第3章 裏切り者③

「報告を避けたのは、少し気になることがあったからです。相手の実態が掴めない以上、不確かな情報を流しても国民に要らぬ恐怖と不安を与えるだけ。それにもし報告すれば、あなたは私の意見など聞かずに街の警備を強化するように命じたでしょう。それでは相手も警戒して尻尾を見せません」


 淡々と話すオフィーリアの姿に腹が立ちつつも、クラトスは反論することができなかった。特に彼女が後半に言っていたことは、自分でもその通りだと納得してしまったからだ。


 ぐうの音も出ない様子のクラトスを見つめオフィーリアの心中には、彼に報告することを避けた別の理由があったのだが、それは黙っておくことにした。


 その理由は、彼にとって聞く意味のないことだ。


「……事情は分かった。それで、侵入者が何者なのかも分からないのか?」

「詳しくは分かりませんが、おそらく半端者……それもディアヴォロスの手の者かと」

「…ならば、中間門を越えた時点で気付くのではないのか?」

「もちろん、そのはずです。ですが、今回は感知できなかった。侵入者が宮内で魔力を使用したことによって気付くことができましたが、そうでなければ何かしらの被害が出ていたことでしょう」

 オフィーリアの返答に、クラトスは腕を組んで口元を摩りながら低く唸った。


 オフィーリアの傀儡人形は、オフィーリアの魂と連動している。それらが傷つけられれば、その痛みはそのままオフィーリアにも伝わり、またそれらが魔族の気配を感じれば、すぐにオフィーリアにも伝わるようになっている。

 たとえ相手が容姿を偽っていても、魔法で姿を隠していても、隠そうとする相手の思惑や魔法の痕跡まで探り、その正体を見破ってしまうのだ。


 だが今回に限り、宮内に入られるまでオフィーリアに気づかれなかった、ということは考えられる可能性は2つ。

「既に“登録”が済んでいる者か、貴様を欺けるほどの化け物、ということか」

 基本、王族と貴族以外は中間門を越えることができない。だが、王族と貴族相手に商売をする商人や仕立て屋などは、傀儡人形に自らの“血”を1滴だけ飲ませて登録することで、中間門を自由に越えることができる。それは半端者でも、ただの人間でも同じだ。


「ディアヴォロスにそれほどの実力者がいるとは聞いたことがない。となると、登録済みの半端者が裏切った、ということか」

「いいえ、傀儡たちが登録している半端者は“神族寄り”だけです。侵入者の気配は、魔族に近いもののそれでした。“魔族寄り”はそもそも、大門を抜けることすらできません」


 半端者には、魔族寄りと神族寄りの2種類存在する。

 主にそれは瞳の色で判断され、瞳が赤く髪の色が白かそれ以外の半端者は“魔族寄り”。逆に瞳の色が黄色で、髪の色が黒かそれ以外の半端者は“神族寄り”と呼ばれるのだ。

 魔族寄りは文字通り、半端者の中でも魔族に近い者なので、テオスに住むことも入ることもできず、本来はディアヴォロスに住んでいるはずなのだ。


 クラトスは怪訝な顔をして尋ねる。

「……まさか、後者だと?」

「私以上の力の持ち主など、探そうと思えばいくらでもいましょう。けれど、今回はそういうわけでもなさそうです」

「ではなんだ」

 尋ねられて、今度はオフィーリアの方が腕を組み、考えるような姿勢を取る。


 オフィーリアが透視して知った限りの情報では、侵入者は確かに、それなりに力のある魔力持ちではあるが、オフィーリアほどではない。歳はまだ若く、19か18歳ほどの青年で、経験も浅く人を傷つけたことすらない様子だった。

