第5章 戦う理由③
「……まさか、本当に来るとはな」
古びた校舎の前に立っていたニコラオスは、やってきた人物に呆れるような顔をした。藍色のマントに、深々とフードを被った小柄な人物。それは、ニコラオスの言葉にムッと顔をしかめると、フードを取って口を開いた。
「何よその言い方。ニコラオスが来いって言ったんでしょ」
セレナはそう言って口を尖らせ、ニコラオスを睨みつける。ニコラオスは呆れ顔のままそれを受け止め、小さくため息を吐いてから口を開いた。
「ニコラでいい……。別に来いとは言ってないだろ。俺は場所を示しただけだ」
「何その屁理屈」
「屁理屈じゃない。……まあいいさ、入れよ。にしてもこの前といい今日といい、よく城下に出て来られたよな。魔法も使えないのに」
「……少しは見直した?」
得意そうな笑みを浮かべてセレナはそう言うと、ニコラオスに促されるままに校舎の中へと入っていく。校舎内はその外観の通り古びていて、ほとんど全てのガラス窓が割れて砕けている。そのガラス片か、もしくは砂利のせいか、1歩歩くたびにジャリジャリといった足音が響き渡っていた。
慣れない足元を十分に注意しながら、すぐ目の前を行くニコラオスの後について歩く。セレナの得意げな言葉に対し、ニコラオスは顔だけで振り返ると少し馬鹿にするかような口調で返した。
「調子に乗るな。どうせ自分の力じゃないくせに」
「……ニコラって本当に失礼よね」
「悪いな、俺は王子でも貴族でもないんでね」
皮肉めいた口調でそう言うと、ニコラオスは鼻でフッと笑ってからふい、っと目を逸らす。セレナはそんなニコラオスの様子に、その背中を睨みつけながらむっ、と頬を膨らませた。
確かに、自分の力ではないといわれればそうだ。
セレナが先日も今日も城下に下りることができたのは、王族だけに伝わる隠し通路のお陰だった。
基本的に王族がテオスから他国に避難する際には、王城の裏門から出られる小高い山にある道を利用する。だが万が一そちらの道の方が危険だと判断された場合の避難通路として、テオスの街のあちこちに隠し通路が敷かれているのだ。
前回の騒動の時や、そして今日も、セレナはその通路を通って城下まで下りてきていたのだ。
とはいえ、今日は普段ならば決して近寄ろうとは思わない地までやってきた。王室も放棄している民家への道は通っていなかったので、少し離れた場所へ通じている道から抜けた後に、民家に住む人の目につかないように気をつけながらようやくここまでやってきたのだ。少しくらい素直に褒めればいいのに、と思ったセレナだったが、これ以上は言わないことにした。
ここへは、魔法を教わりに来ていて、ニコラオスは自分に魔法を教えてくれる、いわば師だ。それならば、多少の礼儀は尽くさなければなるまい。
そう思い、セレナは軽く咳払いをしてから、見えないだろうが小さく頭を下げた。
「…本日は、よろしくお願い致します」
「ん。といっても、俺に教えられるかどうかは保証できないからな。俺だって一応まだ修行の身なんだ」
「うん。分かった」
セレナがそう頷くと、ニコラオスはとある教室の前で立ち止まり、扉をガラっと開けてセレナの方を振り返った。
「限られた教室ではあるけど、当時の名残でまだ使える魔法器具が置かれた教室がいくつかあるんだ。ここはそのひとつ。散らかってるけど、他よりはまだマシだから我慢しろよ」
そう忠告するように言ってから、ニコラオスは教室の中へずんずん入っていく。セレナは覚悟をするようにひとつ頷くと、ニコラオスに続いて教室の中に入っていった。
そこに広がっているのは、お世辞にも綺麗とは言えないが、多少は整頓されている棚に、棚の上には多くはないが魔法書や、セレナも何度か見たことのある魔法器具が並んでいる。
