第2章 出会い③

そう心の中で呟きながら、再び口を開く。

「悪かったわね。どうせ遅咲きの出来損ないですよ」


 セレナが不貞腐れたようにそう言うと、男はハッと我に返ってから、申し訳なさそうな顔をして口を開く。

「いや、悪い。そんなつもりじゃなかったんだが……」

 そう謝って頭を下げかけてから、男は急に自分の立場を思い出したかのように、いやいや、違うだろ、と口の中で呟きながら首を振る。


 そんな男の様子を見ていたセレナは、あまりにおかしくて思わず鼻で笑う。普通相手の機嫌を損ねたからといって、侵入した城の人間に謝ったりするだろうか。


 いや、しない。

 この人はきっと、悪い人ではないのだろう。


「どうして、“禁術の書”が欲しいの?そもそも、禁術の書ってなに」

「さぁ。俺も命じられて来ただけで、どんなものなのかも、何に使うのかも知らない」

 男は諦めたのか、表情ひとつ変えずに素直に答える。もはや抵抗も脅迫も、彼女には通用しないと悟ったらしい。

 男の、子供のように無垢な瞳が、一切揺らがないのを見て、セレナはこれ以上禁術の書について追求するのは無駄だと思った。


 なら、別のことを尋ねてみよう。

「命令って、ディアヴォロスの代表から?」

 テオスに王がいるように、ディアヴォロスにも代表がいることを、セレナは知っていた。


 スザンナ・テレーズ。

 数年前までは彼女の夫が代表をしていたが、夫が死んでからは彼女が代表を務めている。神族と魔族との間で行われる定例会議では、彼女と取り巻きの数名が必ず参加していた。


 セレナは彼女と直接対面したことはないが、一度遠目から見たことがある。

 鮮血のような赤い瞳に、黒い髪。鋭い目つきに白い肌をした、明らかに気の強そうな若い女性だった。

 だが、若いのは見た目だけで、本当の年齢は50近いらしい。どうやら彼女も魔力持ちで、魔法で若い見た目を保っているのだ。と、会議に居合わせたらしい婚約者のクラニオから聞いたことがあった。


 男は一瞬、話していいのか分からないというような顔をしてから、口を開く。

「いや……まぁ、確かに元を辿ればスザンナ様の命令だけど。俺はスザンナ様から命令を受けた人から命じられてて……だから、俺が直接命令を受けたわけじゃない。…それと、一応言っとくけど、俺は純粋の魔族じゃない」

「え……?」


 男の言葉に、セレナは驚いた。

 男の見た目は、間違いなく純粋の魔族の色だ。どこをどう見ても疑いようはないのに、一体どういうことなのか。

 セレナの疑問を察したのか、男は言いにくそうに口をもごもごと動かしてから、渋々といった様子で答える。

「…仲間の、魔力持ちに魔法で色を変えてもらってるんだ。本当は白髪だ」

「へぇ……」

 本当に興味深そうにセレナが声を漏らす。彼は、“半端者”だったのか。


 そういえば、スザンナも“半端者”だとクラニオは言っていた。セレナが見ていた時は黒髪だったが、会議の会場として使われているオフィーリアの屋敷では、会議中に限り魔法を封じられるので、魔法で変わっていたスザンナの髪は元の白髪に戻るらしい。


 そういう半端者は、テオスにも多くいる。尤も、彼らは全員が魔力持ちなわけではないので、魔法以外にもヴィックやフードを深く被って隠しているのだが。

「ディアヴォロスにも半端者って結構いるのね。こっちにも結構いるけど」

「当たり前だろ。…というか、今どき純粋のやつの方が少ないぞ」

 言われてセレナは、確かに、と口の中で呟いた。


 魔族の方は分からないが、純粋の神族は確かに数が少ない。セレナと父のクラトス、王族の直接の血族にあたる貴族に数名と、三大賢者に十数名の賢者のみ。全体の人口や半端者などに比べると、本当に数が少ないのだ。