 そんな青年が、たった1人で中間門の厳しい警備を抜けて侵入できようはずもない。

「……おそらく、誰かが手助けしたのでしょう」


 傀儡人形の監視を避け、王城の中で最も警備が厳しいロワ宮の内部に魔族寄りの半端者を手引きできた者。そして、ディアヴォロスと繋がりのある者……。

 それに該当する人物を、オフィーリアは1人しか知らなかった。

 そしてそれは皮肉なことに、彼女がクラトスに隠した“もう1つの理由”に関係することでもあった。


「……アグネス」

「——っ」

 その名前に、クラトスは息を呑み、目を見開く。

 彼がそのような反応をすることを、オフィーリアは分かっていた。だが彼女の知っている限りだと、その人物以外あり得ないのだ。

「彼女は私よりも魔力が低い。ですが、私さえもその存在を感知できなくなる隠密型の魔法を得意としています」


 隠密型の魔法には、影系魔法、闇系魔法、透視魔法、幻術魔法の4種類があり、その中でオフィーリアでもその気配を感知できなくなってしまうのが、闇系魔法。魔力の少ない者でも扱える魔法で、姿はおろか魔法の痕跡まで消してしまう魔法だ。


 それを得意としていて、尚且つ彼女の知る限り最もディアヴォロスと関わりが深い者、そして現在、行方が分からない彼女ならば、侵入者と協力していてもおかしくない。それにオフィーリアは、アグネスという人間のことをよく知っているので、彼女が魔族に協力しているとしても何ら不思議に思わないのだ。

 オフィーリアの推測に、クラトスは目を見開いたまま震える声言葉を絞り出した。


「…確かに、彼女をディアヴォロスに向かう路で見たことがあるという証言が過去にいくつかあったが、しかし……」

 信じられない。

 クラトスのその言葉を飲み込んだ。


 ……あれから約20年。長らく聞いていなかった、その名前。生死すら定かでなく、彼がずっと探していたその名前を、よもやこんな形で聞くことになるとは、思わなかった。

 クラトスは今ようやく、オフィーリアが何故報告を避けたのか、心から理解できた。確かにこんな不確かな情報、聞かされたところでクラトスや国民に不安と恐怖を与えるだけで、何の意味もないことだ。


 クラトスの瞳が、震えている。

 戸惑いを隠せない様子の彼に気付いて、オフィーリアは諭すような声で話しかけた。

、私情はお捨てください。でなければ足を掬われます」


 わざと“陛下”という言葉を強調して言い放つ。お前は王なんだと知らしめるかのように。どこか寂しく、暗い金色の瞳だけが、ただ真っ直ぐにクラトスに向けられていた。


 クラトスはオフィーリアの忠告にハッと我に返る。わざとらしく咳払いをすると、気持ちを切り替えてからオフィーリアに命じた。

「…侵入者の動向を探り、見つけ次第捕えて尋問せよ。もし本当に協力者がいるならば、その者もとらえて処罰しておけ。分かったな、《白銀の厄災シルバー・ディザスター》」

「……御意のままに」


 オフィーリアは深々と頭を下げて、クラトスに応じる。クラトスはそれを確認すると踵を返して屋敷を出た。

 鈍い金属音を立てて扉が閉まってから、オフィーリアはゆっくりと頭を上げる。その瞳は、クラトスに向けられたものとは比べ物にならないほどに暗く、寂しい輝きを放っていた。


 《白銀の厄災シルバー・ディザスター》。

 そう呼ばれることに今更抵抗はないが、その名を呼ばれるたびにオフィーリアは、賢者の役職を与えられ、“儀式”を受けた日のことを思い出すのだ。


 全てを失い、心を殺し、“賢者”の仮面を被ると決めた20年前。《白銀の厄災》という名前は、これから自分が背負ってくべき業と、偽っていくべき“表”の顔。本当の姿を知られないように、オフィーリアはただひたすら己を作り替えていった。

 そうして《心優しい王女》から、《白銀の厄災》に生まれ変わった彼女の心に今も渦巻いている感情は、夫、半端者の王への、煮えたぎるほどの憎悪と怒りだった。




 民間の住宅街の中に、誰も知らない屋敷がある。そこは何十年も昔に半端者で初めて男爵の地位に就いていた男が、死ぬ直前まで住んでいた家で、中はかなり荒れているが、それなりに広くて立派な屋敷だ。


