第3章 裏切り者①


「……」


 セレナは自室のデスクチェアに腰掛けながら、デスクに突っ伏すような体勢で気だるそうに歴史の本をペラペラとめくっている。

 カーテンは開け放たれていて、そこから見える窓の外は、真夜中にも関わらず街灯の灯りで夕方とあまり変わらないほどに明るい。

 街の人間が完全に寝静まった後でも、街灯の灯りが煌々と燃えているのはこの街では当たり前のことだ。


 …さもなければ、夜の闇を好む者たちがやってきてしまうから……。


 セレナの部屋を照らしているは、デスクの上に備え付けられているランプの淡いオレンジ色の灯りだけで、他は何もない。薄暗い部屋の中でかろうじて見える壁がけ時計は、もうじき夜中の12時を知らせる頃だ。

 本をめくってはいるが、その内容は一切頭に入ってこない。夕方ごろにニコラオスと話していたことが、今もまだ頭の中をぐるぐると巡っていたからだ。




「叔母様があなたたちと貿易していたって、どういうこと!?」

 セレナが興奮気味にニコラオスに詰め寄ると、ニコラオスは一瞬気圧されるような顔をしてから、少し落ち着けとばかりに彼女の肩に手を置く。

 だが、彼の宥めるような声にも、セレナの興奮は全く治らなかった。


 落ち着けるわけがない。まだ疑いの目すら向けていなかった『半端者の王と魔族の貿易』の歴史が、実は間違っていたかもしれないのだ。

 半端者の王の妃となったオフィーリアは、その瞬間に発言力を失い、完全にお飾りの王妃となってしまった……少なくとも、セレナが学んできた歴史はそうだ。実際、当時の貿易に関係する書類の中に、オフィーリアの署名があるものは1つもなかった。


 もしも彼の話が本当なら、歴史に嘘が記されていたことの証明になる。

 1つの嘘が認められたら、他にも嘘があるかもしれないと考えて当然だろう。


 尋ねられてニコラオスは答えた。

「俺に魔法を教えてくれた師匠は、当時のことを知る同族の1人だ。氷の王女主催の会議にも参加したことのある人の話だから、間違いないはずだ」

 そう言って続けて語られたニコラオスの話は、セレナの知る歴史とは大きく違ったものだった。


 どうやらオフィーリアは20年前まで、視察のために何度も頻繁にディアヴォロスを訪れては魔族たちと話し合いを行ったり、逆に魔族たちを何人か王宮に招いて会議を開いたこともあったそうだ。

 さらには、魔族たちが街内で店を開くために場所を提供したり、希望があれば住居も提供したりと、かなり手厚く魔族たちを受け入れていたそうだ。


 そこまでしてオフィーリアがテオスに取り入れたかったもの、それは……。

「氷の王女は、俺たちの“技術”を欲していたんだ。ディアヴォロスはここよりも魔力持ちが少ない代わりに、魔力のないものでも扱える魔法器具が数多く存在している。動力は魔力だけど、使用者のものを使うんじゃなくて、内蔵されている魔石に蓄積された他人の魔力を使って動くって仕組みだ。氷の王女はそれをテオスにも提供する代わりに、俺たちがテオスに自由に行き来することを許した。おかげで当時のディアヴロスの景気はかなり良かったらしい」

 まぁ、今は不景気続きで、街には浮浪者がうじゃうじゃいるんだけどな。と苦笑しながら続けたニコラオスの言葉が、夢の中の声のように頭の中を滑っていく。


 一気に色々な情報が入り込んできて、頭がパンクしそうだ。

 セレナは口を開けたままポカン、と固まっている。


 実現は当分不可能だとされていた、使用者の魔力を必要としない魔法器具。それがディアヴォロスの街に平気で存在しているとは。

 にわかには信じられないが、それが事実ならば、テオスの賢者たちが何故“それ”の開発に躍起になっていたのかが理解できる。


 先祖返りで尚且つ魔力が強く、故に賢者となったいわば“選ばれし存在”の彼らは、三大賢者を除いてプライドの高い者が多い。


 正直、魔法器具は一言で言えば便利だ。それが魔力のないものにも使えたら、生活は一気に楽になるだろう。なので、開発そのものは悪いことではない。が、賢者たちに魔力のない者への思いやりなど欠片もない。

