第5章 戦う理由②

 と、その時。扉をノックする音が聞こえて、セレナはハッと我に返った。


「…誰?」

「俺だ。入っていいか?」

 セレナの問いかけに返ってきた声は、クラニオのものだった。


 セレナは、妙に緊張した。


 騒動の日以来、セレナはクラニオと顔を合わせることがなかった。というより、気まずくて合わせる顔がなかったのだ。

 情が極端に薄い王室だが、唯一カレンとクラニオの2人だけが、セレナにとっては家族同然だった。そんなクラニオの言葉を無視して、セレナは城下に下りた。父から受ける罰は何も怖くないと思っていたセレナだったが、クラニオに何を言われるかはずっと気にしていた。


 ちなみにカレンは、泣きながらセレナを抱きしめ、「ご無事で何よりでございます」と言うだけで、特に怒るようなことはなかった。

 セレナは緊張したが、せっかく来た彼を追い出す理由はない。


「…どうぞ」

 セレナがそう答えると、クラニオは扉を開けて中に入った。その顔は、怒ってもいなければ、笑ってもいない。母親とそっくりの無表情だった。

 クラニオはそのままセレナの近くへ歩み寄ると、彼女が座るソファーから少し離れた1人掛けのソファーに腰掛ける。そしてそのまま少しの間何も言わなかった。


 その表情には悲しみも怒りもないが、セレナは知っている。クラニオが何も言わず無表情の時は、言葉にできないほどの怒りを感じている時だと。

 ……せめて、怒っているのなら目を吊り上げるなり眉間を寄せるなりしてほしい。クラニオやその母オフィーリアの無表情は、襲い来る魔獣やクラトス王の激昂よりよっぽど恐ろしい。


「…あの、従兄にい様」

「……俺をまだ“従兄にい様”と呼んでくれるなら、何故俺の話を無視した」

 悲しみを含んだクラニオの声に、セレナの心が一瞬ちくん、と痛みを覚えた。


 申し訳なさそうに俯くと、小さな声で「ごめんなさい」とだけ呟く。国王としてたった一言、「立場をわきまえよ」と言っただけのクラニオの言葉や、間接的に兄をけなすためだけに「王族の自覚がない」と言ったオフィーリアの言葉とは違う、心からセレナを心配するが故に出た叱責の言葉。

 クラトスのそれよりもずっと温かく、オフィーリアのそれよりもずっと優しい。こんな人の言葉を無視してしまったのだと考えると、後悔などしないと思っていたセレナの心にようやく罪悪感が芽生えたのだった。


 俯くセレナに、クラニオは言葉を続ける。

「お前だけの問題じゃない。お前は王女なんだ。お前に何かあれば、お前を守る立場の人間も罰を受ける。それは時に、罪に見合わないほどの重い罰であることもあるんだ。俺にとってはそんな罰どうってことないが、お前は違うだろ。自分とは関係ないと思っていた人たちが自分よりも思い罰を受けているという事実を、あぁそうかと思うだけで済ませられるようなやつじゃないだろ、お前は」

「……うん、ごめんなさい」

 謝罪の言葉を述べるセレナの頭を、クラニオは優しくポン、と撫でる。


 確かに、クラニオの言う通りだ。


 自分だけが罰を受ければいいと思っていたセレナにとって、自分を守ることを仕事にしている人たちは“無関係の他人”だ。そんな人たちを巻き込んでまで、セレナは自分の我儘を貫き通したくはない。

 セレナは今、ニコラオスやオフィーリアが言った“王女としての自覚”の意味を、ようやく理解した。自分の行動1つが、周りの人間に影響を及ぼすのだ。


 落ち込むセレナの顔を見下ろしながら、クラニオは呆れるようにため息を溢す。

 セレナがクラニオを兄のように思っているように、クラニオもセレナのことを妹のように思っていた。そんな彼女が周りの思惑で婚約者となったことに戸惑った時期もあったが、セレナが今までと変わらずクラニオを“従兄にい様”と呼ぶので、クラニオもこれまでと変わらず彼女と接してきたのだ。そのため、今回の件で周りから「婚約者のくせに王女を守らなかったとは」と陰口を叩かれても、クラニオはそれら全てを無視したのだ。