 残念ながら、その男爵は結婚はしていたものの子宝に恵まれず、彼が病死した後に絶家してしまったらしい。

 初代のみで絶えた貴族の名前など、歴史の中に残るはずもなく、当時は珍しい半端者の貴族だが、今はあちこちに存在していて珍しいものではなくなっている。そのために男爵の名前は人々に忘れられ、誰も知らないこの屋敷だけが残ってしまったのだ。


 その屋敷の地下室には、当主が客人や取引相手との密談に使用された談話室がある。

 書斎と思しき部屋に地下への隠し扉があって、それを開けると地下に続く長い階段があった。それを降りていくと、談話室に通じる木製の古い扉が現れる。


 その扉を、ニコラオスは控えめにノックした。

 すると中から、女のくぐもった声が聞こえてくる。

「……神の名は」

「アトラス」


 短く答えると、中から扉を開けられた。そこには、黒髪で目元を赤いマスクで隠し、黒いマントを身に纏った壮年の女性が立っている。

 女はニコラオスの姿を見ると、口元だけでにっこりと微笑んだ。

「おかえり、ニコラ。遅かったのね」

「…ごめん」

「まぁいいわ、入りなさい」

 女に促され、ニコラオスは部屋の中に入った。古びたローテーブルの両脇に、向かい合わせになるようにして継ぎ接ぎだらけの2人がけのソファーが2つ並んでいる。部屋の中を照らしているのは、壁の四隅についた蝋燭と、ローテーブルの上でチロチロと炎が揺れている燭台だけ。部屋の中は薄暗かった。


 合言葉に互いのミドルネームを使うのが、彼らの合図。

 レヴィン王国の人間は、自身の子供のミドルネームに神の名前を使うことが多い。そうすることで、自身の子供が神の加護を受けると信じられているのだ。

 そのためこの国では自身のミドルネームを、“神の名”という。神の加護と信じられているだけあって、神の名は特別な意味を持っており、それを共有できるのは自分の家族か、心から信頼できる相手にだけだった。


 ニコラオスは女の姿を、上から下まで舐めるように見つめてから、尋ねるようにして口を開く。

「…どこか行ってたのか?の表の格好、見るの久しぶりだ」

「ん……?あぁ、まぁね。ちょっと人に会ってきたの」

 “母さん”と呼ばれたその女は、ニコラオスの母親だった。


 母はニコラオスに答えると、自身の頭の上に手をかけて、被っていたウィッグをずるっと滑らせるように外す。黒髪の下に隠されていた髪色は、白だ。

 母はウィッグをすぐそばのソファーの上に半ば乱暴に投げ捨て、瞳の色を隠していたマスクに手を伸ばし、捨てる。

 その瞳の色は……黄色。その母は、純粋の神族だった。


「…それで、《禁術の書》は見つかった?」

「…いや、探してる暇がなかった。……その、邪魔が、入って」

 そう答えるニコラオスの脳裏に、あの、お人好しな王女の顔が蘇った。これまでの人生において、あそこまでお人好しな人間に会うのは、初めてだった。


 恐れることも疑うこともない真っ直ぐな瞳、侵入者であるニコラオスに自分の名前を明かしたり、自分を襲ってきた相手をすぐに衛兵に引き渡さず、話を聞きたいと言い出した、変わり者の彼女。

 しかし不快に思うどころか、ニコラオスは命令も忘れて彼女との会話を楽しんでしまった。


 ニコラオスとしては、彼女を“邪魔”呼ばわりするのは正直本意ではなかったのだが、詳しく説明すると長くなるし、ややこしいことになりそうだったので、母にこの話をするのは避けることにした。

