第7話

 栄太とキスしているところを、紫に見られた。

 紫はその日、バイトのはずだった。


「なんで」

「……バイト、シフト変わったんで」


 嘘だ。それじゃ、栄太に会いに来たみたいじゃない。そんなはずはない。いや、仮に、そうだとしても、たった一回きりの栄太への善行だ。たいしたことじゃない。

 なのに、私はひたすら泣いていた。怖かった。終わった、そう思った。

 何が終わったかもわからなかった。


「二人は付き合ってるの?」


 紫はいつも通り、無表情で、何も変わらない声音だった。怒りも冷たさも、何もなかった。

 その瞬間、私の中で、ぷつんと何かが切れた。


「どこまで、馬鹿にすんの!?」


 とんでもない声が出た。栄太でさえ、少しひるんでいた。


「うそつき! 本当は気づいてたくせに」

「え」


 紫はポケットに手を突っ込んだまま、首を傾げた。そこにいっさいのいらだちも怒りもなかった。私は悔しくて、悲しくて、仕方がなかった。


「気づいてもないなら、むかついてもないなら、もっと悪いっ! 最低っ!」


 私はいてもたってもいられなくて、走り去った。栄太が、紫に何事か叫んでいるのが聞こえる。

 栄太は、私を追いかけてきてくれた。


「紫と別れた。俺はお前だけだ」


 栄太は私を抱きしめてくれた。私は栄太の胸で泣きじゃくった。

 うれしかった。でも、それ以上に悔しくて、むなしくて、空虚だった。


 次の日、私は友達にかばわれて、クラスにいた。私達の間に起こったことを、皆知っていた。私をとがめても、皆、私の応援をしてくれていた。

 紫は一人、私達に向き合っていた。


「時期が重なってたことは、いけなかったと思うよ」

「でもさ、桑原も友達がいなさすぎ」

「普通気づくよね?」


 友達が、口々に紫に言う。私はひたすらうつむいて座っていた。泣きはらした目を知られたくなかったし。

 友達の思いやりある言葉は私を心地よく、またみじめにした。

 私はこの場の中心だけど、中心じゃない。ひたすらうつむいて、私は怯えて、怒っていた。


「沢田は、栄太君と付き合うの?」


 紫はずっと黙っていた。友達たちの話がとぎれたところで、紫は尋ねた。

 私は顔をこわばらせ、友達たちの空気は一気に冷え込んだ。


「別れろってこと?」

「ううん」


 攻撃的な問いに、紫は首を横に振った。静かに目を伏せて、うなじに手をやりいつもみたいにけだるく首を傾げた。


「なら、お幸せに」


 一言。

 立ち上がると、自分の席に向かう。当てつけもなにもない、いつも通りのふわふわした足取りで――


「何それ」


 私のつぶやきに、紫が振り返った。


「自分だけ、いい子ぶるのやめなよ」

「……え?」

「そう言ってさ、本当はむかついてるんでしょ。なら、怒ればいいじゃん」

「いや、もういいんで」


 紫の単調な切り返しに、私は体が大きな波にさらわれるような、吐き気を催す激しい怒りを覚えた。


「なら、紫は冷たいよ!」


 あたりがしんとなる。関係ない。私はもう何の音も聞こえなかった。紫以外見えなかった。


「私のことも、栄太のことも、どうでもよかったんだよね!」


 もう止まらなかった。涙がどっとあふれる。


「紫はずっとそうだった! いつも私ばかり! 髪の色も変えちゃうし、栄太のことも、私まかせで、何も自分で考えないでっ、私の気持ちにも気づかなくて……!」


 息が切れる。感情で頭がちかちかするのなんて初めてだった。


「確かに、今回のことは私が全部悪いよ! でも、紫は、ずっとずっと私を傷つけてた! 人のことなんて、何も興味ない冷たい紫には、わかんないだろうけど……!」


 涙の向こう、紫が私を見てる。けど、そこには、やっぱり何の感情もなかった。

 胸が痛かった。


「紫は結局、誰のことも好きじゃないんだよ! 私は、紫のこと大好きだったから、だからっ」


 そう、大好きだった。言葉にすれば、するほど、実感できた。よけいに泣けた。


「だから、振り向いてほしかった。気づいてほしかったのに」

「沢田……」


 私の涙は、皆にどう映ったんだろう。みっともない涙のはずなのに、皆私の背をさすってくれた。私は勇気づけられて、最後の言葉を吐く。


「友達だと思ってたのは、私だけだったんだね」


 さよなら。さよなら紫。私はくずおれた。

 友達たちは、皆紫をにらんだ。紫はポケットに手を突っ込んだまま、何も答えなかった。答えずに、席に戻っていった。


「ありえない」

「冷たすぎ。本当最低」


 友達が私の為に怒ってくれた。あたたかかった。

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