 何故なら、セレナが彼を“従兄にい様”と呼ぶ限り、自分はいつまでも彼女の兄で、彼女は自分の妹でしかないからだ。


 そんな彼女がクラニオの言葉を無視して、危険な城下に下りた。そのことに少なからず衝撃を受けたクラニオだったが、同時に、気になっていることがあった。


 クラニオは彼女の頭を撫でていた手を下ろすと、口を開いて尋ねた。

「セレナ、何を調べているんだ?」

「……え」

「今まで1人で黙って城を抜け出すようなことなんてなかったのに、今回、あんな緊急時にも関わらず抜け出した。何か、理由があったんじゃないのか?」

「……何で分かるの?」

「当然だろ。何年一緒にいると思ってる」

 そう言うと、クラニオは優しく微笑んだ。その笑みは、セレナを優しく包み込むような温かさがあり、思わず全てを委ねたくなるような安心感があった。


 セレナは、考えた。

 セレナが調べている20年前のことは、クラニオにも多少は関係のあることだ。これまでは、クラニオは多忙なので頼れないと思い、1人で調べてきたが、こうして面と向かって尋ねてきてくれるのならば、頼ってもいいのではないか。

 もちろん、ニコラオスのことまでは話せないが。


「実は、20年前のことを調べているの」

「——っ!?」

 セレナの回答に、クラニオは目を見開き、息を呑んだ。


 …20年前?


 クラニオの脳裏に、1人の男の顔が浮かぶ。

 “真実”を知りたくて母親の部屋や執務室に忍び込んで調べていた際に、たまたまデスクの引き出しから出てきた写真に写っていた男。


 その男の容姿を見た途端、クラニオの中に根拠のない確信が生まれたのだ。セレナはクラニオの様子に気づくことなく言葉を続ける。

「色々調べていたら、あちこちに矛盾点があることに気づいて。それで、叔母様のお屋敷に何か当時の書類とか記録とかが残っていないかな、って思ったの。でも素直に聞き出したところで叔母様は見せてはくれないだろうから、混乱に乗じて忍び込もう、って……」

 嘘は言っていない。ニコラオスのことは隠しているが、セレナがあわよくばトレゾール邸に忍び込もうとしていたことは事実だ。


 クラニオは疑わしそうな目でじっと見つめてきたが、セレナはそれをまっすぐに見つめ返した。クラニオもオフィーリアのように透視魔法を得意魔法のひとつとしているため、もし心を視られればニコラオスのこともバレてしまうだろう。第2覚醒をしていないセレナに、それを防ぐ術はない。


 セレナは見破られることを覚悟した。が、クラニオが次に口にしたのは、セレナの予想とは違う言葉だった。

「……カ、半端者の王のことか?それなら、俺も少し調べてた」

「え、そうなの?」

「あぁ、俺の父親が誰なのか知りたくてな。周りはジェイ隊長が父親だと思っているみたいだけど、俺にはそうは思えないんだよ」

 クラニオの頭に、これまでのジェイの様子を思い起こしながら、事情を説明し始める。


 マギーア部隊の隊長としてのジェイは、みなをまとめる強いリーダーなのだが、普段のジェイは、オフィーリアに対してもクラニオに対しても忠実な従者でしかなく、クラニオはジェイが自分に対して“父”のような顔や態度を取るのを見たことがなかったのだった。

 幼少の頃、クラニオはジェイに対し、自分の父親は誰か、と尋ねたことがあった。その時ジェイは、まるで何かを懐かしむような顔をしてから、悲しげな声で答えたのだ。


 ——のであれば、自分が貴方様の父となりましょう。


 当時はこの言葉を、「本当はジェイが父親なのに、何らかの理由があってそうは名乗れないのだ」という意味だと思っていた。だが、成長するにつれて、その言葉はジェイが本当の父親ならば決して口にすることはないものだと理解した。そしてオフィーリアの部屋にあった写真を見つけた。顔を見ただけではそれが誰なのかは分からなかったが、その男の隣に立っていた“人物”で、その男が、恐らく半端者の王なのだろうと判断した。


 そう判断した時、クラニオの中に1つの最悪な結論が生まれたのだ。

「写真のことを母さんに言っても、きっと否定されるかはぐらかされるだけだろう。だが、疑わざるを得ないんだ。俺の父親が……」


 ——……半端者の王なのではないか。


 クラニオはその言葉を飲み込んだが、彼の痛みを堪えるような顔から、セレナは彼の言葉を察した。

 セレナも、その可能性はずっと考えていた。当時のオフィーリアと半端者の王の関係を考えれば、クラニオの父は彼女の従者であるジェイではなく、彼女の夫であった半端者の王だと考えるのが自然だ。

 だが、誰もがその可能性に目を瞑り、クラニオの父親はジェイである可能性が高いと信じて疑わない。まるで、何者かによってそう思い込まされているかのように……。


 クラニオは首を横に振り、痛みの表情を払拭する。

「…だが、屋敷内のどこを探しても、当時のことが分かるような書類や記録はなかった。あるのは基礎魔法の本や、魔獣の生態についての資料、それと、“禁術の書”の写しとか他にも貴重な魔法書ばかりだった。まぁ、母さんのことだから、記録とか書類のような機密文書は隠している、ってだけなのかもしれないけどな」