当時の生徒が使っていたのであろう机が窓際に全て並べられていて、床には人1人が寝そべっても隠しきれないほどに大きな魔法陣のような円が描かれていた。
魔法陣には基本、実行する魔法名の頭文字や、使い魔名の頭文字など、他にも様々な文字や記号が記されている物だが、そこに描かれているのは、何の文字も記号も記されていない、ただの大きな円だけだった。
見たことのない陣にセレナがキョトン、とした顔をしていると、ニコラオスが彼女の視線に気づき、あぁ、と声を上げる。
「無地の陣だよ。後書きで光文字を書き入れると魔法が使えるんだ」
「光文字って、光の陣を描いたりする時の?」
「そう。魔力の流れを文字にして、
「あ……うん」
セレナはそう答えてから、ふと、考えた。
ニコラオスは、知っているだろうか。クラトス王がディアヴォロスの魔族を憎んでいる理由を。
トレゾール邸の書庫。そこはオフィーリアが自ら掃除をし、毎日のように整理をして、全ての書物に盗難防止の魔法を施していた。
そんな書庫で、クラニオ・バラクはある書物を探していた。
ゆっくりと歩きながら指の腹で本の背表紙をなぞり、目的の本を探す。オフィーリアは本を整理する際、毎回本の場所を変えるので、クラニオが以前に“それ”を見つけた場所には既に別の本が並んでいた。
しばらく探していると、とある本の前でピタ、っと足を止めた。
“禁術の書”。
第2覚醒もしていないセレナが、何故か興味を持っていた魔法書。
透視魔法を得意魔法のひとつとしているクラニオは、意識せずとも相手の思考が分かる時がある。とはいえ、相手が敵でもない限り無許可で他人の思考を盗み見るような真似をしたくないと考えていた。そのため、無意識に感じ取れる思考は断片的だ。
だが、それでも魔法を扱ったことのできないセレナが、禁術の書の名前を聞いた際に何故か「知っている」と感じたことは何となく伝わってきたのだ。
だが、禁術の書の内容については初耳だったようだ。それは心を視ずとも、話を聞いている際のセレナの驚愕の表情で分かった。そう確信して、クラニオはひとまず安心した。禁術はあまり口外するべき魔法ではない。魔法を扱えないのなら、なおさら知らない方がいいのだ。
だが、セレナのあの様子から察するに、彼女が再び無茶な真似をすることは明白だ。
クラニオは禁術の書に手を伸ばした。
本来、賢者以外は手に取ることも許されない魔法書。クラニオもその存在は知っていても実際に手に取って読んだことはなかった。
……一体、セレナはこれを知って何を……。
その時。
「クラニオ様」
男の声がクラニオの背後で響き、クラニオは思わずビクッと肩を上げる。慌てて振り返ると、そこにはオフィーリアの唯一の従者、ジェイが立っていた。
ジェイの顔はいつもの通り優しげな笑みを浮かべていたが、クラニオはまるで悪戯を見られた子どものように心臓が脈打っていた。
「クラニオ様が書庫にいらっしゃるとは珍しいですね。お勉強ですか?」
「あ……あぁ、そんなところだ」
マギーア部隊の中では、上司であるジェイに対して敬語で話すクラニオだが、トレゾール邸でのジェイはオフィーリアとクラニオに対して“従者”らしい態度を取るので、クラニオもマギーア以外ではジェイに対して主人のような口調で話すようにしているのだ。
ジェイはクラニオの返答に対してさらに笑みを深めると、続けて口を開いた。
「左様ですか。お忙しいところ大変申し訳ありませんが、
「……母さんが?」
「はい。お話があるとのことで、執務室まで来るように、と」
珍しい。クラニオはそう思った。
魔族や貴族たちから“氷の王女”と呼ばれるオフィーリアは、普段からかなり無口で無表情。クラニオに対して冷たく接しているわけではないが、改まって話をするようなことは滅多になかったのだ。
