第3章 裏切り者②

「ですが、わたくしは遅咲きで、当時ようやく第2覚醒を終えたばかりで、簡単な魔法もろくに扱えませんでした」

「え、カレンも遅咲きだったの?」

 尋ねると、カレンは少し辛そうな笑みを浮かべて頷いた。


 知らなかった。今は普通に魔法を扱うことのでできるカレンが、実は遅咲きだったなんて。

 一体、どうやって覚醒したのか……。


 非常に気になったが、カレンが何やら言いにくそうに下を向いたので、セレナはこれ以上覚醒のことについては聞かないことにした。

 カレンが言葉を続ける。

「ですので、初めの頃はオフィーリア様の、幼くも強大な魔力が恐ろしくてたまりませんでした。ですが、オフィーリア様はそんなわたくしの心を知っても関係なく接してくれ、また魔法の扱い方までお教えくださいました。それゆえわたくしは、魔法を扱えるようになったのです。…さ、もうお休みくださいませ」

 嗜めるようにそう言って話を切り上げると、カレンは再び軽く頭を下げてから踵を返す。セレナはその背中を、慌てて呼び止めた。


「まって、もう1つだけ。半端者の王って、どんな人?」


 その問いかけに、カレンは肩をビクッと震わせて立ち止まった。驚きのあまり、目玉が飛び落ちそうなほどに目を見開いている。その瞳には、恐怖に似た色が滲んでいた。

 混乱したままの頭を整理したくてつい直球で尋ねてしまったセレナだったが、カレンのその様子を見て、言わなければよかったと、軽く後悔した。


 半端者の王の話は、この王城にいるすべての者たちがその名を知っていても、決して口に出して呼んではならない、禁句タブーなのだから。

 カレンはひとしきり動揺してから、心を落ち着かせるようにふぅ、と息を吐く。そうして覚悟を決めたようにしてから口を開いた。


「…とても恐ろしく、そして寂しい方でありながら、心の美しい方でございました」

 そう引き攣った笑顔だけをセレナに見せて答えると、カレンは逃げるように部屋を出ていった。詮索されたくない様子だったので、セレナもこれ以上引き留めることができなかった。


 ……心が、美しい。


 それは単純に、心が清らかだということか、優しいということか。はたまた純粋だということなのだろうか。これまた歴史上の半端者の王とはかけ離れたイメージだ。


 しかし、恐ろしくも寂しい人であったとも話していた。カレンのあの引き攣ったような笑みは、おそらく恐怖ゆえのものだろう。


 人間には、他人の前で見せる“表”の顔と、心を許した相手にだけ見せる“裏”の顔がある。自分の身を守るために、そしてそれは時に誰かを守るためであったりもする。そのために、人は偽りの仮面を被り、本当の姿を隠すのだ。

 『国民から恐れられた魔王』と、『氷の王女の心美しい夫』。一体どちらが仮面でどちらが本当の姿なのか。それを知っているのは、今はおそらく彼の妻、オフィーリア・バラクだけだろう。


 簡単に他人に心を許さない“氷の王女”が、それを自らの口で語ってくれるわけもない。

 しかし、外野にいるセレナがそれを知ろうというのなら、本の中の言葉ばかりに振り回されていては駄目なのだ。

「自分の目で、確かめないと」

 セレナはそう決意してから、ベッドに横になって瞼を閉じた。




「……」

 男、クラトス・レヴィンは激怒していた。

 その怒りをぶつけるかのように膝を揺すりながら、王族お忍び用の小さな馬車に揺られて目的の場所へと移動する。


 クラトスの怒りの原因は、つい先ほど彼の耳に入ってきた報告の内容と、それを伝えにきた人物にあった。

 大量の書類仕事を終えて、さあいざ休もうかとベッドに座ったのが、つい10分前のこと。そこへ突然マギーア部隊の騎士がクラトスの前に現れて、とある報告を伝えにきたのだ。


 ——本日夕方ごろに、ロワ宮内に何者かの気配を感じました。


 それを聞いた途端、クラトスは頭に血が上った。

 ロワ宮に侵入者を許してしまったこともそうだが、それ以上に、それを伝えにきたのが街の警備を任せているオフィーリアやその従者、もしくは人形ではなかったということにだ。


