第4章 闇からやってくるモノ②

 思わず口から零れてしまった言葉。クラニオは大きく頷いて同意した。


「あぁ。いくら“張り直し”の時期が近づいてきていたとはいえ、あの3人の結界が自然に破れるとは思えない。恐らく、誰かが意図的にやったんだろう」

「……意図的に?」


 クラニオの言葉に、セレナの心臓がドクン、と跳ね上がる。やましいことは何もしていないのに、まるで図星を突かれたかのような心の震え。

 セレナの反応を見て、彼女が恐怖を覚えているのだろうと思ったのか、クラニオは彼女を励ますように優しく言葉を続けた。


「心配するな。破れた結界は母さんが修復してある。だが、既に結界の中に入ってきている魔獣たちは始末しないといかない。俺は副隊長として、部隊の指揮を取らないといけないんだ。お前は“結界部屋”に隠れていろ。お前の乳母ももうそこに行っているはずだから、いいな」

 半ば早口でそう言うと、クラニオは俯くセレナを残し、手のひらを床に向けてかざして光の転移陣を出現させる。と思うと、閃光と共にクラニオの姿が消えた。


 クラニオが最後に言った“結界部屋”とは、王城にある7つの宮と2つの塔全ての地下室に存在している隠し部屋のことだ。部屋の中央に守護型魔法の文字が刻まれた魔石の柱が立っていて、魔力持ちがそこに魔力を込めることで、その部屋そのものが結界になる、というもの。


 街に危険が迫った際に、緊急避難場所として数年前にオフィーリアが発案したものだ。王族と貴族の屋敷の地下には必ずあり、そこに逃げ込めば結界魔法が効いている間中にいる人間は安全なのだ。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 セレナの頭は、逃げるよりももっと重要なことでいっぱいになっていた。


 ……意図的に。


 つまり、誰かが何らかの目的のために結界の一部を破壊し、魔獣たちの通り道を作って、どんな方法を使ったのかは分からないが飛行型の魔獣たちを街に放ったということだ。


 誰が、どうやって、何のために……。

 方法までは分からないが、それをしたのが誰なのか、この騒ぎが“何のため”なのかは予想がついた。


 …予想が、ついてしまった。


 何故なら今この街には、神族にとっては宿敵とも言える街から、ある目的のために“魔族寄り”が潜んでいることを、知っているから……。


「……ニコラオス、どうして……」

 恐らく今回の騒動には、ニコラオスも関係している。証拠はないが、そんな気がする。


 心の中では「彼じゃない」と思いながらも、直感と呼ぶべき場所でそう感じている。結界を壊し、魔獣たちを侵入させ、関係のない街の人々を危険に晒すなんて……。そんな酷いことを彼がするだなんて、考えたくない。けれど、彼が関わっていると仮定すると、その目的まで自然と予想ができてしまうのだ。


 それでも、否定したい気持ちが拭えない。

 昨日の彼の様子からは、そうは見えなかった。私と同じようにお人好しで、人を傷つけたことなんてなさそうだったのに……。


 人は見かけによらないということなのか、騙された私が馬鹿だったのだろうか。

 セレナの目頭から涙が滲む。悔しいのか、悲しいのか、腹立たしいのか分からない。それでも、1つだけ分かることがある。零れ落ちそうになる涙を手のひらで拭うと、セレナは心を決めたように顔を上げた。

 このままでは、駄目だ。耳に入ってくる情報だけを信じて従っていたら、これまでと同じだ。自分の目で確かめると、決めたのだ。真実を知りたいのならば、自分が動くしかない。


 セレナは頷くと、クローゼットから藍色のマントを引っ張り出して羽織り、フードを深く被った。

「…よし」

 気がつくと、クラニオと話している間に使用人たちの避難も済んだのか、扉の向こうは静かになっていた。音を立てないようにゆっくりと部屋の扉を開く。先ほどまでそこにいたのであろう廊下には誰もおらず、辺りには静けさだけが広がっている。


