第6章 魔力訓練と無人の墓②
1年前。セレナは王の命令で、外部から教授を呼んで学習を受けていた。
テオスには貴族たちの通う学校があり、王族もそこに通うことはできるのだが、セレナは学校には通っておらず、自室で個別授業を受けていた。
それは、今のテオスには魔力持ちと一般の生徒が通う合同学校が存在していないから、というのが大きな理由のひとつだ。
廃校となってしまった男爵家の学校は歴史上唯一の合同学校で、当時はかなり周囲から反対されたらしい。そのため男爵が死んで家が絶えた後、当時の王が圧をかけて廃校にしたのだ。
セレナは遅咲きだが、一般的な遅咲きと違ってセレナは覚醒の可能性がかなり高かった。だが、それはあくまで可能性の話で、本当に覚醒するかは分からない。いずれ覚醒するものと思って魔法学校に入学して、結局覚醒しなければ時間の無駄になる。かといって覚醒しないだろうと考えて一般の学校に入学して、万が一覚醒してしまったら、その学校では魔法を学べないので転校するしかない。だが魔法学校では、学び始めるのが数ヶ月違うだけでも実力差がはっきり出てしまうので、転校するとしたら新しく入学する世代と共に1年遅れて入学するしかない。そうなると、18歳で行う成人の儀式が遅れてしまうのだ。
また、一般の知識や、魔法の知識よりもまず、女王としての知識と教養の習得が最優先であるセレナは、クラトス王が厳選した教授たちから教えを受けることになったのだ。
ある日、歴史の授業を受けていたセレナは、ちょうどその時20年前の事件についてを学んでいた。自分の目の前に座り、歴史書の内容を己の解釈と共に淡々と読み聞かせてくる教授の抑揚のない声を聞き流しながら、セレナは眠気と戦いつつ歴史書の文字をぼうっと眺めていた。
その時、セレナはとある1文に目を止めた。
“半端者の王は、オフィーリア・レヴィンの賢者としての役目を奪い、己の妃とした”。
セレナはその1文を見て、一気に眠気が吹き飛んだ。
賢者は、この街では王よりも上位の立場にある存在だ。誰にでもなれるものではなく、賢者として選ばれることは名誉といえる。
そんな立場にオフィーリアが立つことを、伯父である半端者の王が防いだというのだ。それは単純に、姪に自分の上に立たれることを不快に思ってのことかのようにも見える。だが、そんなことをしても、既に賢者が何人か存在するこの街で、半端者の王が街の頂点に立てることはない。
そもそも賢者の選抜や管理については、王の管轄ではない。三大賢者……当時ではオフィーリアを除く二大賢者や、その他古株の賢者たちの管轄だ。王の一存だけで、賢者への道が絶たれることはあり得ない。
セレナは教授の顔を見て、口を開いた。
「先生。半端者の王はどうやって叔母様から賢者の役目を奪ったの?」
すると、教授はピタッと動きを止め、驚いたような顔でセレナを見る。当然だろう。それまではあまり身が入っていない様子の生徒が、急に意欲的に質問をしたら、誰でも驚く。
セレナも、自分で自分に驚いていた。正直、これまでの歴史には全く興味が持てず、ほとんど右から左へ流していた。だが、その1文だけは何故だか気になった。ひょっとすると、自分にとっては馴染みの深い人物についての事柄だったからかもしれない。当時20年前についてのことは、絵本でしか知らなかったセレナは、半端者の名も当時まだ知らなかった。
セレナから尋ねられた教授は、冷静さを取り戻すようにこほん、と咳払いをひとつついてから、口を開く。
「半端者の王がいかにしてバラク公爵の役目を一時剥奪したのかについては、様々な噂があり、信憑性は定かではありません。が、よく言われているのは、古株の賢者様たち全員を買収した、という噂です。実際、当時謎の金の動きがあったという記録があるため、その噂は他の中でも最も有力ですね」
