第6章 魔力訓練と無人の墓③

 そうニコラオスに打ち明けると、彼は諦めているかのようにため息を吐き、言葉を続けた。

「難しいと思うぞ。クラトス王が憎んでいるのはディアヴォロスの奴全員というよりは、半端者の王ひとりだ。半端者の王は、24年前の王と王妃の事故死に関わってるらしいからな」

「えっ、そうなの!?」

 驚きのあまりそう声を上げるセレナに、ニコラオスは頷く。


「記録には残っていないけど、ディアヴォロスの間ではそう言われてる。ポリュデウケス王の時代は魔族や魔族寄りへの待遇が最も酷かったからな。半端者の王は、そんな王を殺して魔族を救った王だって話しだ」

「…そう、なんだ」

「とはいえ、ディアヴォロスでも意見が割れてるんだ。半端者の王は俺たち魔族の“希望の星”だとか、その逆に、魔族に近いくせに神族の国の王になった裏切り者だとか」

 セレナはその話を聞いてから、再びミロワールに視線を落とす。


 その中で揺らめく青い炎は、見方を変えれば青白い星の光のようだ。“魔族の希望の星”、“神族の王となった魔族の裏切り者”、“弟殺しの大罪人”、そして、“街を混乱させた魔王”。

 死して尚、半端者の王は人々の記憶に刻まれている。そしてその大半は悪評ばかりだ。


 半端者の王は、どうしてそこまでして王になったのか。何故自身の姪であるオフィーリアを妻にしたのか。そして、何故そこまでしたのに最後に自害を選んだのか。


 知りたい。父に対する抵抗のためではなく、ただ単純に、半端者の王が“その先”に望んでいたことを。

 そこまでして手に入れたかったものが、何なのかを。


 セレナは少し考えたのち、ニコラオスに尋ねた。

「ねぇ、ニコラの望みって、何?」

「俺の……?」

 尋ねられたニコラオスは、天井を見上げて考えるようにうーん、と唸った。

 ニコラオスの世界では、母親の存在が全てだった。母の悲しみを払い、母の望みを叶えることが、今の自分の望みだ。だが……。


「……本当の意味での“ただひとつの願い”っていうのは、まだ分かっていないのかもしれない。俺はディアヴォロスで生まれた半端者じゃないから、幼少の頃はよくよそ者扱いされてた。まぁ、今でも言ってくる奴はいるけど。俺は、そんな連中に自分のことを認めさせたかったんだ」

「……認めさせたい」

 そう呟いてから、セレナは彼の境遇に激しく共感した。

 それは、幼い頃のセレナにも共通する感覚だ。王の唯一の後継者として生を受け、女王になる以外に自分に生きる価値はないのだと思ってきた。

 実際周りは、セレナを後継者としか見ないし、父も、「お前は私の後を継いで女王になるのだ」と何度も言い聞かせてきていた。


 女王になれば、皆が自分を見てくれるのか?

 後継者として懸命に学べば、父も母も、自分を認めてくれるのだろうか?

 懸命に勉強をして、知識と教養を身につけて。そうすれば何かが変わると思っていた。

 だが、現実は違った。

 周りが自分を“自分”として見てくれることはないし、母もこちらに関心を向けてくれることはない。そして父は……。


 そう考えるようになってから、セレナは努力することをやめてしまった。何をしても無駄だと、何も変わらないと思ったから。


 思い出して気持ちが沈みかけていたセレナだったが、ニコラオスの「けど」という声にハッと我に返った。

 ニコラオスは言葉を続ける。

「そんな時、母さんが言ったんだ。“お前はお前のままでありなさい。それがお前の力になるのだから”」

「——っ」

「そう言われた時、俺はもう他人なんかどうでもいいと思った。俺を俺として見れくれる母さんのために力を尽くしたいと思った時、俺の魔力は覚醒した。…それが俺の“ただひとつの願い”なのかは分からないが、少なくとも俺の願いに最も近い望みなんだろう」


 自分を自分として見てくれる存在。それは、セレナの周りには今までほとんどいなかった人間だ。あまりに周りが自分のことを王女としてしか見ないため、もうすぐ自分の元から離れるカレンや、多忙でなかなか会えないクラニオのことまで疑ってしまうほどに。