 何故使用人たちが、このプランセス宮の主人であるセレナに一切声をかけにこなかったのかは疑問だが、恐らくクラニオが連れてくるだろうから問題ないとでも思ったのだろう。


 抜け出すなら、今だ。

 セレナは部屋を飛び出し、地下へ向かう階段とは反対の方角。プランセス宮の裏口の方へ駆け出したのだった。




 中間門の外。平民たちが住まう城下の街。

 人々は上空を飛び回る魔獣たちに怯え、悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。


 ある者は馬を使い、ある者は赤子を抱きながら、またある者は年老いた母を背負って逃げていた。

 彼らが向かう先は、中間門近くにいくつか存在する教会だ。


 中間門の内側に住まう者たち、つまり王族や貴族の屋敷の地下には普通に存在している結界部屋だが、それらは設置だけでも莫大な資金が必要になるため、自分たちが生活するだけのお金を稼ぐのが精一杯の平民たちの家の地下には結界部屋がない。

 そのため、平民たちが万が一の災害や災いから逃れるための場所として、中間門の壁に沿って建ち並ぶ教会の地下には共同の結界部屋があるのだ。


 大門近くに住まう者たちが教会まで逃げるのは一苦労だ。自らの身を守らなければならない状況で、自分たちの住まいからは距離の離れた中間門まで走っていかなければならないのだから。本当ならば街のあちこちに共同の結界部屋を設けるべきなのだろうが、そもそも国民全員が魔力を持っているわけではないため、もし街の至るとこに避難場所を作ることができても、それを管理し、結界を発動させることのできる魔力持ちを雇わなければならない。国を揺るがすような非常事態など、そう頻繁に起こるわけではない。たった数度の危機のために人を雇うのは、国にとって不利益となるのだ。


 そのため、教会の地下に結界部屋を作り、教会の祭司たちには通常業務の他に、今回のような非常時で結界部屋を作動する役割も与えている。教会の人間は全員がそれなりに優秀な魔力持ちな上、教会は貴族平民関係なく全ての人間を受け入れる場所なので、避難場所には丁度いいのだ。


 自らの身を守るために、距離は遠くとも安全な教会に向かって走り続ける人の群れ。その中に、10歳近くの少年と、その少年の手を引いて走る母親らしき女性の姿があった。足の長さが圧倒的に違う少年は、母親に引きずられるようにしながら、それでも必死に走っている。母親の方は、どうやら右腕を怪我しているらしく血を流しながらも、左手は少年の手をしっかり掴んで離さないように努めていた。


 お互いの手をしっかり掴んでいた母子だったが、とうとう少年の方が道の真ん中で転倒してしまった。母親は慌てて踵を返す。すると、まるでその瞬間を狙っていたかのように、少年の頭上を暗い影が覆った。


 少年は振り返る。そこには、大口を開けて急降下してくる魔獣の姿があった。恐怖のあまり、少年は顔が一気に青冷める。しかし、声を上げることはできず、咄嗟に自分の頭を庇うようにして丸くなった。

 心の中で、声にならない思いを叫ぶ。



 ——誰か、助けて!!



 その時、大きな気配が魔獣の上に降りてきたかと思うと、それはそのまま片足で魔獣の頭を踏みつけた。その勢いは凄まじく、魔獣はその頭を地面にめり込ませ、そのまま動きを止めたのだ。


 文字通り大地を割るほどの大きな音と衝撃に、少年は思わず振り返る。そしてそこに広がった光景に目を丸くした。魔獣の頭を踏みつけたのは、大賢者オフィーリア・バラクだったのだ。