「……?賢者たちは余りあるほど資金を持っているのに、お金で動いたの?それに、半端者の王はどうしてそこまでして叔母様を自分の妃にしたのかしら」
「それは……」
教授はそう追及されると、言いにくそうにもごもごと口を動かし、目を泳がせた。
知らないのか、知っていて言わないのかは分からないが、どちらにせよ、その裏に何かがあるのは明白だ。
教授の答えを待っていると、どこからともなく男の低い声が聞こえた。
「セレナ、そこまでにしなさい」
セレナは声のする方を振り返る。そこには、いつの間に入ってきていたのか、クラトスが扉の前に立っていた。
「陛下」
教授はクラトスの姿にすくっ、と立ち上がると、胸に手を当てて軽く頭を下げた。それにつられるようにしてセレナも立ち上がると、クラトスに向かってドレスの裾を広げ軽く頭を下げる。そしてクラトスの顔を見上げて尋ねた。
「父上、何故お止めになるのですか」
「半端者の王は我が一族の最大の汚点だ。けして触れてはならぬ」
「一族が辿ってきた歴史を知り、善行は受け継ぎ、悪行は繰り返さないように知識として知っておくことが、王として人々の上に立つものの義務だと、そう私に教えたのは父上ではありませんか」
「……バラク公爵家には屁理屈を習いに行っているのか?ともかく、半端者の王のことを深掘りするな。これは命令だ」
「……」
セレナはむっと顔を
クラトス王は、自分の命令であれば娘も言うことを聞くと思っているようだ。王の立場上、彼の周りには彼の命令に従う忠実な者たちばかりが集うため、それも仕方がないのかもしれない。だが、表向きには忠誠を誓っている配下たちも、裏では何を考えているか分からない。彼らもセレナも、クラトスが嫌いながらも重宝している傀儡人形とは違い“心”を持っているのだから、誰のどんな言葉に従うかは、自分で決める。
こうしてセレナは、20年前の、半端者の王について調べることにしたのだ。
そう、それが目的。
父が詳しい理由も説明せずに、ただ「関わるな」とだけ厳命した半端者の王についての真実。それを知るために、セレナは歴史書を読み漁り、さらにその裏を知るために魔法の習得……その中でも特に、隠密型の透視魔法を身に付けたいと思っていた。
透視魔法は、人の心を視ることができる魔法だが、人以外にも、大地が覚えている記憶、物に込められた思いやその裏の出来事まで視ることができる。
透視魔法は戦闘向けではないが、視ようと思えば世界の全てを視ることができる。国の情勢を読むために、非常に役立つ能力だ。20年前の真実を知るという目的以外でも、やはり魔法はセレナにとっては必要だ。
……今のセレナには、まだ自分の姿は見えない。“ただひとつの願い”など、見えようはずもない。
ならば、まずは小さな望みをひとつずつ願えばいい。
それが、今の自分にできる唯一の魔法だ。
セレナは、願った。
——人も、大地も、国も、20年前の真実も、全てを視ることのできる“目”が欲しい。
と、その時。
セレナの脳裏で声が響く。
——望みは、何?
「——っ!!」
セレナは驚愕のあまり息を呑み、水晶玉を手離す。手離された水晶玉が、ゴトン、と鈍い音を立てて床に落ち、ニコラオスの足元まで転がっていく。ニコラオスはそれを拾うと、驚いた様子で肩を震わせているセレナを見て口を開いた。
「……聞こえたか」
そう尋ねられて、セレナは静かに頷いた。
まるで、頭の奥で直接響いたような、少し低い自分の声。
何かの警告のような強い口調と、聞き流すことの出来ないような、恐ろしい程の声色。
これが、魔力の声……。
自分の姿が見えないセレナを責めるかのような、自分の好きな色さえ分からなかったセレナを嘲るような、自分の声なのに自分ではない他人のものであるかのような声だった。
——望みは、何?
魔力の声は、そう尋ねてきた。
ニコラオスが言うに、魔力の声は啓発だ。己の望みを引き出すための、きっかけとなる言葉。ならば、今の言葉はどういう意味なのか?
