第6章 魔力訓練と無人の墓①

「よし、早速始めるぞ」

 ニコラオスの言葉を合図に、セレナは背筋をぴしっ、と伸ばす。


 2人の他は誰もいない静かな廃校の1室。ニコラオスはセレナに背を向けると、若干埃をかぶっている棚に近づいた。そこには、当時の生徒たちが使用していた魔法器具が並んでいる。そこには、まだセレナが見たことのないような魔法器具もあれば、見たことのある物もあるが、そのほとんどが訓練用の器具だ。ニコラオスはその中から、手のひら程の小さな水晶玉を取り出した。


 セレナはそれを見て、がっかりするような顔をした。伸ばしていた背筋を戻し、力の抜けた様子でニコラオスの姿を見守る。ニコラオスが手に取ったそれは、セレナが何年も、それこそ嫌になるほどに見てきた魔法器具だったからだ。


 振り返ってセレナの様子に気付いたニコラオスは、不思議そうに首を傾げた。その手の水晶の中央で、青く小さな炎が揺れている。ニコラオスは口を開いた。


「何だよ、その顔」

「だって、もっとすごい訓練をするのかと思ってたから」

「何だそりゃ。覚醒もしてないのに、できるわけないだろ」

 セレナは口を閉ざした。


 分かっている。覚醒前の魔力持ちができることは限られている。特にセレナは、他人の魔力を視認すること以外、自力で魔力を扱うことができない。そんな状態では、訓練の内容が毎回同じようなものばかりになるのも当然だろう。


 そう理解はできるものの、やはり腑に落ちない。


 ニコラオスはため息を吐くと、言葉を続けた。

「氷の王女に教わらなかったのか?自分の限界以上を求めようとしたら……」

「魔力に飲み込まれる、でしょ?分かってるわよ。叔母様から何年も教えられてきたもの」

 セレナはそう答えてから、オフィーリアの教えを空で唱えた。


 魔法は鏡、魔力は己自身。鏡に力を込め過ぎれば砕ける。己を制御できなければ飲み込まれる。魔力を扱うためには、己を知らなけばならない。1歩間違えば、この世さえも飲み込んでしまう……。


 何年も繰り返し聞かされ続けた、オフィーリアの言葉。

 覚えているし、十分理解もしているのだが、しかし……。

「それでも、私みたいな遅咲きが覚醒できるような特別な訓練があるのかな、って思ってたから」


 遅咲きになる原因は分かっていないと、テオスでは言われている。訓練など一切したことのない細身の女性でも覚醒している魔力持ちはいるし、長年剣を極めた強靭な剣士でも、一生覚醒しないままの魔力持ちもいる。肉体ではなくその生い立ちや出生が関係しているのではという仮説を立てた賢者や学者もいるが、半端者でも交ざり者でも、孤児でも貴族でも関係なく、覚醒する者はするし、覚醒しない者はしない。結局原因は分からずじまいなのだ。


 しかし、ディアヴォロスの街には、テオスにはない技術、魔力のない者でも使用できる魔法器具が存在している。もしかすると遅咲きの原因も解明されていて、遅咲きのための魔法器具があるのではないのかと、セレナは期待していたのだ。

 そんなセレナの期待を裏切るように、ニコラオスは言葉を返す。


「こいつを扱えるようになるのは、基礎中の基礎だ。それはこっちでも変わらないし、覚醒した後でもこいつはよく使われる魔法器具だ。……荒療治でいいなら、ライオンの子みたいに崖から突き落とそうか?」

 ショック療法で覚醒するかもよ、と付け加えながら、ニコラオスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 セレンはニヤリとした彼の笑みに、思わずサッと青冷め、慌てた様子で両手を振りながら「遠慮します」と後ずさる。ニコラオスはそんなセレナの様子を見て、可笑しそうにくっくっ、と笑ってから「冗談だよ」と返した。


「確かに、遅咲きの魔力持ちが命の危機に瀕した時に、身を守りたい一心で魔力が覚醒した、って事例はいくつもあるけど……」

「え、そうなの?」

 期待するような声で、セレナは食い気味に尋ねた。が、ニコラオスはそんな彼女の顔に手を伸ばし、片手で両頬を挟むようにしてぐにっ、と掴んだ。


「最後まで話を聞け。あるにはあるが、ほとんどが一時だけのまぐれだ。その場では魔法が使えたが、それ以降は上手く使えなくなった、って奴の方が大半なんだ。だからおすすめはしない」