 苛立ちを抑えきれないクラトスをそのままに、馬車は目的の場所へと到達した。クラトスは自ら苛立ち混じりに扉を開け、外に出る。

 そこは、トレゾール邸。オフィーリア・バラク公爵が住まう屋敷。


 クラトスが玄関の前まで近づくと、ひとりでに扉が開いた。普通なら驚くところだが、クラトスはお構いなく中へずんずんと入っていく。

 非公式での外出なので、いつも大量に連れている従者はおらず、馬車の操縦をするだけの少年の姿をした傀儡人形しか連れてきていない。


 クラトス一人だけで、灯りの消えた真っ暗闇な大広間の中央まで歩くと、扉がひとりでに閉まった。それを合図にするかのように、部屋の両端で目を伏せて立っていた傀儡人形が2体、目を開けて動き出す。足元に置いてあった、光魔法で蝋燭の炎のような光を放つ魔法器具の燭台を手に、2体の傀儡人形はクラトスの両脇を挟むような形で歩み寄った。


 神族の少年のような姿をした、執事服の傀儡と、神族の少女のような姿をした、メイド服の傀儡。この2体の人形の容姿は、どこか似ている。


 こんなものを出迎えに出すとは。


 ……だとしたら、全くもって趣味が悪い。

 一見しただけでは、これらは普通の人間と大差ないほどによくできている。が、一声言葉を発すれば、それが血も心も通っていない、ただの“物”だということがよく分かるのだ。


「陛下、いらっしゃいませ」

「陛下、いらっしゃいませ」

 2つの、抑揚のない声が重なって響く。クラトスはそれを聞いて、心底気持ち悪い、というように眉を顰めた。


「貴様らに用はない、主人はどこだ」

「ご主人様マスターはお休み中にございます」

「ご主人様マスターはお休み中にございます」

 また、2つの声が重なった。


 表情の変わらない、作り物の顔。

 クラトスの表情がますます歪んだ。これらはいくら侮辱されようが、冷たくされようが、気分を害して顔を顰めるなんてことはしない。


 ランプの灯りに照らされて光る、白い陶器の肌。服の隙間からわずかに覗く関節の接続部位。大門の外に生息する魔獣の毛並みから作った、艶やかだが嘘くさい長髪。泣くことはおろか、活動を停止している時以外は瞬きすらしない大きな瞳は、ガラス玉のようだとよく言われるクラトスのものとは違い、本当にガラスでできている目玉だ。その内側は人間でいう骨の代わりに金属の骨組みがあり、内臓の代わりに冷却機能があり、血液の代わりにスライムで埋め尽くされている。また人間でいう心臓部位には魔石が埋め込まれており、そこに魔力を込めることで、これらは動くのだ。


 ……本当に、趣味が悪い。クラトスは吐き気すら覚えた。


 賢者オフィーリアは、自分の身の回りの世話や屋敷の管理にも傀儡人形を使っている。実質自分で自分の世話をしているわけだが。

 信用のできない人間を自分の傍に置きたがらない彼女は、ジェイや自分の息子以外の人間が、教室以外の目的でここに来ると、警備用の傀儡人形を起こして留守か就寝中を装うのだ。


 …これらと話していても、埒が明かない。それを知っているクラトスは、ため息を零してから屋敷中に聞こえるほどの大声で呼びかける。

「バラク、出てこい!貴様がことは知っているんだ、姿を現せ!!」

 冷たくくらい大広間に、クラトスの怒号にも似た声が反響する。

 すると、少し間を置いて、ヒールの高い靴で歩くような甲高い足音が降りてきた。クラトスは、足音のする方を仰ぎ見る。


 青い光を放つ魔法器具のランプを手に、オフィーリア・バラクはゆっくりとした足取りで階段を降りてきた。

 いつも彼女の隣に立ってエスコートする従者は、今日はいない。


 エスコートされる左手を、今日は階段の手すりに沿わせながら、中央階段の上まで歩き、立ち止まる。

 鬼火のような青い光に照らされた彼女の顔に、表情はなかった。が、クラトスと目が合った瞬間、ニタッと不気味な笑みを浮かべ、冷たい視線で見下ろした。


「これはこれは、国王陛下。このような時間に、いかがなさいましたか?」

 “偉大なる”という言葉に含みを持たせた嫌味な言い方に、クラトスは眉を寄せる。


 偉大な、と口では言っているが、オフィーリアの中に兄であり王でもあるクラトスを尊敬する気持ちは微塵もない。現に今も、王であるクラトスに頭も下げず、それどころかどこか見下すような目で上から見下ろしている。