 認めさせたい、認められたい。

 その願いのさらに先にある思い、それは……。


 ……………たい。


 セレナはすくっと立ち上がると、水晶玉を両手で軽く包むようにして持った。

 その中の青い炎を、己の魔力の色として最近ようやく定着したエメラルドグリーンへと変える。


 自分の心が安らぐ色として、セレナはここ数日カレンをよく観察した。それで気がついた。カレンの瞳の緑は、魔法を使っている時に淡い光を放つ。その光と瞳の色が混ざって、宝石のようなエメラルドグリーンへと変わるのだ。

 これまでは、魔法を使う時のカレンをあまりよく見ていなかったのだと、セレナは今気がついた。それは恐らくニコラオスの言う通り、彼女への嫉妬によるものだったのだろう。


 自分にとって母であり、祖母であり、同じ遅咲きの魔力持ち。尊敬と親愛と、少しの嫉妬が合わさり、セレナの魔力の色は定着したのだ。

 そうして炎の色を変えると、セレナは目を伏せてさらに深いところを探る。

 己の望み、目的、この力を一体何のために使いたいのか。

 すると、セレナの頭の中で“あの声”が再び響き渡った。


 ——望みは、何?


 その声に応えるように、セレナは心の中で呟いた。

 ……父の秘密を、知りたい。

 するとさらに、“声”が問いかける。


 ——それを知って、どうするの?


 それは、ニコラオスにも問われた言葉。ニコラオスに問われた時から、セレナが何度も考えてきた言葉だ。

 セレナはそれに応じて答える。

 ……父に、私を見てほしい。


 ——何故見てほしいの?


 ……私は。

 セレナの脳裏に、幼少の頃の記憶が過ぎる。


 セレナは5歳の頃、カレンと共に裏山に散歩に来て、そのままカレンとはぐれてしまったことがあった。

 幼い頃の記憶なのでセレナはあまり覚えていないが、突然道が歪んだと思ったら、いつの間にかカレンの姿が見えなくなっていたのだ。

 山の夜は、生まれた頃から明かりの絶えない夜しか知らない少女には、死と同等の恐怖だった。

 辺り一面真っ暗闇。フクロウの鳴き声や、獣が草木を駆ける音すら恐ろしくて、セレナは涙を流していた。


 ……怖い、怖いよ。

 誰か、助けて。


 恐怖のあまり声は出なかったが、セレナはそう心の中で叫び続けていた。

 しかし、当然のように返答はない。

 諦めかけたその時、セレナはひとりの男に抱きしめられたのだ。暗くて見ただけでは、それが誰か分からなかったが、その後に聞こえてきた声で、セレナはその男の正体にすぐ気がついた。


「セレナ!!」

 低い、大人の男の声。大きな体。山道を必死で走ってきたのか、息は切れ、上質な布の衣装はところどころ傷ついていた。

「…父、上……?」

「無事だな、怪我はないか?痛みは」

「あり、ません……」

「そうか」

 そう答えると、クラトスは安堵したようにはぁ、と大きな息を吐いた。


 はじめの焦燥した様子で名前を呼んでいた姿とは打って変わって、冷静に怪我の有無を尋ねてくるクラトス。

 セレナは、一瞬父が別の人間と入れ替わったのかと思う程に驚いた。だが、そのあとはセレナから体を離し、いつものように冷たい目でセレナを見ながら叱責してきたので、その驚愕は一気に消えたのだった。

 ……当時は深く考えもしなかったが、ひょっとすると父は、あの時この世の終わりかと思う程に恐怖し、自分を心配してくれたのではないか。


 そう考えた時、セレナの中でひとつの、小さいが絶対にして唯一の望みが生まれた気がしたのだ。

 セレナの望み、それは……。


 ………父に、愛されたい。


 そう答えると、セレナの手の中で水晶玉が強い光を放った。

 ニコラオスはそれをみて思わず立ち上がり、セレナは驚いたように目を見開く。光は数秒程教室内を照らし続けたかと思うと、スゥーッと消えて、元の青い炎に戻った。

 少し間を置いて、ニコラオスが声を上げる。

「おい、やったぞ!今のは覚醒の兆候だ」

「ほん、と……?」

「あぁ、こいつができるようになれば、数日後には覚醒が始まって、高熱が出る。それを乗り越えらるかどうかはお前次第だけど、とりあえず1歩手前までは来たってことだ。やったな!」