 ニコラオスは忠告するようにそう言うと、セレナから手を離した。強くはないが、突然顔を掴まれたセレナは庇うように両頬をさすった。

 口を尖らせ、不服そうに顔を歪ませると、愚痴を零すように言葉を漏らした。


「……何も掴まなくても……」

「お前が興味のあるもののためには手段を選ばない無茶な奴だって、この間の件でよく分かったからな。こうでもしないと、お前絶対また危険な真似をするだろうからな」

「ゔ……」

 図星を突かれて、セレナは口を噤んだ。


 確かに、ニコラオスの言う通りだ。もし少しでも可能性があるのなら、それがいかに危険なことだと分かっていたとしても実行してみたい。セレナはそういう性格だった。

 クラニオといい、ニコラオスといい、自分の周りの人間は何故こうも察しのいい者ばかりなのだろうか。そう思って、セレナは苦虫を噛み潰したような顔をした。


 その時、セレナの脳裏にカレンの顔が過ぎる。

 若い頃に事故に遭い、顔に火傷を負ったカレン、また彼女は、セレナと同じく遅咲きでもあった。

 彼女がどうやって覚醒したのか気になっていたセレナだったが、ニコラオスの話を聞いて、恐らくカレンも、彼の言う荒療治で覚醒したひとりだったのだろう、と確信した。彼女は、オフィーリアから魔法を教わったお陰で今は自由に魔法が使えるようになったと話していたが、それは稀な例なのだろう。


 そう考えた時、カレンのあの少し辛そうな笑みの理由が分かった。

 自分も遅咲きだったと打ち明けた時、彼女の脳裏には、一体どれ程辛い思いでが過っていたことだろう。

 カレンが自分から話したとはいえ、聞いてしまってセレナは何となく申し訳ないような気持ちになった。


「……それより、始めるぞ。早くしないと日が暮れる」

「……まだお昼にもなっていないけど」

「それこそ、お昼になったらお前のところの従者がお前を探すだろ。だから、訓練の時間は最低でも1時間だ。ほら」

 ニコラオスはそう言うと、水晶玉をセレナに手渡し、セレナから離れるように数歩後ろに下がる。水晶の中には、変わらず青く小さな炎が揺れている。

 この青い炎を、セレナは誰かの手を借りれば己の“魔力の色”に染められるものの、オフィーリアの言う“魔力の声”を聞いたことは1度もなかった。そもそも“魔力の色”や、“魔力の声”というものが一体どんなものなのか、覚醒にどんな影響があるのかも、セレナは知らなかった。


 とはいえ、ここにはおしゃべりをしに来たのではなく、魔法の訓練に来たのだ。分からなくとも、やるしかない。

 そう思い、セレナは水晶玉を両手で包むように持つと、その中の炎をじっと見つめて、魔力を引き出すように強くイメージをする。が、やはりその青い炎の色は変わらなかった。


 ……やっぱり。

 そう言うようにセレナが小さくため息を吐くと、ニコラオスは尋ねるように口を開いた。


「お前、が何か知らないのか?」

 突然の言葉に、セレナはパッと顔を上げてニコラオスを見た。ニコラオスの顔は、呆れるようなものでも、馬鹿にするようなものでもなく、純粋な疑問から尋ねているようだった。


「え?何って、魔法器具でしょ?」

「そりゃそうだけど、そいつがどんな物か知らないのか、ってことだよ」

「どん、な……?」

「見方を変えてみろ、そうすれば分かるはずだ」

 ニコラオスは水晶玉を見てそう言った。彼の目線につられるようにして、セレナは水晶玉に視線を落とす。

 オフィーリアはこれを、魔力を込めると色が変わる魔法器具だとしか説明しなかった。それ以上の意味が、この水晶玉にあるというのか?