自分の望みが自分でも分かっていないことを表しているのか、それとも、望みもないのに魔法を欲するべきではないと、警告しているのか……。
「……こんなんじゃ、分かんないよ」
考えているうちに冷静になってきたセレナは、不満をこぼすようにそう言った。ニコラオスはそれを、「当たり前だろ」と返すと、水晶玉を手にセレナに近付き、セレナの手を取ってそれを握らせる。
「簡単に分かるようになったら、ここまで苦労しない。自分の望みっていうのは、本来深く考えなくたって多少は見えるものなんだ。少しでも見えれば、魔力は覚醒する。それが全然全く見えないってことは、今まで他人の目を気にして自分を押さえ込んできたってことだ。そんな奴が急に何もかも見えるようになるなら、初めから自分を押さえ込んだりしないだろ」
「……確かに」
納得すると同時に、セレナは理解した。
遅咲きの原因。魔力が覚醒しない者たちの共通点。
魔法は己を映す鏡。魔力の声は、己の望みを表す言葉。魔力覚醒には、“ただひとつの願い”が必要だ。
ならばその逆に、己の姿が見えない者、“ただひとつの願い”をわずかでも見つけられない者は、永遠に覚醒することがない。
“ただひとつの願い”を見つけられない人間の特徴といえば、望んでも無駄だという環境にいた者か、決められた道以外を許されず、“望む”ということすら知らなかった者、もしくはニコラオスの言う通り、他者からの目が怖くて己を強く押さえ込んでしまう者たちだろう。
セレナは、生まれたその時から女王となる道を決められ、少しでも他の道を望もうとすれば、周りの大人たちから牽制されてきた。そんな世界に生きてきたセレナにとっての精一杯の抵抗、それが、20年前の真相を暴くことだった。
彼らが隠したがっている真実を突き止めることで、セレナは彼らの束縛から逃れたかったのだ。だが、そうやって他人の目から逃れることばかり考えていた結果、セレナは自分自身を見失ってしまった。無駄な争いを避けるために自分の気持ちを殺していたこともあったために、セレナはこれまで覚醒できなかったのだろう。
ガックリと肩を落としたセレナ。……今日は落ち込んでばかりだ。そう自分でも気づきつつも、セレナは落ち込まずにはいられなかった。今まで争いを避けるためにしてきた己の行いが、自分の可能性を潰す行為だったのだと知ったのだから。
……私がまず知るべきは20年前の真実ではない。自分自身だ。
セレナの様子に、ニコラオスは励ますように口を開いた。
「コツだけでも掴めたんなら、あとは繰り返し練習するしかない。だが、この訓練以外ではやめろよ。考えてばかりだと疲労する。疲労すればその分魔力の制御も難しくなって、飲み込まれやすくなるからな」
「うん、分かった」
セレナはそう頷くと、手渡された水晶を両手で包み、再度意識を集中させた。
しかし、青い炎の色を変えることはできたものの、その日はそれ以上魔力の声が聞こえてくることはなかった。
それから数日。セレナは初日と同じ時刻に廃校を訪れ、ニコラオスに魔力を教わった。
教わるといっても、訓練の内容は初日と同じだった。覚醒前の魔力持ちの訓練用魔法器具はミロワール以外にもいくつか存在しているが、そのどれもこの廃校では壊れているか、置かれていないかのどちらかだった。
元々限られた魔法書と器具しかない中で、ミロワールのような覚醒後でもよく使われる器具が無事だったということは奇跡に等しいと、ニコラオスは話した。
訓練開始から5日も経つと、ニコラオスとセレナは互いに心を開きつつあった。が、聞こえてくる魔力の声の内容は、初めの頃と何も変わらない。
魔力の声の意味について知るために、セレナは己の身の上話をした。無関心な母、冷たい父、後継者としてしか見ない周りの大人たち。そんな中で、自分は乳母のカレンと
傍にいる時間が短くなってしまったことで、セレナの中でカレンやクラニオに対してモヤモヤとした嫌な感情を抱きつつあることに気づいていた。その感覚は、特に彼らが平気で魔法を使う時に襲ってくる。