 歓喜の声を上げ、ニコラオスは子どものような満面の笑みを浮かべた。


 覚醒の兆候。

 これまで見込みのなかったセレナにとって、その言葉は全く現実味がなかった。だが、自分の目の前でまるで己自身のことのように喜んでいるニコラオスの様子を見て、セレナはようやく現実なのだと悟ったのだ。

 ついに自分は、覚醒に近づくことができたのだ。

 セレナの瞳で涙が光った。と同時に、満面を笑みを浮かべ、ニコラオスに勢いよく抱きつく。

「お、おい?」

 突然のセレナの行動に、ニコラオスは戸惑うようにそう尋ねた。行き場の分からない両手をセレナの後ろで泳がせながら、自分の胸に顔を埋めるセレナの頭を見下ろす。

 すると、「よかった……」という、涙に震えながらも歓喜に満ちたセレナのくぐもった声が返ってきた。と思うと、目に涙をたっぷりと溜めたままニコラオスを見上げる。

 今にも涙が溢れ落ちそうな涙。しかしその顔に浮かんでいるのは喜びの笑みだった。


「ありがとう、ニコラ」

 涙よりも先に、セレナの口から零れたのは心からの感謝。その心にあるのは、本当の願いを知ったことへの喜びと悲しみ。

 セレナは理解した。自分が長年求めてきたものは、魔力でも、権力でも、真実でもなかったのだ。ただ、何の障壁もなく、たとえ王女であろうとなかろうと、誰かから真っ直ぐに愛され、自分も相手を愛したいだけだったのだ。

 愛のない結婚のせいで、自分の娘に関心を持たない母には、それを求められない。クラニオから妹のように大切にされても、カレンから娘か孫のように大切にされても満たされないのは、本当に愛されたかった、認められたかった者たちに、愛されていないと絶望したからだ。


 ……あの夜。あの、暗い山の中で。

 初めて見た、父の必死な姿。

 あの時、本当は父は、愛情を持って自分を見てくれているのではないかと思った。その希望は、年月と共に消えていってしまったと思い込んでいた。クラトス王はどこまでも冷たい男で、愛情という言葉を知らないのかという程に無情な“表”の顔ばかり見せるから。


 だが、セレナの心の奥には、まだその希望が残っていて、魔力と共に覚醒される日を待っていたのだ。

 涙で瞳を濡らしながらも、その顔は幸せそうな笑みを浮かべている。それを見ていたニコラオスがつられて笑みを浮かべ、セレナの体を抱き返す。

 柔らかな笑みを浮かべ、ニコラオスは口を開いた。

「よくやったな、セレナ」

 そう言うと、ニコラオスはセレナの頭にポン、と手を置く。それは、クレニオがセレナによくする行動。だがセレナは、何故か心が痛いような、苦しいような感覚を覚えた。

 それは、あの混乱が起きた日、ニコラオスに抱きしめられた時と同じ感覚だった。

 胸が締め付けられるような苦しみと、それでも全力で離れたいとは思わえない謎の幸福感。


 その時、セレナの脳裏にある言葉が浮かんだ。それは、1週間の謹慎生活の中で、飽きるほど読んできた恋愛小説の中で、男女が抱き合っている情景を描いた描写。


 ——まるで彼と私の心がひとつになるようで、彼の熱がこちらにも伝わってくるようで、強い力で抱きしめられて苦しくて痛いはずなのに、何故か心地良くて、離してほしくないと、思ってしまった……。


 セレナの心に満ちた感情は、それとよく似ていた。

 ……まさか。私は彼を……。

 いや、そんなはずはない。そんなこと、あってはならない。

 だって私はテオスの王女で、彼はディアヴォロスの人で。

 ありえない。許されない。

 だって私は次の女王で、婚約者もいるのに。

 その時、ふと気が付いた。ニコラオスから名前を呼ばれたのは、今のが初めてだったということに。




 オフィーリアは王城の裏山を登っていた。

 昔は王室のものだったその山は、今はオフィーリアの所有物だ。20年前、ある者の墓を建てさせるために王から買い取ったのだ。

 その者は、本来先祖たちと共に王室の墓地に埋葬されるはずだった人間。“あの事件”が起きなければ、その者は先祖たちと安らかに眠っていたことだろう。


 山道はある程度整備されて、その道から外れない限り道に迷うことはない。だがこの山には、その墓に眠る者の“縁者”にしか入ることができない秘密の道があった。魔法で隠されているそれは、“縁者”が近寄ると墓へと向かう道を開くようになっている。