 ……見方を変える。

 その時、セレナの頭にオフィーリアの言葉が響いた。


 ——魔力を制御するには、まず己を知ることだ。


 己を、知る。

 その時、セレナがオフィーリアと教室の子どもたちの会話の中で、実はずっと疑問に思っていたことがあった。

 オフィーリアは、全身に目一杯力を込めて魔力を引き出そうとしていた子どもに対しては、必ず「力まないように」と助言していた。しかし、セレナは上手く引き出せない魔力を引っ張ろうとすると、どうしても肩に力が入る。そうすることによって、ようやくわずかながらに炎の色を染めることができるのだ。


 だというのに何故、力を抜いていた子ども方がすぐに炎の色を染められるのだろうか。

 そう考えてから、セレナは深呼吸をするように大きく息を吐く。肩の力を抜き、無意識に力んでいた目を1度伏せてから、ゆっくり開けてみる。そして、なるべく余計なことを考えないように努めながら水晶を見た。

 水晶玉には、青く揺れる炎の前に、光の反射でわずかに映るセレナの顔がある。それはまるで、見ようと思わないと見ることのできない鏡のようだった。


 ……


 その時、セレナはハッと我に返り、とある言葉を思い出した。

「……“魔法とは、己を映す鏡である”……」

 オフィーリアが訓練の冒頭の必ず口にする言葉。もしその言葉が、訓練のヒントになっていたのだとしたら……。


「…もしかしてこれは、自分の心を映す鏡?」

「ほぼ正解だ。そいつはミロワールっていって、覚醒前の魔力持ちにとっては自分の本当の姿を見つめるための鏡、覚醒した奴にとっては周囲の状況を映すための道具だ。氷の王女は明らかにしていないが、彼女が操る傀儡の目に、こいつの小さいのが埋め込まれてるって噂もある」

「へぇ。ガラス玉って聞いてたけど、違うんだ」

「噂だ。技術が他国に漏れるのを避けるために、詳しい仕組みなんかは秘されるもんだからな」


 確かに貴族や王族は、秘密が多い。20年前の出来事然り、クラニオの出自然り、傀儡人形の仕組み然り。秘密にしておいた方が利益になると判断された事柄や、知られれば混乱を招くと判断された出来事の多くは隠され、触れようとするものには制裁が加えられる。反吐が出るような話だが、貴族界はそんなことが現実に起こる世界なのだ。


 ニコラオスは水晶を指差すと、話題を戻すように口を開いた。

「それはともかく、そいつの説明だ。その中の炎は、他人からの視線を表していて、そいつばかり気にするような奴には己の姿が見えないが、そんなことを気にせず、自分の姿だけを見ようとする奴には、そいつの色で応えてくれる。されらにもっとよく見ようと思えば、“魔力の声”が聞こえるんだ」

「……その、魔力の声って、一体何なの?」


 セレナの質問に、ニコラオスは腕を組んで難しい顔をした。だがそれは、やはり呆れるような顔ではなく、「どうやって説明しようか」と考えているような顔だった。

 セレナは、半ば強引に魔法の教授を頼み込んだ自覚があったため、ここまでニコラオスが真剣になって考えてくれるとは思っていなかった。


 ニコラオスの返事を待つと、少ししてから考えがまとまったのか、口を開く。

「まぁ、ざっくり言うとしたら、自分の本音とか、本心を引き出すような啓発だな」

「啓発……」

「内容は人によって異なるし、毎回同じ言葉を言われる時もあれば違う時もあるから、どんな言葉かって聞かれると難しいけど、共通しているのはその声で己の望み、“ただひとつの願い”に気づくことができると、覚醒に近づくんだ」

「……ただひとつの、願い……」

 そう言われて、セレナは先日のニコラオスの言葉の意味がようやく分かった。


 ——それを知って、どうするつもりだ?


