線だけで窓の外の景色を見る。

 木々の緑がきれいだった。


「あっ、なんかいる」

 

 木々の向こうに、なにか小さな影が通り過ぎたのが見えた。


「なんだろう」

 

 律子を起こさないように、目だけ一生懸命に動かして、凪はその姿を追った。

 

「あっなんか走っていったよ!」

「なになに、熊⁉」

 

 後ろの座席の子たちも気づいたのか、窓に取り付いて口々に話している。

 

「たぬきじゃないかな?」


 誰が言い出したか、たぬきの説が高まり、たぬきということに落ち着いた。

 

「たぬきかぁ」

 

 あとで律子に教えてあげよう。

 凪はまた、景色に目を移していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る