 納得して、セレナはハッと我に返る。


「どうして教えてくれたの?」

 いくら数が多いからといって、半端者という差別的表現から想像できるように、半端者たちは多くの人々からいい印象を持たれていない。同じ半端者同士でも、自分より少しでも違うと差別の対象になるほどだ。

 この男にとって、自ら半端者と名乗ることは勇気がいるはず。ましてや自分のことを捕らえている人間に話すようなことではない。


 そんなことを考えていると、男はわざとらしく咳払いをしてから、ぶっきらぼうに答えた。

「……お前だけ話すのは、フェアじゃないだろ」

 セレナは思わぬ返答に仰天した。


 先ほど彼女が、自分のことを“出来損ない”と称してまで覚醒が来ていないことを打ち明けたのに、自分は何も言わないのはフェアじゃないと言うのだ。

 確かに、それを話すことは彼女にとって本意ではなかったし、出来ることならば見ず知らずの他人に知られたくなかった事実だ。彼は、そんな彼女の心情を察して、自分も他人には知られたくない秘密を暴露したのだ。

 そうしてお互いに嫌な思いをすることで、相殺しようというのか。


 それに気づいたセレナは、あまりにおかしくて声を殺して笑った。

 全くこの男は、本当に敵対している種族の人間なのかと疑うほどに純粋で、馬鹿がつくほどに律儀で正直者だ。

 突然笑い出すセレナの様子に、男の顔が呆れるような表情になる。


「……お前、警戒心とかねぇの?気ぃ張ってる俺が馬鹿みてぇじゃん」

 先ほどまでとは打って変わって砕けた口調で話す。心なしか、座り方も崩れているようだ。

 ……それは、こっちの台詞なのだが。


 侵入した城の人間に頭を下げたり、自分の正体を明かすなど、警戒心のない証拠ではないのか。

 男の馬鹿にするような口調に、セレナはむっと顔を顰めた。


「警戒心くらい、私にもあるけど……」

「嘘つけよ。俺は敵だぞ。その気になれば、こんな拘束なんて魔法ですぐに焼き切れる。なのになんで、そんな態度が取れるんだ」

 セレナは少しの間黙り込んだ。


 確かに、警戒心はある。彼を拘束したのも、彼を警戒してのことだ。警戒心は、ある。のだがしかし、この男に対しては、どうしても気が抜けてしまうのだ。

 理由は、簡単だ。

「だって、あなたからは殺意を感じないもの」


 口調、声色、躊躇いなく刃物を突きつけてきたその姿は、一見彼女の命を狙っている人間の行動だが、その行動1つ1つに、殺意と呼べる感情を一切感じないのだ。

 男が自分でそう言っていたように、目的さえ果たせれば、他人を傷つけようとは微塵も思っていなかったのだろう。


 父親の顔色を伺って、気を張って生きてきたセレナは、他人の顔や目を見るだけで、相手が自分にどんな感情を向けているのかを理解することを得意としていた。


 ……この男の目は、一度も暗い光を放っていない。

 まるで、無理して強い自分を作り上げているかのようだ。


 だから、怖くない。

 恐怖とは無縁の感情だけが、彼女の中に渦巻いていた。


「——っ」

 図星を突かれたように、男は激しく動揺する。

 男は……ニコラオスは、人を殺したことがなかった。

 魔族の人間は、生まれた時から人を殺すための訓練を、半ば強制的に受けさせられる。ニコラオスと同年代の魔族たちは、皆必ず1度は人を傷つけたり、殺したことがある者ばかりだ。


 そんな中で、1度も人を殺したこともなければ、人を傷つけることに抵抗がある魔族は、ニコラオスだけだった。

 彼は、傷つけたくないのだ。何故と言われるとうまく言葉にできない。だが、傷つけたくない。傷つけたら痛い。訓練を積んだ自分でもそう思うのに、それを他人に向けたくないのだ。