 それよりも、報告しなければならないことがあったのだ。


「それと、ごめん。うっかり宮内で魔法使っちまって、氷の王女に俺のことがバレた」

「…そう。なら、急いで片をつけないとね」

「…どうするんだ?氷の王女は本当に強い。実際に対峙したわけじゃないけど、あれは駄目だ、桁が違う」

 思い出しただけで、鳥肌が立つ。ニコラオスの顔色は、薄暗い部屋の中でもよく分かるほどに青くなった。


 あれはもはや、人の次元では測れない。まだ背中に彼女の視線を感じるようだ。

 まるで獣、いや、化け物に睨まれたような、吐き気がするほどの緊張感。遠くから向けられたものであるにもかかわらず、命を危険を感じるほどの殺気。1人2人殺しただけでは、あんな殺気は向けられない。

 初めて本物の殺意に触れたニコラオスは、自分でも情けなくなるほど足がすくんでしまって、すぐには動けなかったのだ。


「咄嗟に抵抗したけど、氷の王女は一瞬だけ俺の心を覗いた。俺が《禁術の書》を探していることに、気づかれたかも……」

「それなら心配いらないわ。もし気づかれても、きっと彼女は何もしない。……それどころか、私の目的を知ったら、彼女の方から協力を申し出てくれるかもしれないわね」

 母の顔が、ニヤッと妖艶な笑みを浮かべる。何かを企んでいる時の、彼女の顔だ。ニコラオスは、この母の顔が苦手だった。母がこういう顔をする時は、大抵面倒なことを考えている時だったからだ。


 ちなみにニコラオスは、母の目的を全ては聞いていない。ただ、《禁術の書》を手に入れることの重要性をスザンナに説いたのが母である、ということは知っていた。


 他の魔族たちの中には、危険を冒してまで《禁術の書》を手に入れることにあまり乗り気でない者の方が多かったが、母はスザンナの側近として絶大な信用を得ているので、母の意見は見事彼女に聞き入れられた。

 正直ニコラオスは、母のためになるならば自分は目的など知らずとも構わないと思っていた。しかし、セレナと言葉を交わして、母が何のために《禁術の書》を欲するのか、また何に使うつもりなのか、興味が湧いた。


 母は何が楽しいのか愉快そうにクスクスと笑いながら、まるで独り言のように言葉を続ける。

「《禁術の書》については、万が一見つからなかった時のことを考えて、“ある人”と交渉しているから。彼が受け入れてくれれば、何とかなるはずだわ」

「……母さん」

 母の言葉を遮るようにして、ニコラオスは声をかける。母は顔だけをニコラオスに向けて、首を傾げた。

「ん?」

「母さんは、何をしようとしているんだ?」


 ニコラオスがそう尋ねると、母にはそれが想像もしていなかった質問だったらしく、驚いたように目を見開いた。それもそのはずだろう。ニコラオスが“目的”というものに興味がなかったことは、彼女が1番よく分かっているのだから。


 驚いた様子の母に気づいていないふりをして、ニコラオスは母からの返答を待つ。

 母の性格をよく知っているニコラオスは、こんな直球で尋ねても母が容易に詳細を話してくれるとは欠片も思っていなかった。きっと曖昧な言葉を一言だけ答えられ、あとは何も語りはしないのだろう。

 そうは分かっていても、聞かずにはいられなかった。


 テオスの街とディアヴォロスの街とで大きく違う、歴史の解釈。立場が違えば違った解釈が生まれるのも当然なのかもしれないが、だが一応は同じ国に住む同じ歴史を経験した者たちだ。

 だというのになぜここまで誤差が生まれるのか。そして、一体どちらの解釈が本当の歴史なのか、ニコラオスはどうしても知りたくなったのだ。

 正直、それを知ったところで何も変わらないとは思うが、それでも気になってしまったのだ。


 母は少し考えてから、再びニヤリと妖艶な笑みを浮かべる。およそ息子に向ける笑みではない。おそらくまた、何かを企んでいるのだろう。

 嫌な予感がしながらも、ニコラオスは母の返事を待つ。

 そして、母は静かに答えた。


「革命よ」

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