 数年前に、セレナがその道に入って迷子になってしまったことがあり、クラトス王の命令でオフィーリアはその道の魔法をかけ直した。“そこ”に墓があると知っている人物以外には、決して道を開かないように。


 オフィーリアがそこへ向かおうと歩いていると、木々がひとりでに動き、新たな道をオフィーリアの目の前に開く。その道の先に、眩い光と、広い草原が見えてきた。


 オフィーリアは迷わずその草原へ出る。無駄に広い草原の中央に、たったひとつだけ墓が建っている。

 石の十字架と、その下には石板。オフィーリアは墓の前に少し離れて立つと、石板に掘られた文字を見た。

 そこには、オフィーリアが考え刻んだ、墓の持ち主の名前とその人物を表す言葉が刻まれている。


 ——テオスで最も繊細で、勇敢な男。カストル・H・レヴィン


 それは、この国で最も忌むべき人物の名前として、人々から呼ばれなくなった半端者の王の名前だった。

 オフィーリアはここへ、月に1度は訪れて手入れをしてきた。しかし、今日訪れた理由はそれではない。確認をするためだ。自分の中で最近膨らみつつある、ひとつの仮説を。


 オフィーリア・バラクは、このテオスで起きたことはほとんど把握している。といっても、例えば力のある魔力持ちが全力で隠していることは、オフィーリアでも簡単には知ることができない。

 最近、彼女の従者であるジェイが、禁術の書の中の“蘇りの魔法”を、数日かけて書き写していた。

 禁術の書は無断で持ち出したり書き写してはいけないという絶対の掟がある。それを、三大賢者の従者として20年勤めてきたジェイが知らないはずがない。

 ジェイがその写しをどうするつもりなのか、それはジェイが隠してしまったために視ることができなかった。が、彼の性格を知っているオフィーリアには、彼が掟を破った理由に心当たりがあったのだ。


 ……あの男が私を欺くような真似をする理由には、間違いなく“あの人”が関係している。ジェイが動くのは私の命令を受けた時か、“あの人”のためになる時だけだから。


 オフィーリアは墓の前に手をかざした。

「…悪いけど、見せてもらうわよ」

 オフィーリアの言葉と同時に、彼女の瞳が金色の光を放つ。すると、墓石の前の地面が割れて、そこから白い棺桶が浮き上がってきた。

 それは、王族専用の棺桶だ。


 オフィーリアはそれにそっと触れたかと思うと、棺桶の蓋を勢いよく吹き飛ばす。飛ばされた棺桶の蓋は、鈍い音を立てて地面に叩きつけられ、真っ二つに割れた。それは劣化と衝撃によるものというより、オフィーリアの怒りに満ちた魔力によるものだった。

 オフィーリアは棺桶の中を覗き込む。


 そこには、白骨化した男の死体が……なかった。

 死体はおろか、彼女が男のために一緒に埋葬した剣や、その他の装飾品も無くなっている。その跡は古く、恐らくこの墓は、20年間空だったのだろうということが分かった。

「……私の、を………」

 オフィーリアの瞳が、淡い光を放ち、彼女の周りを赤い、魔力の風が竜巻のように吹き荒れた。

 その風の衝撃で、棺桶は大破し、墓石にはヒビが入る。

 オフィーリアはニヤリとドス黒い笑みを浮かべた。オフィーリアは、20年前に決めていたことがある。悲しい時や、激しい怒りを感じた時こそ、全力で笑おうと。そうして強い自分を作り出そうと。

 今のオフィーリアの心には、激しい怒りと、激しい悲しみが同時に溢れていた。

 オフィーリアは、己のこれまでを嘲笑う。


 ………実に、滑稽だ。私は20年間、無人の墓を守ってきたのか。


 オフィーリアは天を仰ぎ、狂ったように高笑いをした。

 消えることのない怒りと、情けないほどの悲しみと、己の無力さを呪う心。


 ——私から星を奪って、それで勝ったつもり?


「何も知らないのね。たとえ身体は奪えても、は私のよ」

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