 クラトスの怒りを知ってか知らずか、オフィーリアは不気味な笑みをさらに深くして言葉を続けた。


「偉大なる兄上様の命とあらば喜んで馳せ参じる所存ではありますが、兵士にも休息は必要なのですよ?」

「ぬかせ。休息など、貴様ら“化け物”には必要のないものだろう」

 わざとらしく欠伸までしてみせるオフィーリアに、クラトスはドスの効いた声で応える。


 およそ実の兄妹とは思えぬ会話だが、この2人は昔からこうだった。


 お互いに頑固で、意地っ張り。1度決めたことは何がなんでも曲げずに貫き通す。それで周りを巻き込んで心配させていることに気づいてはいるものの、簡単には自分の考えを変えられない性格だった。

 顔は違うのに、性格は鏡を見るようにそっくりな2人は、本来お互いの気持ちを誰よりも理解できるはずだった。にも関わらず、自分の中の悪い部分というものは、客観的に見ると何故か腹が立つもので、自分に向けられない怒りをつい相手にぶつけてしまう。そんな関係だった。


 といっても、何も初めからそうだったわけではない。

 幼少期の頃はクラトスの一方的な敵意だけで、オフィーリアは我関せずといった様子だった。それが、20年前の事件をきっかけに今の関係へと変わったのだ。


 クラトスは気持ちを整えるかのように大きく息を吐き、本題へ移る。

「……先ほど、貴様の息子から私に報告があった。夕方頃に、ロワ宮内で侵入者の気配がしたかと思えば、すぐに消えたと」

 怒りを噛み殺した声でそう言い放つ。


 彼に報告しに来たのは、オフィーリアの息子のクラニオ・バラクだったのだ。

 剣士としての腕はまだまだだが、魔法戦では隊の中で断然トップの実力者。オフィーリアと、定かではない男との間に生まれたということで、クラトスははじめクラニオに対していい印象を持っていなかったのだが、騎士になってからの彼の実力は認めていた。


 それゆえに、クラニオをセレナの婚約者とする話が持ち上がった時、さほど反対もせずに受け入れたのだった。

 しかし、やはり国一番の魔力持ちは、大賢者オフィーリアを置いて他にはいない。彼女の息子が感知できた侵入者の気配に、オフィーリアが気づかない訳が無い。そもそも中間門から内側は彼女の警備が最も厳重だ。にも関わらず王城に入られるまで気付けないということそのものがおかしいのだ。


 クラトスが怒り心頭なのは、それが主な理由だった。

 オフィーリアをじろっと睨みつけるが、彼女は白々しい態度で答える。

「おや、それはそれは。王室の皆様に怪我などありませんでしたでしょうか?」

「しらばっくれるな。貴様ほどの化け物が、気づかないわけもない。何故私に報告しに来なかった。お得意の魔法で、いくらでも伝えにくることはできたはずだ」

「……先ほどから人を化け物扱いしておりますが、わたくしを化け物たらしめたのはどなたでしたでしょうか?」

 そう冷たく答えるオフィーリアの顔から、笑みがスッと消える。氷のような瞳が、暗い部屋の中で金色の光を放った。


 殺気のような視線を浴びせられ、クラトスは思わず硬直する。背筋が凍りつくような恐怖が、彼を襲った。

 ……まるで、獣のような眼光。

 感情が動く時に光る瞳。一説には、瞳の光り方で感情の種類が分かるという学者もいたが、この光は、一体どんな感情を表しているのか。


 ……私の娘も、いずれこんな不気味な目を向けるようになるのだろうか。


 クラトスは必死に平成を装い、言葉を続ける。

「確かに、お前の言う通りだ。だがそれならば、私は貴様という化け物を生み出した、いわば創造者。番犬を使う主だ。飼い主の手を掴んだ犬にはそれ相応の仕置きをする。当然だろう」

「……やれやれ、今度は犬扱いですか。わたくしはいつからあなたのペットになったのやら」

 呆れるようなオフィーリアの言葉を黙殺し、クラトスは殺気にも似た暗い瞳で彼女を見上げる。魔力持ちのそれとは違い、ただの人間からの殺気など彼女にとっては痛くも痒くもないだろう。


 それでも少し間を置いてから、ようやくまともに話す気になったかのように中央階段からゆっくりと降りてきた。

 クラトスの前に並ぶと、オフィーリアの身長はヒールを履いていてもクラトスより頭1個分ほど低く、今度は彼女がクラトスを見上げるような形になった。


「……お前たちは下がりなさい」

 傀儡人形たちに目配せをしながらそう声をかけると、「イエス、マスター」という2つの声が重なる。人形たちは踵を返すと、元いた場所まで戻って再び目を伏せた。そうしてじっとしていると、まるで置物だ。