 いつもの白いドレスではなく、軽装備の女性騎士のような白いパンツと黒のジャケットを見に纏い、いつもの黒いマントを羽織っている。


 オフィーリアは呆然としている少年を見下ろすと、魔獣の頭から降り、少年の前まで近づいて膝を折った。

「……傷を見せなさい」

「…え……?」

「その傷では走れないだろう。見せなさい」

 オフィーリアはそう話しかけながら、少年の右膝を指差す。どうやら転倒した際に擦りむいたらしく、少年の膝には血が滲んでいた。


 少年が言われた通りオフィーリアに傷を見せると、オフィーリアはそこに軽く手を当てる。すると、オフィーリアの指先が赤い光を放ち、光が消えると同時に少年の傷も消えていた。光魔法と併用した、癒し系の治癒魔法だ。光魔法は相手の体力も回復させるため、少年の体からは疲労感も消えていた。


「ほら、これで走れるだろう?」

「…っ、ありがとう!」

 表情は無表情で冷たくも見えるが、優しい声で話しかけてくる彼女の様子に、少年は満面の笑みで感謝の言葉を述べた。


 そこへ、一連の出来事を見ているしかできなかった母親がハッと我に返り、少年の元へ駆けつけて強く抱きしめた。“氷の王女”としての彼女の噂を知っているらしい母親は、オフィーリアに対して怯えた様子で怯えながら、何度も「すみません」と謝りながら頭を下げる。

 だが、恐怖の表情を隠そうともしない母親に対しオフィーリアは気にした様子もなく口を開いた。

「そんなことをしている場合か。早く逃げなさい」


 そう言うと、母親の右腕の傷を指差し、少年にしたのと同じように赤い光を放ち、治癒魔法で母親の腕の傷を癒やす。

 それに気づいた母親は、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 叫ぶようにそう言うと、母親は少年の体を抱き抱えたまま走り出した。


 母子を見送ると、オフィーリアはフゥ、とため息を吐く。と、近くの建物に目をやり、飛行型魔力系の跳躍魔法で、建物の屋根の上まで飛び上がった。屋根の上から上空を眺め、残っている魔獣の数を確認する。


 ……10分前に確認した魔獣の数は50ほど。今はその半分以下の20くらいだ。いくらマギーアの騎士たちや、オフィーリアが総出で対処しているにしても、。それに、侵入してきた魔獣が飛行型の魔獣ばかり、というのも気になる。


 飛行型の魔獣は、魔獣の中でも最も最弱の魔獣だ。彼らはサメと同じで、活動を続けていなければ死ぬ。なので奴らを倒すのは簡単だ。魔法で動きを封じるか、オフィーリアが先ほどしたように地面に叩きつけてしまえばいい。

 そんな魔獣ばかりが、大群でこの街を襲いにくるなど、いくらなんでも不自然だった。結界の一部が破られた時点で、誰かがこの件に絡んでいるのだろうと思ってはいたが、恐らくこの魔獣たちも、その飛行型の魔獣だけを呼び寄せているのだろう。


 だがだとしても、こんな最弱の魔獣たちばかりを集めてどうするのか。街の破壊が目的ならば、魔獣の中でも最も力のある陸上型魔獣を呼び寄せた方が確実だ。

 まるで、オフィーリアやマギーアたちの処理の早さまで見越した上で、“上空だけ”に注意を向けさせたいかのような…。


「…そうか、これはね」

 つまり犯人の狙いは、街の破壊でもそこに住まう人々の殺戮でもない。オフィーリアを含めた街の警備たちの注意を上空の魔獣たちに向けさせ、その隙に地上で本来の目的を果たそうとしているのだろう。


 恐らく、昨日ロワ宮に忍び込んだ者と今回の騒動は関係がある。あの青年はロワ宮の書庫で何かを探していた。今回も“それ”を探すつもりでいるのなら、標的になるのはマギーアの訓練所か、トレゾール邸だ。

 マギーアの訓練所には、これまでテオスで起こった事件や事故などの記録や、その他にも貴重な魔法書がいくつかあるし、トレゾール邸にも貴重な魔法書や、“禁術の書”の写しもある。