その正体についても深く知ろうとすると、何故か急に怖くなって考えることをやめてしまう。分かるのは、その感情が、決して良いものではないということだけだ。
そんなセレナの話を聞いて、ニコラオスは口を開いた。
「……それって、自分にはできないことを平気でやってみせる2人に嫉妬してたんじゃねぇの」
ミロワールを持ったまま椅子に腰掛けていたセレナは、同じく少し離れた場所に座るニコラオスをチラッと見上げる。
「……そう、なのかな」
「自分の気持ちなのに、どうしてそう自信がないんだ」
「だって、カレンもクラニオ
「誰だって嫉妬はする。それは相手が誰であっても同じだ。……俺も、似たような感情を抱いたことがある、というか、今も持ってる」
「え……」
驚いたようにセレナが顔を上げると、今度はニコラオスが己の身の上について語り始めた。
ニコラオスは、己の父親について何も知らない。どこの誰で、どんな人間で、今も生きているのか、既に死んでいるのかさえ知らない。彼の母も語らないし、ニコラオス本人も聞こうとも思わなかったという。生きていようが死んでいようが、相手は自分と母をおいていった人間だから。
ニコラオスは19年間、母親と2人だけで生きてきた。
母は純粋の神族で、自分は魔族寄り。容姿もほとんど似ていない親子だが、それでもニコラオスは、母を尊敬していた。
母は力は弱いものの、一応魔力持ちで、特に隠密型の闇系魔法と、幻術系魔法を得意としている。その技術は、ディアヴォロスでも軍を抜いていて、彼女がひとたび姿を消せば、どんなに強い魔力持ちだとしても決して感知ができないほどだ。
そんな彼の母は、強く優しく、美しい女性だという。
厳しくも優しくニコラオスを導いてきた母。母はニコラオスの前では、決して笑顔を絶やさなかった。
だが、そんな母が最近、時折どこか遠くを見つめて、悲しげな表情をすることがあるという。ニコラオスが声をかければまたすぐにまた笑顔に戻るが、それからも母は、ひとりでいるとどこかを見つめて悲しげに顔を歪ませている。
胸の中で、モヤモヤとした感情が渦巻く。ニコラオスは、母にそんな顔をさせる人間が心底憎く、また母がそんな顔をするほど思っている人間を、心底妬んだ。
一体、誰を思って悲しんでいるのか?
何度聞こうと思ったか分からない。だが、聞けない。
恐らくそこは、母の“聖域”だ。
強い母の唯一で最も脆い場所。他人はもちろん、己が決めた者以外は踏み込むことが決して許されない場所だ。
常に笑顔だけを向けられるニコラオスには、触れられない。何よりそれが妬ましくて仕方がないのだと。
そんな母を見つめ続けたある日、ニコラオスは気がついた。母の視線は、たとえどこにいても同じ方向を向いていることに。
母の視線の先にあるもの、それは。
——…テオスの街。
ニコラオスは母の視線の先にそれがあることから、母を悲しませる元凶がテオスにあると考えた。
それがテオスの街そのものなのか、テオスの街にいる誰かなのかは分からないが、母の悲しみの理由にテオスが関係していることは確かだと思ったニコラオスは、今回テオスに侵入したのだという。
「…それで、分かったの?」
「いや、まだだ。母さんはテオスに着いて以降はそんな顔をしなくなったし、むしろ楽しそうに次の作戦を練っていた。だが、母さんの悲しみがなくなったわけじゃない。だから、絶対に突き止めてみせる」
セレナはその話に、心底心を打たれた。
やり方は強引でも、ニコラオスの根底には母親への深い情がある。母の悲しみを拭いたい。その願いのために、力を振るっているのだ。
そう気づいた時、セレナは改めて思った。
クラトス王は何故、ディアヴォロスの者たちを嫌うのか。
ニコラオスのような者たちばかりとは限らないかもしれないが、少なくともセレナの知る魔族寄りは、悪魔のように残酷で冷酷な人間ではない。きっと話し合えば分かり合えるのではないか。
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