 セレナはこれまで、ただ20年前のことを知りたいと思っていただけで、それが何の役に立つのか、そうすることで何か意味があるのかを、考えたことはなかった。


 “ただひとつの願い”。


 生まれたその時から、女王としての未来が決められている自分が、そんなものを持っていても意味がないと思っていた。

 セレナは、今まで自分が覚醒しなかった理由を、今ようやく理解した。


 ——……そうか、私には、なりたい未来がないのだ。

 いや、あったのかもしれないが、忘れてしまったのだ。

 娘に無関心な母に絶望して、娘に女王の未来を押し付ける父に傷付いて、持っていたはずのただひとつの願いを見失ってしまったんだ。


 そう気付いて、セレナは肩を落とした。

 そんなセレナの心情を知ってか知らずか、ニコラオスはセレナの肩にポン、と手を置き、励ますような声で言った。

「そんな顔するなよ。もし望みがないっていうならこれから作ればいいし、忘れたなら思い出せばいいだろ。とにかく今は、『自分の好きな色に変えたい』ってくらいの小さな願望でもいいんじゃないのか?」

「あ……」

 落胆しかけていたセレナだったが、ニコラオスの言葉ではっ、とした。


 そうだ。確かにオフィーリアは、「好きな色にしてみろ」と言っていた。己を知ることが魔法を扱う上で重要であるとはいえ、あの教室に集っているのはセレナを除けば6歳から10歳前後の子どもたちだ。そんな子たちに、『己を知る』だとか、『己の心からの望み』だとか、そんなことを考えるのは難しいだろう。

 己のことは、長く生きていく上で自然と悟るものだ。それを、6年から10年しか生きていない者に悟れと言うのは酷だ。

 だが、自分がどんな色が好きか、どんなものが好きかは分かる。己の手の中で揺れる青い炎を「自分の好きな色に変えたい」と考えることは、紛れも無い“願望”だ。


 オフィーリアは、そうやって小さな願いをひとつずつ魔力で実現させていくことで、最終的に“魔力の声”が聞き取れるまでに仕上げようと考えたのだろう。

 そう考えれば、ミロワールについて詳しく説明しなかったことの理由も理解できる。


 “自分の本当の姿を見つめるための鏡”。そう説明したら、子どもたちはまだまだ成熟し切っていない心でそのことばかりを考えて、混乱してしまっていたことだろう。

「…好きな色にする、か……」

 セレナは小さく呟くと、水晶玉に映っている自分の顔をじっ、と見つめた。


 気を抜くと、どうしても中で揺れている青い炎に目を向けてしまいそうになる。が、気にしないように努めて、ただまっすぐに自分だけを見つめる。


 そして、考えた。自分の好きな色のことを。


 これまでは何も考えず、ただ魔力を引き出すことだけを考えていたため、水晶の中の炎は、白銀を光を放っていた。そしてそれは恐らく、自分がその色を好いているからではなく、ただ目の前に、己が目標とするオフィーリア・バラクの、白銀の髪が映っていたからというだけだった。

 セレナはそれを、己の魔力の色だと思っていた。だが、違うのかもしれない。

 自分の、好きな色。自分が最も心安らぎ、自分にとっての力になる、自分の心を支えてくれる。それを魔力の色と言うのだとしたら……。


 …私が、心安らぐ色。


 思い浮かぶのは、赤子の頃からいつも自分を見守ってくれた瞳の色。まるで多くの人の心を和ませる木々の色のような緑の瞳。優しい笑み、母のような温もり。カレン・ボアルネは、セレナの心を安らかにし、セレナを強くしてくれる女性だった。


 今の自分を作ってくれたのは、無関心な母でも、冷たい父でもなく、彼女だった。

 そう確信した時、セレナの手の中で青い炎が、緑色の光に変わった。


 セレナは初めて自分の力で魔力を引き出せたことに、歓喜の表情を浮かべた。それを見ていたニコラオスは、少し助言しただけで実現することができたセレナの理解力と想像力に、「へぇ」と感心するような声を漏らした。

「やるじゃん、センスあるよお前」

「そうかな」

 ニコラオスにそう言われて、セレナは照れくさそうに答えた。

「よし。じゃあそのまま、さらに自分の姿を見つめてみろ」

 セレナは水晶に映る自分を見つめたままニコラオスの言葉に首肯すると、目を伏せてふぅ、と息を吐き、集中する。ミロワールという名の鏡に映る自分を、まっすぐに見つめる。

 そして、考えた。己について。ニコラオスに尋ねられたことについてを。


 ——それを知って、どうするつもりだ?


 理由、目的。

 自分は20年前の事実を知って、どうしたいのか?

 それを考えるにあたり、まずセレナは20年前のことを知ろうと思った経緯を思い起こしていた。

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