 あれらに手を出されるのは、非常にまずい。

「ここはあの子たちに任せて、私はそっちに向かおうかしらね」

 とはいえ、いくらオフィーリアでも2つの場所を同時には見られない。オフィーリアが今いる場所から最も近いのはトレゾール邸だ。万が一に備えて傀儡人形たちを待機させてはいるが、相手は街の傀儡たちの目を避けて、結界を破ることができた曲者だ。人形たちだけでは心許ない。


「…ジェイ。ここはマギーアたちに任せて、訓練所に向かいなさい。何者かが侵入する恐れがあるわ」

 口の中で呟くように命令すると、オフィーリアの頭の中で「御意」と答えるジェイの声が響いた。透視魔法を応用した、テレパシーだ。何やらジェイの声がどこか苛立っているようにも聞こえたが、今はそんなことをいちいち気にしている余裕はないので触れないことにした。


 オフィーリアは踵を返すと、勢いをつけて飛び上がり、まるで獲物を見つけた鷹のような速度で建物の屋根ギリギリを飛行する。


 オフィーリアは、苛立っていた。

 それはジェイの苛立ちに触発されたことではなく、何者かが結界を破ったと知った時点で既に怒り心頭だった。

 今回の一件は、そもそも前回の“貼り直し”の際にもっと精度の良い結界を張れていれば防げたかもしれないのだ。


 張り直しとは、文字通り街を守っている結界を張り直すことだ。


 結界魔法には、大きく分けて2つの方法がある。1つは、自らの盾にして行う方法。水魔法と併用して行う場合も含まれるが、主に魔力を突風のように流すことで防いだり、鋼鉄のように固めて守る方法がこれに当てはまる。そしてもう1つは、守護型魔法の文字を刻んだ魔石に魔力を込めて行う方法だ。


 1つ目の方法は自らが決壊魔法を使用している間だけしか持続できないが、2つ目は一度魔石に魔力を込めてしまえば一定時間は結界を持続させることができる。街を守る結界は、この2つ目の方法を利用した大魔法結界だ。

 大門を支える柱は、全て巨大な魔石で作られていて、その全てに守護型魔法の文字が刻まれている。大魔法結界は、三大賢者がその魔石に魔力を込めることで発動させている、“目に見えない鉄壁”なのだ。


 ただし、魔石はあくまで魔力を貯めて使用するためのもので、魔石そのものに魔力があるわけではないので、魔石の中の魔力が少なくなると定期的に魔力を込め直さなければならない。これが“張り直し”だ。

 だが、問題がある。複数名で行う大魔法は、お互いの均衡を保つために放出する魔力の量をピッタリ合わせなければならない。1人でも放出する魔力の量が少なかったり多かったりすると、上手く魔力の均衡を保てず魔法は崩壊する。そして崩壊した魔法の代償は、激痛となってそのまま術者に返ってしまうのだ。


 オフィーリアは、三大賢者の中でも最も力の強い魔力持ちだ。当然だが、彼女が誰かと大魔法をするとなれば、彼女の方が相手に合わせて魔力放出量を下げることになる。魔石に込める魔力の量が多いほど結界の精度は上がるが、反対に魔力の量が少なければ、結界の精度も落ちてしまう。これまでは他の大賢者2人の魔力放出量もそれなりに多かったので問題なかったが、近年Silverシルバーlightライト……《灯火ともしび》の力が衰えてきている。そのため、オフィーリアも、もう1人の大賢者Silverシルバーflameフレイム火炎かえん》も、《灯火》に合わせて力を抑えざるを得なかったのだ。


 今回は、そんなところを狙われたためにこのような事態になった。オフィーリアはそう考えている。実際数年前ならば、いくら張り直しの時期が近づいていたとしてもここまで大事にはならなかっただろう。


 つまり犯人は、張り直しの儀式の頻度を知っていて、《灯火》が力を失いつつあることも知っている可能性がある。

 となると、やはり、“あの女”しか考えられない。


「……面倒なことになるわね」

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