 そう言ってから、クラニオは苦笑する。


 セレナはつられて苦笑しかけたが、その時、クラニオが何気なく言ったその言葉にハッと我に返り、目を軽く見開いた。


 ……禁術の書の写し。


 それがトレゾール邸にあったと、クラニオは言ったのだ。

 “写し”ということはどこかに原本があるということなのだろうが、それでもやはりセレナが思っていた通り、禁術の書はオフィーリアの元にあったらしい。


 ニコラオスがロワ宮の書庫に侵入してまで手に入れたがっている魔法書。すぐにでもその内容について問いただしたかったセレナだったが、本来覚醒前のセレナ魔法書に触れることすらできない。それなのにセレナが禁術の書の名前を知っていたら、流石に怪しまれるだろう。

 セレナは必死に冷静を保ちながら、まるで今初めてその言葉を知ったかのような態度を装って口を開いた。


「……禁術の書、って?」

「ん?あぁ、そうか。お前は知らないか。“禁術の書”っていうのは、まぁ、文字通り禁術と定められている魔法の呪文や魔法陣なんかが記されている魔法書のことだよ」

「…そういえば、叔母様もよく言っているよね。私たち魔力持ちには、たとえできたとしてもしてはいけないことがあるって……」

 セレナの言葉に、クラニオは大きく頷いた。


 オフィーリアが、魔力教室の冒頭で必ず子ども達に言い聞かせる言葉。


 ——何でもできるからこそ、してはいけないこともある。


 セレナのこの言葉を、魔法に頼りすぎではいけない、という意味だと考えていた。魔力は己自身、魔法は鏡。魔法を扱いすぎると、いずれ鏡が耐えられずに砕け散ってしまう。だから魔法に頼りすぎるのはよくない、ということだと思っていたのだが、どうやら“禁術”のことを差していたらしい。


 クラニオは言葉を続けた。

「禁忌とされている魔法は全部で6つあるらしいんだけど、全て知ることが許されるのは賢者と大賢者だけだ。禁術の書も、普通の魔力持ちは読むことすら許されていない。俺たちが教わる禁術は、時回りの魔法とか、死の魔法、あとは蘇りの魔法…だったかな。あとの3つは名前すら知らない」

 セレナは思わずゾッとした。


 名前だけでも分かる。その魔法が禁忌とされている理由が。


 “時回りの魔法”。加速や停止などの簡単な時間操作の魔法があることはセレナも知っているが、これは恐らくそれをさらに強化して過去や未来に行くことができる魔法のことだ。過去や未来に行くことは、人の人生や、下手をすれば国の歴史を大きく変えることになる行為だ。

 本来生まれてくるはずだった人間が歴史から消えてしまったり、起こるはずのなかった争いが起きて国が滅んでしまうかもしれない。そんな恐ろしい魔法、禁忌と呼ばれるのも当然だろう。


 “死の魔法”。これは言うまでもない。覚醒前のセレナでさえ知っている、人としてしてはいけない行為だ。

 戦争時はその是非が曖昧になってしまうが、誰もが知っている。「人を殺してはいけない」と。本来人間は、同じ人間を殺してはいけないものだ。ましてや“死の魔法”など、名前を聞くだけでも相手の命を奪う行為だと分かっている魔法は、禁術として永遠にその使用を禁じられるべきだろう。


 そして、“蘇りの魔法”。

 恐らく、死んだ人間を蘇らせる、といった類の魔法だ。

 この魔法に関しては、禁ずるべき、というよりも本来ならば“できないこと”だ。死んだ人間が生き返るなんて、本来は神でさえもできない芸当だ。それを魔法で実現させようなど、愚かで許しがたい行為だ。たとえ実現できたとしても、相応の対価を払う必要があるだろう。そして、すでに死んだ命を救うために支払うべき対価は、同じく命。誰かを蘇らせるために、誰かの命を犠牲にしなければならないのだろうと、容易に想像ができる。


 残る3つの魔法も、どんなものかは分からないが、賢者ではない魔力持ちには伝えられないほどに恐ろしく、おぞましいものに違いない。


 セレナは背筋が冷たくなるのを感じた。

 そんな魔法を手に入れて、ニコラオスは……いや、ディアヴォロスの者たちは、一体何をしようとしているのだろうか。


 そんなセレナの考えを遮るように、クラニオは「あぁ」と何か思い出したように声を上げてから言葉を続けた。

「そんなことより、20年前のことだったな。お前の謹慎も明日で解けるし、俺も独自に調べてみるから、何か分かったらお互いに共有し合って一緒に考えよう。だからもう1人で危険な真似をするなよ。分かったな、セレナ?」

「………うん、分かった」

 セレナはそう答えながら、心の中で謝罪をした。


 クラニオを悲しませることだとは分かっている。自分の行動が、周りの人間を巻き込むことにつながるのだと言うことも理解した。だが、クラニオがセレナと同じ真実を追っていたことを知った今、セレナは改めて、どんな手を使ってでも突き止めなければと誓ったのだ。


 ——それを知って、どうするつもりだ?