 そもそも彼らにとって、苦しい魔力訓練を経験したことのない普通の人間が、苦労もせずに魔法器具を扱えるようになることは、はっきり言って望ましくないのだ。


 だがそれが存在していて、しかもそれを作り出す技術を、よりによって魔族たちが持っていると知れば、賢者の威信にかけてそれを実現してみせると意気込むのも無理からぬことかもしれない。

 彼らの、自信過剰な性格を思えばありうる話だ。


 だが、オフィーリアがそれを直接魔族たちと交渉してやり取りをしていたことは、この街にある歴史書を読み漁ってきたセレナからすれば、にわかには信じられない話だ。それを真実として受け入れたとしても、オフィーリアが魔族たちを殺した、という事実がある以上そこには矛盾が生じてしまう。


 元の歴史のまま考えるならば、魔族を殺した理由は悪の王、半端者の王が結んだ縁を断ち切るための行いだと理解できる。だが彼の話を信じると、オフィーリアは自分が深く関わっていた魔族たちを、自らの手で殺したことになるのだ。

 そんな裏切りに近い行いを、王命とはいえ果たして彼女がするだろうか?


 動揺しているセレナの様子に気づかず、ニコラオスはさらに続ける。

「師匠が会議に参加した時、国王も一緒に参加していたらしいんだけど、氷の王女はまるで親か姉のように王を叱ったり、かと思えば友人か恋人のように軽口を叩き合ったりしていて、仲睦まじい夫婦に見えたって………」

そこまで言いかけてから、ようやくセレナの様子に気が付いたのか、ニコラオスが話を止めてセレナを見下ろす。

 驚いているのか、恐れているのか、セレナの顔は青冷めていた。


 ニコラオスは突然の彼女の異変に戸惑い、どうした、と尋ねるように口を開きかけた。その時、何かの気配を感じてニコラオスの顔が一気に緊張の面持ちへと変わる。

 警戒するように気配のする方、天井まで高い格子窓の方へ視線を向けた。その窓から見える景色は、無駄に背の高い王城を囲う壁と門だけだったが、そのさらに奥、中間門を越えた先にあるのは、三大賢者の一人、オフィーリア・バラクの屋敷だ。


 身体が凍りつくほどの強い気配は、そこから来ていた。

「……気づかれたか」

「え……?」

 呟くニコラオスに、セレナは思わず息を漏らす。しかしニコラオスは変わらず、窓の向こうをじっと睨み続けていた。


 何事か、とキョトンとするセレナを他所に、ニコラオスは背中に恐れに似た圧がのしかかっているのを感じた。

 心の奥が恐怖で震えるほどの殺気。誰から向けられているものなのかは、この、冬の寒さのような冷たい気配でよく分かった。

 まるで身体中の熱が、芯の方から直接奪われていくような、そんな感覚。

 彼は悟った。


 ……これが、本物か。


 唾を飲み込み、額に冷や汗が滲む。

「……悪い、時間切れみたいだ。もう行かねぇと」

 半ば早口でそう言ってから、ニコラオスは格子窓の横の小窓に向かって走り出す。

 その小窓は、ちょうど人1人が通り抜けられるほどの大きさなので、セレナは、ニコラオスがそこから出ていくつもりなのだと察した。


 ハッと我にかえり、声を上げる。

「ニコラオス!」

 名前を呼ばれ、小窓から片足を出しているところだったニコラオスは、ピタッと動きを止めて振り返る。

 セレナと目が合うと、まるで悪戯小僧のような無邪気な顔でニカッと笑って見せてから、窓の外へ飛び出した。


 ここは、5階だ。


 セレナは慌てて小窓に近づき、彼を探す。しかし、その姿は既にどこにもなかった。

 だが、彼は魔力持ちなのだから、きっと問題はないのだろう。そう思い、セレナは先ほどまでニコラオスが睨みつけていた方向を見つめる。街全体を囲う高い壁のせいで夕陽は見えないが、長い雲が夕焼けに照らされて、まるで炎が走っているかのような景色がそこに広がっていたのだった。