 同じ魔族の、“仲間”たちは、彼のことを弱虫の臆病者だと言って罵った。ディアヴォロスには、彼の居場所はなかった。

 同族だとか、同じ街に住んでいるからとか、そんな理由で自分を罵倒する言葉さえも許容するのは愚かなことだ。


 だからニコラオスは、彼らを仲間と思うのをやめた。

 そんな彼の唯一の味方は、母だった。

 母は、ニコラオスが傷つけたくないと願うなら、その通りにすればいい。お前の好きにすればいいんだと、そう言ってくれた。


 唯一の味方である母のために……“同族”ではない母を認めさせるために、俺はどんなことでもしてみせる。どんな姿でも、演じてみせる。

 冷酷な魔族の仮面を被り、“敵”に対して容赦せず、本当の姿は明かさない。


 そんな、“魔族”になってみせる。

 そう、思っていたのに。

「……変な女」


 ニコラオスがそう呟くと、セレナは口を尖らせ、怒ったような口調で言い返す。

「失礼ね。私にはセレナ・レヴィンっていうちゃんとした名前があるんだからねっ」

 鼻息荒くそう言い放つセレナの姿に、ニコラオスは思わずプッと吹き出した。


 セレナ・レヴィン。クラトス王の一人娘。つまりは、魔族の“敵”だ。だというのに、この女の前では全ての抵抗が無意味な気がする。

 どんなに知られたくないと思っていることも、この女はすぐに見抜いてしまう。どんなに関わるなと突き放しても、この女はきっとどこまでもついてくる。

 まだ彼女のことを何も知らないのに、ニコラオスは、彼女はきっとそういう人間だと確信していた。


 どこかで感じたことのあるような既視感。どうしてそう思うのかは、思い出せない。なのに、それでもいいかと思えるほどに、ニコラオスは彼女との会話を楽しんでしまっていた。

「そういえば、名前聞いていなかったわね」

 敵であるニコラオスが、自分の名前を答えるはずがないのに、セレナは尋ねた。


 お人好しで、世間知らずなお姫様。ニコラオスは完全に気が抜けてしまった。こんな、馬鹿がつくほどのお人好しに、これ以上警戒していても疲れるだけだ。

「……ニコラオス」

 そう答えるニコラオスの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。


 ふと、ニコラオスの視線が再びセレナの首に向けられる。その視線はまるで何か一点を見つめているような気がして、セレナは不思議そうに首を傾げた。

「何?なんか付いてる?」

「……気づいてねぇの?首、傷ついてる」

「えっ⁉︎」


 セレナは驚きのあまり勢いよく立ち上がり、自分の首に手を当てて傷を探す。すると、先ほどニコラオスに刃物を向けられていた場所に、1本線のような傷を見つけた。

 慌ててドレスのポケットに手を入れ、コンパクトミラーを取り出して見る。血は既に止まっているが、そこには赤い線のような傷がついていた。小さい傷だが、しばらく跡が残るだろう。

「さっき吹っ飛ばされた拍子に刃が当たったのかもな。……悪い」

 視線を逸らし、引き攣ったような笑みを浮かべながら、ニコラオスは申し訳なさそうに小さく頭を下げる。


 さっき彼が後悔したような顔で首筋に視線を送ってきたのは、これのせいか。

 セレナはそう納得したが、それとこれとは話が別だ。

「どうするのよこれ、女の体に傷つけるなんて!」

「いや、だから悪かったって。ていうか、お前が抵抗しなきゃ、手元が狂うこともなかったのに」

「私のせいだって言うの?そもそもニコラオスが強盗まがいのことしなきゃ、私だって抵抗しないわよ!苦手なのに無理矢理魔力を引っ張り出したせいで、あの後すっごく苦しかったんだから!」

「それはそっちの問題だろ。うまく扱えりゃ、引き出した程度で疲れたりなんかしねぇよ」

「じゃあ手本見せてみなさいよっ」

「上等だ。見てろ」


 まさに、売り言葉に買い言葉。

 子供のような口喧嘩を繰り広げながらも、2人の心を占めていたのは怒りではなかった。むしろ口論すら楽しんでいる自分に、お互いが一番驚いていたのだった。


 上等だと啖呵を切ったニコラオスは、軽く深呼吸をすると、自分の魔力に集中する。すると、赤と白の魔力の風がニコラおすを包むようにして出現した。それはそのまま拘束していたベルトを、傷つけることなく解いた。