それでも、オフィーリアがクラニオを嫌っている訳ではなく、単純にそれが彼女の性格で、心の中では一人息子であるクラニオを愛してくれているのだということをよく知っていたため、クラニオは母を慕っていた。
クラニオがマギーア部隊に入りたいと言った時も、婚約者となった後もセレナと兄妹のような関係のままでいたいと話した時も、オフィーリアは特に反対することもなく「あなたがそう思ったのならその通りになさい」とだけ言った母が、「話したいことがある」とは……。
思い当たる理由はひとつだ。
オフィーリア・バラクはテオス一、いや恐らくレヴィン王国一の魔力持ちだ。このテオスの街で起きたことは、ほとんど把握している。城下に下りたセレナを真っ先に発見したのも彼女だ。セレナが王城を抜け出したことについて、クラトス王には叱責されたが、オフィーリアからは何も言われたことはなかったが、もしオフィーリアがクラニオを呼び出すとしたら、それしかないだろう。
「…分かった、すぐ行く」
少し考えるような顔をしてから、クラニオはそう答えた。軽く頭を下げるジェイの隣を横切り、その場を離れる。結局目的は果たせなかったので、後ろ髪を引かれるような思いを抱いたクラニオだったが、ジェイがいる前で禁術の書を見ることはできないので、仕方なく書庫を出て、オフィーリアの執務室がある階へと続く階段に向かって歩き出したのだった。
書庫に1人残されたジェイは、クラニオの足音が遠く離れ、ほとんど聞こえなくなるまで待ってから、先ほどクラニオが手に取ろうとしていた本へ手を伸ばす。
“禁術の書”。これは写しだが、そこに記されているのは間違いなく禁術の呪文や魔法陣、使用上の注意事項など、“原本”を忠実に書き写した内容だ。
ジェイは本を手に取ると、表紙に手を当て、口の中で小さく呪文を唱える。魔法書にかけられている封印魔法を解く、解呪魔法の呪文。呪文を唱え終わると、魔法書はひとりでにページを開き、ジェイが求めていた魔法が記されているページで止まった。
——蘇りの魔法。
“死んだ人間を生き返らせるための魔法。しかし、蘇生させることができるのは死んでから1週間以内の死体に限る。”
「……父上、約束は守ります」
ジェイはそう呟いて軽く目を伏せると、懐から紙を1枚取り出し、禁術の書と見比べながら光文字で紙に何かを書き込み始めたのだった。
クラニオは執務室の扉の前に立つと、中にいる人物に聞こえるようにコンコン、と扉を叩いた。すると、扉の向こうから「どうぞ」という女の声が返ってきたので、クラニオは扉を開けて中に入った。
「母さん、話があるってジェイから聞いた」
「……座りなさい」
黒のデスクに肘をつき、赤い椅子に腰掛けていたオフィーリアは、目の前にある1人掛けソファーを顎で指しながら言った。デスクの前には同じ1人掛けのソファーアームチェアが2脚ずつ、ローテーブルを挟んで向かい合わせに並べられている。クラニオはそのうちの1脚に腰掛けると、表情の一切変わらないオフィーリアの顔を見つめた。
この無表情は、彼女を知らない他人が見ると怯えるほど怖いのだろうが、クラニオはこの顔を20年見てきているので、今更恐ろしいとは思わなかった。
オフィーリアはクラニオを見下ろすと、重々しく口を開く。
「……何故呼ばれたか、分かる?」
「…セレナのことか?確かに陛下には見逃してもらえたが、下手をすれば彼女が危険な目に遭うところだった。相応の罰は受けるつもりだ」
「……そのことはもちろん反省すべきだけど、兄上がお咎めなしと決めたのなら、私もあなたを罰するようなことはないわ」
「……?なら何の話だよ?」
クラニオは思いもよらぬ母の言葉に、困惑の表情を見せた。てっきり先日のセレナの件について責められると思っていた。その覚悟でここに来ていた。それが違うというのなら、わざわざ呼び出した理由は何か?