「……はぁ」

 セレナは深くため息をつき、頭を抱える。ニコラオス相手に無理矢理魔力を引っ張り出した時の脱力感が戻ってきたように、身体が重だるい。


 ……ニコラオスのことは、国王にも誰にもまだ話していない。


 何も盗まれていないし、事故だったが彼から付けられた首の傷も癒えている。なので、実害はほとんどないと思い、誰にも言わなかったのだ。

 それに報告しなければ、また彼がここに来るかもしれない。そうでなくても、この街にいるならどこかで会えるかもしれない。その時に、もっと詳しい話を聞けるかも、という思惑があったのだ。


 ニコラオスの口から語られた事実は、これまで学んできた歴史や、例のあの絵本の内容を大きく裏切るような内容だった。

 あれらを全て信じるならば、彼女がこれまで推測してきたことを、根本から見直す必要がある。


 まず、『半端者の王が民から恐れられた腹いせに、悪魔と契約を結んだ』という絵本の内容。


 そもそも悪魔…もとい魔族たちと契約を結んでいたのは半端者の王ではなく、オフィーリアだ。そこからしてこちらの歴史とディアヴォロスの歴史が噛み合ってない。

 それに、魔族と契約を結んだ理由も、けして『腹いせ』などではなく、どちらかといえば国のため、民のための契約だ。だというのに、なぜそれが『怒りに我を見失った国王の暴挙』だとされてしまったのだろうか。


 それと、『魔王となった国王が心優しい王女と結婚し、さらなる富と力を手に入れようとした』という話。


 そもそも魔族と契約していた時、既に2人は結婚していた。『悪魔と契約してから』結婚したわけではない。

 絵本では『彼女の力を利用した』と書かれていた。が、彼女が王妃だった当時に魔法で何かを成したという記録はない。


 彼女が王の代わりに魔族と交渉したのだとしたら、ある意味で王は彼女の力を利用したと言えるのかもしれないが、それならば何故、魔王は彼女の魔力を利用しなかったのか。

 そもそも『彼女の力』という言葉が、オフィーリアの魔力のことを指すのか、それとも政治的な力のことを指すのかは分からないが、どちらにしたってニコラオスの話と噛み合わない。


 次に、ニコラオスの師匠の目に映ったという“仲睦まじい夫婦”だった半端者の王とオフィーリア。


 『王と無理矢理結婚させられ、利用された哀れな王妃』のイメージからは大きく違うものだ。

 それにもし、“仲睦まじい”姿が見せかけではなく、本当だったとしたら、何故オフィーリアは夫以外の男との間にクラニオという子供をもうけたのか。何故半端者の王は、いくら窮地に立たされたとはいえ、仲睦まじくしていた妻を人質に取ったのか。


 そして最後に、何故現王クラトスは、魔族との取引をしていなかった半端者の王を追い詰め、魔族を積極的に受け入れていたオフィーリアの処罰を軽くしたのか。

 クラトスは、彼女が魔族を受け入れた張本人だということを知らなかったのだろうか。当時の国政に関する署名は全て半端者の王の名前になっていたため、その可能性は考えられる。

 しかし、何故半端者の王は、妻の手柄を横取りするような真似をしたのか。何故この街は、それを隠すような歴史を残してしまったのか。


 考えれば考えるほど、答えは分からなくなる。

 ただひとつ確かなのは、本の中に真実は記されていないということだけだ。


「……どうすれば……」

「セレナ様」

 突然声をかけられて、セレナはビクンッと飛び起きるようにして身体を起こす。するとすぐ目の前に、いつからそこにいたのかセレナの顔を覗き見ながら笑うカレンの姿があった。

 カレンの顔は、いつもの優しげな笑みに見えた。が、長く一緒にいたセレナには、彼女が内心で激しく怒っているということを理解していた。


「カ…カレン?あれ、この時間は来なくても平気だって…」

「はい、セレナ様のご厚意によりこの時間はお休みをいただいておりました。が、セレナ様のお部屋の明かりがついたままになっておりましたので、お休み中とは思いつつ失礼させていただきました」

 カレンはそう言って笑みをさらに深くし、軽く頭を下げる。

 その声は優しげだが、少し含みのある話し口調だ。

 言外で「もうお休みの時間では?」と言っているのは明白だったため、セレナは申し訳なさそうに肩をすくめた。


 カレンは侍女という立場から、セレナを叱る際に直接的な言い回しを避ける傾向にあった。たとえば、姿勢悪く椅子に腰掛けている時には、「お寛ぎのようですね」と微笑みながら声かけたり、独り言でつい乱暴な言い方をしてしまった際には「セレナ様はとても愉快な言葉遣いをなされますね」ととても愉快そうには思えない引き攣った笑顔で声をかけてくる。