 唖然となって見るめるセレナを、ニコラオスは手首をさすりながら立ち上がり、どんなものだとばかりに得意げな顔で見下ろす。正面から見て知ったが、ニコラオスの身長はセレナより頭ひとつ分大きかった。

 彼の、赤と白の風が、まるで細い糸のように伸びてゆらゆらと揺れている。

「……綺麗」


 思わず呟いた。

 セレナの心にはいつものモヤモヤとした闇はなく、本当に感動していた。

 セレナに綺麗だと言われたニコラオスは、少し照れ臭そうに頭を掻いてから、「当然だろ」と答える。

「散々訓練したんだ。これくらいできなきゃ師匠にどやされる」


 そう答えると、ニコラオスはセレナの首の傷に触れる。と思うと、ニコラオスの魔力の風が同じく傷に触れ、流れ込んだ。ニコラオスの手が離れると、まるで初めからそこに何もなかったかのように傷が消えている。

 異変を感じたセレナは首に触れたが、完全に傷は無くなっていた。


 これは魔法だ。


 先ほどのようにただ魔力を流したのとは違う、れっきとした癒し系の治癒魔法だ。


「……ありがと」

「いや。お前の言う通り、元は俺の責任だしな」

 そう答えて笑うニコラオスは、やはり、セレナがずっと聞かされてきた“冷酷無比な悪魔の子供”には見えない。

 どこにでもいそうな、普通の若者だ。

 どうして私たちは、長い間争いを続けてきたのだろうか。

「……どうして、戦う必要があるの?」

「え?」

 驚いたようなニコラオスの声で、セレナはハッと我に返る。


 声に出してしまっていたようだ。慌てて口元を押さえたが、時既に遅し。ニコラオスは真剣な顔つきになって答えた。

「……仕方ないだろ。お前の親父さんが、20年前に俺たちと氷の王女の間でやってた貿易を無理矢理切らせたんだから」

「……え?」


 ニコラオスの言葉に、セレナは素っ頓狂な声を上げた。

 クラトスが王になった時、半端者の王が魔族と行なっていた貿易を絶ったことは、歴史に残っている。ほんの少しでも気になる言葉あれば、突き詰めて追求してきた。


 ……今、彼はなんと言った?


「今……氷の王女との貿易って……」

 そんな話は聞いたことがない。

 そもそも氷の王女……オフィーリアは、王妃だった頃は発言力もなく、完全にお飾りの王妃だったとされていた。

 そんな彼女が、魔族との貿易に関わっていただなんて……。


 セレナの声と様子にニコラオスは困惑しながら返答した。

「あれ、そうじゃなかったか?少なくとも、俺はそう習ったけど」

「習ったって、誰に?!」

 彼に迫る勢いでセレナが尋ねると、ニコラオスは急に何だよ、というような顔をしてから、これ言ってもいいのか?と口の中で呟き考え込む。少し経つと、戸惑いながら答えた。


「師匠に」




「……ん?」

 自室で魔法書の整理をしていたオフィーリアは、何かに気づいたように声を漏らして、その手をピタッと止める。


 彼女の自室には魔法書が多いので、彼女はいつも魔法で整理していた。

 そのため、様々な魔法書が彼女の飛行型魔力系浮遊魔法によって宙に浮いている。本は彼女の手の動きに合わせて収まっていたが、彼女が手を止めると本も動きを止めていた。


 オフィーリアは王城のある方向に目を向けて、低く唸る。

「……何かしら、この気配。随分とうまく隠されているけど……魔族?」

 そう思って、心の中で否定する。


 いや、この気配は完全な魔族のものとは何かが違う。

 そうか、半端者か。

 半端者、それも“魔族に近い者”が、城内に紛れ込んでいる。


「……侵入者ね」

 オフィーリアの冷たい瞳が、怪しげな黄金の光を放った。

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