クラニオが首を傾げると、オフィーリアはわざとらしくため息をついてから、デスクの引き出しを開け、ある1枚の写真を取り出す。
それをクラニオに見せるように掲げると、クラニオはビクッと肩を軽く震わせた。
「……見せたわね?これを」
「……何のことだ?」
「隠しても無駄よ、視えてるわ。ここにいる人物について、セレナと共に調べようとしていることも」
「……」
クラニオは写真の中の1人の男を睨みつけた。
腰までかかる長い黒髪。黒の騎士服、顔の右半分を覆い隠すような黒の眼帯。左目は、瞼から頬にかけて剣で切りつけられたような傷跡が1筋刻まれている。そしてその瞳の色は、赤。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せて立つ、40代ほどの長身の男性。一見純粋の魔族のように見えるその男に寄り添うようして、何故かオフィーリアの姿があった。
今と違って穏やかな笑みを浮かべているオフィーリアの顔は、どこか幸せそうだ。クラニオは生まれてから20年の間、母のこのような顔を1度も見たことがなかったのだ。
母を笑顔にする、この男は一体母の何なのか。それももちろん気になったが、それよりももっと気になることがあった。
その男の容姿は、クラニオによく似ていたのだ。
クラニオの父はジェイだと、周囲の人間からずっとそう思い込まれていた。鼻の形が似ているだとか、雰囲気が似ているだとか、様々なことを言われていたが、あくまでもそれは「そう言われてみれば似ている」程度のものだった。
だが、写真の男と、クラニオは本当によく似ている。まるで鏡を見るかのようだった。赤の他人はもちろん、たとえ遠縁だとしてもここまで似るはずはない。
この写真を見れば、誰もがこう思うだろう。クラニオの本当の父親は、この男だと。
クラニオは母の態度に、怒りを抑えるような声で返した。
「…なんだよ。調べられて困るようなことでもあるのか?」
「……」
「その男、“半端者の王”だろう?隣は母さんだよな」
半端者の王。
純粋の魔族のように見えたその男だが、その隣でまるで妻か恋人のように寄り添うオフィーリアを見て、クラニオはその男は半端者の王だと確信した。
セレナの前で思わずその“名前”を呼びかけてしまったが、クラニオは歴史史上最悪とされるその王の名前を知っていた。いや、クラニオだけではない。多くの者がその人物の名前を知っている。もちろん、セレナも。
だが、誰もその名前を口にしようとはしない。それに、名前は残されているものの、その男の写真も肖像画も残されていない。何故ならばそれは、テオスの街に混乱を巻き起こした、大悪党の名前だからだ。
クラニオは写真の男から目を逸らすと、代わりにオフィーリアを睨みつける。
「……母さん。俺の父親は、本当にジェイなのか?」
確かめるように問いを投げる。
クラニオはこれまで1度も、オフィーリアに対して父親についての話をしたことがなかったが、それはオフィーリアも同じだった。
ジェイがクラニオの父だという噂を聞いた時も、オフィーリアは否定もせず、肯定もせず、何も言わずにただ黙っていたのだ。
だが、あえてこの問いを投げる。
もし本当に写真の男が父親ならば、自分は大悪党の息子だということになるのだ。それは街を守る騎士としては一大事だった。
誰かに知られれば、間違いなく偏見の目で見られる。
悪党の息子は同じく悪党だと、レッテルを貼られる。そうなればもう騎士の仕事は続けられないだろう。そうなると、セレナを守ることもできなくなるのだ。
…あの、情のない冷たい王室の中で、自分と彼女の乳母であるカレンだけがセレナの唯一の味方だった。そのカレンも、もうじき引退することになる。カレンもいなくなって、クラニオもセレナを守る立場から離れてしまったら、セレナの味方があの中で誰もいなくなってしまうのだ。
それだけは、避けたかった。
クラニオが母の返答を待っていると、オフィーリアは少ししてから静かに答えた。
「…それを知って、どうなるというの?」
「……は?」
クラニオは素っ頓狂な声を上げた。が、オフィーリアは構わず続ける。
「たとえ何が真実で、何が偽りだとしても、そんなことは関係ない。死人に口無し。この世に生きる者たちが語った言葉が真実となり、歴史となって残される。そこに裏があることなど誰も考えない。……この世から弾き出されたくないのならば、口の聞けない人間に執着するのはやめなさい」
まるでクラニオの心を見透かしているかのようなオフィーリアの言葉。クラニオは一瞬反論する言葉を見失ったが、ふと思い出したようにはっと我に返ってから、口を開いた。
「そっちこそどうなんだ。王城の裏山にある、あの墓。定期的に手入れしてるだろ。母さんこそ、口なし人間に執着しているんじゃないのか?」
「……」
オフィーリアはふと目を伏せた。
王城の裏山には、秘密の場所がある。
人はなかなか入れないような場所。普段は魔法で隠されているが、縁のある者が近づくと、そこへ向かう道がひとりでに開かれる。
そして、とある場所へ行き着くのだ。
開かれた草原にポツン、と寂しく建つたったひとつのお墓。そこには、本当は正式な墓地に埋葬したかったが、できないほどの大罪を犯してしまったために人から離れたその地に眠るしかなかった男がいる。
ふと、オフィーリアの脳裏に20年前の光景が蘇った。
その墓の前で、オフィーリアは一生分泣いた。
泣いて泣いて、枯れるまで泣いて、そして誓った。もう泣かないと。誰にも感情は見せない、男が守ろうとしていたものを、男が欲していたものを、男の代わりに守り続けようと。
そして、その日から彼女は。
“氷の王女”となったのだった……。
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