 そんな曖昧な叱責を受けるたびにセレナは、どうせ叱るならはっきり言っていいのに、と何度もカレンに言ったのだが、「いいえ、わたくしはただの侍女ですから」と言い、侍女としての自分を頑なに曲げようとはしなかった。


 カレンは、意外にも頑固だ。


 セレナはチラッと時計の針を見ると、既に夜中の12時を超えていた。

 こんな時間まで起きていれば、そりゃカレンも心配して当然だ。


「ごめん、集中しすぎて気づかなかったわ」

「セレナ様のその集中力は尊敬しておりますが、ご自身を敬って差し上げてくださいませ」

「うん、そろそろ寝るわ」

 そう答えると、セレナは本を閉じてグーっと背伸びをしてから立ち上がる。デスクのライトを消してから天幕付きのクイーンベッドまで歩み寄り、布団の中に入った。


 カレンはその様子を見届けると、部屋のカーテンを閉め切り、セレナに向かって浅く頭を下げた。

「……それでは、お休みなさいませ」

 そう言って踵を返し退室しようとするカレンの背中を、セレナは呼び止める。

「カレン、ちょっと聞いてもいい?」

「…はい、何でしょう?」

 カレンは立ち止まり、セレナの方へ向き直る。セレナはベッドの背もたれに寄りかかるような体勢で座ると、キョトン、とした顔のカレンと向き合った。


 …彼女はここで40年以上侍女として働いている。ということは、20年前の事件の時も王宮にいた、ということだ。もしかすると、半端者の王と言葉を交わしたことがあるかもしれない。

 それに40年以上前ということは、賢者オフィーリアが生まれた頃だ。ひょっとすると、カレンはオフィーリア幼少期についても知っているかもしれない。


 セレナは言葉を探してから、口を開いた。

「えっと…オフィーリア叔母様の幼少期って、知っている?」

「バラク公爵様ですか?えぇ、よく存じております。わたくしが王宮に上がってすぐに、当時の王妃様からの命でバラク公爵の乳母をしておりましたので」

「そうなの?」

 セレナは目を丸くした。


 カレンが40年前に乳母をしていたのは知っていたが、まさかオフィーリアの乳母をしていたとは。

 当時のカレンは18か19くらいの成人して間もない年齢で、その上未婚だ。そんなカレンが世話をするのだから、最も手のかかる赤子のオフィーリアではなく、当時3歳ほどのクラトスか、未だ行方の分かっていないクラトスの双子の妹の乳母をしていたものと思っていたのだが。よりにもよって子育て経験のないカレンに、赤子の世話を任せるなど……。


「赤ちゃんのお世話って、大変なんじゃ…カレンって、歳の離れた兄弟とか、いたっけ?」

「いいえ、わたくしは末娘ですので、幼いお子様の相手も、ましてや赤子のお世話など何も分かりませんでした」

「……それなのに、叔母様の乳母に選ばれたの?」

「はい。ちょうど当時の王室では、魔力持ちの侍女が高齢を理由に引退されたばかりでしたので」

 それを聞いて、セレナはあぁ、と納得したような声を上げた。


 『魔力持ちの王族には魔力持ちの使用人以外はついてはいけない』という暗黙のルール。それは赤子のうちから魔力持ちと判断された子供の世話にも適用される。

 魔力は、幼ければ幼いほど不安定だ。だが同族が傍にいると子供側が安心して、不安定な魔力が安定することが多い。それに万が一その子供の魔力が暴走しても、同じ魔力持ちならば即座に対処が可能だからだ。


 賢者オフィーリアは生まれた時から魔力の兆候が見られていた。ならば当然、同じ魔力持ちのカレンが彼女の世話にあたるだろう。

 当時18歳ほどだったカレンならば、既に第2覚醒を終えているはず。オフィーリアの乳母として、彼女以上の適任者はいないだろう。


 そう一人で納得していたセレナの考えを否定するように、カレンは言葉を続けた。

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