 その様子を見守ってから、クラトスは不快そうに眉を寄せる。

「……気味の悪い人形だ」

「あらあら、その気味の悪い人形を従えているくせに?」

 オフィーリアの言葉に、クラトスは押し黙る。


 畳み掛けるようにオフィーリアは言葉を繋いだ。

「……の国王陛下?」

 嘲笑うような声と笑みで、オフィーリアが妖艶に語りかける。

 クラトスは不快そうな顔をさらに歪ませてオフィーリアを睨みつけた。が、オフィーリアはお構いなしに言葉を続ける。

「“気味の悪い”人形を自分の護衛につけるのも、こんな時間に私を訪ねてくるのも、些細なことに目くじらを立てるのも、全てはあなたが臆病だからでしょう?」

「…黙れ」

「その“勇敢な国王”の仮面がどのようにして剥がれ落ちるのか、見ものですわ」

「黙れ、お前に何が分かる」

「何も分かりませんわ陛下。所詮わたくしは別の人間ですので」

「人間だと?化け物の間違いだろう。御託はいいからさっさと説明しろ」

 クラトスはそう答えると、苛立ち混じりに前髪を掻き上げた。


 クラトスの“表”の顔は、彼ら兄妹の父である、前王ポリュデウケス・レヴィンにそっくりだった。


 ポリュデウケスには、2つの“表”の顔があった。1つはたみの前に見せる『優しくて強い王』の仮面。そしてもう1つは、家族の前に見せる『冷たくて無関心な父』の仮面。“裏”の顔は、正直自分の妻にさえ見せていたかどうかも分からない。


 ポリュデウケスはそれこそ、偽りだらけの存在。血も心もかよっていない傀儡人形のような男だった。

 クラトスは、父を嫌っていた。ああはなるまいと思っていた。

 だが今は、父のようになることで自分も同じように国を平和に導けると信じていた。

 実際、ポリュデウケスの時代は大きな戦争も動乱もなく、比較的平和な状態が続いていたからだ。


 それで父を模倣しようと思ったその気持ちも分からなくはないが、そもそも当時と今では時代も直面している問題も違うのに、同じようにいくと本気で思っているのか。

 父を嫌悪しながら、父のような人間になり、妹を憎みながら、妹の力に頼っている。


 その根底にあるのは、恐怖だ。


 クラトスの裏の顔は、“勇敢な国王”とはかけ離れた、ただの臆病者。

 24年前だって、行方不明になっていたのは、彼らが“逃げた”からだ。


 20年前の、あの事件。犠牲になった魔族たち。彼らの残された家族や同族からの復讐を恐れ、報復を恐れ、身を守るためにクラトスは気味が悪くても優秀な傀儡人形を護衛につけている。

 これで歴史には“勇敢な国王”と称されて残るのだから、笑ってしまう。この男のどこに勇敢な一面があるというのか。


 ……本当の意味での勇敢な王は、オフィーリアの知る限り1人しかいなかった。


 オフィーリアはため息をこぼし、口を開く。その顔から再び笑みは消えていた。

「確かに、夕方頃に何者かの気配を感じました、なんらかの力によってうまく隠されている様子だったので、わずかに、ですが」

「侵入者の目的は」

「書庫で何かを探している様子でしたが、それが何なのか、また何のために使用するのかを視る前に気付かれ、“抵抗”を受けました」


 オフィーリアの最も得意とする魔法は、氷系魔法だ。だが、他にも得意な魔法がある。

 隠密型の、透視魔法。

 人や物、世界の記憶や、隠していることを読み取る魔法。


 意思もなければ抵抗もしない物や“自然”が覚えている記憶を読み取ることは、容易で正確だ。そのままそれが国の歴史として本に残されるほどに。

 だが人の記憶は、自らの解釈や「知られたくない」という本人の意思によって揺らいだり、隠されたり、書き換えられたりする。特に相手が同じ魔力持ちである場合には、絶対に隠したい秘密であればあるほど強い“抵抗”を受けることがあるのだ。


 だが、大賢者ほどの実力者ならば、隠そうとしている記憶まで遡って暴き、全て視ることはできる。よほど強い精神力の持ち主か、実力のある魔力持ちでない限りは、彼女に隠し事をすることができない。

 しかしそんな彼女の透視魔法が、“抵抗”を受けた。相手はそれなりに力のある人間だということだ。

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