 ニコラオスの言葉が、セレナの頭を滑っていく。

 ……どうするのかは分からない。この真実の先に、どんな結末が待っているのかは分からない。だが今に限って言えば、「同じ目的を持つ者が傍にいるから」。理由はそれだけで十分だった。




 その日の夜。

 セレナはベッドに横になり、目を伏せてほとんど眠りかけていた。薄暗い部屋にはセレナの寝息と、壁がけ時計の針の音だけが響いているが、あとは静寂に包まれていた。窓の外は、先日の騒動があってこれまで以上に街灯の灯りが煌々として明るくなっている。


 そんな静寂を破るように、何かが窓を叩く音がした。浅い眠りの中にいたセレナは、眠気で重い瞼を上げる。窓を叩く音は、まだ続いていた。

 風の音とは違う、何か鋭い物で叩いているようなコツコツ、という高い音だ。

 セレナはベッドから身体を起こすと、音のする方を振り返った。カーテンが閉め切られていて外の景色は見えないが、セレナは覚えのある魔力の気配が、窓の外にあると気づいていた。


 ………か?


 ベッドから降りると、窓の前まで歩み寄り、わずかにカーテンを開ける。そこにいたのはセレナが思っていたような人物ではなく、赤い瞳に黒い毛並みをした小鳥だった。


 ……いや、正確には小鳥ではなく、小鳥のような姿をした魔法器具だ。その小さな足に、棒状に丸められた小さな紙を持って、その小さな翼をバタバタと羽ばたかせて滞空している。その魔法器具は、覚醒していないセレナも知っている物だった。

 マギーア部隊の騎士たちが、緊急の連絡や報告をする際に使用されるもので、“メサジュ”という。それをクラニオがよく使っている場面を、セレナは何度か見たことがあったのだ。


 窓をわずかに開けると、その隙間からメサジュが部屋の中に飛び込み、ベッド脇の机の上に降り立つ。そして、足で掴んでいた紙をそこに置くと、用済みとばかりに同じ窓から外へ出ていった。セレナは窓とカーテンを閉め、机の上に置かれた紙を手に取る。

 開けてみると、少し乱雑な文字で1文だけ書かれていた。


『城下、大門壁の端の廃校』


 セレナは首を傾げた。メサジュから流れていた魔力は、間違いなくニコラオスのものだ。ならばこの手紙は、恐らく先日話したことに関連する内容なのだと分かる。確かに、準備が出来次第連絡するとは言われていたが、これがその連絡ということか。


「……ここに来いってこと?分かりにくすぎでしょ」

 セレナはそうぼやくと、メサジュが持ってきた紙を畳んで机の引き出しに入れる。

 大門壁の端の廃校。そう言われて思い浮かぶ場所は、ひとつだけだ。


 昔、1代のみで絶えてしまった男爵家が管理していたが、男爵家が廃屋となった同年に廃校になってしまった、一般人と魔力持ち向けの合同学校だ。その近くに同じく男爵家が管理していた民家がある。男爵家の屋敷は無人だが、その民家にはいまだに人が住んでいて、管理していた男爵家が絶えたせいで無法地帯となっていた。

 王室から遠く離れたその民家は、王室も管理することができずにいる。絶えてしまった男爵家についても、王室はその存在は知っていているが、貴族や平民たちはその名前すら知らない。屋敷が今も残っていることすら知らない場所だ。確かに、隠れ家にはちょうどいいだろう。だがセレナがそこに向かうことは、野獣たちの巣窟に無防備で足を踏み入れるようなものだ。きっとまた、クラニオに怒られる。


 ……だけど……。


 これは、ニコラオスやディアヴォロスたちが何をしようとしているのかを知る、絶好の機会だ。それに、魔力についても知ることができる。

「…ごめんね、クラニオ従兄にい様」


 従兄にい様の意見を蔑ろにしているわけではない、従兄にい様を無視しているわけでもない。と、心の中で言い訳をしながら、セレナは意志を固めたのだった。

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